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第三十回夜の樹上演台本 自転(反転)砂時計
和田 周
 




     舞台中央に六メートルほどの正方形のスペース。
     その正方形のスペースをコの字型に囲むようにして積み上げられた段ボール箱、クローゼット、空の本棚、自転車、ベッドとマットレス、等々。
     明日引越すために荷作りをおえた部屋、或いは、今日引っ越して来たばかりのまだ荷を解いていない部屋、そのどちらにも見える。
     同時に、それ等に囲まれた空間そのものが、ある時には舞台装置としての一部屋の室内に見える。(下手に玄関の扉を暗示する隙間。上手に隣室に通じるドアを暗示する隙間。)
     
     (各場の登場人物は少なくとも前場とは違う男優と女優達によって演じられる。)



自転(反転)砂時計

一  鏡
二  行きたい
三  行こうか
四  待ち人
五  三十年
六  一家団欒
七  違う!
八  もっと優しく
九  してみる?
十  小鳥より
十一 うるせえぞ!
十二 しーっ!
十三 誰
十四 入眠幻想
十五 わあ!
十六  帰宅
十七  バス停
十八  ふたり
十九  順番
二十  出口なし
二十一 寝覚め
二十二 水盃
二十三 本棚
二十四 月のひかり
二十五 浦島太郎
二十六 家族
二十七 ほんとうに
二十八 驚き
二十九 馬鹿だね
三十  砂時計



   一 言葉

     明かりの点いていない夜の室内。舞台中央にベッド。
     玄関の扉を暗示する隙間で、鍵を差し込み、扉を開ける音。そこから女、登場。暗い部屋をベッドまで進み、ハンドバッグを投げ置き、その傍らに座る。しばらく。
     バッグの中で携帯が鳴る。女、ゆっくりと立ち上がり、入り口ちかくの壁面のスイッチを押す身振りと音。部屋が明るくなる。鳴り続ける携帯。
     女、再びベッドに座り、バッグから携帯を取り出し、耳に当て、

 ・・・。わかった。そういうことにしましょう。お休みなさい。

     女、携帯を傍らに置くと、無表情のまましばらく。やがて正面に顔を上げ、立ち上がり、客席に向かい、舞台前面に歩み寄る。

 ここに鏡があるとして・・・この壁そのものが大きな鏡だとしたら・・・いまわたしは何を見ているのだろう?

     女が一人立っている・・・鏡をのぞき込んでいる・・・もう若くはない。(小刻みに後ずさりながら)そして・・・見たくない者から身をはなすように・・・少しずつわたしから遠ざかる。(そのまま真後ろのベッドに達し、座る)そして裸のベッドに座る。
     まだ荷を解いていない引っ越したばかりの部屋。
 
 あなたは誰・・・なにを考えているの・・・なにを考えていないの? 今日までなにをして来たの・・・なにをして来なかったの? いまの電話の相手は誰・・・誰だったの・・・誰でなかったの? 
 〈わかった。そういうことにしましょう。お休みなさい。〉ですって? 
 馬鹿ね、なんて意味の無い、なにも伝えない言葉を相手に残してしまったの・・・貴女がこの世で口にした最後の言葉だと言うのに。 
   
     女、バッグから錠剤の入った小瓶を取りだし、ベッド・サイドに置く。立ち上がり、背後に積まれた段ボールの背後に回り込み、姿を消す。やがてガスの漏れる音。そして水道の蛇口をひねる音。
     女、水の入ったコップを手に姿をあらわし、再びベッドに座り、コップを小瓶の傍らに置く。

 (再び正面に向かい)まだそこに座ってわたしを見ているのね。(悪戯っぽく微笑み)わたしの目に焼き付けておいてあげようか? アルバムの最後のページを飾るために。

     暗転


   二 行こうよ

     暗い舞台。前場から続くガス漏れの音。
     上手前面より登場した男、ガス漏れの音に(音の音程に)戯れながら絡みつくように、アズナブールの歌「She」をアカペラで口ずさみながら舞台前面を中央に向かってゆっくり進む。
     “She may by the love that can and hope to last
     May come to me from shadows of the past
     That l remember till the day l die
     And rainy years
     男は中央に達した地点で立ち止まり、前場で女が想定した鏡を、後ろ向きに、踏み越えて部屋に入り、ゆっくりと後ずさりながら女の傍らに座る。
     なおも男は歌い続ける。
     Me l’ll take her laughter and her tears
     And make them all my souvenirs
     Fro where she goes l got to be
     The meaning of my life is
     She,..…she”
     歌い終わった男は、あたかも不在の女に明るく語りかけるように、

 君を亡くした年の冬に、ひとりで小樽へ行ってきた。
 ビルの屋上のレストランで、飯を食った。
 食いながら、街を見下ろして・・・初めて気がついたんだ、そのレストランが円形の展望台で、ゆっくりまわっていることに。
 夕暮れどきで雪が舞っていた。
 普通、人は家を南向きに建てるじゃないか。だからどこの街の家の屋根もこぢんまりと同じ方向を向いて並んでいるのに、そのレストランから見下ろした小樽の街の屋根は・・・すこしだけ乱れていた。まるで大きな手で真上からかき混まわされたみたいに・・・乱れたまま・・・雪をのせて・・・まわっていた。
 俺は・・・かるい眩暈(めまい)を感じながら・・・夜の底で渦をまいている小樽の街を・・・見下ろしていた。

 時々思い出すんだ。思い出すたびに思うんだ・・・もういちど小樽へ行って、あの時間に・・・あの時間のあの場所に・・・座ってみたいなって。

     間

 (正面を向いたまま)行こうよ。

     溶暗


   三 それじゃ、行こうか

     舞台中央にベンチ。
     男一と男二が座っている。ホームレスの身なり。

男一 それじゃ、行こうか。
男二 行こう。

     間

男二 行こうよ。
男一 ああ。 

     間

男二 「それじゃ行こう」って言ったのはお前だぞ。 
男一 言っただけだよ。

     間

男二 「行こうか」って云われただけなら俺だって行く気になんかならなかったんだ。その前に「それじゃ」が付いたから「それじゃ俺も行こうかな」って思ったんじゃないか。
男一 別にどこかへ行く当てはないよ。お前はあるのか?
男二 いいか、(立ち上がり、床に足を使って一本の線を引いて見せ)ここから先に踏み出したら「行く」ことになるとするとだよ、お前はその手前の(線の手前に立ち)ここに立って、「それじゃ」って言ったことになるんだ。
男一 ・・・。
男二 つまりこの場所はある方角にむかって行こうとする者が本気で身構える場所なんだ。
男一 ・・・。
男二 ただ「行こうか」って言うのと、ここから「それじゃあ」を付けて行くっもりになるのとでは、まるで違うんだぞ。
男一 そうなのか。
男二 そうさ。やってみるかい?
男一 そうだな。

     男一、立ち上がり、男二の隣に並んでみる。

二人 (声をそろえ)それじゃあ・・・。

     踏み出す方向がさだまらず、立ち尽くす。
     二人、ベンチに戻る。

男二 いつからだろう、「行かなきゃな」って思いはじめたのは。

     間

男一 今朝だよ。
男二 え?
男一 「そうだ、行かなくちゃ!」って、今朝いきなり思いついたんじゃないか、二人して。歯をみがきながら「そうだ、行かなくちゃ」って。はっきり顔を見合わせてそう決めたんだ。 
男二 嘘つけ。そういう細部にこだわったもっともらしい嘘をつくから、俺はお前を信用しないんだ。
男一 ・・・。
男二 いいか、二人の男が歯をみがきながら顔を見合わせて、「そうだ」ってうなずきながら何かを決めるワン・シーンを映画で観たら、お前、どう思う。
男一 ・・・。
男二 不自然だろ! あざといだろ!
男一 だって、今朝のことだよ。いまはっきり思い出してるんだ。
男二 お前はね、頭のなかで「もしかしたらこうだったかもしれない」って思い描いたことに力こぶを入れすぎるから、そんな芝居じみた嘘をもっともらしく思い出すんだ。
男一 ・・・。
男二 もっと自然体で思い出してみろ。

     間

男二 ね、そうだろ。俺たちはもうずいぶん前から「行かなきゃな」ってぼんやり思いながらただここに座ってるだけじゃないか。

     間

男二 とにかく「それじゃ」って思ったことは確かなんだろう。「それじゃ、行こうか。」って。
男一 うん。

     間

男二 もしかしたら聞こえたんじゃないか。
男一 え?
男二 お前、誰かに呼ばれたんじゃないか。

     間

男一 俺たち以外に誰かがいるのか? 

     間

男二 俺たちが「行かなきゃ」って思ったってことは、その俺たちを待ってる奴等がどこかにいるからじゃないかな。

     間

男一 いま「奴等」って言ったね。奴等ってことは、待ってる奴も二人か?
男二 たぶん。

     間

男一 もう一度そいつ等の方を向いて「それじゃ」をしてみようか。
男二 よし。

     二人、立ち上がり、先ほどの位置に立ち、身構える。

二人 それじゃあ、(ストップモーション)

     暗転


   四 待ち人

     前場と同じベンチに夫と妻が座っている。

 誰を待っているんだ。
 誰かですよ。
 ・・・。
 顔を見ればわかります。あなたも知ってる人です。
 見てからわかったって遅いんだよ。誰をまってるのかわからないで座っているのと、向こうからやって来る相手に「ああ、あそこで俺を待ってるな」って思わせるような気配でここに座っているのとでは、もてなしの形がまるで違うじゃないか。
 べつにおもてなしを約束したわけではありません。

     間

 誰なのかわたしにだってわからないんです。

     間

 いまお前、俺も知ってる奴だって言ったぞ。俺「も」って言うからには当然お前も知ってるはずじゃないか。
 ですから、忘れてしまったんです。
 なにを?
 その人が誰なのか。
 ・・・。
 きのう電話で「ここで待っててくれ」って言われた時には、声を聴きながら「ああ、あの人だ」って、確かに思って電話を切ったんです。でも、今朝になったら、約束した時間と場所は覚えているのに、その人の声だけはどうしても思い出せないのです。
 声はいいから名前を思い出せ。
 逆ですよ。声さえ思い出したらすぐに名前は出てくるんだから。

     間

 そいつはお前に「ここで待っててくれ。」って言ったのか? 普通、そういう場合には場所と時間を決めたうえで、頼んだ方が先にここへ来て待ってるのが筋じゃないのか?
 とにかくわたしは「ああ、それなら私たちが先に行って待ってなくてはならないな」って思ったんです。そういう事情がその人にはあって、「それなら仕方がないな」って、その時わたしは納得したんですから。

     間

 それじゃ、こうやってここでいつまで待つのかは、誰だか忘れたそいつの何だったか思い出せない事情次第か。

     間

 え!
 何だ。

     間

 (ベンチから立ち上がり、夫に)もう一度言ってみてくれませんか。「何だったか思い出せない事情」って。
 「何だったか思い出せない事情」がどうしたんだ。
 その人はそう言ったんです! 「何だったか思い出せない事情」があるんだって。「明日にならなきゃ思い出せないチョットした事故に巻き込まれてそうなので、先に行って待っててほしい」って!
 馬鹿! 言ってることがメチャクチャじゃないか! そいつがチョットした事故に巻き込まれるのは今日なんだろ。そのことをなぜそいつは昨日の段階で思い出せない事情にしなきゃならないんだ。
 その声ですよ! 
 ・・・。
 (夫に触れ、夫の身体をゆすり)貴方じゃない! 昨夜、遠くからそう言って電話でわたしに頼んだのは・・・貴方じゃない!

     間

 お前ほんとうにそれでいいのか? 
 ・・・。
 俺たちがほんとうにそう思ってここで待っていると、「チョットした事故に巻き込まれた」俺がそのままの姿かたちで・・・「ああ、あそこで俺を待っているな」って思いながら、ここへ近づいて来るんだぞ。

     二人、身体を固くして待つ。

     暗転


    五 三十年

     女、ベンチに座っている。
     男、登場。女の前に立つ。

 どうも。

     男、女の隣に座る。

 ・・・。
 「どうも」ってなんですか、それが挨拶ですか。
 ・・・。
 もう三十年ですよ。
 ・・・。
 正気ですか?
 そうなんだね。
 ・・・なにがです。
 あれからもう三十年か。

     短い間

 なにがあったんです。
 なぜいま出てきたかを、聞いてるのか?

     短い間

 それともなぜ三〇年前に消えたかを聞いてるのか。
 そっちはもういいです、今さらどうなるわけでもなし。

     間

 あのアパートは二十年前に道路の拡張工事で取り壊されました。
 ・・・。
 もうこの世には無いんです。
 ・・・。
 それなのにあのアパートに、しかも真夜中に電話をしてくるなんて、どういう神経ですか。
 そうか、あの部屋はもうこの世にはないのか。

     間

 あいかわらず、そんな気の抜けた顔をして、あなた、ちゃんと生きてるの?

     間

 生きてなんかいるわけないだろ、だからここに来たんじゃないか。

     間

 (小さく笑い)わたしはどうです? 生きてるように見えますか?

     (両者は最後まで相手を見ない。)

     溶暗


   六 一家団欒

     舞台暗いなかを上手より男、登場。ドアを開け、

 ただいま。

     と言って、部屋の明かりをつける身振り。明るくなる。
     部屋の中央に置かれたお膳を挟んで、父と母が座っている。

 わァ、またかよ! なんでこの頃、死んだ親父の夢ばかり見るんだ。しかも今日はお袋も一緒じゃない! 何んなんだい?
 こっちが聞きたいよ。(母に)言ってやれ、「こっちが聞きたいよ」って。
 こっちが聞きたいよ。

     男、お膳を正面に座る。

 元気か?
 どうしたんだい、夢の中でそんなこと俺にきくの、初めてだぞ。
 ・・・。
 こんな一家団欒の真似事みたいなかたちも、今日が初めてだからね。
 親父とはいつだって何処かの見慣れない街角でばったり出会って、「え、父さんどうしたの?」「ああ、ちょっとね。」みたいな切り詰めたやりとりをして、そのまま別れるだけだよ。親父は俺たち家族から見放されて一人でその街の何処かに暮らしている筈なんだ。その後ろ姿を見送りながら俺は「あ、そうじゃない!」って夢の中であらためて気が付くんだ、「親父は末期の癌にかかっていて、とっくの昔に死んでるじゃないか! 葬式だってもう済んでるよ。」って。

 ・・・。
 お袋のほうはもっと淋しいよ。本人が夢のなかに出て来たためしはないんだ。こんなふうに目の前に座っているお袋なんてあり得ないよ。
 ・・・。
 たとえば、一度も棲んだことのない、たぶん引っ越したばかりの、古いみすぼらしい一軒家に、俺が「ただいま。」って帰ると、とっちらかった部屋のなかに今しがたまでお袋が座っていた気配だけが漂ってる・・・それだけの夢だよ。
 ・・・。
 親不孝な奴だ。
 夢の中の俺がかい? そういう夢を見る俺がかい?
 (母に)「どっちもだよ。」って言ってやれ。
 どっちもだよ。
 それで? 今日はなんだい。
 父さんと母さんは別れることにしたんだ。
 ・・・。
 お前はどう思う? その方がいいと思うかい。
 やめようよ、それを始めたらこの場が夢じゃなく再現ドラマになっちゃうじゃないか。
 だからさ、あの時お前が世間並みに、子供らしくだよ、「いやだよ、別れないでよ」って、涙のひとつも見せてくれたらこの一家団欒だって、
 違うって! 違うって! 「一家団欒」なんて・・・そんな甘ったれた夢を・・・夢の中に持ち込むな!

     と、男、お膳をひっくり返す。

     暗転


   七 違う!

     前場と同じお膳舞。男一、女、男二が、座っている。

男一 (女に)それは違うだろ!
男二 どう違うんだ。

     間

男一 だからさ、
 (男一に)違わないわ。
男一 違う!

     間

男二 違う違わないでなにかが変わるのか?

     間

男二 もうやめよう。
 やめないわ。
男一 だからさ。
男二 つまり、どうしたいわけ?

     間

男二 わかった! 勝手にしてくれ。俺は降りる!
男一 お前がそれでいいのなら。
男二 (男一に)それは違うだろ!
 どう違うの?

     短い間

男二 だからさ、
男一 (男二に)違わないよ。
男二 違う!

     短い間

 違う違わないでなにかが変わるの?

     短い間

 もうやめましょう。
男一 やめないよ。
男二 だからさ。
 つまり、どうしたいわけ?

     短い間

 わかった! 勝手にしてちょうだい、わたし、降りるから!
男二 お前がそれでいいんなら。
 (男二に)それは違うでしょ!
男一 どう違うんだ。

     短い間

 だから!
男二 (女に)違わないよ。
 違う!
男一 違う違わないでなにかが変わるか?
男二 ・・・。
男一 もうやめよう。
男二 やめない。
 だから!
男一 つまり、どうしたいんだ!
男一 わかった! 勝手にしてくれ。俺、降りるわ!
 あなたがそれでいいなら。
男一 (女に)それは違うでしょ!
男二 どう違う!

     次第に応酬が速くなる。ただし関係のリアリティーは正確に保ちながら、

男一 だから!
 (男一に)違わない。
男一 違う!
男二 違う違わないでなにかが変わるか?
 ・・・。
男二 もうやめよう。
 やめないわよ。
男一 だから!
男二 つまりどうしたいわけ? わかった! 勝手にしてくれ。俺は降りる!
男一 お前がそれでいいのなら。
男二 (男一に)それは違うだろ!

     このあたりから三者ほとんど涙ぐんで、

 どう違うの!
男二 だから!
男一 違うもんか!
男二 違う!
 違う違わないでなにかが変わるの! もうやめましょう!
男一 やめるもんか!
男二 だから!
 もういや! いや! やめて!

     男一、男二、同時に。

男一 馬鹿!
男二 わあ! 

     男二、炬燵をひっくり返す。

     暗転


   八 もっと優しく

     舞台中央にテーブルと椅子二脚。
     男と女が向き合って座っている。男の前に水の入ったコップ。

 それは違うだろう。
 どう違うの?
 だからさ、
 よして、違ってもいいの、わたしはそう思ったんだから。
 君が思ったか思わなかったかの問題じゃないだろう。それだけを問題にするなら、君はそう思った、僕はそうは思わないで、終わりじゃないか。
 ですから終わりにしましょう、問題になんかしないで! 
 そういうかたちで尻をまくるのか。
 下品ね! 優しくない!
 え?
 あなたこの頃ぜんぜん優しくない。

     間
 
 優しいじゃないか! 優しいから、俺は、俺たちのことを考えて、
 よして、優しいんなら私たちのことを考えないでわたしのことを考えて!
 え?
 そしたらわたしも貴方のことを考えるから。

     間

 問題はそこなんだよ。俺と君がべつべつに相手のことを考えるからこんなふうになるんだ。もっと僕らが僕らの問題として二人して、
 問題なんかを問題にしないでって言ってるでしょう! それに「僕らの問題として二人して」なんて、最低! 町内会の良い子ぶった若手代表の言い分みたい!

     間

 なら、どうすればいい!
 どうもしないで!

     男、水を飲む。

     溶暗


   九 してみる?

     カフェテラスの椅子に座っている男と女。

 ブラームスは好きですか?
 きらいです。
 モーツアルトは?
 音楽は聴きません。 
 連休とかに・・・。
 どこにも行きません。

     間

 なぜわたしに声をかけたの?

     短い間

 似てるかなと思って。
 わたしとあなたが? どこが? 
 なにやっても上手くいかないんじゃないかな、お互い。
 ・・・。
 そんな気がしない?
 ・・・。
 相性だって似たもの同士だからこそ、逆に、つくづく悪いかも。
 そうかも。

     間

 先行きの見通しぜんぜん立たないままこうして向き合ってるのって、なんかホッとする。
 ・・・。
 初めてだよ、凄い風通しよく気持ちがつうじてるって気分・・・寒々とだけど。
 言えてる。

     男、テーブルの上の女の手に手を重ねる。

 (手を払いのけ)よしてよ!。
 ほらね。

     長い間

 だったらセックスしてみる?

     短い間

 ぜったい最後まで上手く行かないと思う。

     短い間

 二人いっしょに最後までぜったい上手く行けないのって案外いいかも。

     男、目の前のコップの水を飲みほし、女と顔を見合わす。

     暗転


   十 小鳥より

     舞台中央にテーブル。
     女が座っている。


 (正面を向き)あなた、・・・わたしだって人の子ですよ。「こらえておくれ。・・・たぶん来年の春までには。」って、そんな、やさしい言葉のひとつも、あなたの口からじかにほしいです。

 木村さん。
 そうお呼びする約束でしょ。「とりあえず木村と呼んでください。一緒になれたらそのときはそのときで、またお互いの呼び名を考えましょう」って、いつかテレビからそうわたしに合図を送ってくれたじゃありませんか。

 朝の六時のラジオと、十一時四十五分の最終テレビ・ニュースをとおして、あなたからの合図は、一日も欠かさずに受け取っています。
 先週はマーケットの野菜売り場の奥からわたしをじっと見ていたでしょう。あんな場所からまともに合図を送られたら、わたしだってドキッと赤面いたします。

 おととしは地獄でしたよ。「名古屋の南口で待っている」との、あなたからの連絡を受けて、すべてを清算して、下の子を連れて列車に乗ったら、着いた先の名古屋の駅で途方に暮れて・・・「南口」とは新幹線の南口なのか・・・JRの南口はどこなのか・・・けっきょく警察に保護されて・・・そのまま半年の入院でした。

 今日は大事なお願いがあってペンをとりました。実は昨年暮れから生活費がズーッと赤字になっております。・・・ここまで赤字を背負って生きて参りましたのは、ひたすらあなたを信じていればこそ出来たことでございます。どうかこの信頼を裏切ることなく希望をかなえていただきたく、伏してお願いいたします。何のご返事もいただけないままにここ十日程すぎてしまいました。・・・この手紙の着き次第、二万円、先日申し上げたわたくしの口座に振り込んで下さいませ。あなたがお帰りになるまでは同居人の方にお願いして借用しておりましたが、わたしの気持ちとしてはもうそれは許されません。何故にこんな小さな女をいじめなさるのですか。何か深いわけでもあるのでしょうか。もう沢山です。

 あなただけは涼しい顔をしてどこかで覗き見をしておられる様な腹立たしさを感じます。・・・お支払いのことでもうどこも二ヵ月溜まりしたので・・・わたしの考えとしてはこの十五日で〆切っていただいて、請求書を住所明記の上、あなたの元へ送ります。お支払いがあるまではわたしの方の請求分は全部あなた宛に方向をかえさせてもらいます。
                              よごれたはんけち様、たぬきより

 わたしも窮地に追いこまれました。どうすることも出来ません。・・・同居人はとてもイヤな、うるさいハエ、うじ虫の様な性格で、昨日も自分の用事で休むのにわたしを妻扱いにして「家内が体の具合が悪いから」といって半休をとり、京都へ出かけました。現在は妊娠中で遠慮しているかに見えても、お産後は肉体の切り売りまでも要求するかも知れません。・・・わたしの家が出来上がっているのでしたら一日も早くお迎えに来てください。今度のお産だけはあなたの元で安心して生みたいと願って止みません。
                              大嘘つきの大鳥様へ、阿呆正直な小鳥より

     暗転

     (木村敏『自覚の精神病理』第二章「症例M・N」の患者の手紙より一部変更・削除して引用しました)


   十一 うるせえぞ!

     客席に向かって横並びに五人分のお膳が並んでいる。そのお膳を前に五人の登場人物が座っている。

 さあ、パッといきましょう。
男一 いこ、いこ。

     五人、お膳のうえの茶碗や皿や丼を箸で叩いて調子を取りながら、

男二 ごんべが水飲みや
男三 かかあが屁をこく。
 夜明けの提灯
男四 狸のしょんべん。
 井戸のまわりで
男一 質屋が義理欠く。
男三 風が吹いても
男二 八百屋が逃げだす。
 ふすまの陰から
男四 よけいなひと言。
 孫を背負って
男一 やけのやんぱち。
男二 火事場のどろぼう
 風呂場でつまずく。
若い女 許せないのは
男一 濡れ場で居眠り
男四 後家の手柄だ
 眉間に一発。
男三 あっと驚く
男二 ふろふき大根。

     上手の袖から「うるせえぞ!」と大音声。

     暗転


   十二 しーっ!

     舞台奥上手寄りと下手寄り双方の物陰から、男一と男二、忍び足で登場。二人とも頬被りをして唐草模様の風呂敷包みを背負った古典的盗人姿。
     舞台中央で顔を見合わせ、唇に指を当て、

二人 しーっ!

     二人、合流して忍び足で上手袖に向かう。
     突如、男一の風呂敷包みの中で、目覚まし時計のベルが鳴る。包みの上から手探りで音を消そうとする男一。男二、自分の包みを床に投げ出し、男一の包みに駆け寄ろうとした瞬間、男二の包みの中でFM放送の大音響。男二、あわてて戻り、風呂敷の上から受信機の在処を探る。ようやく確保し、摘まみを捉え、廻すと、大音響はさらに大きく。
     おのおの、ようやく音を消し、顔を見合わせ、

二人 しーっ!

     男二のポケットで、小さく携帯の受信音。

二人 (小さく)しーっ!

     暗転


   十三 誰

     取り調べ用のテーブルを挟んで、刑事と容疑者が向き合って座っている。

刑事 それで? それが何時ごろのことだったのか覚えていらっしゃいますか?

     短い間

容疑者 ちょっと訊いていいですか?
刑事 どうぞ。
容疑者 なぜ敬語を使って刑事のあなたが僕を尋問するんですか? 
刑事 ・・・。
容疑者 なぜなんです?
刑事 ・・・。
容疑者 ここでぼくが「なぜなんだ!」って机たたいたら、どっちが刑事でどっちが被疑者かわかんなくなるよ。

     短い間

刑事 やってみて下さい。

     短い間

容疑者 (机を叩く)なぜなんだ!
刑事 べつに理由はありませんでした。
容疑者 (机を叩く)なぜ過去形で答える!
刑事 反省しようかと思って・・・。
容疑者 (机を叩く)過去形で答えれば反省になるのか!
刑事 ・・・。
容疑者 だんまりかよ。だんまりを続けながら反省してますってか?

     短い間

容疑者 このまま続けますか?
刑事 (いきなり机を叩く)なにを!

     短い間

刑事 ゴメンなさい。なにをですか?

     短い間

容疑者 (机を叩く)ゴメンで済めば警察はいらないんだよ!

     短い間

容疑者 「ゴメンで済めば警察はいらないんだよ」って言い方、娑婆でわりとよく使うよね。
刑事 いじめっ子いじめる時とか。うちの親もよく使ってた。
容疑者 昔も使ったのかな、「すまぬですむなら御公儀は無用じゃ!」とか。
刑事 いや、武士階級よりは、「すまねえですむんならお奉行はいらねえや!」的な、長屋の喧嘩で。
容疑者 (机を叩く)そう言いきれるのか!
刑事 (机を叩く)言いきる言いきらないの問題じゃないだろ! 「昔も使ったのかな」って、当て推量の世間話の方へ話をふったのはお前じゃないか。
容疑者 (机を叩く)お前とはなんだ!

     短い間

刑事 あんたさあ、そんな売り言葉に買い言葉じゃなく、もうすこしおのれ自身が何者であるかを吟味したうえで、相手に向かったらどうなんだ。
容疑者 あ、それは違うよ! そもそも敬語なんか使って俺とお前の立場を怪しくしたのはお前の方だぞ!
刑事 お前とはなんだ!
容疑者 ・・・。
刑事 だからそういうことなんだよ、お前とはなにか自分とはなにかから我と汝の関係を根本から洗い出してみようと、そう俺は言ってるんだ。
容疑者 つまり、あれですか。私に殺された女房とはなんなのか、女房を殺した私とはなんなのかというところから、私の妻殺しの問題をですか?
刑事 そうだよ。それと、そのお前ら夫婦の問題に向き合って取り調べているこの私とはなんなのか。

     間

容疑者 ただ、あれじゃないですか、このさい俺と女房の問題にあなたの問題をからめるのは・・・どうなんですか? 問題がへんな方へこじれませんか?

     短い間

刑事 すでにこじれ始めているとしたらどうなんだ! お前の女房殺しに関わったこのわたしがこれから家に帰って、今夜わたしの妻を殺したとしたら、いまわたしは、すでにお前達の問題に関わっているといえるのではないか?

     短い間

容疑者 (突然、頭をかきむしり)何が何なんだ! ここは何処なんだ! あんた、誰なんだ!
刑事 (机を叩き)甘ったれるな! それが解らんからこうしてるんだ!

     溶暗


   十四 入眠幻想


 誰?

     部屋のエリアの下手寄りに上手の明かりよりわずかに薄い明かりの輪が落ちる。男が座っている。
 
 俺が見える? 見えるわけないよな。
 ・・・。
 そこに座って、俺を感じてるんだ・・・。 
 ・・・。
 ふつう寝床のなかで寝入りばなに居るはずのない人の気配を感じて金縛りにあうのを、入眠幻想っていうんだ。
 ・・・。
 そこに座ってはっきり目を醒ましたまんま俺を感じてるってのは、ずいぶん生々しいじゃないか。
 ・・・。
 っていうより、「あなたが生々し過ぎるのよ!」って言われたら、返す言葉もないがね。
 ・・・。
 実は、ここに座って俺も薄っすら君を感じてる。ハハ、入眠幻想のダブル現象か。もっとも俺の場合は入眠じゃなく永眠現象か。ハハ。
 ・・・。
 幽霊のくせに喋りすぎか? 
 ・・・。
 身動きは出来るの?
 あなたはどうなの?
 俺か? 俺は生きてた時から君の前ではいつだって金縛りだったじゃない。いまは死後硬直がまだ解けてない気分だけど、ハハ。

     短い間
 
 どうしたんだいったい、今さら俺が恋しくなったか。
 そうでもない。
 じゃあ、なんだってこんな所に俺を呼び出したんだ。
 こんな所にわたしを呼び出したのはあなたの方でしょ?
 そうか、お互いここを「こんな所」だと思って、違和感おぼえて、呼び出されたと思ってるんだ。だとしたらつくづくお互いさまじゃないか。「恋しくなったのか?」って聞かれて「そうでもない」はないだろう。
 ほんとうにお喋りね。
 いいかげんに往生しろってか? ハハ。

     短い間

 ねえ、事故だったのよね。
 そうだよ。立ちくらみがしてホームから落ちたんだ。駅員が見てたはずだけどな。
 ・・・。
 疑ってるのか?
 べつに。
 じゃなんで念をおすんだ。

     間

 会社の人に聞いたの、あの日、あなたは午前中に早引けしたって。
 ・・・。
 それなのにいつも通りの帰宅時間にホームに落ちたのは何故?
 ・・・。
 あなた、いちど家に帰って来たんでしょ、お昼に
 ・・・。
 そして寝室でセックスしているわたしと吉田を見たのね。

     間

 ・・・いまここでそれを俺に言うか? 

     男を照らす明かりが薄っすらと赤味(或いは青味?)をおびる。

 馬鹿野郎! (泣く)せっかくお前が恋しくて出てきたのに、これじゃ俺の立場はただの「恨めしや」じゃないか!

     暗転


   十五 わあ!

     舞台中央に男。

 誰?
 いやだよ、おどかしちゃ、そこにいるんだろ? 出といでよ。出てきておくれよ、いいかげん水に流してさ。コーヒーでもいれるからさ。それとも水の代わりにコーヒー流して、コーヒーの代わりに水いれる? うそ、うそ。
 今日は朝からやけに寒かったけど、昨日との温度差十五度、そっちはどうだった? 体調くずしたりはしないの? あ、お化けに体調はないか。
 ねえ、どうしてそんなに勿体つけて出てこないの? いつだって気配だけじゃん。いつまでもそんなふうにわだかまったまま姿みせないんだったら、いっそのこと、こっちからそっちへ化けて出るぞ! ハハ、「化けて出る」じゃないな、化けてそっちへ行くんだったら・・・「化けて帰る」か。
 面白いね。ってことは、人間ってもともと化け物で、この世は仮の世、そっちこそが帰るべき故郷(ふるさと)ってことにならない? 
 ってことはさ、ねえ、どうだろう、俺があんたにしたことも仮の世での「恥は旅のかき捨て」ってことにして、許してもらえないかな。
 え? いいの? ほんとに許してくれる? え? 「だからこっちへはやく帰っておいで」って? 
 わかった。本当いうと俺もつくづくうんざりなんだ。まえから思ってたの、こんなくそ面白くもない仮の世、「わあ!」って叫んで飛び出しちまいたいって。
 「ほんとにそうしたらいいじゃないか」って?
 「わあ!」って叫んで表通りに飛び出しちゃいな」って? 
 そうだね。

     男、勢いを付け、「わあ!」と叫んで上手袖へ突っ走り、消える。
     その先で車の急ブレーキ音と衝撃音。

     暗転


   十六 帰宅

     舞台中央にベンチ。夕刻。
     女が座っている。
     上手から男、登場。

 お帰りなさい。
 (立ち止まり)ただいま。
 ・・・。
 でも、いいかい、ここはぼく達の家じゃないからね。
 ・・・。
 君は居間のソファーに座って、玄関に立っているぼくに「お帰りなさい」って言ってくれてるんじゃないんだよ。君はいま、山下公園の南側の入り口近くのベンチに座っているんだよ。
 ・・・。
 ぼく達の家は(下手、やや斜め上の方角を指さし)ほらごらん、あそこに、二階の子供部屋に、明かりがついているだろ。あそこがこれからぼく達が帰る家だよ。さあ、はやく帰ろう。子供達が家で待っているじゃないか。 
 待っていません。待っている子供達も帰る家も、もうわたし達はなくしたのです。
 どうかわかておくれ、こんなところで「ただいま」と「お帰りなさい」を言ってても淋しいだけじゃないか。ね、はやく二階にいる子供達に玄関から声をそろえて「ただいま」って言ってやろう!
 どうかわかってちょうだい、もうここはわたし達の町ではないのです。子供達も、帰る家も、わたし達も、もうこの世にはいないのです!
 (女の隣に座り)だったら、いまこの瞬間はどうなんだ! いるじゃないか、こんなにはっきり君の前にこの俺が! 「この世」がどうしたの! しっかりしておくれ! 二人してこんなにはっきりここにいるじゃないか! (立ち上がり)さあ、立ってごらん。自分の足でしっかり公園の土を踏んでごらん!そのまま、ほら、そこの坂道をのぼって、坂の上の、あそこの、子供達が待っている僕らの家に帰るんだ!  帰って、夕飯の前でいいから薬を飲んだらいい。すぐに気分がよくなるから!

     女、立ち上がり、じれたように両手で男の胸を叩く。

 目を醒ましてちょうだい! どうか目を醒まして! わたし達が帰らなくてはならないのは、いまあなたが見ているあの家ではないのです。
 ・・・。
 今夜は、どうしてもあなたにそのことをわかってもらわなくてはならないんです。だからここであなたを待って、「お帰りなさい」って言ったんです。
 ・・・。

     女、男の前に立ち、

 目をつむってみてください。
 ・・・。
 さあ、目をつむってください。
 
     男、女の言葉にしたがい目をつむる。

 いいですか、こらえてくださいよ、悲しいけれど、こんなふうにしてしかあなたにわかってもらう方法がないのです。

     女、男を抱きしめる。抱きしめたまま。

 目をあけてみてください。

     男、目をあける。ギョッとして女の腕を振りほどき、後ずさる。

 なぜ驚いたのですか?
 ・・・。
 目を開けるまでは声だけだったわたしに、目を開けたら、いきなり抱かれていたから驚いたですね。
 ・・・。
 これが、わたしがもうここには居ないことの証拠です。
 ・・・。
 あなたがあなたの記憶のなかで目を開いている時だけしか、あなたの前でわたしが生きていないことの、証拠です。

     男、夢遊病者のようにあたりを見回す。

 さあ、帰りましょう。子供達が待っていますよ。

     女、上手に向かって歩き出す。男、その後に従う。

     暗転


   十七 バス停

     舞台前面中央にポール型のバス停。
     若い女が立っている。
     舞台中央奥に立っている老人、女に進み寄り、

老人 お嬢さん、いま何時?
若い女 九時半です。
老人 何日の?
若い女 十三日の。
老人  何月の?
若い女 え?
老人 何年何月の?

     若い女、老人から離れ、バス停に身体をよせてバスを待つ素振り。
     老人、遠巻きに若い女の背後を徘徊する。

老人 糞! 神も仏もおらんのか! 俺はみとめんぞ! 死んでも認めんぞ! 
 
     若い女、身体を硬くして無関心を装い、バッグからイヤホーン付きのiーPhonを取りだし、イヤホーンを装着し、うつむいて音楽を聴く。

老人 (若い女に)あんた、たのむから顔をあげてくれ! (再び何者かに)笑うな! お前もどうにかしたらどうなんだ! (再び若い女に)あんた、ねえ、あんた! 頼む! 駄目だ! わあ!

     バス停とその傍らの女だけを残し、舞台は非日常を暗示する薄暗い照明に変化する。
     その明かりの中に老婆が現れ、老人の隣に立つ。
     場の初めに戻り、老人、若い女の背後に進み寄り、

老人 お嬢さん、いま何時?
若い女 九時半です。
老人 何日の?
若い女 十三日の。
老人  何月の?
若い女 え?
老人 何年何月の?

     若い女、老人から離れ、バス停に身体をよせてバスを待つ素振り。
     老人、遠巻きに若い女の背後を徘徊する。

老婆 馬鹿ね、これから起こることの日付と時間をこの娘(こ)に教えてどうなるっていうの?
老人 糞! 神も仏もおらんのか!
老婆 もう起こってしまったことをどうやって変えるんですか! どうしようもないじゃない!
老人 俺はみとめんぞ! 死んでも認めんぞ!
 
     若い女、身体を硬くして無関心を装い、バッグからイヤホーン付きのiーPhonを取りだし、イヤホーンを装着し、うつむいて音楽を聴く。

老人 (若い女に)あんた、たのむから顔をあげてくれ!   
老婆 ほんとうに・・・この若さでね・・・嘘じゃない、わたしだって出来ることなら代わってあげたいわよ・・・(ちいさく笑い)でも、その代わってあげたいわたし達が一緒に変わっちまうんだからどうしよもないじゃありませんか。
老人 笑うな! お前もどうにかしたらどうなんだ!
老婆 (上手袖奥を眺め)もう駄目ですよ。ほら、あそこの角を曲がってもう見えてきたじゃありませんか。あの大型のダンプカーですよ。もう逃げようはないのよ。
老人 (若い女に)あんた、ねえ、あんた!  
老婆 運転してる男の顔がみえる・・・。
老人 頼む! 頼む!
老婆 ほら、来たよ。
老人の声 駄目だ! わあ!

     舞台上手から急速に暗い影が横切り、暗転


   十八 ふたり

     前場と同じバス停。
     女一が立っている。
     男、登場。パン篭(或いは小さな揺り篭)のような物を抱えている。

 (女に)訊いていい?
女一 ・・・。
 ただバスを待っているだけですか? それともバスが来たらそのバスに乗って、何処かへ行くつもりですか?
女一 ・・・。

     間

 ぼくはバスが来ても何処かへ行くつもりはありません。でも来たバスから降ろされるものをここで受け取るつもりなのです。 
女一 ・・・。
 ご存知でしょうがこれから来るバスのドアはひとつしか開かないのです。乗車口が降車口を兼ねていますからね。
女一 ・・・。
 そこで、ぼく達のあいだにバス停に並ぶ優先順位の問題が発生します。
女一 ・・・。
 あなたもぼくもバスに乗って何処かへいくのなら、もちろんぼくはあなたの後ろに並びます。また、あなたもぼくと同じようにバスから降りてくるなにかを受け取る場合も、ぼくはあなたの後ろに並びます。あなたがぼくより先にそこに立っていたのですからね。ところが、あなたがバスに乗ろうとして、ぼくが降されるものを受け取る場合だけは、先にそこに立っていたという条件よりも、降りてくるものの方が乗るものよりも先だというルールが優先されるべきではないでようか? つまり、この場合はぼくがあなたの前に並ぶべきなのです。
女一 ・・・。
 僕はいま、優先順位について、あなたもバスから降りてくるものを待ってる可能性を考えました。その場合、ひょっとして、あなたも僕と同じものを待っている可能性をも考えるべきだろうか? 
女一 ・・・。
 (突然)それはない! それはないよ! 君は自分が捨てたものと入れ違いに、バスに乗って遠くへ行くつもりなんだ!

     間

女一 わたしが何を捨てたっていうの?  
 命だ! お前が産み落とすはずの小さな命だ! そうはさせないぞ!(女の前に割り込み)俺はそれをここで、その命をこの篭に、受け取るのさ!

     女、手にしたナイフで男を刺し殺す。
     女二、ネグリジェ姿で上手入り口から姿を現し、女一の背後に立つ。

女一 これは私の夢ですか? 
女二 ・・・。
女一 わたしはいま、明け方のいやな夢から醒めようとして、あなたのご主人を殺したところなのですか? 
女二 そうじゃない・・・これはわたしの夢だと思う。
女一 ・・・。
女二 わたしの夢と・・・その夢の中のあなたの二人で・・・いま、わたし達は、この男を殺したのよ。
女一 ・・・。
女二 ほんとうに・・・なんていやな夢だったんだろう!

     暗転


    十九 順番

     舞台中央に待合室用の長椅子。
     老人一が妻を伴い座っている。
     上手段ボールの壁の裏から若い女現れ、

若い女 ほら、ここよ、ここよ。

     続いて、老人二、現れる。

若い女 (妻に)脳神経内科の石垣先生の診察はここで待ってたらいいんですよね。
 ええ。
老人一 そこ(目の前)のドアにぶら下がってる名札(なふだ)をご覧なさい。そう書いてある。
若い女 ・・・。
老人二 (老人一に)順番待ちですか?
老人一 はい。
老人二 わたしもです。

     老人二と若い女、先客の隣に座る。

老人一 それは違うでしょう。
 あなた。
老人二 え?
老人一 「わたしもです」ということは、あなたとわたしがここに並列の状態で座っていて、「さて、これから誰かに順番を決めて貰わなくては」ということになりませんか?
 あなた、
老人一 (妻に)お前は黙ってなさい。 
老人二 ・・・。
老人一 とりあえず、すでに順番は決まってるはずですが。

     短い間

老人二 お言葉ですが、だったら、なぜ「順番待ちですか」というわたしの問いに「はい」と答えたんですか?

     間

老人一 つまり、順番は順番でもわたしは「一番という順番」をすでに確保したうえで、「診察の順番」を待っているのです。

     短い間

老人二 だったらわたしも「二番という順番」を確保したうえで、ここで診察の順番を待っていもいいじゃないですか。

     短い間

老人一 あ、そうか。

     間

老人二 水に流しましょう。
老人一 え?
老人二 なかったことにしましょう。

     短い間

老人一 え? なにをですか?

     短い間

老人二 え?

     短い間

老人一 なにかあったのですか?

     間

老人二 え? 
老人一 ・・・。
老人二 そうなんだ・・・なにがありましたかね。
老人一 ・・・。
老人二 いまですね、あなた、失礼だが、なにかご自分の非を認められたのではないですか、わたしに。それを聞いて、わたしは「ほら見ろ!」と思った。そしてすぐに「相手が素直に謝ったのに、ほら見ろはないだろう。」と反省した。それで、「水に流しましょう。」と提案したわけだが・・・。
 その、あなたが何の非を認めたのかが、「なかったこと」にしようとした何が「あった」のかが、頭の中で真っ白です。
老人一 同じくです。あなたにいさぎよくなにかの非を認めた後味はすこぶる愉快だったのだが、なんの非を認めたのかが、真っ白です。
老人二 あなたも!
老人一 そう! たった今のことなのに! 

     短い間

二人 アハハ
老人一 このところとみにひどいです。
老人二 あたくしも!
二人 アハハ
老人一 お互い、その件で順番待ちですか!
二人 アハハ
老人一 しかし、気になるな。
老人二 さよう、なにを水に流したのかを了解してスッキリしたい。
老人一(妻に)ねえ、お前、わたし達が水に流したのは何んだったっけ?
 ・・・。
老人二 (老人一の妻に)そう、いまとなっては貴女方だけが生き証人なのです。

     妻、若い女と顔を見合わせ、何事かをたくらむ目配せ。

 なにも水になんか流れていませんよ。いまあなたはこちら様に「お綺麗なお嬢様ですな」って声をかけたのよ、ご挨拶代わりに。(若い女に)ねえ。
若い女 (小さく笑う)ええ。
老人二 なるほど!

     短い間

老人一 そうは思わんな。

     間

老人二 「思わん」とは、なにを「そうは思わん」のです? あなたが「綺麗なお嬢様ですね」と言ったという奥様の発言をそのものを、そんなことを自分が言うとは「思わん」のか、それともこの女を正直いってそれほど綺麗だとは「思わん」のか、あるいは綺麗であることには異存はないがこの男の娘かどうかは怪しいものだぞ、そうとは「思わん」のか・・・三つの選択肢うちのどれですか?
若い女 ちょっと、
老人二 お前はだまってなさい。

     短い間

老人一 なにを思ったんだろう? 

     老人一、つぶさに三人の顔を見比べ、状況を吟味し、

老人一 この状況で、あなたがわたしの立場だったら、三つの選択肢のうちのどれを選びますか?

     老人二、つぶさに三人の顔を見比べ、状況を吟味し、

老人二 選ばずに、水に流しましょう。

     短い間

全員 アハハ 

     暗転


   二十 出口なし

     暗闇で「わ! よせ、馬鹿野郎!」と男の叫び声。
     明かりが入ると同時に、舞台中央のソファーに座っている女の膝から頭を上げ、男が起き上がる。

 いやな夢をみた。
 ・・・。
 俺じゃない、お前が見ている夢なんだ。
 そのお前が見ている夢の中に俺がまるごと入っちまっている。夢の中で俺は必死にお前を探すんだが、どうしても見つけられない、そりゃそうだよな、お前は俺がお前を探しているという夢をその外側から夢で見ているわけなんだから。そのうちに俺は「あれ?」って気がつくんだ、「お前が俺を残して自分だけ目を醒ましちまっんじゃないか?」って。「置き去りにされた俺はどうやってこのいやな夢から目を醒ましたらいいんだ!」
 まるで宇宙服を着たまま宇宙のどこかにたったひとり、置き去りにされたみたいで、めちゃくちゃ恐ろしくなって、お前が恨めしくて、「馬鹿野郎!」って怒鳴ったところで、いま、目が覚めた。
 ・・・。
 俺、いま、叫ばなかった?
 そんな気がする。わたし、「ああ、あなたが叫んでる」って思いながら眠ってしまったみたい。だからこうして夢の中に目を醒ましても、まだあなたの叫び声が耳に残ってる。
 え?

     短い間

 ってことは、ここはまたお前の夢の中なのか! 
 ・・・。
 止せよ、もうよせよ! この夢からまたお前だけ目を醒ましたら、今度こそ俺はどうしようもないからな! 

     女の座っている場所がゆっくり暗くなり、

     暗転

男の声 わ! よせ、馬鹿野郎! 


   二十一 寝覚め

     男が女の膝を枕に寝ている。
     男、目を醒まし、そのままの姿勢で、

 いま、何時?
 二時半よ。
 昼の? 夜の?
 お昼の。
 いやな夢をみた。
 ・・・。
 君を鉈(なた)で殺して・・・そのあと、筑波のドライブウエイから外れた山林の中に埋めたらしいんだが・・・運転席側のウインドウを開けて・・・高速をすっ飛ばしながら「ああ、とうとうやっちゃったか」って・・・ボンヤリ考えている・・・前を走っている大型トラックのテールランプを見つめながら・・・車内に吹き込んでくる風を感じながら・・・。そこで目が覚めた。そして、
「いま、何時」って、俺が訊く。
「二時半よ」って、君。
「昼の? 夜の?」
「お昼の。」
 そこで俺はゾッと・・・背筋が凍るんだ。ひょっとして俺は殺した女の膝の上に目を醒ましたのか・・・って。
 ・・・。

     男、ふと女の膝の上から女を見上げ、

 いま、何時?
 二時半よ。
 昼の? 夜の?
 お昼の。

     暗転 


   二十二 水盃(みずさかずき)

     部屋の下手寄りにキッチンテーブル。女がコーヒーを飲んでいる。
     突如、上手より男が慌ただしく登場。慌ただしく部屋のドアを開け、入り、閉め、ロックする身振り。鍵穴から外を覗く身振り。次に外部からの侵入を防ぐべく近くにある空の本棚をドアまで移動し、さらにその本棚の手前に書斎机を移動してバリケードを作り、その上に乗り、本棚の棚の間から再度鍵穴を覗く身振り。
     振り返り、女に、

 ついに手がまわったよ! 奴等がここへ踏み込んでくるのは時間の問題だろう。バスを降りたところで気配を感じたんだが、CIAかKGBか、おそらくそれにつながる日本の機関だろう。
 ・・・。
 いまそっちへ行くからそこで待っててくれ。水盃を交わすぐらいの時間はあるからね。(机の上から身を乗りだして床をのぞき込み)けっこうな断崖絶壁だな、どうしたものか・・・。とりあえずロープを固定して・・・(架空のロープの端を本棚に巻き付け固定し、机の背後へ放り投げる身振り。つぎに架空の手袋をはめ、ロープを握り、机の陰へ身を投げて消える。ややあって机の陰から転がり出て)熱い、熱い。ホラ、手袋が焦げてる。(と手袋を脱ぎすてる。)
 つぎは何だ?(と、立ち上がり、胸ポケットから取りだしたサングラスを掛けて前方の床を眺め)あ、赤外線ビームの侵入防止装置だ! ほとんど不可能だが挑戦してみるか。(と、縦横に巡らされた男にだけ見えるビームを、跨いだり潜ったりして前進しながら)ク・・・ク・・・糞・・・身体能力のほとんど限界だな・・・。あ!(バランスを崩し、床に尻もちをつく。一瞬あ然とするが)偶然だな・・・ここだけ安全地帯だった。(難関を乗り越え、目の前のソファーを眺め)あ! 問題のソファー地獄だ! これがくせ者なんだよ。(女に)こいつはじつに巧妙な殺人マシーンでね、なんていうか、挑戦者の内側にしのび込んで・・・内面心理にはたらきかけて・・・「もう負けてもいいかも、」って気分に誘導するんだ。・・・こっちのサバイバル根性をうっとりと安楽死モードにすり替えるんだ。みすみす罠にはまるしかないか・・・そっちまでたどり着けないかも・・・。
 ・・・。
 とりあえずここへ・・・こういう風に乗るんだがね・・・(と、ソファーの背の上に腹這い)あえて微妙なバランスに体を持っていくんだよ・・・こう「あぁ、落ちちゃう、落ちちゃう」っていう・・・しかし・・・微妙に「まだだぞ、まだだぞ」という・・・この微妙状態がつづくと・・・そのうち・・・自分のなかにね・・・「けっこう、堕ちるっていうのも・・・世間に負けるのも・・・悪くないんじゃないか」っていう・・・甘ったるい負け犬根性が芽生えるんだ・・・そして・・・あぁ、墜ちちゃう、墜ちちゃう・・・お前、せっかくここまで運命に逆らって生きてきたのに、最後の最後で受け入れるのか!(と、ソファーの背に沿ってソファーの中へゆっくりとずり落ちる。)

     男、気だるくソファーに上体を起こす。

 ほんとうに怒るわよ。
 ・・・。
 今日みたいな日によくそんな縁起の悪い遊びが出来るわね。
 ・・・。
 わたしが朝からどれだけ心配して待っていたのか、あなた、わかってるの?
 ・・・。
 それで? どうだったの、検査の結果は。

     短い間

 だから、そういうことさ。
     
     暗転


   二十三 本棚

     男、部屋の中央で、書籍を積み終えた段ボールの一つに腰かけ、目の前の段ボールに傍らに積んだ本の山を詰め込む作業中。女一、上手の本棚の拭き掃除をしながら残っている最後の五巻ほどの全集本をずらそうとして、

女一 あら、なにこれ。(本棚の端と本の間にはさまっていた封筒を見つけ、中を覗き)いやだ、こんなにお金が入っている。
 ・・・。
女一 あなたの?
 いや。
女一 じゃ、奥さんのかしら。

     女、男に手渡す。男、封筒から紙幣を出し、数え、再び封筒に戻し、

 疲れただろう、今日はこれでやめよう。残りは明日だ、引っ越し屋が来る前に早めに来て僕がやる。
女一 ・・・。
 明日は、だから、君はむこうのマンションで待っててくれたらいいや。
女一 ・・・。
 さあ、これでなんか美味いもんでも喰おう。(封筒を上着の内ポケットに仕舞う。)
女一 ずいぶん無神経ね。
 え?

     短い間

女一 死んだ奥様のお金で美味しいものなんて食べたくない。

     短い間

 あのさあ、金に人格はないだろ。
女一 そういうところが無神経。
 こういう類いのことで大ざっぱに「無神経、無神経」言うなよ!

     短い間

女一 そんなお金からわたし達のあたらしい暮らしを始めたくない。

     男、紙幣ごと封筒を二つに裂き、

 先に帰りなよ。
女一 ・・・。
 長引いたら、僕は今夜ここに泊まるわ。

     短い間

女一 そうね、お休みなさい。

     女、上手へ去る。
     男、しばし作業の手を止め、ぼんやりと宙に目を泳がす。
     一瞬の暗転。
     再び明るくなると,本棚に向かい女一がこの場の初めにしていた同じ作業を、同じ姿勢で女二がしている。
     女二、振り向き、男に、
 
女二 ねえ、途中だけどこのへんでやめよう。あとは明日にして寝よ。あたし、もう、朝からの引越さわぎで目いっぱい。
 ・・・。
女二 (本棚を離れ、下手へ向かい)ベッドメークするね。
 (ぼんやりと小声で)ああ。

     女二、下手へ消える。

女二の声 シーツ入れた段ボールが見つからないの。今日は敷き布団にじかに寝て。
 ・・・。
女二の声 ねえ、はやくシャワー浴びて!

     男、段ポールの中の五冊の本を手に、ゆっくりと立ち上がり、本棚に収める。
     
     溶暗


   二十四 月のひかり

     舞台中央に書斎机。その上に男が立っている。

 (斜め後ろを振り返り)早くおいでよ! ここに来てごらん! (向き直り、正面を見ながら座る)ほら、ちょうど月が真上だから、海の真ん中に光りの道が出来てる。まるで俺たちを誘ってるみたいだ。「この銀色の道をたどって、どうぞ海の向こうへ!」って。

 そう呼びかけてあの娘(こ)を俺の隣に座らせた。真後ろの茂みが海からの風をうけてほんの少しざわついていた。それからあの娘を膝にのせて、二人で海を見ながら、セックスをした。

 おい、吉田。この時お前は俺たちの真後ろにいたんだろ。
 そこの茂みにひそんで、俺たちの行為を見ていたんだな。もちろん初めっからじゃない。俺たちが夢中になってた一〇分か二〇分の間に、お前はこの海辺に建った西洋の城の物見の塔のような岩山を、螺旋形の石段を、右回りに一回りしてここまで登って来たんだ。そしてそこの茂みにしゃがみ込んだのさ。
 出てこいよ、いつまで黙っていたって無駄だよ。そこ以外にお前の居所はないんだからさ。このあとの俺たちとお前のアリバイがそれを証明してるんだ。

 「わあ、もうこんな時間だ」。俺が腕時計をみて女にそう言ったのが十一時ちょうど。そして、ここを降りて合宿先の宿へ帰るまでの一本道でお前とすれ違ってはいない。お前がここから身を投げた瞬間を下のアベックが目撃して警察に通報したのが十一時十五分。
 つまり、いまこの瞬間、そこ以外の場所にお前がいないってことがアリバイの消去法でみごとに証明されちゃうんだ。

 それでもお前はそこにいないと言い張るのだとしたら・・・。この場所と時間の組み合わせの整合性を根元から否定して、お前がそこにいないと言い張るのだとしたら・・・。それがいま世界で起こっているただ一つの事実だとあくまでも言い張るのなら・・・。
 世界の方がお前に歩み寄って・・・ゆっくりとかたちをかえることになる。

 ・・・鏡の中の世界が現実に・・・現実の世界が鏡の中に・・・物のかたちの右と左が逆転する・・・螺旋形の石段は右回りから左回りに・・・。
 そこの藪にひそんでいるのは・・・そして十一時十三分にここから身を投げるのは、お前ではない、この俺だ。

 (立ち上がり)裏返った世界の真ん中で、中天の月がつくった海の道だけはかたちを変えずに、俺を呼んでいる。
 「銀色の道をたどって、どうぞ海の向こうへ」。(ゆっくりと前へ進む)

     暗転


   二十五 浦島太郎

     舞台中央に男が立っている。
     下手袖の奥で「馬鹿! 馬鹿! チャンの馬鹿!」と叫び声。
     下手から浦島太郎が駆け込んでくる。

 あんた誰?(なぜか今の袖からの叫び声はこの男の声であった。)
浦島太郎 浦島太郎です。
 それはわかってるよ。なんで馬鹿呼ばわりされて出てきたんだ。 
浦島太郎 ・・・とりあえず。
 その格好で走って出てこられたら、こっちの対応も微妙になるぞ。
浦島太郎 え?
 「どうした! 乙姫さまのお付きに手を出したのか?」とか、「なに? 亀をいじめてる子供をいじめた幼児虐待のカドで手がまわったか?」とか。
浦島太郎 とりあえず逃げてきました。
 どこから?
浦島太郎 至急琉球から。
 竜宮だろ!
浦島太郎 玉手箱を盗んできました!
 なんだ、貰ったんじゃなかったのか?
浦島太郎 とりあえず、その前に・・・。
 遣ろうと思った物件をその前に盗まれた場合、竜宮当局としてはどう対処するんだ?
浦島太郎 竜宮のオミヤ入りです。
 それを言いたくて出てきたのか?
浦島太郎 ・・・とりあえず。
 もういい、帰れ!
浦島太郎 どこへ?
 至急、琉球へ。
浦島太郎 いちど滑ったひとのネタを使わないでください。
 それで? なにを盗んできた。
浦島太郎 ですから、玉手箱。
 だから、玉手箱というのはただの器(うつわ)だろ! 盗んだ中身はなんだ。
浦島太郎 開けてみましょうか?
 よせ! 開けるな!
浦島太郎 あれ? あんた、なにか知ってるね?
 とにかくみだりに開けるな。
浦島太郎 あきまへんか?
 お前、上方か?
浦島太郎 浦島です。
 浦島のどこだ。
浦島太郎 浦島の太郎です。
 うそだ郎!
浦島太郎 (短い間)乙姫さまに惚れられたというのは嘘です。
 振られたのか?
浦島太郎 いえ、振りました。惚れられるまえに振りました。
 またそういうことを言う! 振ったふりをして惚れたのか、惚れたふりをして振ったのか、どっちだ。
浦島太郎 その二つに、振られたふりをして惚れられたのかと惚れたふりをして振られたのかを加えると選択肢は二の二倍です。
 それに全国の総ての太郎と姫の振り振られのバリエーションにまで選択肢の幅を広げると、
浦島太郎 色恋のしがらみのかたちは無限です。

     短い間

 深いね。
浦島太郎 現実はもっと深いよ。
 え?
浦島太郎 小太郎、俺だよ。
 え?
浦島太郎 (己を指さし)チャンだよ! 三十年前にお前と母さんを捨てて海に消えた!
 ・・・ちょ、ちょっと!
浦島太郎 世間ではお前は源治郎とお光のあいだに生まれたひとつぶ種だということになっているが、じつは、当時離れに間借りしていた男やもめ、太郎とお光とのあいだに出来た不倫の子なのさ。
 (ショック故の立ちくらみの後、憤怒の形相で浦島太郎に迫り)せっかくのお伽噺を・・・よくも台なしにしてくれたな!

     浦島太郎、下手に走り去る。

 馬鹿! 馬鹿! チャンの馬鹿!

     暗転


   二十六 家族

     父、母、娘(信子)、息子(勇)と吉田さんの五人がままごと用のゴザの上に座っている。ゴザの中央にちゃぶ台。

一同 頂きます。(頭を下げる)

     一同、四五秒食べる身振り 

一同 ご馳走さまでした。
 (自分の膳の徳利をつまみ、吉田さんに)ひとついきましょう、吉田さん。
吉田 あ、どうも。(自分の膳のお猪口で受ける)
 家内から聞きましたよ。あなたのご指導のお陰でだいぶ勇の成績があがったそうじゃないですか。こう言ってはなんだが、昨今、家庭教師にもだいぶ当たり外れがあるらしい。あなたにはつくづく感謝です。
吉田 いえ、勇君の根性と努力のたまものです。

     父、さらに吉田さんに一献。

信子 吉田さん。そんなにお酒つよくないんでしょう? 
 今晩、泊まってくもんね。ぼくの部屋に布団敷こう。
吉田さん いや、そうはいかない。
 だって、このまま帰ったら捕まるよ。今日から交通安全週間だし、絶対だよ。
吉田さん (母に)ぼくの顔、赤いですか。
 ええ、ほんのり。
吉田さん だったら車は置いて電車で帰る。
 いくら家の前だって一晩置いたら青空駐車でもってかれるよ。
吉田さん だから駐車場さがして。
 そう、表通りを渡ったところにあるから勇と一緒に行って入れてらっしゃい。そうして今夜はお泊まりなさいな。
吉田さん ・・・いや、
 それがいい。
吉田さん はい。

     一同、演技を中断し、いっせいに立ち上がる。

   ★  ★

     一同、再び座る。

一同 いただきます。
 ちょっと待った! その前に、 
 あ、そうよ。
 勇、おめでとう。
 あ!
一同 (勇に)おめでとう。
 (吉田さんに)吉田さん、本当にあなたのお陰だ。つくづく感謝です。
吉田さん いえ、なにもしてません、勇君の根性と努力のたまものです。
一同 (吉田さんに)ありがとう。
 では、頂きます。
一同 頂きます。

     一同、四五秒食べる身振り 

 (自分の膳の徳利をつまみ、吉田さんに勧めながら)というわけで、吉・・・うっ。(と、事切れる。)

     ゴザの上の人物達、演技を中断し、いっせいに立ち上がる。父はゴザに外へ。やや遅れて、信子を残して他の人物達もゴザのそとへ。(以後、ゴザの外へ出た人物達は全員ゴザの外からゴザのなかの芝居を見守る。)

   ★  ★

     信子、ゴザの中央に座る。吉田さん、ゴザの外からゴザの奥中央の縁に回り込み、その位置からゴザの中をのぞき込み、

吉田さん あれ、お一人?
信子 (振り向き)ええ、母はいま、ちょっと・・・。

     二人、演技を中断し、ゴザの外へ。

   ★  ★

     母、信子の座っていた位置へ座る。
     吉田さん、もう一度おなじ動作を繰り返す。

吉田さん あれ、皆さんは・・・。
 (振り向かずに)そうなの、今日はちょっとね。

     二人、演技を中断し、立ち上がる。

   ★  ★

     母と吉田さん、ゴザの中央に正面を向いて並んで座る。
     信子と勇、ゴザの手前中央に、母と吉田さんに向き合うかたちに座る。
     母、信子と勇に、

 二人ともちょっと聞いてちょうだい。こんなこといきなり言ったら二人ともほんとに驚くわね、でも、そうなの、ここにいる吉田さんと母さんは、

     信子、立ち上がり、母の背後からゴザの外へ走り出る。

 お待ちなさい! 信子!(勇に)勇ちゃん! あなた、ちょっと信子を呼んできて。
 いやだよ、関係ねえよ。

     三人、演技を中断し、立ち上がる。勇はゴザの外へ。

   ★  ★

     吉田さん、ちゃぶ台を前に、本を読んでいる姿勢。
     母、その背後でテレビを見ている姿勢。やがて立ち上がり、テレビのスイッチを切る身振り。背後から吉田さんに、

 あなた、お先に。お休みなさい。
吉田さん あ、お休みなさい。

     暗転


   二十七 ほんとうにそれでいいのですか?

     舞台、明るくなると、テーブルの上に自動炊飯器。傍らに立っている男が、左手に携帯電話をその炊飯器にかざし、右手で炊飯器の選択スイッチを押すたびに機械的な女の声。

機械的な女の声 「ハクマイ」「タクミダキ」「ジップンヒタシタアトニスイハンヲハジメマス」「ホントウニソレデイイノデスカ?」
 (携帯を耳に当て、電話の相手に)聞きましたか? ね、おかしいでしょ。なんでいちばん最後に「それでいいのですか」って聞いてくるんです? それも「ほんとうに」が付くんだよ! でしょ! 「ほんとうにそれでいいのですか」って、機械が! おたくの炊飯器が!(間)あり得ない? あり得ないよ! だから訊いてるんじゃないか! なんなんだ、これはいったい!(間)「からかう」? 馬鹿野郎! こっちがからかわれてるんじゃないか! あんた等、痩せても枯れても一流企業だろ! 一市民にこんなシャレ仕掛けて、笑い者にして、それで済むと思ってるのか!(間)いいや、買ったばっかりの時はなんともなかったよ。二人分炊いてるうちは「ぢっぷんひたしたあとにすいはんをはじめ」てくれてたんだ。一人になって、一合炊きしたとたんに「それでいいのですか」が始まったんだよ! アッ、笑ったな! 笑ってる場合か! こっちが笑いたいよ! 泣きたいよ! 人生山あり谷ありだろうが! 「それでいいのですか?」っていま俺は言われたくはないんだよ! スイッチ引っこ抜いて壁に叩きつけたいよ!(間)え?

     間

 ・・・なんだ、どうしたの? なんだよ・・・いまあんた急に声色(こわいろ)変えた?(やや怯え)どうしたんだ、なぜ黙ってるんだ! おれの聞き間違いか?(間)いまあんたはっきりおれに言ったぞ!「ホントウニソレデイイノデスカ?」って! しかも、生きた心地のぜんぜんしない声で!   
 

     「ピンポン」と玄関でチャイムの音。

 あ、ちょっと待ってくれ。(大声で玄関に)はい! どなた?

     モニターから男の声。

 今日は、クロネコヤマトです。
 (玄関に)あ、ちょっと待ってください!(電話に)あんたもちょっと待ってろよ。なに?(取り乱す)お、おまえ、また言ったな! 化け物みたいな声で! ウオー! そこまでオチョクルならじょうとうじゃないか! いいとも! そこで待ってろ!

     携帯を置き、ドアの前に立ち、

 いま開けます。
 ホントウニソレデイイノデスカ? 

     ドアから飛び退き、携帯とドアとの板挟みの位置で、ムンクの「叫び」の形相で、

 ギエーッ!

     暗転


   二十八 驚き

     医師用の椅子に医師。患者用の椅子に患者。
     両者、向き合っている。診察室である。医師の傍らに看護婦。

患者 わあ!(と、お座なりな声)
医師 駄目だね。ぜんぜんお座なりだよ、気持ちが入ってないよ。もっと心の底からストレートに叫んでごらん。
患者 ・・・。
医師 そうだな・・・たとえば、ほら!(患者の足下を指し)そこに蛇がいる!
患者 ・・・。
医師 はい!
患者 わあ。(さらにお座なりである)
医師 (看護婦を振り返り)まいったな、お手上げだよ。
看護婦 (大声で患者に)わ! 
医師 わあ!(と驚く)
患者 ・・・。(驚かない)
医師 いいかね、君、驚きこそが人間のすべての感情の基本にあるのだよ。
 恐れ、怒り、苦しみ、喜び、共感、反感、性的衝動、これらを基本的情緒と呼ぶ。そして、それらが複雑に絡み合った末に生まれる、悔やんだり、疑ったり、訝(いぶ)ったり、羨んだりする情緒を、複合的情緒と呼ぶ。そしてだ、これらすべての情緒の根底には、じつは驚きが横たわっているのだ! これらの基本的な情緒の火付け役となり、これらの様々な複合的情緒への横滑りの橋渡しには、必ず驚きが関わっているのだ。
 君の場合、この驚きがなんらかの理由で錆び付いているんだ。わかるね、これはけっこう深刻な問題だよ。基本的情緒に火が付かず、複合的情緒が錆び付いているわけだからね、不発の状態、つまり人間として日常的にシケッてるわけだ。
患者 ・・・。
医師 ではこれからわたしが、この「驚き」が基本的情緒の引き金になる様を、実演してお目にかけよう。

     医師、演技してみせるが多少あざとい。

医師 (怒りの実演)なに?(とちょっと驚き)馬鹿野郎!
患者 ・・・。
医師 (共感の実演)ん?(とちょっと驚き)いいね、いいね! 
患者 ・・・。
医師 (悲しみの実演)まさか!(とちょっと驚き)クーッ!(と泣く)
患者 ・・・。
医師 (性的衝動の実演。看護婦を相手に、彼女の全身を下から見上げ)お!(とちょっと驚き)抱きたいな!

     看護婦、手にしていたカルテ挟みのボードで医師の頭を派手にひっぱたく。

医師 「あ!」 (そうとうなダメージだが、あえて説明を続ける)ね、ぜんぶ初めに、「驚き」があっただろ。
患者 ・・・。
医師 「・・・あれ?」(と、けだるく驚きながら椅子から崩れ落ち)いかん、脳外科の林先生を呼んでくれ。(看護婦に)それにしてもなんだって・・・まだ昨夜のことを恨んでいたのか?(意識をなくす)
患者 (驚かずに)驚いたな。

     患者、ゆっくりと床に膝をつき、医師を助け起こしながら、

患者 (看護婦に)ね、いまの椅子から落ちる前の「あれ?」は勢いは鈍いがいちおう「驚き」だったのだろうか? そのつぎの「いかん」も「林先生を呼んでくれ」の引き金かな?
看護婦 ・・・。
患者 それで? 昨夜あんたとそういうことがあったわけ?

     間

看護婦 ・・・。(薄っすらと笑う)
患者 あんたも驚かないで怒ったり笑ったりするほうだね。
看護婦 ・・・。
患者 (驚かずに)驚いたな。

     暗転


   二十九 馬鹿だね

     舞台中央に新聞紙を敷き、中年の男が汚れた毛布を頭から被って寝ている。
     老人、焼酎の一合ビンと蟹カマを載せたポリエチレンの皿を手に登場。新聞紙の隅に座り込む。

老人 起きろ。馬鹿だね、こんな時間からもう寝てんのか。ホレ、蟹カマだぞ、蟹モドキ。なに?(短い間)これに当たった? いつ? (短い間)昨夜? じゃ、これじゃねえじゃねえか、こいつは、お前、今朝おれが丸生(マルショウ)のゴミ箱から出したんだから。見ろ、まだプリプリしてら。(蟹カマをつまみ、喰う)腹、下したのか?(焼酎ビンを示し)じゃあこれも駄目か? 馬鹿だね、勝手に寝てろ。本物ならまだしも蟹のモドキごどきに当たるなんて、まだ腹ができてねえ証拠だよ。
 (蟹カマを肴にチビチビ飲みながら)本物は恐いよ、蛸と蟹の腐ったのだけは、俺たちだろうがトーシローだろうが、まともに当たったら死ぬからね。せんにさ、バブルの時代で、そのころは俺たち、上野の山で、不忍の池のほとりで、一人一人テント張って棲んでたんだ。毎晩九時になるとラジカセ首から下げた隣の男が俺のテントに将棋さしに来てたんだが、ある晩、入り口を、こう、半分めくって、笑いながら、「馬鹿だよ、魚正のゴミ箱から出した蛸喰って当たっちまってさ、今日は早めに寝るわ」って言って首ひっこめたんだ。次の日の昼に覗いたら、野郎、冷たくなってた。
 バブルのころだよ。不忍の池を一回りする遊歩道があるだろ、あの水上動物園側は遊歩道に沿って植え込みが並んでるんだ。植え込みと水上動物園の金網のあいだがうまい具合に芝生になっててさ、おれ等、そこを五メートルづつ区切って一人一人テント張って棲んでたんだ。ラジカセとかペンタックス首から下げてる奴もいればダックスフンド飼って夜中に池のまわり散歩させてる奴もいた。俺だって、お前、そのテントから千駄ヶ谷の将棋会館にかよってそこに集まってくる二段程度をかたっぱしからひねり潰してたんだぞ。
 そのトランジスタとは気が合ってたんだ。いまでもテント半分めくって立ってたそいつと、首から聞こえてきたニュース・キャスターの声をはっきり憶えてら・・・。
 本物の蛸と蟹の腐ったのだけは気をつけろよ。 

     間

 人間って、変なことをいつまでも忘れねえもんだな。欲の皮つっぱらかして生きてた時には・・・まるで関係ねえ・・・どうでもいいと思ってたような・・・つまらねえことが、なんかの拍子に・・・まるで昨日のことみてえに目の前にうかんでくるんだ。

 女房がさ・・・まだ生きてた頃の女房が・・・後ろ向きに、おれの寝てる部屋の外の物干し場で洗濯物を干してるんだ。窓があいてて、その後ろ向きの女房のケツと洗濯物に陽があたってて、女房は小さな声で歌ってたんだか、それとも後ろ向きに俺になにか話しかけてたんだか・・・、俺のほうもその歌を聴いてたんだか、話にぼんやり相槌を打ってたんだか・・・とにかく、なんかの拍子に・・・その・・・陽の当たってる洗濯物と女房のケツを思いだすんだ。

     次場へ続く


    三十 砂時計

     女一、中央奥の台所へ通じるダンボーの陰から現れ、

女一 新宿の小田急から地下鉄の丸の内線に乗り換えるとき、西口広場を通るるでしょ。

     老人、女一の姿を正面に認めたかのように顔を正面に向け、見守る。

女一 ほとんどの人がJRの改札から出てきた人とぶつかりそうになりながら真っ直ぐ突っ切って行くんだけど、わたしは皆よりひとつ裏の、売店と小田急デパートの大きな柱の間に出来たひと一人がやっと通れるくらいの狭い道を通るの。道とはいえないほど狭いから誰も通ろうとしないの。通勤ラッシュ用のわたしだけの専用道路よ。ストップモーション)

     上手の段ボールの陰から、女二、現れ、目の前の床を眺めながら、

女二 ヒーン どうしたのこれ! もう知りません、いいです、このままにしておきましょう! 

     中年の男、半身を起こし、女二の姿をあたかも正面に認めたかのように、顔を正面に向け、見守る。

女二 もうすぐお母様がお帰りになりますからね! 全部お母様に申し上げますからね! 意地悪で乱暴で、一日じゅう悪い子だったんだから、わたしを馬鹿にして。(ふたたび床を眺めまわし)ヒーン!(ストップモーション)   

     下手の段ボールの陰から、男一、現れ、

男一 明け方、変な夢みて、見ながら、ああ、こいつはぜったいあんたに教えてやろうって思ったんだ、「あんたが喜びそうな夢だぞ」ってね。
 目を醒ましたとたんに忘れちゃった。ハハ、ごめん。(ストップモーション)

     男二、縦に置かれたベッドの陰から現れ、 

男二 ほんとに違うんだ。ほんとに俺じゃないんだ、いま言ってもしょうがないけどね。(短い間)とにかく、今日は帰るわ。(ストップモーション)

     男三、クローゼットの陰から顔を出し、

男三 函館のイカめしが伊勢丹の催し物売り場に出てるらしいんだ、イカめしって食ったことあるか? どうなんだ、じっさいに美味いのか?(ストップモーション)

     女三、上手次の部屋の入り口から現れ、

女三 ねえ、目をさましたら東京中が真っ白に雪に埋まってた朝があったでしょう・・・憶えてない?(ストップモーション)

     女四、下手の段ボールの陰から現れ、テーブルの前の椅子に座り、

女四 いまからなら、まだ終電に間に合うけど、どうする? (短い間)自分で決めたら?(ストップモーション)

     男四、中央奥の台所へ通じるダンボーの陰から現れ

男四 眼をつむって寝ようとするとどうしてもあいつが出ていったときの靴の音を思い出してね、・・・耳を澄ましちゃう。(ストップモーション)

     女五、クローゼットの陰から現れ、

女五 馬鹿ね、鹿児島市が鹿児島県の中にあることは誰だってしっているんだから、鹿児島県鹿児島市なんて書く必要はないの。鹿児島市下荒田三の二の十二でいいんです。(ストップモーション)

     男五、上手の段ボールの陰から現れ、進み出て床に座り、

男五 あいつにはっきり言ってやったよ、「どうしたんだ。このままじゃ、お前、本当に駄目になるぞ」って。そしたらあいつ、きゅうに泣きだしやがんの。
(ストップモーション)

     男六、上手次の部屋の入り口から現れ、

男六 夢の中で空を飛ぶことがあるだろ。あんなにはっきり空を飛べるってことは、俺たち、一歩間違えば鳥に進化してたんじゃないかな?

     女一,二,三、四、五、男一、二、三、四、五、彼等の台詞の続きを同時に発語する。

女一 着いた先の名古屋の駅で途方に暮れて・・・「南口」とは新幹線の南口なのか・・・JRの南口はどこなのか・・・あなただけは涼しい顔をしてどこかで覗き見をしておられる様な腹立たしさを感じます。・・・お支払いのことでもうどこも二ヵ月溜まりしたので・・・わたしの考えとしてはこの十五日で〆切っていただいて、請求書を住所明記の上、あなたの元へ送ります。お支払いがあるまではわたしの方の請求分は全部あなた宛に方向をかえさせてもらいます。

女二 いいですか、あなた、しっかり受け止めてくださいよ。これは、ここは、あなたとわたしの「いまこの瞬間」なんかじゃないんです! これは、あなたの、あなたひとりの記憶なのです! 生きていたころのあなたの記憶なのです! どうしてもあなたにわかってもらわなくてはと思って、今夜はここで待っていたんです。目をつむってみてください。さあ、目をつむってください。

女三 つきあってた男のことを思い出す時って、そうやって思い出して動きはじめた景色のなかに、その男の姿だけが本当はいないって、思わない?
 そのとき、男はこっち側に・・・景色を思い出して眺めてるわたしの側に立ってるのよ・・・気配だけになって。

女四 図書館の中庭で雨ざらしになっている自転車の皮のサドルを見ているうちに、死んだ男の身体が目のまえに浮かんできた。
 その瞬間、いきなり気がついた。十年前、男が青梅市立病院へ入院する日に駐輪場に預けた自転車を、わたしはそのまま忘れていたことに。
 図書館の中庭で、死んだ男の身体が光っている。
 遠い青梅市立病院の駐輪場で、錆びた自転車が雨に打たれている。

女五 馬鹿ね、これから起こることの日付と時間をこの娘(こ)に教えてどうなるっていうの? ほんとうに・・・この若さでね・・・嘘じゃない、わたしだって出来ることなら代わってあげたいわよ・・・(ちいさく笑い)でも、その代わってあげたいわたし達が一緒に変わっちまうんだからどうしよもないじゃありませんか。

男一 「そうだ、行かなくちゃ!」って、今朝いきなり思い出したじゃないか、二人して。歯をみがきながら「そうだ、行かなくちゃ」って。はっきり顔を見合わせてそう決めたんだ。だって、今朝のことだよ。いまはっきり思い出してるんだ。そうか、お互いここを「こんな所」だと思って、違和感おぼえて、呼び出されたと思ってるんだ。だとしたらつくづくお互いさまじゃないか。「恋しくなったのか?」って聞かれて「そうでもない」はないだろう。

男二 親父とはいつだって何処かの見慣れない街角でばったり出会って、「え、父さんどうしたの?」「ああ、ちょっとね。」みたいな切り詰めたやりとりをして、そのまま別れるだけだよ。親父は俺たち家族から見放されて一人でその街の何処かに暮らしている筈なんだ。その後ろ姿を見送りながら俺は「あ、そうじゃない!」って夢の中であらためて気が付くんだ、「親父は末期の癌にかかっていて、とっくの昔に死んでるじゃないか!」って。

男三 それは違うでしょう。「わたしもです」ということは、あなたとわたしがここに並列の状態で座っていて、「さて、これから誰かに順番を決めて貰わなくては」ということになりませんか? とりあえず、すでに順番は決まってるはずですが。水に流しましょう。

男四 膠原病といえば、子供の頃、わたくし、あれは、大人達が象皮病とよんでいる恐ろしい皮膚病の一種であると考えておりました。そしてそれには、あのシュバイッアー博士が一役買っておって、彼がアフリカ大陸の奥地において、どこか、土煙舞い上がるアフリカの高原においてですね、その病原菌を最初に発見したのであると考えておりました。そのようなわけで、膠原病のことを考えますと、わたくしいまだに、頭の中を象が走ります。

男五 普通、人は家の正面を西日から避けて南向きに建てるじゃないか。だからどこの街の家並みもほぼ同じ方角を向いて並んでいるのに、そのレストランから見下ろした街の屋根は・・・真上からなにかの手でやさしくかき混まわされたみたいに・・・乱れていた。乱れた夕暮れ時の小樽の街の屋根が、目の下でゆっくり渦を巻いていた。

男六 運転席側のウインドウを開けて・・・高速をすっ飛ばしながら「ああ、とうとうやっちゃったか」って・・・人ごとみたいにボンヤリ考えている・・・百メートルほど先を走っている大型トラックのテールランプを見つめながら・・・車内に吹き込んでくる風を感じながら・・・。そこで目が覚めた。そして、「いま、何時」って、俺が訊く。「二時半よ」って、君。「昼の? 夜の?」

     やがて、あたかも記憶の中で登場人物達のイメージが薄れるように台詞は勢いを失い、失速し、途絶える。
     中央の段ポールの壁が割れ、そこに老女が立っている。
     老女は客席を見つめ、何かを思い出そうとするかのように動きを止める。

     溶暗
                          二〇一三年六月五日



 
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