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ヱデンの雪
阪本朱里
 


 あらすじ:明治の世となり30年が経った北海道。開拓が進む中、山奥の集落でたった一人生き残った先住民族のハル。一族の眠る墓を見守りながら静かに暮らしていたが、明治政府の役人である桜庭から土地開発のため、立ち退きを言い渡される。
  窮地に立たされるハルだったが、桜庭を支援する貿易商の檜山の助けによって、墓地を含んだ土地を守ることに成功する。しかし、約半年後に『旧土人保護法』が施行されてしまい、その道筋は地獄へと辿る。

 登場人物: ハル/志田春芳 (21)
       八月一日雪子(ほずみ ゆきこ)(20)
       北沢利助(きたざわ りすけ)(36)
       佐々木みね(30)
       桜庭清隆(30)
       檜山洋二(26)




   第一場

    ハル 板付き
    雪子 入り

雪子  御免下さい
ハル  おはよう。八月一日(ほずみ)さん。今日も早いですね
雪子  おはようございます。あの、お水をいただいても?
ハル  はい。桶はこちらに
雪子  すいません
ハル  (水を入れにいく)
ハル  朝早くからいつもご苦労様です
雪子  いえ。こちらこそ、明朝に押しかけてしまってごめんなさい
ハル  それには及びませんよ。僕にも朝の仕事がありますので
    ともあれ、毎日娘さんが来てくれるんですから、お母上も喜んでいると思いますよ?
雪子  そんな、当たり前のことをしているだけですよ
ハル  いや、なかなか難しいことだと思いますよ。それに、あんな山道を歩くの普通の人じゃすぐに音を上げてしまいますし
雪子  ……母のためですから
ハル  (移動する)はい、どうぞ
雪子  ありがとうございます。では
ハル  そうだ。八月一日さん、少し待っててください。
雪子  はい……?
ハル  八月一日さん、お供えしている花、そろそろ変えてあげた方がいいんじゃないですか?
雪子  え? 
ハル  この間のもの、茶色くなっていたのを見かけたので。よかったら、これを使ってやってください
雪子  これを?
ハル  はい、好きなだけ取ってください
雪子  悪いですよ、こんなきれいな花。それに、麓でいつも売り歩いているじゃないですか
ハル  そうでしたか?
雪子  その、市でよく見かけますから。大事な商売道具でしょう?
ハル  少しくらい減っても大丈夫ですよ
雪子  でも――
ハル  大丈夫ですよ。畑で採れたものですが、間引いたものです。美人さんだったので捨てようかどうか迷っていたところで。やっぱり、もったいないって思っちゃっただけで
雪子  ……
ハル  間引いたものでは失礼でしたか?
雪子  いいえ、十分でございます。実は、花は用意していたのですが、家に忘れてきてしまったんです。それで、ちょうど困っていたところで……
ハル  すいません、余計な世話を
雪子  そんなことはありません! じゃあ、折角なので貰っていきますね

    雪子はけ

ハル  はあ――

    みね、上そでよりセリフ

みね  ハルさん、ハルさぁん!
ハル  (はける。舞台に戻る)
ハル  あなたこれで何回目だと思っているんですか
みね  ごめんごめん、お家が見えたらすーって力が抜けるもんだから。あー疲れた
ハル  お野菜はうれしいですけど、こっちは間に合ってますから、持ってこなくてもいいんですよ(野菜をおろす)
    坂道で力尽きるくらいなら、もう結構ですから
みね  腰痛持ちなんだからそれは仕方ないの。いたたたた
ハル  だったらなおさらです。こんなところで倒れたら、街まで運ぶの僕なんですからね
みね  そのときはその時よ。あ、ハルさんに面倒見てもらうのも悪くないけど?
ハル  勘弁してくださいよ、みねさん
みね  だいたいね、ここから家(うち)までどれだけ離れてると思ってるの?
ハル  あれくらい歩いても四半刻もかかりません
みね  そりゃあんたはそうだろうけど、こっちは女なんだから、少しは労わってちょうだいよ
ハル  だったらこっちからも、もう少し女性として慎ましくして欲しいものです
みね  へん、大家族の女にそんなもの望んだって無駄だ。それよりハルさん
ハル  何ですか
みね  お水くれる?
ハル  ……(黙って水を汲みに行く)
ハル  お節介焼くなら、最後までやってください
みね  ありがとう。次はちゃんと運ぶから大丈夫
ハル  次はもういりません
みね  また、それ言って。ちょっと目を離したらごはんも食べないくせに。こっちは心配しているんだから
ハル  あなたには関係ありません
みね  あのねえ、いくらここの夏は涼しいって言っても、ご飯抜かすとすぐぶっ倒れちまうんだぞ? あんたが倒れたら、お墓は誰が面倒見るの?
ハル  それは……
みね  まさか私にやってとは言えないでしょう?
ハル  ……心配をおかけしていたなら謝ります
みね  照れてる!
ハル  照れてません! それより、あなたの家、旦那さんの他に下に三人も兄弟がいるんでしょう?
    僕よりもそっちに回してやったらどうなんですか
みね  ああ、あの子らならほっておいても平気だ
ハル  そんなわけないでしょう。まだ食べ盛りだったじゃないですか
みね  別に平気よ。今年は野菜の育ちもいいし、それにあの子らにも稼ぎがないってこともない。自分の身くらい、自分で何とかできるようにしておかないと、そいつらのためにならないんだから
ハル  でもそれじゃ――
みね  いいの。いいから黙って受け取って
ハル  ……いただきます
ハル  (持ってきた野菜の包みを開ける)あ、馬鈴薯だ
みね  そ。これだったら、ちょっと食べるくらいでもお腹がふくれるし、余ったら余ったで春先に植えたら、またできるし、一石二鳥とはこのこと
ハル  通りであんなに重かったわけですか
みね  まったく、赤子を2人運んだ気分だったよ。痛いのなんのって……どうしたの?
ハル  ……みねさん
みね  なに?
ハル  ……また、お礼をさせていただきます
みね  ……なによ、急に改まっちゃって! なんだか恥ずかしいじゃない。
    あ、そうだ。ハルさん、あんたも隅に置けない男ね~。おねえさん見直しちゃった!
ハル  何の話ですか?
みね  またまた。さっきいたでしょ、しゃべっていた娘さん
ハル  八月一日さんのことですか?
みね  八月一日さん! もう名前も聞いちゃったの?
ハル  何を言ってるんですか、もう知り合って三月(みつき)も経っているんですから当然ですよ
みね  三月、そんなに?
ハル  そうです
みね  はあ、やっとあんたにも春が来たんだね! ハルだけに
ハル  痛いですよ。別にそんなんじゃないですってば
みね  ええ、じゃあ何なのよ
ハル  誤解のないようにいいますけど、あなたの思っているようなことは何一つありません
みね  絶対嘘ね
ハル  嘘ついてどうなるんですか。僕にも仕事があるんでもうとっとと帰ってください
みね  じゃあ、言いなさいよ。そこまで言われると余計関係が気になるんだけど?
ハル  あなた関係ないでしょ! もうほっといてください!(はける)
みね  ……分かった、もうやめるから。出てきなって。で、知り合って三月ってどういうこと?
ハル  誰にも言いませんね?
みね  ああ、口の堅さだったらこの山で一番だ
ハル  他言無用ですよ。……彼女は、僕の親戚筋の人です
みね  そうなの……って、親戚!?
ハル  そうです親戚です。僕も初めて聞かされました
みね  でもあんた確か、ここいらで最後の蝦夷(えみし)でしょ? 他のみんなは流行病で亡くなったって聞いたけど
ハル  僕と同じように逃れたって人もいただけです。
    彼女の母親は僕らと同じ血を引いてて、親戚にあたる人だったんですけど、病に伏して死んでしまい、遺言でここに埋めるよう書かれていたそうです。それで、墓に埋められてから一日と休むことなく、毎朝ここに
みね  ……そう
ハル  だから、僕にとっては最後に残った同志みたいなものなんです。
    いいですか、僕らはただでさえ爪弾きされるんですから、彼女が血を引いていることはくれぐれも外で言わないでくださいね
みね  分かっているわよ。何、私そんなに信用できない面構えしてる?
ハル  そんなことはしない人だと分かっていますが、ただ念には念をと思っただけです
みね  そう。じゃあ、あの子ひとり身ってこと?
ハル  お父上がいらっしゃるようです。もう詮索しないで下さいよ
みね  まあまあ。でも、良かったじゃない
ハル  何がですか?
みね  あんた、いつも寂しい顔してたから、同胞がいて良かったじゃない
ハル  ……本当に
みね  おかあさんが死んでから、ずーっとお墓ばかり見ては魂の抜けたような面してさ。いつか跡を追うんじゃないかって、ハラハラしたのよ
ハル  本当にあの時は心配をおかけしました
みね  いいのよ。誰だってそうなんだから。私の両親も国に残して来てそのままだ。文も何も渡してあげてない
ハル  親御さんいらっしゃるんですか!?
みね  何言ってんの、あたりまえじゃない。前言ってなかったっけ?
ハル  初耳ですよ
みね  ああそう。あんたはぴんと来ないかもしれないけど、ここからずっと南の淡路島ってところから来たんだよ。夫と兄弟に付いて行ったのさ。
    おとっつあん達にはこんな不自由なところになんて連れて行けなかった。苦労するのは目に見えていたからさ。仕方なく国に留まってもらうことにしたよ
ハル  ……ここに来たこと後悔していますか
みね  いいや。少なくとも、私は夫について行ってよかったって思ってるよ。
    余計な三人さえついてこなけりゃね
ハル  (笑)
みね  もう、二年経つのね
ハル  はい
みね  じゃあ、あんたも墓守をして二年か
ハル  たいしたことは何もしていませんよ。草ぬきくらいです
みね  ……誰かと一緒になるとか、そういうのはないの?
ハル  ……僕を好いてくれる物好きなんているのでしょうか
みね  うーん。でも、あの八月一日さんって子、あんたのこと好きみたいに見えたけど?
ハル  え! 本当ですか!
みね  ……
ハル  ……
みね  あんた、あの子が好きなんでしょ
ハル  な、なんでですか!
みね  だってバレバレよ。まどろっこしいから、さっさと行ってくっついちゃいな!
ハル  そ、そんなことはありません。みねさんきっと目が曇っちゃったんでしょう?
    ここは寒いですから
みね  山育ちに向かって何言ってるんだあんた。曇るも何もわ全部
ハル  好きあってなんかいません!
みね  ……は?
ハル  お節介にもほどがあります! なんで分かったんですか!
みね・ハル  ……
みね  そんなに好きなのね
ハル  僕、穴に入りたいです
みね  まあまあ、それだけ心がまっすぐってことだ。良きこと良きこと
ハル  良くありません!
みね  ほら、やっぱりそういうのは早いうちに手を打った方がいいと思うよ。鉄は熱いうちに打てって言うし
ハル  それ合ってるんですか?
みね  影ながら応援してるから、ね?
ハル  これも他言無用ですよ!

    雪子入り

雪子  ハルさん、今日もありがとうございました。
    あ、おはようございます。えっと、どちら様でしょう?
みね  近くに住んでいる佐々木みねです。いつもハルがお世話になっております
ハル  ちょっと、僕がいつ世話になったんですか
雪子  佐々木さんですね、わたくしは八月一日雪子と申します。麓の町に住んでいる者でございます
みね  へえ、そこから毎朝ここに――
ハル  そういえば、お花使ってくれたみたいですね
雪子  え、ええ。おっしゃっていた通り、もう枯れていたので丁度良かったです
みね  何、花を送ったの?
ハル  供えるためのものです
雪子  では、わたくしはこれで――
みね  ああっ、ちょっと待って
雪子  何でしょうか?
ハル  ちょっとみねさん、何をするつもりですか?
みね  え、もう一回言って?
ハル  だから、何で呼び止めたりなんかしたんですか?
みね  ふむふむ、なにかよく分からないけど、ハルさんが八月一日さんに言いたいことがあるみたいよ
雪子  そうなんですか?
ハル  なに言ってるんですか、そんなこと一言も言ってませんよ
みね  ほうほう、二人だけで話したいから私には席を外してほしい、と。そうか分かった。私も邪魔者にはなりたくないし、そう言われたら仕方がないね
ハル  ちょっと、なに勝手に進めてるんですか! むしろ止めてくださいよ
みね  うるせえな、とっとと腹くくれ腰抜けが
ハル  ……
みね  そういうことだから、八月一日さん、言葉に詰まっても最後まで話を聞いてあげてね。それじゃ
雪子  はい?
        
    みね、はけ

雪子  元気なお方ですね。ところで、お話というのは?
ハル  あ、ああ、えっとその……
雪子  ……?
ハル  とりあえず、座りましょう
雪子  はい
ハル・雪子  (座る)
ハル  あの、つかぬ事を伺いますが
雪子  なんでしょうか?
ハル  雪子さん、いつまでここに来られるんですか
雪子  ……え?
ハル  すいません、間違えました! 言い方が悪かったです
雪子  気にしないでください。そうですね、喪がとけるまで、でしょうか
ハル  喪、ですか?
雪子  はい、人が死んでから一年ほどです
ハル  そ、そうですか
ハル・雪子  ……
ハル  雪子さん実は――
雪子  でも、もうここに来るのも難しいかもしれません
ハル  え?
雪子  ハルさん、実は明日、ハルさんにお別れを言うつもりでした
ハル  ……どういうことですか?
雪子  お別れって言っても、お国に帰るわけじゃないです。麓にいます
ハル  じゃあ、それって
雪子  わたくし、実は
ハル  ……
雪子  下界に住んでいる人と縁あって、婚約に至りました。
    祝言はまだなんですけど、お家に入ればこうやって来ることもなくなってしまうと思いまして
ハル  ……ああ、それで
雪子  ハルさん?
ハル  おめでとうございます。全然気づかなかったもので
雪子  いえ、他の人に報告するのはあなたが初めてですから、当然ですよ
ハル  それにしても、婚約とはまた急な話ですね
雪子  やっぱりそう思います?
ハル  少なくとも僕はそうです。何の話もなしにひどいじゃないですか
雪子  それは、ごめんなさい。
    父が内密に縁談を進めていたみたいで。わたくしも最初聞いたときは驚きました。でも、考えてみてもやっぱりそうするほかに道がない気がして。お返事をすることにしたんです
ハル  嫌ではなかったのですか?
雪子  いい気持ちはしませんでしたけど、でもここに来るまで、父と母には随分と苦労を掛けてしまいましたから、せめて娘の晴着姿でも見せてあげようと思っただけです
ハル  ……お相手さんは、その、想い人なんですか?
雪子  そ、それは、あの……まだ少ししかお会いしてませんから
ハル  これから何年も一緒にいる人、なんですよね? そういうのも大切だと思います
雪子  でも、私の想い人は――
ハル  ……?
雪子  ……何でもありません。それじゃ、わたくしはこれでお暇いたします
ハル  さようなら、道中気を付けてくださいね、雪子さん
雪子  はい。ハルさん、また明日

    雪子はけ

ハル  ……謝ってほしい訳じゃないのにな
    みねさんになんて報告しよ、うっ?
    (咳)

    北沢入り

北沢  おい、お前
ハル  けほっ、けほ……僕のことですか?
北沢  他に誰がいるんだ? まあいい、ちょいと確認だが、お前ここに何年も住んでいる土人の残りだそうだな?

ハル  土人……。 確かに何十年も僕らがここに住んでいるのは事実ですが
北沢  お前にいくつか話がある。少し付き合え
ハル  話? 
北沢  (紙を取り出し広げる)
  


 第二場

桜庭  北沢、本当にそいつで間違いないんだな?

    桜庭・北沢 入り

北沢  はい、旧松前藩の資料と周りの住民からの情報から判断すると、確かなものかと
桜庭  なるほど
桜庭  で、そいつの詳細は?
北沢  和名は志田春芳。本名はハルというそうです。
    歳は24。父母は不明で、最後の記録によるとその里には三世代にわたる人々が住んでいた模様です
桜庭  他の者は?
北沢  どうやら、先の飢饉と流行病で一族は彼を残して全滅したようで
桜庭  最後の一人になったということか。皮肉だな。まあいい、多数より一人を相手する方が楽だ。資料をくれ
北沢  はい
桜庭  (目を通す)山も入っているのか
北沢  ここから20里ほど離れた高地で、半分ほどの土地はすでに政府が回収しておりますが、残った方は山を含め、彼がまだ利権を握っています
桜庭  そうか。これは?
北沢  それなんですが、……今回の難所になりそうです
桜庭  面倒だな
北沢  ともあれ、あれほどの開けた場所はそうそうありません。絶好の機会です
桜庭  分かっている。これを逃しては今年の冬は終わりも同然だ
北沢  しかし桜庭長官、これを耕作地にしてしまうのは少々もったいないのでは?
桜庭  どうした北沢、それは何かお前に考えがあるということか?
北沢  ……桜庭長官の意見に口出しをする気は毛頭ございませんが、酪農などの産業開発も可能な範囲かと思いまして
桜庭  どうやら西洋に関することはあらかた修めたようだな。そうだ、確かにそれも必要になってくるだろう。だが、考えろ。御一新してからというもの、道内には人があふれかえっている。胃の腑を満たすには牛乳よりも、米や小麦が先決だ
北沢  さ、左様ですが――
桜庭  それとも、土人の骨が散らばる地面を掘り起こすのは嫌か?
北沢  人の道を外れています
桜庭  人の道だと? は、俺から言わせれば、死者を牛に踏ませるのもよっぽど人のすることには思えないが?
北沢  ……それは
桜庭  ま、お前の言い分も正論には違いない。それもこれから考えねばな。ところで、檜山殿はどうした?
北沢  は、はい、先ほど連絡がございまして。出航した船が雨に見舞われ、少々遅れがでたとのこと
桜庭  そうか。彼には申し訳ないが、先に始めさせてもらおう
北沢  はい、すでに別室にて待機をさせています
桜庭  今から呼んでこい
北沢  は!

    北沢はけ

桜庭  若造がこれだけ好条件の土地を独り占めか。さっさと終わらせるか
    (時計を見る)

    ハル入り

桜庭  待たせてすまない。管轄の桜庭だ
ハル  ハルと申します
桜庭  よろしく、志田君
   
    北沢入り

桜庭  座りたまえ。少々時間がかかる。北沢、茶を出してやれ
北沢  (一礼後、はけ)
桜庭・ハル  (座る)
桜庭  早速だが、君の所有している土地は我々が買い受けることにした。二か月後には君に立ち退いてもらう
ハル  ……
桜庭  君の住居ともちろん霊園もすべてが対象になる。申し出てくれれば、別の地に墓を建てることも可能だ
ハル  ……
桜庭  心配している君のその後の処遇だが、君には今より北の地に赴いて開墾し、農作高を上げてもらうつもりだ
ハル  ……
桜庭  なに、君と同じような輩もいる。同じ者同士方針にさえ従えば、安全も保障できるだろう
ハル  ……
桜庭  なぜさっきから黙っている?
ハル  今の場所から離れると言った覚えはありません
桜庭  ……すると、土地は明け渡すということかね?
ハル  いいえ。あなた方にはもう何年も前に割譲したはずです。これ以上、お渡しするつもりはありません

    北沢いり・茶を置く

桜庭  そうか。では一つ訊くが、ここ30年で蝦夷(えぞ)の人々はどれくらいに増えたか、君は知っているかね?
ハル  知りません
北沢  約五万人です。今や我々の人口は十万人に膨れ上がり、対する君たちは確認するだけで二万人。君らの五倍もの人がここに住むようになりました
ハル  ……つまり、住む場所がない?
桜庭  それもあるが、もっと深刻な問題があってね。
    耕作地の不足で、餓死者が後を絶たないんだよ
ハル  そんなはずはない。あなた方が今まで奪ってきた土地を合わせれば、十分なはずだ
桜庭  残念ながら、土地の広さではないのだよ。
    ただでさえ寒冷な蛮地は開墾するのに時間がかかるものでね。ちんたらやってる間に冬が来て、そしてまた死者が出る始末だ
ハル  ……それで僕の持っている整理された土地が必要とされている、ということですか。すぐに農作物が取れて、条件がいいから
桜庭  そうだ。そうすれば、君のおかげで何人もの人々を飢えから救うことができる。悪い話ではなかろう?
ハル  確かに、人助けは悪くありません。僕としても、人に死んでほしくありませんし、英雄扱いされるのも悪い気がしません
桜庭  君が理解ある者で助かるよ。君はもちろん――
ハル  従いませんよ、桜庭さん
桜庭  ……
ハル  どういうわけかは知りませんが、同情でも誘うつもりだったのですか?
    生憎ですが、あなたが思っているほど僕は頭が足りない人間ではありませんよ
北沢  志田!
ハル  勝手に付けられた名前で脅すなど、茶番もいいところだ!
    もう帰らせていただきます
桜庭  まあ、待ちたまえ……分かった、聞こうじゃないか。なぜ君がそこまで執着するのか。話次第では考えてやってもいいぞ
北沢  しかし長官!
桜庭  お前は余計な口出しをするな。さあ、話したまえ
ハル  ……分かっておいででしょうが、僕の敷地なんて、今の家と、墓地しかないんですよ。お望みの更地や耕地とやらはほとんどありません
桜庭  もちろん承知の上だ。それで?
ハル  大方を占めているのが墓地なんですよ。埋められている人数だと百は軽く越します。取り上げたら、間違いなくそこも畑になるんでしょう?
桜庭  心配せずとも墓は別の場所に移動させるつもりだ。そこまで鬼ではない
ハル  それは一体どこなんですか?
桜庭  は?
ハル  僕らの墓を、一体どこへ移動させるおつもりなんですか? 考えておいでなら答えてください
桜庭  まだ決まっていない。答えることはできかねる
ハル  ……そうですか。でもその“別の場所”っていうのは、永遠に決まらないのではありませんか?
桜庭  なぜそう思う?
ハル  あなた方が、僕らを人として見ていないからですよ
桜庭  ……
ハル  まさか、僕らにやってきた仕打ちを忘れたとでもいうのですか?
    狩猟も漁猟も禁じ、言葉も奪い、見たこともない病気まで持ち込んできた。医者は僕らに見向きもしないし、誰も助けてくれない。
    そんなあなた方が遺体を掘り起こしてまた埋めるなんて、ずいぶん慈悲深いじゃありませんか。掘り起こすうちに邪魔になって、誰のものかもわからずに一緒くたにして、最後はゴミとして捨てるくせに。
    信用する方が無理ってものですよ
桜庭  ふ、ふふふふはははははは! 
ハル  何がおかしい?
桜庭  はあ、よく分かっているじゃないか。わざわざ下手にでる必要もなかったな
    北沢、決まりだ。回収の手続きを始めるぞ
ハル  なっ!?
桜庭  お前、自分に人権はないっていうのを公明しているようなものだぞ。ま、事実だから仕方ないがな
ハル  貴様、どこまで我々を愚弄するつもりだ!(桜庭に殴りかかる)
北沢  (ハルを抑える)
    おとなしくしろ!
ハル  離せ! お前、人を何だと思っている!?
桜庭  人? 違うだろ。お前ら土人は、お前の言った通り、ゴミだろ
桜庭  だいたいバカじゃないかね君? 今はね、死んだ者よりも生きている者を優先させねばならんのだよ。そんなことも分からんのか?
ハル  ……それとこれとは別のはずだ
桜庭  まだ言うかガキが。死者の尊厳など、犬にでもくれてやればいいんだ。
    それとも何か? 飢えて死んでいくやつらを尻目に、ぬくぬく生活をするつもりか? さっさと署名しろ!
北沢  ……長官、もうやめましょう!
桜庭  やめる? 秘書官の分際で俺に指図するのか、北沢?
檜山  (舞台そでより)それくらいにしておけ、桜庭君

    檜山入り

檜山  全く、外はひどい雨だね
北沢  ひ、檜山殿!?
檜山  やあ北沢君。相変わらず、上司がそんなで大変そうだね。コート預かってくれる?
北沢  は、はい
檜山  ありがとう。それから桜庭君、お役人が一般人をそう乱暴に扱っては立つ瀬がなくなるよ?
桜庭  お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ありません
檜山  俺は別にいいんだが、謝る相手は彼なんじゃないか?
桜庭  ……
檜山  しかし、相手がこうだと土地を譲ってもらう名目とはいえ酷なことだ……
桜庭  どうなされましたか、檜山殿?
檜山  いや、何も。……そうだ。桜庭君、ちょっと俺に考えがあるんだが
桜庭  何でしょうか
檜山  どうだろう? この交渉、いっちょ俺が引き受けても?
桜庭  は、はあ!?
檜山  悪いようにはしないよ。彼の土地を管理する資金の7割を出すのは俺なんだし、決める権利くらいあるだろう?
桜庭  しかし、あなた――
檜山  それに、君は興味なかったみたいだが、俺は彼の話も聞いてみたい。どうせ今の君たちじゃ話が成り立たなそうだ
桜庭  それは特に問題ではありません
檜山  ……君がそういう態度を改めないなら、支援する金を次から止めさせてもいいが?
桜庭  ……わかりました。席を外します。来い、北沢
檜山  悪いが北沢君は置いて行ってくれないか? 
北沢  え?
檜山  さすがに二人でこそこそ話すと、後が面倒なもんでね。証人として残ってほしいのだが
桜庭  ……(資料を持ってはけようとする)
檜山  それも置いて行ってもらえるか?

    桜庭 檜山に資料を投げつけはける

檜山  北沢君、彼を座らせてやってくれ
北沢  はい
ハル  (北沢を振り切り、自分で座る)
檜山  悪かったね、手荒なまねをしてしまって
ハル  ……
檜山  改めまして、俺は檜山洋二と言う者だ。貿易商をしている。君は、志田君と言ったかな?
ハル  ……はい
檜山  志田君、俺はね――
ハル  分かっていますよ。どうせ、土地をご所望なんでしょう?
檜山  え?
ハル  いくら強請っても、僕は譲る気なんてありません
檜山  ……確かに、桜庭君も言っていたと思うけど、今の僕らには食糧が必要だし、広大な土地を有していても、すぐに作物が取れるわけじゃない。
    その点から見ると、君の持っている高地は町からも近いし、よく土もならされているから、条件としては完璧なんだ
ハル  だからって、墓を荒らしていいって理由にはなりません
檜山  そんなこと言いたいわけではない
ハル  じゃあ、なんだって言うんですか? 
檜山  俺はあくまで君の側に立って、こいつをどうにかできないかと考えているだけだ
ハル  ……信用できません。あなただって、さっきの人と同じ立場の人間だ
    なんでもかんでも口先だけだろ
檜山  ……しょうがない。北沢君、今から俺の言うことは内密にお願いするよ
北沢  は、はい
檜山  志田君、いや、志田って言うのは本当の名前じゃないか。よく聞いて欲しい、俺は、おそらく君と同胞の者だ
ハル  !? 
北沢  ……ひ、檜山殿が土人!?
檜山  志田君はともかく、北沢君もうちょっと落ち着いたらどうかな
ハル  同胞って、証明するものでもあるんですか
檜山  今は持っていないが……俺の名前の檜山洋二っていうのはお国からもらったもので、親からもらった名前じゃない
北沢  それでは――
檜山  本当の名前は別にある。教えるつもりはないが
ハル  ……
檜山  どうだ、これで信用できたか?
ハル  あなたが僕らの味方になってくれるということは分かりました。でも、何をするおつもりなんですか?
檜山  今から考える。個人的には君に譲ってほしいのも山々だが、同胞として墓を荒らされるのは黙ってみているわけにはいかない。
    (資料を見る)
    本当に、墓しかないな
ハル  ええ、これ以上渡すわけにはいきません
檜山  どうしたものか。 
    北沢君、代替案なんてのはどう?
北沢  他の場所にするということですか?
檜山  そう。そういう場所ってないかな?
北沢  今のところは……
檜山  そりゃそうか
    まあ、まだほかにもあるはずだ。そう落ち込むことはない
ハル  どうしてそこまで僕らに構うんですか
檜山  ?
ハル  確かに同胞かもしれませんが、知らない人間にそこまで肩入れする必要は――
北沢  そうですよ。自分も居合わせる中で自ら同胞って明かして、なにもそうまでしなくても
檜山  気にするな。どうせ言ってもそこまで重要じゃない。
    ……強いて言うなら、過去の清算かな
ハル  ?
檜山  俺も君と同じなんだ。まわりが敵だらけで、助けてもらえない。
    いい機会だからちょっと刃向ってみようと思っただけだ
ハル  さっきの、聞いていたんですか?
檜山  いいや。でも、ひどい内容だってことは感覚で分かった。
    そうだな……俺はね、この血筋に生まれたことをずっと後悔していたんだよ。
    生まれた時から貧しくて、侮蔑の視線がまとわりついて。
    違う血筋に生まれたからって、周りからは嫌がらせばかりで。次第に親を恨むようになった。なんで俺を生んだ? こうなるって知っていたら、
    なんで俺が知らないうちに殺してくれなかったって、言ったこともあった。仕舞いには家も名前も捨てて、今の自分が残った。
    その後は商いで稼いで、一人じゃ抱えきれないくらいの金も掴むようになった。
    その時ばかりは、俺は差別されるような人間から抜け出したんだって有頂天になったさ。
    でも、いくら仕事で成功しても虚しくなる自分に気づいた。
    そんなつもりじゃなかったのに、なんてことしてしまったんだろうって。
    過去の自分を殺すことに必死になって、誇りっていうのも捨てていたことに気付いて、なんて惨めな野郎だと思った。
    だから、昔の自分のような人間がいたら、全力で助けたいって思ったんだ。
ハル  それで……
檜山  利用しているようで悪いけど、君のように自分を突き通す人に会って、少しでも力になればって思ったんだ。僕みたいに素性を明かさずこそこそ生きてほしくなかったから
ハル  ……
檜山  いやしかし、どうにかすることはできないかな――
ハル  檜山さん
檜山  何だい?
ハル  ……僕はこの通り、何の力も持っていません。ですから、あなたには何のお礼もできません。それでもいいんですか?
檜山  お礼なんて望んじゃいないよ。気にしなくていい、そのままでいいんだよ、君は
ハル  ……
檜山  そうだ、思いついたぞ!
北沢  何をですか?
檜山  君の土地だけど、俺が買いとってもいいか?
ハル  え?
北沢  は!?
檜山  ほら、俺のものになったら、桜庭君も手を出さないだろうって思ったから。
    もちろん、土地の開発はしないし、墓地はそのままにする。
    ああ、でも費用がバカにならないかもだな……何坪あるんだっけ?
    どうかな志田君? 君が不快に思うなら、俺は手は引くけど
ハル  ……ぜひ、お願いします!
檜山  よし、決まりだ!
北沢  ちょ、ちょっと、それじゃ耕作地はどうするんですか?
檜山  ああ、そっちが残っていたか。くっそ、こうなったら、俺が意地でも別の土地を探してやる。北沢君、桜庭君に伝えてくれるかな。今回の件は諦めるように。
    その代わり、一か月以内に俺が別の土地を用意するから、そちらを考えてくれって
北沢  ……はい
ハル  いいんですか、本当に
檜山  ああ、気にするな。これは俺が勝手に折り合いを付けようとしているだけだから
ハル  檜山さん
檜山  ?
ハル  ありがとうございます……!

    北沢はけ

檜山  さて、これから忙しくなるな……
ハル  すいません、何もかも頼りにしてしまって
檜山  いいんだよ。これくらい
ハル  檜山さん、確認してもいいでしょうか
檜山  ああ、どうぞ
ハル  もし、もしあなたが僕らの土地を買うなら、それって、ある意味後見人になるってことですよね?
檜山  確かにそうなるなあ
ハル  そうなったら、主権はあなたに移るんですよね?
檜山  そこまでは分からないが、君が同意してくれたから、もう心配はいらないよ
ハル  ……そうですか。やった、良かった――
   

第三場

    桜庭板付き
    檜山入り

檜山  待たせてすまない
桜庭  いえ、わざわざ足を運んでいただきありがとうございます
檜山  もう四月だというのに一向に温かくなる兆しもないな
桜庭  私もここにきて五年になりますが、この環境には全くなれませんよ
檜山  本当。志田君を尊敬するよ。北沢君は?
桜庭  公務で外出している
檜山  そう、珍しいね。ところで、俺はなんで呼び出されたのかな?
桜庭  先の志田の件です
檜山  ああ、あれ。でもあれって、俺が彼の土地を買い取って、耕作地は別のところに決まって、丸く収まったでしょう
桜庭  ……まあ、座ってください
檜山  (座る)何か問題でも発生したか?
桜庭  まず先に謝ることが
檜山  ……
桜庭  あなたが見ず知らずの若者に手を差し伸べるのを、どうも私は不思議に思いまして、少し調べさせてもらいました
檜山  調べた? 一体何を?
桜庭  あなたをですよ、檜山殿。おかげで、いろんなことが明らかになりました
檜山  何を調べたんだ?
桜庭  そうですね、最初のうちは仕事の業績くらいしか出てこず、退屈でなりませんでしたが、先日ようやく求めていたものが見つかりました。 
    あなたは、土人の生まれだそうですね
檜山  ……それは北沢君から聞き出したのか? 見た目の割には口が軽かったみたいだな
桜庭  白老(しらおい)の生まれで、四人兄弟の長男として生まれたが、十四のころに家を出て、学問を修めた。そして、今の貿易社を立ち上げた
檜山  よく調べているね。呆れた
桜庭  だが最後の辺りはどうでもいい。重要なのは、あなたが土人であるということです
檜山  だからどうした。今までそれを隠していたことを咎める気か?
桜庭  そんなつもりではありません。ただ、正体が明るみにでたことで、あなたは重大な過ちを犯したのです
檜山  ……何?
桜庭  先月、何とも妥当な法律が施行されましてね。『旧土人保護法』をご存知でしょうか?
檜山  『旧土人保護法』? 何だそれは
桜庭  貧困にあえぐこの地の土人をどうにか保護しようと、情け深い議会が既決したものです。もちろん、あなたも該当しますよ、檜山殿
檜山  俺にそんな生ぬるい慈悲は必要ない
桜庭  いいえ、個人がどうであるかはもはや必要事項ではないのです
檜山  ……どういうことだ、桜庭
桜庭  ここで出された法案では、土人の文化等を存続させるために様々な対策が練られています。例えば、適齢の子女を学校に通わせたり、耕作を促すために農地を分けたり。ああ、あと病院に行くこともできるようになりました。良心的なものですよ
檜山  それに、何の問題が?
桜庭  この中の一つに、土地を財産として認めないって項目があるんですよ。ほら、思い当たりがあるのではありませんか
檜山  まさか、志田君の……?
桜庭  そうです。残念ながら、彼の、いや、あなたの持っている土地は財産ではない。お国のものです。なので、あの土地は没収させていただきます
檜山  ……お前、なんてことを!
桜庭  恨むならお国を恨んでください。ああ、それともあなたを産み落とした母親が元凶でしたか 檜山  (桜庭に掴みかかって殴ろうとする。が止まる)
桜庭  どうなされましたか、殴ればいいではありませんか。何も変わりませんがね
檜山  (乱暴に突き放す)
桜庭  もしこんな法律ができなければ、うまく逃げおおせたことと思いますが、残念でしたね。
    いや! なんともすばらしい働きをしてくれましたよ檜山殿!
    別の土地を提供したばかりか、あの土地を譲ってくれるとは。まったく、素晴らしい。
    安心してください。あなたは農地が必要なほど困窮しておりませんし、今のままで十分生活できます
檜山  俺の資金援助がなくなってもいいのか?
桜庭  特に問題ありませんね。ここ数か月、いろいろと提携を結びましたし、あなたがいなくなったところで、痛くもかゆくもないんですよ
檜山  ……志田君は、どうするつもりだ!
桜庭  彼には今日中に今の場所を捨ててもらい、土地を開墾しに行ってもらいます。一生、農夫として過ごすでしょうね

    桜庭はけ

檜山  (間を取って、膝をつく)

    北沢入り

北沢  長官! 
    あれ、檜山殿、どうなされましたか?
檜山  (北沢の腕をつかむ)北沢君、お願いがある
北沢  な、何でしょうか
檜山  今すぐ、俺の言伝を志田君のところへ届けてくれないか?

    場転

    みね入り

みね  ハルさん! あんたの好きな馬鈴薯、もって来てやったよ!
    今日は、赤子三人分だよ!
    おーい! ……おかしいな、留守か?
    折角家まで踏ん張って来てやったっていうのに
ハル  (舞台そでより咳)
みね  あれ? ハルさん、いるの?
ハル  ……

    ハル入り

ハル  ありがとうございます、みねさん。
みね  どうしたの? 風邪でも引いた?
ハル  どうやら、ちょっと温かくなったために、体が油断したようです
みね  ああ、悪かったね。床から引きずり出しちまって。熱は出ていないか?
ハル  大丈夫です。気だるいだけなので、すぐに治ります
みね  そうか。あんた一人なんだから、きついときはうちに転がり込んできてもいいんだぞ?
ハル  ……それは願い下げです
みね  とにかく、ここは寒いから、中に入んな。飯もまだだろう?
ハル  そうですけど
みね  ちょうどいいから、晩飯に粥をこしらえてやる。その間ゆっくり寝てな
ハル  いや、いいです。移ってしまいますから!
みね  いいからいいから

    みね・ハルはけ

    雪子いり

雪子  すいません――

    みねいり

みね  ああ、八月一日さん! 
雪子  こんにちは、佐々木さん。あの、ハルさんはどちらに?
みね  それが、風邪でしんどいみたいだから、家に引っ込んでおくように言っているんだ
雪子  風邪って、大丈夫なんですか?
みね  本人はすぐ治るっていってたんだけど、あの調子じゃ、長引きそうな気がするわね
雪子  そうなんですか。私、今から家に戻ってお薬をお持ちします
みね  八月一日さん、そこまでしなくても――
雪子  病は重くなってからでは遅いのです。すみませんが、これの面倒を見てくれますか?
    (桶を渡す)
みね  あ、ああ。分かった。悪いね。うちにはそういうの全然ないから
雪子  いいえ、これくらいしかお役に立てないので、いいんです
北沢  (舞台そでより)し、志田!
 
    北沢いり

北沢  お、おい、志田春芳はいるか?
みね  志田、春芳?
雪子  どなたのことですか?
北沢  ここの家人のことだ。おい、志田、いるなら返事をしろ!

    ハル入り

ハル  騒々しいと思ったら、またあなたですか
みね  ハルさん、出てきていいのか?
ハル  もうあの件は片付いたじゃありませんか、今度はなんですか?
北沢  ……大変なことになった。檜山殿が、新しくできた『旧土人保護法』によって――
雪子  どうなさったのです?
ハル  君は、この土地を捨てなければならない!
みね  ……え?
ハル  なんですかそれ、どういうことですか!
北沢  ここに、檜山殿からの手紙が――(渡す)
ハル  (ひったくって読む)
雪子  何て書いているんです?
ハル  新しく出来た法律では、土人の所有する土地はすべて没収される。抗う術はない。政府には恭順の意を示すべし……くそ!
みね  どういうこと? 檜山さんって、所有している方は蝦夷の方なの?
北沢  はい、身元を隠しておりましたが、残念ながら
ハル  ばれてしまったか……
雪子  それじゃ、ハルさんは、ここの墓はどうなるんですか?
北沢  墓は取り払われる。恐らく、遺骨はそのままで畑が作られるだろう
みね  ……なんてむごい
北沢  志田、お前はさらに北の方へ移動することになる。開墾に従事せよとのことだ
ハル  ……檜山さんもそう言っていたのですか?
北沢  ああ、君を守れなくて申し訳ない。だが、命だけは落とすなと言っておられた。
    何も言わず、従ってくれ
ハル  ……いい加減に――
雪子  いい加減にしてください!
ハル・北沢・みね  !!
雪子  あなた方は、自分の大切な人の墓をめちゃくちゃにされても、何とも思わないのですか!
    私は、母の体を踏みつける者がいれば、絶対に許すつもりもありません!
    それに、ハルさんのようなお人を、何とお考えなのですか!
    ハルさんを連れて行くなど許しません! ハルさんは、ここにいないといけないんです!
ハル  八月一日さん、落ち着いてください! 僕は大丈夫ですから――
雪子  ここで譲ってはなりません! 譲ってはならぬのです!
ハル  雪子さん!
雪子  ……
ハル  僕は大丈夫です。大丈夫ですから。あなたの母上のことは、役所に届け出ればきちんと対応してくれるはずです。安心してください
雪子  ですが――
ハル  いいから、僕らのことでそこまでむきになる必要はないんです。
    これ以上関わってしまうと、あなただって危ないんですよ
雪子  ……でも、認めたくありません
ハル  雪子さ……っく、げほっ! けほっ!
みね  ハルさん? ハルさん!

    桜庭入り

北沢  (桜庭を見やり)! 長官……
桜庭  (無言でハルに歩み寄る)
雪子  (間髪入れず、桜庭を通せんぼうする)
桜庭  (雪子に気付くが、何も言わずに払いのける)
桜庭  北沢、なぜここにいる?
北沢  ……あなたこそ
桜庭  俺はお前と違って誰かの使いに来たわけではない。そこをどけ。そいつに話がある
北沢  お断りします
桜庭  お前、自分が一体何をしているのか分かっているのか。今やっているのはれっきとした妨害行為だ
北沢  いいえ、退きません……お言葉ですが、長官は彼らのことを何だとお考えなのですか
桜庭  何って、ただの土人だろ。それ以上もそれ以下もない。だったらお前はそいつらの何を分かっているというんだ?
北沢  それは……
桜庭  答えれないなら、お前に用はない。どけ
北沢  あなたは、彼らの側面しか見ていません!
    彼らは、確かに我々とは違います。文化も言葉も着ている衣服も顔立ちも我々にはなじみのないものばかりです。
    しかし、同じ国に住む以上、彼等も同じ日本人です! 
    役人として、むやみにお上の民を蔑にしてはいけません。例え法律が定めたことだとしても、彼のことは見逃してやってください! この通りです
ハル  北沢さん……
桜庭  言いたいことはそれで全部か?
北沢  ……
桜庭  なるほど。日本人ね。お上がそいつらをそうお考えなら、俺もそう考えよう。
    だがな北沢、この法律は彼等が日本人であるからこそ、我々が実行せねばならない
北沢  ですが、墓を荒らすなど非道徳的なことはできません!
桜庭  例外は認めない!
北沢  ……長官
桜庭  この仕事に着いたら最後、人情など捨て置くべきだぞ、北沢。
    俺を鬼と思うか? ああ、そうだ。人を統べる以上、切り捨てるなんてのは日常茶飯事だ! それができないやつなど務まるものか。未練なんてものを残すやつに、未来はないんだよ。
    この国だってそうだ。今までの常識を捨て、外からなんでもかんでも吸収してきた。そうしないと、国として生きられないからな……!
雪子  だからって、過去を捨ててもいいのですか
桜庭  違う。捨てないとやっていけないだけだ。志田!
ハル  ……
桜庭  お前には明日にでもここを離れてもらう。この土地はすでに我々のものだ
ハル  ぐっ……う!
桜庭  墓であろうが、村であろうが、奪うことに変わりはない。貴様の同胞も今まで従ってきた。例外は許さない
みね  そんな……
雪子  ハルさん……
桜庭  檜山が何を言ったかは知らんが、風邪くらいでくたばってもらっては困る。
    早々に診療所にでも行け。ま、金があるならの話だがな
    
    暗転

    第四場

    桜庭板付き
    深夜まで公務で役所に残る桜庭。薄暗い。

桜庭  また、これか。余計なことをしたせいで
    (資料を投げ出す)
桜庭  ……静かだな
    (時計を見る)

    ガラスの割れる音

桜庭  ……何だ?(上はけ口に寄る)
ハル  (無音で下入り、桜庭に刃物を振り上げる)
桜庭  !!?(寸でのところで腕を掴む)お前……!? 
ハル  ……返せ、返してくれ、僕の……僕の―― !
桜庭  止めろ、おい、誰か来てくれ!
桜庭  (押したり、押し返したり)誰か、誰かいないのか!

    しばらくもみ合いになるが、ふとした瞬間にハルの持っていた刃物で桜庭の体が袈裟懸けに斬られる

桜庭  (倒れこむ)
ハル  (息が上がっていたが、だんだんと正気に戻り、混乱状態に)
ハル  ……! 
雪子  桜庭様、入りますよ?

    雪子入り

雪子  ……?
ハル  ……!
雪子  ハルさん……どうしてこんなところに?
ハル  雪子さん……?
雪子  ハルさん……桜庭様は、桜庭様はどうなさったのですか?
ハル  ……僕は……
雪子  (桜庭を見てのけぞる)そんな……
    桜庭様……桜庭様ぁ! 起きてください、お願い……!
ハル  桜庭、様……? そんな、あなたの約束している人って……
雪子  ……あなたはこの人に何をなさったのです?
ハル  違う! 僕は、返してほしかっただけで、殺しに来たわけじゃない!
雪子  (逃げようとする)
ハル  行くな! ……行かないでくれ
雪子  ……どうして、こんなことに。あなたは、こんなことをするような人ではなかったはずです
ハル  ……
雪子  何か言ってください!
ハル  ……
雪子  ハルさん!
ハル  ……時間がなかったんです
雪子  ?
ハル  僕にはもう、時間が残っていないんです
雪子  どういうことですか?
ハル  僕は遠い昔に父母も兄弟も親戚も病と飢えでなくしました
雪子  ……
ハル  苦しむ彼らをただ見ているしかできず、助けてくれる人もいなくて、何もできない自分に腹が立ったんです……
雪子  ……
ハル  一人になってからは、そんな思いがどんどん膨れ上がっていきました。
    そして、気付きました。生前、僕が彼らにしたことなんて、心配をかけさせたくらいだった。何もしてやれなかったことに、あろうことか、彼らが死んだあとに気付いたんです。だからせめてこの人生を、彼らを弔うことに使おうと考えました。あまりにも遅い親孝行でしたけど
雪子  ……今までずっとそうしてきたんですか?
ハル  褒められたものではありません。
    でも、自分を生んでくれた人の顔に土を被せる瞬間が忘れられなかった。死んでいるのは分かっているのに、いわれのない罪悪感が湧いてきたんです。
    その頃の僕は、それに対する償いとして花を置いていたのかもしれません
    ……でも、もうそれもできなくなってしまった
雪子  移動命令――?
ハル  ……それと、もう一つです
雪子  他にも何かあったんですか?
ハル  肺の病です
雪子  え?
ハル  僕が患っているのは風邪ではありません。労咳(ろうがい)です
雪子  ……そんな
ハル  治る余地はもうありません。安心させるためとはいえ、嘘をついてごめんなさい
雪子  ……いつからだったんですか
ハル  ずっと前からです
雪子  ……
ハル  この体じゃ、もう死んだ家族を守れない。だから、成行きだったけど檜山さんに託しました。同胞のあの人なら、きっと守ってくれると信じた。それなら、僕も安心してここを離れると思いました
雪子  ……!
ハル  でも、それも今日潰えてしまった。
    だから……だから――
    墓を返してほしかった。
    僕が死ぬまで、家族のもとにいたかったんです
雪子  ……
ハル  けほ、げほっ――
雪子  ハルさん!
ハル  来ないでください!
雪子  ……!
    ごめんなさい……
ハル  ……?
雪子  私、何も気づきませんでした。何一つ、あなたが重い病気に罹っているのも、
    どんな思いで墓を管理していたのかも。せめて知っていれば、こんなことにはならなかったはずです
ハル  ……黙っていてごめんなさい。あなたが謝ることは何一つありません。
    悪いのは僕の方です。あなたから、大切な人を奪ってしまった。
    謝ることも許されない……
桜庭  言い分はそれで終わりか?
    (隠し持っていた銃でハルの足を撃つ)
ハル  うっ!?
雪子  きゃあっ!
桜庭  ああ、痛え。(起き上がる)助かったよ雪子、よく引き付けてくれた
ハル  お前、生きていたのか?
桜庭  ああ。しばらく気は失っていたがなあ!
    (ハルの別の足を撃つ)
ハル  !?
雪子  止めてください桜庭様! 彼は何も悪くありません!
桜庭  離せ! お前はどいてろ!
    ……いいか、これは正当防衛だ!
    こいつはついさっき刃物を向け、斬りつけてきやがった。
    こうでもしねえと、こっちがやられるからな、仕方ないんだよ
雪子  ハルさん……!
桜庭  はっ、黙って聞いてりゃ何を言い出すかと思えば、家族のもとで死にたいって?
    笑わせるな。そんなに死にたければ、さっさとくたばればいいものを
    (銃を頭に突きつける)
雪子  止めて! 
桜庭  檜山と言い、お前と言い、和人より下の分際で何を威張りくさっているのだか。
    いいか、貴様らは、この新時代にはいらない人種なんだよ。
    折角の新天地に、なんて野蛮なやつらがいるんだってむかむかしてしかたなかったよ。積もるだけ積もって、消えない雪みたいなもんだ。そんなものは、この楽園にははなから必要ない。生きている限り、奪うことしかできない哀れな土人。そうだろう?
    ここで死んでもらった方が、こっちとしても余計なものが消えて清々する
ハル  ……
雪子  桜庭様、彼は何も悪くありません
桜庭  ……なんだ、こいつを庇う気か?
雪子  ……確かにあなたを襲ったことに非がないとは言えません。でも、この人は一家の主として家を守ろうとしただけなんです。居なくなったとしても家族を守ることのどこがいけないのでしょう?
桜庭  家族だと? あいつらはもうこいつ一人じゃないか。一人になるくらいなら、他のやつらと一緒のところへ送った方がいい
雪子  お止めください! 私は、あなたに人殺しなどして欲しくない!
桜庭  うるさい! これは正当防衛だと言っているだろう!
雪子  ……
桜庭  何にせよ、こいつを排除するのは一緒だ。どうせ、遠地へ行っても労咳でくたばるだろうからな
ハル  ……
桜庭  なるほどね。見たこともない病気っていうのはこいつか。お前らの家族はこいつで死んだってわけだ
ハル  だったらなんだ
桜庭  いいや、まさか自分も同じ病に罹るとは思いもしなかっただろうと考えてな。
    苦しいなら、苦しいって言えばいい。一息で楽にしてやる
    (構え直す)
雪子  桜庭様……
桜庭  ほら、どうした。和人を真似て辞世の句でも言ってみるか?
    最期くらい言葉を残したらどうだ?
ハル  俳句なんて……そんなきれいごとで片づけるつもりはなからありませんよ。
    犬死も覚悟の上でした。
    そうだな……雪子さん
雪子  !
ハル  もう、人のものに成られてしまったあなたですが、今から僕の言うことを、とても残酷な内容だと思いますが、聞き届けてください
    (雪子の方を向く)
ハル  あなたのこと、ずっと好きでした。例え死んでも想いは変わらない。あなたのことは絶対に忘れたりしない。
    だからあなたも、いなくなった僕のことを、少しでいいから思い出してくれますか
雪子  ……!
桜庭  それじゃ、覚悟のほどは?
ハル  ……できるわけないだろ
雪子  いや、いや! 

    銃声
   
    暗転

    終幕

    みね板付き

みね  とうとういっちまったか
    寂しいな。どこ行くのかも聞いちゃいなかったよ
    
    檜山・北沢いり

みね  あれ、この間のと……えーっと
檜山  檜山です。お初にお目にかかります
みね  ああ、あんたがあの。今日は二人そろってどうしたんです?
北沢  ……佐々木さん、実は――
檜山  実はこの家、近日中に取り壊されることになったのです
みね  え、ええ!? そんな、それじゃハルさんが可哀そうよ
檜山  でも、もう誰も住みそうにありませんし、ハル君もそれでいいと言っていたので
    最終的にそう決まりました。それで今日は、彼の持ち物が残っていないか確認を
みね  そ、そうなの。あれ、檜山さんはハルさんがどこにいるか、知っているんですか?
檜山  え?
みね  今、ハルさんがいいって言ったって、何か文でも貰ったのか?
檜山  ま、まあ……はい
みね  本当! じゃあ、どこにいるのかも知っているんだろ? ちょっとどこにいるのかくらい教えてくれる?
檜山  それは……
みね  あの子に送りたいものがあるんだよ。すぐ消えちまったから、持っていかせようと思ってたやつがごろごろしているんだ。好物の馬鈴薯とか、あと風邪を引いていたみたいだから、葛粉も持っていかせようかと思っててね。あ、それじゃおくるには重いか。せめて手紙だけでも届けばいいけど
檜山・北沢  ……
みね  どうしたの?
北沢  なんでもありません。
    申し訳ありませんが、その話は後日改めてさせていただきます
みね  なんだそれ。今じゃだめなの?
北沢  すいません。我々も手一杯なもので
    でも、出発前に彼を見たときは、元気にしてました。
    もし、帰ってこれたら、あなたの手料理が食べたいみたいですよ
檜山・北沢  (はける)
みね  元気にしてるといいなあ


    了



 
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