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moon/月魄
作 伊藤風柳
 



〈登場人物〉
造麿(60)
よう(30)
石作皇子(22)
車持皇子(28)
阿倍右大臣(32)
かぐや姫(15)
忌部の秋田(不詳)
     数名の使者


○忌部の秋田の棲み家である洞窟(一隅)

   水滴の落ちる音が反響する。
   一筋の照明が一隅に射し込む。
   明かりの先、忌部の秋田(年齢性別不詳)が猫背を向けて蹲っている。

秋田「何をしに参られた? 何を期待しておる? おぉお、そうか、余程お暇
   と見受けられる。ヒヒヒ、まぁ、良かろう。(と、振り向いて)今宵は
   月明かりも囁く満月。泡沫のひと時、この忌部の秋田の、実に恐ろしき
   昔話に耳を傾けられよ。……それは人の世の儚さ。故に求められる愛の
   貴さ、美しさ。そして愚かさ。人とは哀れよの… 『いまはむかし、
   たけとりの翁といふものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、よろ
   づのことにつかひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。そ
   の竹の中に……』。その竹の中に、因果が潜んでおった。造麿の翁は、
   竹を取りつつ、欲をかきつつ――」

   一筋の照明が徐々に暗くなって行く。
   満月の映像が舞台上部に映写される。
   舞台全体が徐々に明るくなり、寝殿造風の正殿が浮かび上がる。
   片隅には泉殿があり、他方には竹林の植え込みと岩石がある。
   正殿内には6人の人影――

秋田「――強欲は、人の人たる所以。人が人らしく生きる証よ。だが、あれは
   昔の契りが招いた哀れな欲の顚末記。あのすべては、月の精霊・月魄の
   戯れ事じゃった……」

   秋田は頭を垂れて岩石のようになる。

○造麿の邸宅・正殿

   造麿(60)と妻・よう(30)が廂の間に座り、対峙して顔に痣のある
   石作皇子(22)、車持皇子(28)、阿倍右大臣(32)が座っている。
   かぐや姫(15)は簾で隔てた奥の母屋にいる。

造麿「いやいや、私は特に。人として当然のことをして来たまででございます。
   それが、まさか斯様なことになろうとは」
車持「その当然のことが、到底出来ませぬ。世人等は、得を得られなければ、
   煩わしい面倒を避けるものです。しかしながら、竹取の造麿殿は、その
   天性の仁徳から天涯孤独な姫をお育てになられました」
石作「そして、名も広めました。散吉の造の名は都の外にも轟き、今や竹林の
   里にあるこの屋敷を知らぬ者もおらぬでしょう」
造麿「戸惑っております。ただ竹を取り、ただ竹を編み、風に揺れる笹の葉の
   音に耳を傾けていた穏やかな暮らしが、瞬く間に変わってしまうとは。
   まるで夢物語でございますな」
車持「身分を弁えず、この世に住む宮仕人は、美しい姫の噂を聞き、心を乱す
   有様。竹取の方々も、闇夜に竹薮の中をうろつかれ、竹の枝葉を分けて
   覗かれては、安眠することさえ容易ではなかった筈です」
阿倍「左様に申す車持様も、笹の葉でお手を切られたのではありませぬか?」
車持「私は左様な……」
石作「(微笑む)」
阿倍「石作様は、笹の葉で負った傷口が膿み、悪臭を放ち、そこが未だ癒えぬ
   と伺っておりますが?」
石作「だ、誰が左様な陰口を!? 既に、ほぼ完治して……」
阿倍「良いではありませぬか。私も、傷口を舐めながら笹を圧し折り、枝葉を
   分けた一人です。数多の者が、姫を我が物にしたいと願い、幾多の傷口
   から血を滴らせながら、文を書き、笛を吹き、歌を詠み、切なくも醜い
   争いまで繰り広げて来ました。ご承知のことでございましょう? その
   求婚者も、今では私達三名しか残ってはおりませぬ!」
石作・車持・阿倍「(視線を鋭く交わす)」
造麿「まぁ、そう角突き合わせるようなお言葉は、控えて頂きまして。斯様な
   侘しい拙宅へ、昼夜を問わずお通い頂いた右大臣の阿倍様、車持皇子様、
   石作皇子様には、ようやかぐやも恐縮しておる次第でございます」
よう「ええ、身に余る誉れ。勿体無いことでございます。会うことも声を聞く
   ことさえも叶わぬまま、呪われた姫のことを想い」
造麿「おい! 呪われたなどと」
石作「切り傷の痛みも、苦しい心の痛みも、そもそもは造麿殿が蒔いた種」
車持「左様。目に入れても痛くはないほどの大事とはいえ、人目にもつかぬ様、
   帳の中から一歩も出さずにお育てになるとは。白昼の徘徊も夜這いも、
   姫の美しさを一目でも確かめようとしたまでのことでございました」
阿倍「竹籠と帳の中だけの世。まるで囚われの鳥ですな」
造麿「おやおや、矛先の向きが変わってしまわれましたか。かぐやは、神仏が
   人の姿となって生まれた変化のかぐやは、この年寄りが老いらくの末に
   授かった美しい宝でございます。しかし、竹取しか知らぬため、折角の
   子宝をどのように育てて良いものやら、その術を知りませぬ。お恥ずか
   しいばかりでございますが、幾多の節目の齢を重ねて来たものの、竹筒
   のように中身がないもので」
阿倍「その竹も、近頃は取らぬようですな」
石作「中身のない竹筒に、輝くほどに美しい黄金を入れる術を得たと?」
造麿「いやいや。あれも恐らくは、かぐやの身を案ずる変化の方々からの施し
   物なのでございましょう」
車持「黄金の輝きは、昼尚暗い竹薮も明るくしてくれるもの。しかしながら、
   黄金が、幾度となく同じ竹の枝に吊り下げられるとは面妖、摩訶不思議
   でございます。変化の方々が施して下さった物か、心を乱した男からの
   貢物か。それとも、姫と関わりのある他の何者かの所業か――」
造麿「何れにせよ、夢うつつの日々でございます。吉夢なのか、悪夢なのかも
   分からず、夢ならば、このまま覚めずにいてほしいと願うばかり。名も
   なき翁が、この世に知られ、名も知らぬ方々から黄金を施されるなど、
   夢物語でなく何でございましょうか?」
阿倍「しかも、美しい姫をただ一人で愛でる楽しみもある。確か、赤子の姫を
   見つけられたのも、竹薮の中でしたな?」
造麿「私が耳にした人伝の話によりますと、この翁が、竹薮で根元の光り輝く
   竹を見つけ、その竹筒の中に赤子のかぐやが居たと」
石作「名を広めた挿話の一つ」
車持「黄金物語の始めの章でございますな。事実とは異なると?」
よう「そのように黄金の輝きを放ち、赤子が入るほどの太い竹が何処にありま
   しょう? かぐやが連れて来られた時は、他の人の子と少しも変わらぬ
   大きさでした」
造麿「変化の方とはいえ、身の丈三寸、この指と同じほどの大きさでは何にも
   なりますまい。かぐやは、深い竹薮の中でただただ泣いておりました。
   真っ赤な顔をして……」
車持「捨てられていたのですか?」
造麿「わずか、いや、既に三年も前のことでございます」
よう「まさか、斯様な大事になろうとは、ゆめゆめ……」
造麿「わずかな歳月で髪上げの祝いをするまでに成長すると、信じ難い予言を
   受けながらも、何かの縁、使命なのだと思っておりました。変化の方を
   人並みの大きさにまで養い申し上げた私の気持ちは、一通りではありま
   せぬ。それにも関わらず……かぐやよ、この翁の願いを、そろそろ聞き
   入れてはもらえぬか?」
かぐや「私に、おっしゃることを断る所以がございましょうか? 我が身を、
    人の姿を借りた天上界の者とおっしゃいますが、私は親であると強く
    思い続けております」
造麿「嬉しいことを。その親である私は齢を重ね、命のほどは今日か明日かも
   知れぬ。この世の人は、男が女と、女が男と結婚をするもの。かぐやは、
   何故結婚しようとは思わぬ?」
車持「左様。人に育てられた子、老いた親のことを思えば尚のことでございま
   しょう」
かぐや「分かりませぬ。人は、何故に結婚をせねばならぬのでしょうか?」
造麿「何故と?」
かぐや「男は女と、女は男と、何故結婚などするのでしょう?」
造麿「それは…… 欲するからだ。男も女も、相手を欲するからであろうぞ。
   体が、心が欲するのだ! それが、人の人たる所以である!!」
かぐや「つまり、獣のごとく、カラダのことですか?」
造麿「い、いや……」
阿倍「――姫は、女の身ではないか」
石作「この先、造麿殿が亡くなられた後は、女の身で如何なさいます?」
車持「女の一人身で、何が出来ようか?」
造麿「さ、左様でございます! 私もそう言いたかったのです。いや、流石は
   当代に知られた方々! 私は、このかぐやの行く末が、気懸かりでなり
   ませぬ。かぐやよ、長い間通われておられる御三方の中からお一人を、
   結婚のお相手として――」
かぐや「分かりませぬ。父上の老親としてのお心遣いは分かりますが、私には
    御三方のご愛情の深さが分かりませぬ。それを確かめもせずに結婚し、
    その御方が後に浮気心を抱かれたなら、必ずや後悔をすることになる
    でしょう。この上なく素晴らしい御方でも、愛情の深さを確かめない
    ままでは、結婚をし辛いと思っております」
造麿「戯けたこと――」
車持「お考えも然り」
造麿「!? な、成程の。それは、私も思っておった。だが、どのような愛情を
   お持ちの方なら、結婚が良いと申すのだ? こちらの御三方は、何れも
   並大抵ではない深いご愛情をお持ちのようであるぞ」
かぐや「私の身で、如何ほどの深い愛情を見せてほしいなどと申せましょう。
    ほんの少しのことなのです。ほんのわずかな証を…… 人が人らしく
    生きる証の、哀れ……」
造麿「何と?」
かぐや「私は、私が見たいと願う稀な品物を目の前で見せて下さった御方に、
    ご愛情が勝っているとしてお仕え致したく思います」

   秋田に射す一筋の照明だけを残し、舞台全体は徐々に暗くなって行く。

造麿「何を呆れたこと――」
石作「その品物とは?」
かぐや「後日、改めてお伝え致します」
造麿「かぐや、身の程――」
石作・車持・阿倍「結構だ!」
造麿「は、はぁ!?」
秋田「……これが、あの醜女、いや、才女の紫式部が『源氏物語』にも記し、
   後の世に語り継がれておる美しき昔話の『竹取物語』――」

   秋田だけが照明に浮かび上がる。

○忌部の秋田の棲み家である洞窟(一隅)

   水滴の落ちる音が反響する。

秋田「(頭を上げて)広く知られている話と、所々、異なる箇所があったやも
   しれぬな。だが、今は昔の話じゃ。何が実で何が虚か、知る者は一人も
   おらぬ。真偽は誰にも分からぬであろう? 真相は藪の中。そう、深い
   深い竹薮の中―― そもそも三年前、造麿が欲をかかなければ、斯様な
   ことにはならなかった。いや、月に付きまとわれ、憑かれるとまでは、
   この秋田も先が読めぬかったの。三年前のあの時には――」

   秋田は再び猫背を向けて蹲る。
   暗転。

○同(三年前)

   水滴の落ちる音と共に、蝙蝠の羽音や鳴き声が聞こえる。

造麿の声「おられますか? 秋田様は。忌部氏の長老であられる秋田様はおり
     ますかな?」

   持つ松明の灯りが、白布を抱えた造麿の姿を浮かび上がらせる。

造麿「よく見えぬ。人里離れた気味の悪い洞窟で暮らしておるとは、物好きな」

   足元に、猫背を向けて蹲る秋田がいる。

造麿「(秋田に気付かずに)暗がりと湿り気が長寿の所以か? 奇怪な妙薬も
   扱うと聞くが、あそこまで生き延びるのもまた、気味の悪いことよの、
   ヘヘヘ。秋田様、長老の秋田様はおられますか?」
秋田「主もじゃ」
造麿「ヒッ! こ、ここにおられましたか」
秋田「翁の主に、長老とは呼ばれとおない」
造麿「いや、聞こえておられたのなら、お声を掛けて下されば」
秋田「赤子を連れて、何用じゃ?」
造麿「! おぉ、お分かりになりますか?」
秋田「乳と血の匂いがする。だが、主の妻・ようが孕んだ話など、聞いておら
   ぬぞ。それとも、また年甲斐もなく――」
造麿「いやいや、この子は拾いました。竹薮の中で泣いておりました故、拾い
   ました」
秋田「主が? 赤子が泣こうが喚こうが、その母である女に手を付け、次から
   次へと容赦なく捨てて来た主がか?」
造麿「いけませぬか?」
秋田「――それで、何用じゃ?」
造麿「朝廷の祭礼も司る秋田様に、是非名を付けて頂きたく、参上しました。
   ご覧下さいませ! この赤子、乳飲み子でありながら気品があり、既に
   色香も漂っております。必ずや輝くばかりに美しくなりましょうぞ」
秋田「血が、付いておるな。衣にも顔にも。血塗られた真っ赤な顔じゃ」
造麿「こ、これは、不覚にも、竹取の最中、手を切ってしまいまして……」
秋田「主が? この赤子とも然程変わらぬ歳から薮の中で竹を取り、身の丈が
   及ばぬ竹も器用に切って来た主がか?」
造麿「いけま、せぬか?」
秋田「――まぁ、良かろう。そうよの、名は、しなやかな竹の中で光が揺れて
   輝よう様。光り輝くほどの美しさ故『なよ竹のかぐや姫』とするが良い」
造麿「それは何とも見事な!」
秋田「但し、この赤子、人の世に生まれし変化の者じゃ。いや、呪われておる
   かの? わずか三年で、髪上げをする一人前の大きさにまで育つぞ」
造麿「まさか、左様な」
秋田「それだけではない! その美しさは月明かりを浴び――(と、離れる)」
造麿「月明かりが、何でございますか?」
秋田「――竹取の造麿、主に予言を三つ与える。それを生かすも殺すも主次第。
   心して聞くが良いぞ。一つ、『月の弓が天に矢を放つ時、その弦は地に
   呪いを散らす』。二つ、『月の剣が輝く時、尽きぬ女の刃は研がれる』。
   三つ、『月の鏡が割れる時、主の付きも曇り砕ける』!」
造麿「何と? どういうことでございましょう? 私には皆目――」
秋田「皆目、主等には分からぬことよ。だが、人の人たる所以、人が人らしく
   生きる証は、哀れな所業を繰り返すものじゃ。すべては、月の神である
   月夜霊が昔の契りに涙を流し、その雫として落ちた月魄の戯れ事じゃ」
造麿「はぁ……?」

   秋田は再び猫背を向ける。
   暗転。

○造麿の邸宅・正殿

   正殿から離れた泉殿のような格子のある空間。
   阿倍とようが開けた着物を整えている。

阿倍「あの時からまだ三年。三年の歳月しか経っておらぬか。変化など、信じ
   難いことであったが、月日のお前の話を聞くと、それも疑う余地のない
   ことであるな」
よう「竹藪に捨てられていた子であった故か、身の丈は筍のように伸び、体は
   青竹のように若々しく、匂いも芳しく」
阿倍「左様か(と、微笑む)」
よう「おや、笑いましたね。私の話や体に、お口許を緩めることなどないのに、
   顔さえも見たことのないかぐやの体を思い、笑いましたね」
阿倍「何を申す。子の育ちの早さを、逞しく、微笑ましく思っただけの――」
よう「いいえ、今のお口許の変わり様は、かぐやを一人の女として――」
阿倍「止さぬか。二人の皇子と同様、私も求婚してはおるが、あの姫は――」
よう「子かもしれませぬ。私と、阿倍様の」
阿倍「……左様。密通の末にお前が密かに産んだ子かもしれぬ。しかし――」
よう「ええ、私が産んだ子は変化ではございませぬ。他の子と少しも変わらぬ
   女の子でした」
阿倍「命を授かった後、変化へと変身するものか否かは分からぬが、三年前に
   預けた赤子がいなくなり、同じ頃に造麿が赤子を拾って来たのも事実。
   姫が、お前の産んだ子かもしれぬという疑いは晴れぬままだ」
よう「乳母はあの子を白い布に包み、何処へ行こうとしたのでしょうか?」
阿倍「情が移ったか、不憫に思ったのかは知らぬが、勝手に連れ出しおって」
よう「所詮は行く末の見えぬ日陰の子でしたが、居なくなれば気になるもの。
   阿倍様が、お認めにならなかったばかりに、可哀想なことをしてしまい
   ました」
阿倍「また可笑しなことを。お前は造麿の妻。あの子は、実は爺の子かもしれ
   ぬではないか」
よう「それはありませぬ。わずかな黄金で、私を娶ったあの男は……」

   ようは立ち上がり帯を締め始める。

よう「嫁いでから今日まで、一夜たりも枕を共にしたことなどございませぬ。
   あの男は、笑みを浮かべて愛でるのみでございます」
阿倍「これは笑止。触れようともせぬと?」
よう「それが好みなのです。我が物にしたいという欲にかられるものの、満た
   されれば愛でるのみ。何もせずに黄金を得るようになった三年前からは、
   更にその欲にかられ、私の帯を解くことなどなくなりました」
阿倍「勿体無い愚かなことを」

   阿倍は立ち上がり、ようの胸元に手を忍び込ませる。

阿倍「お前の産んだ子かもしれぬという思いから、養いの糧にと、幾度となく
   竹の枝に黄金を吊るしたが、それがまた、お前を苦しめたとは」
よう「いいえ、苦しいのは今でございます。私は阿倍様の本意が分かりませぬ。
   我が子かもしれぬかぐやとの結婚を望まれるのは、何故でございます?
   私の想いを知りながら苦しめるのは、何故でございますか!? 呪われた
   姫などとも――」
阿倍「何を恐れておるのだ。すべては、よう、お前を想えばこそではないか。
   姫と結婚をすれば、人目を気にせずにお前と会える。お前をただ愛でる
   だけではなく、日々昼夜、このように寵愛することも出来るのだ」
よう「……阿倍様」

   阿倍とようは格子の陰に倒れ込む。
   他方、正殿から離れた竹林と岩石がある一隅。
   石作が登場し、岩石に腰掛ける。

車持の声「石作様。今頃ですかな?」

   車持が登場。

石作「! く、車持様は、既に?」
車持「明けても暮れても、今の私には姫しかおりませぬ故。いつ何時か、姫の
   お心持ちが変わり、お目にかかれるやもしれませぬ。そう思いますると、
   悠長に庭の岩石などに座っておられましょうか?」
石作「!(立ち上がり)お、おっしゃることも然り。私も、そのように思いを
   巡らせ、姫がお目覚めになるであろうこの刻に参りました。早々に参じ
   ても、流石に寝ていては、お心持ちは変わらぬでしょう?」
車持「! 分かりませぬぞ。変化の姫でございますからな」
石作「! それも、然り……」

   石作は動揺して歩き始める。

車持「石作様、『先んずれば人を制し、後るればすなわち人の制するところと
   なる』という言葉がございます。人より先に――」
石作「既に、例の品物の件を?」
車持「備えております。姫のご要望に応じ、世に知られる珍しき草花や生き物、
   人の手による美しき品物の数々を取り寄せる手立てを、あの日の内には
   済ませました。品物の件、やはり気になりますかな?」
石作「(苦笑して)気にして何になりますか? 求める品物が何かも分からぬ
   のに、それをあれやこれやと気にするほど愚かなことはないでしょう。
   人より先の手立てを講じた心遣いも費やした時も、一切無駄になるやも
   しれませぬ。車持様なら、既に、その際の備えもございましょうか?」
車持「(苦笑して)成程、見通しの利く石作様らしいお考えですな。無駄骨は
   折らぬと」
石作「先人の言葉のまま人より先に、妙な謀をされては困るだけのことです」
車持「後れを取り、動かぬ岩石に根を生やすよりは良いかと存じますが」
石作「もしや他にも何か?」
車持「品物の話は、三人が次回に会する時になさるとのこと。まぁ、帳の中で
   育てられた姫故、見たい品物も高が知れておるでしょう。――石作様、
   長く腰掛けておられたからか、コケが付いておりますぞ」

   石作は衣類の尻の部分を確かめる。
   車持が退場。

石作「!(顔の痣を手で覆って)コケと!」

   石作が退場。
   他方、正殿の簾の下がっている母屋。
   昼の月の映像が舞台上部に映写される。
   かぐやが簾の奥に登場。

かぐや「人の愛情の深さ、真情の確かさを、如何に知ることが出来ましょう?
    人の心は遷り変わるもの。月の満ち欠けと同様、膨よかな時も、痩せ
    細る時もあり、真昼の月のように、儚く危うい時も……」

   かぐやは廂の間へ出る。

かぐや「月の顔を見ることは不吉なことと申しますが、それは、人の心を映す
    からなのでしょう。――あの夜、赤く染まった月明かりを再び浴びる
    まで、私は、行き場のない黄泉の中で一途に願い続けておりました。
    あの忌まわしき契りの夜も、同じ赤い満月が…… 奴等は哀れな欲を
    満たすために我を! ――ようやく、ようやくこの時が訪れました。
    私の望みを、願いを叶える月明かりです!」

   かぐやが退場。
   他方、廂の間の一隅。
   造麿と車持が登場。

造麿「ええ、幾度となく思いました。特に、宮仕の方々が噂を頼りに参られる
   ようになってからは尚更でございます。かぐやが、親の願いを聞き入れ
   てくれる真の我が子であればと、幾度も幾度も」
車持「私達より貴い身分の御方も参られたと伺っております。我が子ならば、
   その御方との縁組も叶ったことでしょうが、真の我が子ではないという
   もどかしさは、養っても甲斐がないものでございますな」
造麿「ええええ、幾度も思いました。誰に似たのか、誰かを真似ておるのか、
   かぐやが先頃のあのように頑なに断り続ける故、事が一向に進みませぬ。
   犬畜生でも、憐れみをかければワンと鳴きましょうぞ。しかしながら、
   それもこれも、今しばらくの辛抱でございます」
車持「――造麿殿は、何がお望みですか?」
造麿「と、申されますと?」
車持「いや、造麿殿の仁徳は充分に承知しております。我が子ではなくとも、
   お育てになられた姫の行く末を、幸せを、ただただ一途にお思いなので
   ございましょう。しかし、然すれば尚更のこと、その仁徳にも相応しき
   褒美を得て良いかと」
造麿「私は左様な――(と、微笑む)」
車持「何と、何も望まれぬと!? いやはや、恐れ入りました。姫のために竹の
   枝に吊るされた黄金を蓄え、姫のために竹取の労で立派なお屋敷も建て
   られたというものの、育ての親の造麿殿は褒美を望まぬとは」
造麿「い、いや、そ、その、私のような老いぼれが、望みなどと人並みの夢を
   抱きましても、先がございませぬ故。この歳になりますと、左様な俗世
   の欲というものにも無縁になり。ただ、願わくは――」
車持「流石は世に知られた竹取の造麿殿! 悟りの境地でございますな?」
造麿「あ、い、いや、く、車持様」
車持「誠にお恥ずかしいばかりでございます。俗世の欲、望みを抱かぬとは、
   何と貴いお考えでありましょうか。私も年老い、行く末が幾許もないと
   覚悟を決めた際には、是非ともその境地になりたいものでございます」
造麿「いや、車持様」
車持「しかし、それはあまりにもお寂しいでございましょう?(と、微笑む)」
造麿「い、如何にも!」
車持「何一つ望まぬまま、姫を嫁がせた後、天寿を全うするのみでは」
造麿「おっしゃる通りでございます!」
車持「では、造麿殿、望みを抱かれては? いやいや、決して無理強いは致し
   ませぬ。悟りの造麿殿の足元にも及ばぬこの未熟な車持が、身勝手にも
   お勧めしているだけのことでございます」
造麿「恐れ入ります!」
車持「さて。――造麿殿の望みは何か?」

   暗転。

○忌部の秋田の棲み家である洞窟

   仄暗い中、水滴の落ちる音が反響する。
   微かな照明が、辺りを窺う石作に射す。

秋田の声「久し振りじゃの、石作皇子」

   秋田が登場。

石作「忌部の秋田様でございますか?」
秋田「忘れおったか?」
石作「い、いいえ。初めてお目にかかるかと思いますが?」
秋田「その顔の痣、ワシが食い止めたものじゃ。不吉な赤い陰が、月日と共に
   広がって行くと、お主の親に泣き付かれ、それを封じた。尤も、皇子は
   まだ三つだったがな」
石作「左様でございましたか……」
秋田「変わっておらぬの」
石作「はぁ、痣は大きくなることも――」
秋田「業(わざ)の方じゃ。仕業や行為、生来からの所業は、今も変わらぬ」
石作「業でございますか……」
秋田「造麿の処のかぐや姫に、求婚しておるそうじゃの?」
石作「笑い話でございましょうか?」
秋田「痣の皇子と変化の姫か。摩訶不思議な組み合わせよ、ヒヒヒ。今日は、
   何用じゃ? 容姿故か、何事にも執着することなく、望みさえも抱かぬ
   筈の見通しの利く皇子が、辺境の地まで出向き、何用じゃ?」
石作「その望みを、抱きたくなったのです。人並みに、欲をかきたくなったの
   です」
秋田「何を血迷うておる。生来からの所業、業に合わぬことは――」
石作「業? それも、人の力で変えることが出来るのでしょう? そのことを
   教えて下さったのも、貴方です!」
秋田「ワシが何を教え――」
石作「何故だッ!? この痣の広がりを食い止めることが出来たのなら、一層の
   こと、何故消そうとはしなかった!?」
秋田「!」
石作「貴方の力なら、容易だった筈!」
秋田「それは……」
石作「フフフ、分かりますよ、そのお考えは。いいえ、悪ふざけでしたか? 
   あの壬申の年の夏に起きた乱から有余年。退屈な歳月が長々と続く安穏
   としたこの世に、悦びがございましょうか。秋田様は、楽しみたかった
   のです。皇子という貴い身分でありながら醜い顔を持つ男が、如何様に
   足掻きながら生きて行くのか。その様を、喜々として楽しみたかったの
   でございましょう」
秋田「……ヒヒヒ、見通しの利く皇子じゃ。その長年の恨みから、ワシの命を
   奪いに来たのか? それとも代わりに黄金を求めるか?」
石作「秋田様の命など、幾許もありますまい。黄金などは、秋田様が望まれる
   だけの量を、私の方から差し上げます。――作って頂きたいのですよ。
   忌部の秋田様にしか作れない物を、秋田様のお力ならではの業の物を、
   作って頂く! 御入用になられるであろう材料は、既に持参致しました」

   秋田に射す一筋の照明だけを残し、舞台全体は徐々に暗くなって行く。

秋田「楽しみたいと?」
石作「ほんの一滴。露ほどの業の一滴で結構でございます(と、微笑む)」

   石作が退場。

秋田「……人の世は、儚い。故に、愛の貴さ、美しさを求めるが、愚かかな、
   人とは哀れじゃ…… 三年前のあの夜、赤子に付いていた血は若い女の
   もの。しかも、憎しみと怨みが混ざっておった。恐らく、造麿が竹薮の
   中で赤子を抱いた若い女と出くわし、いつもの欲にかられたのじゃな。
   迷う女を狙い、逃げる女を追い、泣き叫ぶ女を笑い――造麿に人の命を
   奪えるほどの肝はない。月明かりの下、女は竹の根に足を取られ、竹の
   切り口の上に倒れてしまったのであろう。鋭い竹が体を貫き、血飛沫が
   噴き上がった! 血の匂いからして、女は赤子の母ではない。しかし、
   その怨念は赤子の顔に降りかかり、昔の契りをも呼び覚ました。赤子の
   姫が見た満月は、血に染まりさぞ赤かったであろう……落ちた月の涙が
   …… 哀れな欲を満たした報いじゃ」

   秋田は頭を垂れ、猫背を向けて片隅で岩石のように蹲る。

○造麿の邸宅・正殿(夜)

   下弦の月の映像が舞台上部に映写される。
   造麿に対峙して、石作、車持、阿倍が廂の間に座っている。
   秋田が岩石のように片隅で蹲っている。

造麿「左様で、ございますな。か、斯様に、竹に囲まれて長々と暮らしており
   ます故、都の華やかさは皆目分かりませぬ。しかし、ご存知でございま
   しょうか? その竹も、稀に花を咲かせるのです。ええ、竹の花。稲の
   穂に似た黄とも緑ともつかぬ色でして、今宵のような月夜は――」
阿倍「小さな花が月明かりの中で――」
石作「美しく、枯れるのも早いため――」
車持「儚く、尚のこと輝いて見える」
阿倍「花の命は、美しさ故短いのでしょうな。斯様に竹に囲まれて長々と……
   長々と同じ話を幾度繰り返される? 造麿殿」
造麿「い、いや、誠に、申し訳なく……」
石作「私達三名がこの場に会した頃は、陽もまだ西へ傾いたばかりでした」
阿倍「もしや、姫をお隠しになられたのではありますまいな? 先程からは、
   奥方の姿も見えませぬが?」
造麿「何を申されます。隠すなど、左様なことは決してございませぬ」
石作「月にかかる雲。雲隠れではないと?」
造麿「隠す場や期がありましょうか。使者の方々が、拙宅を昼となく夜となく
   見回っておられるのです」
阿倍「月夜に付き添わせて、隙を見て――」
造麿「お許し下さい。隠して如何様になります? 私は、一日も早く結婚をと
   望んでおるのですぞ。隙を見て雲隠れなど、思いも致しませぬ」
阿倍「しかし、今更ながら、竹の花のように美しい姫を手放してしまうことが
   惜しくなったとも」
石作「今更ながら、より高貴な御方との良縁を望まれるようになったとも考え
   られます」
造麿「左様な……ようは何をしておる!?」
車持「御二方、そのお考えも否かと。もしや、心変わりしたのなら、当の造麿
   殿もこの場にはおりますまい。今まで築き上げた誉れや財など、すべて
   失うばかりではなく、お命さえも危うくなるのですから」
造麿「左様でございます! 老い先短いとは言え、自ら命を縮めようとは」
車持「この時を迎えるまで、幾歳月も費やしたではありませぬか。今更ながら、
   慌てて如何になりましょうや」
阿倍「車持様は、御心にゆとりがございますな。首尾よく、何かしらの策でも
   講じておられるような」
車持「また邪なことを」
石作「その邪なことを、さも然りと謀るのが、車持様ではございませぬか?」
車持「私は、姫のお心持ちを大事に考えておるだけのこと。今宵はお顔を見せ
   ようと思い、紅を差しているやもしれませぬぞ。それも、女の心持ちで
   ございましょう?」

   ようが登場。

造麿「おぉ、何をしておる! 御三方共、今か今かとお待ちだぞ。かぐやは?
   よう、かぐやは如何した?」
よう「泉殿で月を見ておりました。ただぼんやりと今宵の下弦の月を」
造麿「月と? また戯けたことを! 今宵は月見などよりも貢が大事! 貢の
   件の後に、月見も貢の話を種に尚更楽しめるというものだ!!」
車持「……造麿殿、左様に貢、貢と……」
造麿「あ、い、いや、この上、お待たせしては、誠に申し訳なく……」
よう「すぐに参ります。声を掛けたところ、月見を止めました故」
造麿「ならば、何故一緒に参らぬ!」
よう「左様に申されましても、あの子が支度の世話は要らぬと――」
造麿「黙らぬか! 御三方が、何故お越しになられているのかは分かっておる
   であろう! かぐやとの結婚をお望みになられるからこそ、あの呆れた
   望みもお聞き頂けるのだ! それが、お前が先にとは!?」
よう「私もあの子を養い――」
造麿「よう、お前など、如何様でも良い!」

   かぐやが簾で隔てた奥の母屋に登場。

よう「私は……」
阿倍「造麿殿、姫が参られたようだ」
かぐや「お待たせ致しました」
造麿「おぉ、かぐやよ、いつまでお待たせしておる。既に夜も更けておるぞ」
かぐや「申し訳ございませぬ。月が、あまりにも寂しそうでした故、つい」
造麿「月見よりも今宵は――」
車持「良いではありませぬか。変化の姫なら、月を恋しくお思いになることも
   ございましょう。弓の形をした下弦の月は、物悲しさを感じさせるもの」
かぐや「ありがとうございます、車持様」
石作「姫! 早々ではございますが、先頃の品物の話を」
阿倍「左様。私達は月見に来たのではなく、姫がご覧になりたいと申す品物が
   何であるかを伺うため、参上したのですからな」
かぐや「はい、私の方からお願い申し上げたことでございます」
石作「さて、何をご覧になりたいと?」
かぐや「お話した通り、私が見たいと願う稀な品物を目の前で見せて下さった
    御方に、ご愛情が勝っているとしてお仕え致したく思います。しかし
    ながら、ただ一つの品物では、御三方が争われることになってしまう
    でしょう。それ故、御三方各々に異なる品物を見せて頂きたく――」
造麿「ま、また欲張りな――」
阿倍「結構! 続けられよ」
造麿「結構で?(と、微笑む)」
かぐや「最初に、石作様」
石作「何をご覧になりたいのでしょう?」
かぐや「石作様には、天竺にあると言われる『仏の御石の鉢』という品物を、
    お願い致したく思います」
造麿「天竺?」
石作「如何なる品物でございましょうか?」
かぐや「四天王が釈迦仏に奉った石の鉢。露ほど紺青に光り、利益を成すと」
石作「左様な鉢が」
阿倍「石作様が石で作られた鉢とは、また戯れ事のような」
車持「ホホホ、古の品物故、コケ生しているやもしれませぬ」
石作「車持様、それは私に対する――」
かぐや「車持様には、『蓬莱の玉の枝』を」
造麿「蓬莱とは何だ?」
車持「渤海の東にあると言われている五つの山の一つですな」
かぐや「そこに、根が銀、茎が金、実が白玉の木が立っております。その枝を
    一枝」
車持「成程。光り輝く姫に相応しき、美しき飾りの品物となることでしょう」
石作「偶さかにも謀らず、玉に瑕のなきよう願いたいものでございます」
阿倍「飾りは際立たせるための品。女は美し過ぎる飾りを好みませぬ。それが
   真の女の心持ちでございますぞ」
車持「阿倍様、それは私も承知の――」
かぐや「最後に、阿倍様には、『唐土にある火鼠の皮衣』を、お願い致したく
    思います」
造麿「唐土と!?」
かぐや「火鼠の毛を取り、それを織った布で、火に燃えないとのこと」
阿倍「頃合の良い。私には、唐土船の王けいと申す親しき人物がおります」
車持「鼠とは。夜な夜な女を寝ず見しておる阿倍様に相応しき品物」
石作「いや、昼も鼠鳴きしておるとも」
阿倍「御二方、それは私のことを――」
造麿「し、暫し、暫しお待ち下され! 天竺、蓬莱、唐土など! かぐやよ、
   何を申しておる!? 何れもこの国ではなく、何れも手に入れることが
   難しい品物ばかりではないか!」
かぐや「難しいことがありましょうか?」
造麿「御三方共に、手に入れることが叶わぬ時は、如何様に――」
かぐや「その時は……私へのご愛情もないのでしょう(と、微笑む)」
造麿「愚かな! 宮仕の方々がお求めになられた好機に浮かれ、呆れた望みを
   抱いた末、無理難題な戯れ言を申すとは! 結婚を諦めさせようとする
   その悪知恵は変化故か!? 何者かの入れ知恵か!? よう、何故だ!」
よう「私は、何も――」
かぐや「母上のお考えではございませぬ」
造麿「竹藪のかぐやが、何故、異国の珍しき品物を知っておる!?」
よう「私も、今初めて聞いた国や品物で――」
造麿「嘘を申せ! かぐやが知る術などないではないか!」
よう「左様に申されましても……」
かぐや「数多の書を読み、私が思いを巡らせただけのことでございます」
造麿「書と? その書を読ませたのが、ようであろう!?」
よう「いいえ、私は――」
かぐや「父上!」
造麿「(ように)呪われた女は、お前ではないのか?」
よう「!」
かぐや「父上……」

   秋田に射す照明だけを残し、舞台全体は徐々に暗くなって行く。

阿倍「この際は、素直に『付近を歩くことは罷りならぬ』と、宣告を下された
   方が楽なのでしょうな」
造麿「ま、誠に申し訳ございませぬ!」
石作「如何にも。世に二つとない優れた品物ならば、手に入れることは必死」
車持「更に、蔵の財も多くを費やさねばなりますまい」
造麿「愚かな呆れた望みでございます」
阿倍「が、しかし――」
石作「姫と結婚をせずには、この世で生きていられそうにもありませぬ」
造麿「申し訳……」
車持「如何にも。異国の珍しき品物を持参せよ。それが姫のお望みであるなら、
   やはり、手に入れてお見せ致しましょう!」
造麿「は!?」
石作「それで姫への愛情の深さがお分かりになるのなら!」
阿倍「それを姫への愛情の証として!」
よう「安倍様……」
造麿「な、何と!? け、結構でございますか!」
秋田「――一つ、『月の弓が天に矢を放つ時、その弦は地に呪いを散らす』。
   月が弓の形となった下弦の月の夜、あの変化の姫は、やはり地に呪いを
   撒き散らした――」

   一筋の照明が秋田を浮かび上がらせる。

秋田「(頭を上げ振り向いて)造麿の愚か者メ! ワシが与えた予言を無駄に
   して―― 欲は盲目、欲は闇。強欲は、人の人たる所以、人が人らしく
   生きる証じゃが、欲をかき過ぎると、よくよく恥もかくものじゃ。心当
   たりがあるであろう? それを知りながらも、人は欲の光を追い求め、
   闇へ迷い込む……」

   秋田は再び猫背を向ける。
   暗転。

○忌部の秋田の棲み家である洞窟(一隅)

   仄暗い中、水滴の落ちる音が反響する。
   微かな照明が、石作と猫背を向けて蹲る秋田に射す。

石作「斯様に迷われることはありませぬ。業の物を一滴。他愛ない戯れ事です」
秋田「ワシを何処ぞやの術者と思い違いをしておるのではないか? 人の道に
   背く仕業をするとは愚かなことじゃ」
石作「人の道に背く所業は、秋田様が楽しみとなさる業では? 痣ではなく、
   業でございましょう?」
秋田「欲に目が眩めば、性分の見通しも利かぬか。哀れな」
石作「哀れ? 誉れでございますよ。その一滴で、私は広く名を轟かす誉れを
   得て、秋田様は摩訶不思議な縁組を結んだ誉れを楽しむことが出来ます」
秋田「(振り向いて)その善からぬ方に利く見通しは、いつからじゃ?」
石作「恐らく、三つの時に祈祷して頂いたお陰でしょう」
秋田「……哀れな所業を繰り返すとは、ワシも未だ愚か者に過ぎぬのか…… 
   初めて作る代物故、その効き目の程は分からぬ。どの程度で効き始める
   のか、どの程度まで効き続けるのか、どの程度の害があるのか。一滴で
   人の心を惑わす惚れ薬など」
石作「そもそも、惚れるという心持ちさえ、一時の惑わしではありませぬか。
   一滴の惚れ薬によって心を惑わされ、一時でも私を愛せば良いのです。
   あの姫が、私を愛せば」
秋田「偽りでも、呪われた変化の姫に愛されたいかの?」
石作「人は、結婚した相手を通して、その惚れられた者の誉れを称えるのです。
   『姫が愛した男ならば、必ずや優れた人物であろう』と。人の左様な心
   持ちの方が、実に愚かで哀れでございましょう。惑わし、世に知られる
   姫を我が物にした私は、その誉れを決して離しませぬ!」
秋田「(立ち上がって)皇子の顔の痣が、蛇の鱗のようにも見えて来たわ」
石作「何処ヘ?」
秋田「その蜷局に巻かれて絞め殺される前に、厠じゃ」

   秋田が退場。
   照明が石作だけを浮かび上がらせる。

石作「蛇の鱗……一層のこと蛇ならば、皮を脱ぎ捨て、新たな肌になることも
   出来た。変わらぬこの顔で何が出来る? 恨めしいこの顔で何が求めら
   れる!? 私は人だ! 魑魅魍魎などではない!! ――ハハハ、斯様に
   惨めな日々も、後わずかだ。数多の宮仕人の求めを断った美しき姫が、
   数多の者達に蔑まされた醜き皇子に惚れる。そう、惚れるのだ! 姫を
   我が妻とすれば、誰もが羨み、誰もが認めざるを得ない誉れを手にする
   ことが出来る! それこそ、すべての者が欲した至高の誉れだ! この
   世の誉れは私に! 私の名は轟くぞ! ハハハ、不吉な痣を忌み嫌った
   者達よ、思い知るが良い! 姫が惚れた私の前に、平伏せ!! ハハハ」

   石作が笑いながら退場。
   舞台全体が徐々に明るくなって行く。

○造麿の邸宅・正殿

   正殿から離れた泉殿のような格子のある空間。
   阿倍とようが身なりを整えている。

よう「斯様に忍び合いながら肌を重ね、幾歳月が流れましたでしょうか?」
阿倍「お前を見初めたのは、麓を流れる小川であった。畑からの帰りらしく、
   体中泥に塗れておったな。その泥を洗い流そうと、両の足を露にし――」
よう「私、初めて見ました。阿倍様のあの眼。『愛情の証』とおっしゃって、
   あの子を見詰めた、あの眼差し」
阿倍「下らぬ。あの場に居ては仕方あるまい。二人の皇子が何を画策しておる
   のかさえも分からぬ故」
よう「それでは、ご愛情は、私のみへと?」
阿倍「分からぬか? 飾られた戯れ言の探り合いよりも、肌と肌の触れ合いの
   方が、男と女の愛情の深さは分かるもの。幾歳月か肌を重ねたものの、
   お前には分からぬのか?」
よう「……苦しく、悲しく、恐ろしいのでございます。私一人が、泥のように
   洗い流されてしまいそうで」
阿倍「人は、体の望みを偽ることは出来ぬ。口先で偽れても、体は、触れ合う
   温もりを欲し、交わることで愛情の深さを増す。今は辛い身でも、私と
   交わり触れ合って来たお前なら、それも分かるであろう? すべては、
   よう、お前のためにしていることではないか」
よう「……宜しいのですね? 信じて」
阿倍「信じずに、宜しいのか?」
よう「……」
阿倍「さぁ、戻られよ。冷たい風が吹いて来た。やがて、陽も西へ向かう」

   ようが退場。
   照明が阿倍だけを浮かび上がらせる。

阿倍「左様、偽りではないわ。ようのことも考えての謀だ。あの女の体は男を
   虜にする。今まで、何十何百もの女の夜露を濡らして来たが、あれ程の
   体は稀。二度と巡り合えぬやもしれぬ。フフフ、触れると肌が桜の花の
   如く染まり、抱くと体毛が絹の如く纏わり、事に及ぶと恥部が蛭の如く
   吸い付く。正に至高の快楽―― あのようの体と我が子かもしれぬ姫の
   体を、同時に愛せるとは! これ程の贅沢があるか? これ程の絶頂が
   あるか? これ程の欲の超越があろうか!? 恐らくは、魔の刻の快感。
   どれ程の尊い御方であろうとも、母親とその娘を同時に抱ける者などは
   おらぬ! フフフ、何としてもこの望みを叶えたい! この欲を満たし
   たいもの! 願わくは、美しき姫が紛うことなき我が子であるように!!
   フフフ」

   阿倍が笑いながら退場。
   舞台全体が明るくなって行く。
   他方、廂の間の一隅。
   造麿と車持が登場。

造麿「斯様に人払いをしましては、怪しまれるのではございませぬか?」
車持「何をですか? 結婚の相手をお決めになるのは、姫でございましょう。
   私と造麿殿の話で姫のお心持ちが決まるなどとは、誰も思いませぬ」
造麿「しかし、謀を重ねているように思われましても……」
車持「謀。結構ではございませぬか。人としてこの世に生を受けたからには、
   謀れることは謀るべきです。それさえ出来ぬ者は、人の姿をした畜生と
   同じ。ただ物を食らい、ただ交わり、ただ死する畜生の如くであります。
   望みを抱くということは、人故の謀の一つと思いますが?」
造麿「然りですな。そこで、私の望みのことでございますが、いやいや、車持
   様をお疑いするのではなく、何と申しましょうか、正に夢のような身に
   余るお話でございまして。私が五位の位を賜るとは。この翁が貴族様に
   列するとは、とてもとても(と、微笑む)」
車持「望みを抱くこと、謀を巡らせることは、楽しいことでございましょう?」
造麿「車持様のお力添えがあればこその夢でございます。新たな財を生み出す
   冠位を」
車持「人は、財の前では弱いものです。財があれば、他の心持ちを動かせます
   が、なければ、己の心持ちさえ侘しくなるばかり。それは、愛とて同じ
   ことでございましょう。目に見えぬ情よりも、目に見える確かな物が、
   愛の形となります。財次第で愛は作られ、財次第で望みも叶う。財は、
   人を強くしてくれるのです」
造麿「それらを得るために、まずは位ですな」
車持「五位とて、侮れませぬぞ」
造麿「その授与を思いますと、居ても立ってもおられず、早々に都から束帯を
   取り寄せてしまいました。いやいや、お笑いになられましょうが、この
   翁の一世一代の大事故。身に着け、更にまた笑われては恥でございます。
   車持様、ご覧頂けませぬか? ご指導の程を。暫し、暫しお待ちを!」

   造麿が退場。
   照明が車持だけを浮かび上がらせる。

車持「五位の位を授けたところで余命幾許もなかろう。欲張りな爺だ。張った
   欲の皮が、そのまま張り裂けてしまえば良いものを。生き長らえた時は、
   また謀を巡らせるまでのこと―― 爺が死ねば、この竹取の財はすべて
   私の物だ。美しき姫、竹薮の領地、三年に及ぶ蓄財の黄金。いや、あの
   欲かき爺のこと、他にも財を隠し持っている筈。その財の山は如何程?
   何れも至高の財よ。ホホホ、黄金を費やし、『玉の枝』とやらを偽りで
   造らせたとて、それよりも多くの財が転がり込んで来るわ! 私は財の
   皇子! ホホホ、左様、次の謀だ。阿倍は女と通じ、石作は頻繁に姿を
   晦ましておる。次の謀を打たねば!! ホホホ」

   車持が笑いながら退場。
   舞台全体が夕闇の明るさになり、三日月の映像が上部に映写される。
   他方、正殿から離れた竹林と岩石がある一隅。
   ようが桔梗の花と鎌を携えて登場。

よう「……『二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越
   ゆらむ』……今頃は、お一人で竹の山を降りられていることでしょう。
   その難儀な歩みも、私のため……いつも、私のためにお越し頂いておる
   というのに、お心持ちを信じずに何になりましょうか。あの子がここへ
   来る前は、いいえ、今も尚、変わらずに愛して下さっております――」

   かぐやがようの背後から登場。

よう「――『冷たい風が吹いて来た。やがて、陽も西へ向かう』。(微笑んで)
   私のことなど、お気遣い頂き――『夕さえば もの思ひまさる 見し人
   の 言問ふ姿 面影にして』(と、桔梗を見詰める)」
かぐや「左様な御方が、おられたのでございますか?」
よう「! いつからそこに居たのです!?」
かぐや「夕暮れに、話し掛けて来た姿を想い出すような御方が?」
よう「……関わりのないことです」
かぐや「左様な想い、左様な御方と、私も巡り会いたいものでございます」
よう「ご縁は幾度もあったではありませぬか。今でさえも」
かぐや「母上が今詠まれたようなご縁は、互いが惹かれ合うものなのでござい
    ましょう? 私のそれは恋や愛の縁ではございませぬ。何れの御方も、
    私が美しいなどという確かとも思えぬ噂をお聞きになり、物珍しさ故、
    結婚をお求めになっているだけのこと。『夕さえばもの思ひまさる』
    ような御方が、私にはおりませぬ」
よう「しかし、愛情の深さを求め、確かめようとしておるではありませぬか」
かぐや「あの異国の珍しき品々、書の記だけではなく、誠にこの世にあるので
    ございましょうか……?」
よう「……何方と結ばれたいと?」
かぐや「何方と……行く末は既に…… 今まで斯様に母上とお話をしたことは
    ございませぬね。(微笑んで)母上は如何様に思われます?」
よう「如何様と、尋ねられても……」
かぐや「品物の有無など問わず、あの何れの御方も素晴らしい御心をお持ちで
    したら、何方にお仕えすべきとお思いになりますか? 三年もの間、
    私を養って下さった、母としては――?」
よう「母として…… 親であれば、何方も身分の高い御方故、みな良縁と喜ぶ
   ことでしょう。斯様な誉れのご縁は、母として、女としても、願えども
   有り得ないことです」
かぐや「はい。それでは、何方を?」
よう「何方と問われても……」
かぐや「石作様はお顔に痣がおありですが、長く連れ添ううちに、それも気に
    ならなくなるものでしょうか?」
よう「相手の癖や鼾などには慣れると聞きます。しかし、お顔を見ずには暮ら
   せませぬ故、あの痣が気にならなくなるとは……」
かぐや「車持様はお話も達者でございますが、お話になられるすべてを本意と
    思っても宜しいのでしょうか?」
よう「口先は偽るものだそうです。結婚の後に浮気心を抱いた時には、達者な
   お話で逃れるやもしれませぬし……」
かぐや「(微笑み)誉れとおっしゃいながらも、厳しいご明察でございますね」
よう「左様ですか?(と、微笑む)」
かぐや「それでは、阿倍様は――」
よう「阿倍様とは、歳が離れておる故……」
かぐや「母上と父上も、歳が離れておるではありませぬか」
よう「私は、竹取の地にいた両親が働けず、その代わりに娶られたまでのこと。
   好んで仕えておるのでは……」
かぐや「確かに、母上と父上は歳が離れ過ぎております。母上は若く」
よう「世辞など要りませぬ」
かぐや「……『君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の
    風吹く』…… 簾を動かすものが秋風ではなく、『もの思ひまさる』
    御方なら良いですね。願わくは、母上にはその御方と竹薮を抜け出て
    ほしい……」
よう「な、何を申すのです!? かぐや、貴女、何を――」
造麿の声「かぐや! かぐやは何処だ!?」
よう「は、はい。こちらに」

   造麿が登場。

造麿「おぉ、ここで何をしておる? 帳の中から出ては人目につくであろう」
かぐや「良いではございませぬか。既に陽も暮れなずみ――」
造麿「暮れる故、尚更帳の外におってはいかぬのだ。結婚が決まりかけておる
   のに、未だ闇夜に紛れて竹薮の中を夜這いする者がおる。左様な輩に、
   かぐやを見せてなるものか! よう、お前も気を付けよ」
よう「私もでございますか?」
造麿「当然ではないか。数多の人目につく」
よう「それが、惜しいと?」
造麿「竹薮を分けて覗く不届き者等が、お前を見て思い違いでもしたら困るで
   あろう。『噂程の姫ではない』と、笑われるではないか」
よう「左様な……」
かぐや「笑われなど致しませぬ。母上は若くて美しく。見紛うても、可笑しい
    ことはございませぬ」
よう「かぐや……」
造麿「また戯けたことを申すか。かぐやよ、何が不満なのだ? この頃、度々
   可笑しなことを申す。御三方が下さるという貢物も呆れた品々を求め。
   珍しき財やもしれぬが、石の鉢や鼠の皮衣など、誰が好むのだ? 誰が
   愛でるというのだ? ただ、車持様の玉の枝は良いがな」
かぐや「何れも、貴い稀な財でございます」
造麿「我が物になればだ。幸運にも、御三方が品物を持って参られたとしても、
   所詮、結婚のお相手は御一方。貢物として我が物になる品物も一品だ。
   それが不幸にも、みな無理なことであったなら、貢物もなければ、結婚
   相手もいなくなってしまう。この期の経緯を知れば、よもや何方も求婚
   などせぬ。こちらからお願い申し上げねばならぬぞ」
かぐや「それも私の定めでございましょう」
造麿「私を苦しめて嬉しいか? 親を困らせるのが変化の方の孝行か?」
かぐや「孝行とは何でございましょうか? 親のため、黄金や誉れを得ること
    なのでございますか?」
造麿「な、何を!? 私は左様な――」
かぐや「お相手の身分は何か、貢物は如何程の量の黄金か―― 父上のお話は
    いつも黄金に結び付くようでございます」
造麿「当然ではないか。黄金があればこそ、裕福な暮らしが出来るのだぞ! 
   山の竹薮の中にいて海の幸を食せるのも、この屋敷を建てられたのも、
   かぐやを養って来られたのも、すべて黄金のお陰ではないか!!」
かぐや「それでも、黄金より、大切なものがございましょう」
造麿「何だ? 愛情などと申すのではなかろうな。愛情も、黄金や財次第だ。
   何が不満かは知らぬが、困ったものよ。よう、またお前の入れ知恵か?」
よう「は?」
かぐや「母上は何も――」
造麿「養わせ方を誤ってしまったわい。この女は、元々卑しい身分の家の者。
   入れ知恵だけではなく、悪知恵さえも巡らせる性根を持っておる」
よう「! 何と申されます……」
造麿「子も養えぬとは。今更だが、乳母でも仕えさせておけば良かったの」
かぐや「父上、母上は妻で――」
造麿「ヘへへ、戯けたことを。娶りはしたが、妻と思ったことなどないわ」
かぐや「父上!」
造麿「愛情か? この女を愛したことなどない! 今や恩知らずの邪魔者よ」
よう「!(と、桔梗を落とす)」

   ようが退場。

かぐや「母上!」
造麿「捨て置け! いつものことだ」
かぐや「……何と哀れな……」
造麿「あのような女をも慕う心持ちは優しさ故であろうが、今は貢物のことが
   大事。御三方がみな品物を持って参られた時、御三方共が無理だった時、
   如何にすべきか。行く末も考えねばならぬ。黄金に結び付くと申すが、
   かぐやのことを案ずればこそ。この翁の願い、そろそろ聞き入れてくれ」

   造麿が笑いながら退場。

かぐや「……(桔梗を拾って)人が人らしく生きる証の哀れ……有余年の時を
    経ても、愚か者等の哀れな欲は変わらず、尽きぬものか…… 剣から
    の月明かりが、私の人としての心に、悲しく突き刺さるよう……」

   ようが鎌を携えて竹林の陰に再登場。

かぐや「剣はやがて鏡となり、私の願いを叶える月明かりが降り注ぐ。そして、
    黄泉よりも深い闇の中へ。あの忌まわしき契りの一夜よりも増して、
    呪われし赤い満月の夜へ…… その際、母上がここに無きよう……」

   かぐやが退場。
   照明がようだけを浮かび上がらせる。

よう「この場にいてほしくない者は、貴女ですよ! 呪われておると言われた
   ものの、美しき変化故に数多の者から大事にされ、養って来た私は益々
   蔑まされるばかり。あの爺は疎か、このままでは阿倍様のお心持ちさえ
   化かされ、私の元から離れてしまう! 私を愛さなくなってしまう! 
   私は、すべてを失ってしまう! 如何にかせねば…… 除け者にして!
   かぐや、呪われた姫、お前さえ居なくなれば!!」

   暗転。

○竹林(スクリーン前)

   朝の竹林の映像が全面に映写される。
   雀の鳴き声が聞こえて来る。
   石作、遅れて造麿が映像の前へ登場。

造麿「(欠伸をして)早朝から何事でございますか? かぐやもまだ起きては
   おりませぬぞ」
石作「お静かに。笹の葉の朝露を揺り動かす声を出されては、姫や使者は疎か、
   鬼も起こしてしまいます」
造麿「鬼ですと? 可笑しなことをおっしゃいますな」
石作「この竹取の地、鬼が住むか蛇が住むか。夜明けであろうとも、藪の中で
   寝首を掻かれるやもしれませぬ」
造麿「物騒なことを。鬼であろうと蛇であろうと、ここは私の地でございます。
   御用向きは何でございましょう?」
石作「造麿殿にとっても、悪いお話ではございませぬ。姫がお求めになられた
   『仏の御石の鉢』が、紺青に光るという話を覚えておられますか?」
造麿「あぁ、確かに戯れ言を申しておりましたな。蓬莱でしたか?」
石作「天竺です。『紺青に光り、利益を成す』」
造麿「古い石の鉢が光るなど、車持様も笑われていたようにコケ生して――」
石作「いいえ、光るのです! 露のように、いいえ、鉢の中にある一滴の露が
   紺青に光るのです!」
造麿「……御用とは何でございます?」
石作「その紺青に光る一滴の露を、造麿殿から、姫に勧めて頂きたい。利益を
   成すという一滴を口にするようにと」
造麿「それは、まさか――」
石作「姫のお命を奪うような代物ではございませぬ。鬼や蛇が住むやもしれぬ
   竹取の地に相応しき、ただ一時の鬼の霍乱のようなもの」
造麿「左様に申されましても――」
石作「一言のお力添えにより、姫が露を口にして私の物となった時には、造麿
   殿に五位の位を授けましょう」
造麿「五位でございますか」
石作「不服と?」
造麿「いいえ。身に余るお話ではございますが、謀でかぐやの心持ちを惑わす
   ような――」
石作「ならば、私の父上になられる造麿殿のために、都に新たな屋敷を造り、
   そこに黄金も用意させましょう」
造麿「な、何と!?」
石作「それも不服と?」
造麿「いやいや、恐れ多い!」
石作「私の身分は車持様と同じ皇子ですが、私の方が車持様よりも帝の直系に
   近いのです。私の方が、阿倍様よりも行く末が長い。造麿殿も見通しを
   利かせれば、何方が姫と結婚をするのが良いのか、何方が頼れるのか、
   お分かりになるでしょう?」
造麿「それは……」
石作「たった一言で済みます。悪いお話ではございませぬ。お考えを」

   石作が退場。

造麿「五位の位の他、都に屋敷と黄金まで付けて下さるのか!?(と、歩き回り
   ながら)ヘへへ、流石は身分の高い皇子様よの。外面だけで判断しては
   いけぬ。あの痣の持ち主を欺くことは出来ぬか? ヘへへ、車持様との
   謀がある故、さて、困ったぞ(と、微笑む)」

   映写される映像は昼の竹林へと変わる。
   雉の鳴き声が聞こえて来る。
   車持が映像の前へ登場。

車持「造麿殿」
造麿「(気付かない)」
車持「造麿殿!」
造麿「お! こ、これは、車持様」
車持「陽の高いうちから、笑みで口元を緩められますと、そこから望みが零れ
   落ちますぞ。思わぬ好事でもございましたか?」
造麿「いやいや、特には……」
車持「早朝、石作様が参られたようですな?」
造麿「えッ!? あぁ、ええ、あの石の鉢のことで。露が紺青に光るとか利益を
   成すとか一滴とかと、難しいお話をされておりましたが、それが、特に
   如何したということではなく、特に好事でもなく……」
車持「――左様ですか。仕方がありませぬ。今日は、また一つお話があり」
造麿「ああ、五位の位のことで」
車持「いや、それは最早大事ではありますまい。石作様が参られたのなら」
造麿「!? い、いや、それはまた……」
車持「お返し頂きたいのです」
造麿「はッ!? 返せ? 何のことでしょうか?」
車持「竹の枝に吊るした私の黄金を、お返し願いたい(と、微笑む)」
造麿「あ、あの黄金が、車持様の物と? まさか左様な。車持様が私に黄金を
   授ける道理など――」
車持「授ける? お貸ししただけです。あれが、私の黄金であったのか否かの
   証はございませぬが」
造麿「さ、左様でございますな」
車持「信ずるか否かは兎も角、私は、造麿殿に尊敬の念を抱いたのです。捨て
   子を育てておられるというお話に感銘し、未熟な私でもお助けになれる
   やもと思い、名を明かさず、幾度となく黄金を竹の枝に吊るしたまで」
造麿「誠でございますか?」
車持「信ずるか否かは造麿殿の都合。しかし、捨て子の姫の結婚が決まろうと
   しておる今、この上は更に吊るす必要はなく、お貸しした黄金も役目を
   終えたということでございましょう。故に、三年分の黄金をお返し頂き
   たい。黄金を入れた山吹色の袋は結構でございますので」
造麿「袋の色をご存知なのですか!? まさか……暫し、暫しお待ち下され! 
   左様に、今おっしゃられましても――」
車持「但し、姫のお心持ち次第ですが――」
造麿「何でございましょう!?」
車持「いや、決して無理強いは致しませぬ」
造麿「何なりとお申し下され!」
車持「姫が私の物となった時は、お返し頂かなくとも結構でございます。その
   芽出度き際、造麿殿は私の親。お貸しした黄金を、父上から巻き上げる
   などは、とてもとても」
造麿「結婚が叶わぬ時は……?」
車持「叶わぬ時? 造麿殿の都合でございます。位を得るか、黄金を失うか。
   悪いお話ではございませぬ。お考え下され」

   車持が退場。

造麿「……殆ど使ってしまったぞ。あの黄金が、車持様の物であったとは! 
   しかも、今になって返せと!(と、歩き回りながら)確かまだ蓄えが。
   いやいや、あれらはこの先の楽しみのため。いや、如何程たったのだ?
   授かった、借りた三年分の黄金が、如何程の量だったのかも分からぬ。
   かぐやが車持様と結婚をしなければ、黄金や屋敷、竹取の地さえも……
   さて、困ったぞ(と、塞ぎ込む)」

   映写される映像は夕の竹林へと変わる。
   烏の鳴き声が聞こえて来る。
   阿倍が映像の前へ登場。

阿倍「落陽の時を待って過ごされるのは、あまり良いことではありませぬぞ」
造麿「阿倍様。私の居場所がよくお分かりになりましたな」
阿倍「この竹取の地、造麿殿の地であっても、最早造麿殿のみの地ではござい
   ませぬ。かつては数多の者が潜入し、今尚数名の使者が目を光らせる。
   ご用心召された方が良いかと存じますぞ」
造麿「如何にも。竹藪の中で鬼や蛇に睨まれ、行き場を迷わされているようで
   ございます。今日は如何なる日だ!」
阿倍「由々しき事態でもございましたか?」
造麿「いや、特には…… 御用でしたかな?」
阿倍「造麿殿に一つ話があり、伺いました」
造麿「阿倍様もでございますか……」
阿倍「成程。二人の皇子も参られたか。藪の中、鬼と蛇は如何様な申し出を?」
造麿「いやいや、特に……」
阿倍「皇子という身分からの脅しでしたか?」
造麿「左様に申されては――」
阿倍「用心せねばならぬのは、私の方か? 二人の皇子が、如何様な申し出を
   されたのかは知らぬが、私は、造麿殿に生きている財を用意しよう」
造麿「生きている財?」
阿倍「触れると、軟らかく、温かく、吐息を漏らす、財(と、微笑む)」
造麿「――女でございますか!?」
阿倍「姫が私の物となった時は、造麿殿に、好みの女を好きなだけ」
造麿「い、いや、それは願ってもないことでございますが、この齢では――」
阿倍「そのご高齢でも、その財が好物と伺っておりますぞ。恥ずべきことでは
   ございませぬ。寧ろ、男として、称えられるべきこと」
造麿「お、恐れ入ります」
阿倍「世の男等は、造麿殿のようにありたいと思いながらも、願いが叶わなく
   なり、仕方がなく他の望みを抱くもの。造麿殿が私の父上になられても、
   男としての第一の望みは失わないで頂きたい。女は、身も心も満たして
   くれる財なのですから」
造麿「如何にもでございます! いやはや、流石は阿倍様! 二人の皇子様と
   お考えが異なりますな」
阿倍「その財の女等を如何様に楽しむかも、造麿殿の御心のままに。それは、
   財であり、傀儡ですぞ。悪いお話ではございませぬ。是非お考えを」

   阿倍が退場。

造麿「黄金や屋敷、位も良いが、女を好きなだけ得られる望みも捨て難いわ。
   好みの女とおっしゃっておられたが、如何様な女か? あれやこれやと
   存分に満足させてくれる女を用意して下さるのかの? ヘへへ、さて、
   困ったぞ!(と、微笑んで)阿倍様! 少々詳しいお話を――!!」

   造麿が後を追って退場。
   映写されている映像が消える。

○忌部の秋田の棲み家である洞窟(夜)

   水滴の落ちる音が反響する。
   一筋の照明が蹲る秋田に射す。

秋田「(頭を上げて)人とは、実に浅ましく、実に欲深きものよ。上を見ても
   切りがないと知りながら、望みなどという言の葉に乗り、嬉々と小躍り
   する。そこのお方も、そうであろう? 流行りの衣を着たい、美味なる
   物を食したい、広い住居を持ちたい、良き連れ添いと巡り逢いたい――
   皆、泡沫じゃ。『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の
   花の色、盛者必衰の理を顕はす』。琵琶法師も語っておるではないか。
   ――二つ、『月の剣が輝く時、尽きぬ女の刃は研がれる』。三日月の剣
   よりも鋭い嫉妬の刃を、愛欲の尽きぬ女は研ぎ始めた。刃先は、造麿の
   欲にも向けられることとなる。すべては、月の神・月夜霊が昔の契りに
   涙を流し、雫として落ちた月魄の戯れ事。月日が経ち、あの愚か者等は、
   三つ目の予言の夜、鏡となった満月が割れる一夜を迎える――」

   暗転。

○造麿の邸宅・正殿(夜)

   満月の映像が舞台上部に映写される。
   舞台全体が徐々に明るくなり、造麿が浮かび上がる。
   その前を、使者に錦袋を持たせた石作、使者達に長櫃を担がせた車持、
   使者に唐櫃を持たせた阿倍が次々と登場。
   ようは廂の間に、かぐやは簾で隔てた母屋にいる。

造麿「おお! 中身を拝見するまでもなく、各々の調度も素晴らしいですな!
   ヘへへ、月明かりを浴びて何とも眩いことよ。迷いますの」

   使者達は庭の台上に品々を置いて退場。

車持「迷うことなどありますまい。中身は、美しく輝く玉の枝の他、石の鉢と
   鼠の皮。比べ物にはならぬでしょう」
石作「美しさより、姫の欲した品物であるか否かが大事なのです」
車持「おぉ、然り。姫が各々に相応しき品物を示されました。石作様の品物は、
   コケ生した石の鉢でございましたな」
石作「左様。しかし、今宵の肝要は、品物を持参した者が姫に相応しき人物で
   あるか否か。車持様、玉の枝の棘は取ってありましょうな?」
車持「棘!? さして左様な」
造麿「ま、まぁ、そう角突き合わせるようなお言葉は――」
石作「いいえ。今宵を以て姫を得られるのなら、角を持つ鬼にもなる覚悟!」

   造麿、石作、車持、阿倍は、廂の間に座る。

阿倍「石作様、わずかばかりの間にお変わりになりましたな」
車持「石の鉢に、自信をお持ちなのでございましょう」
石作「天竺にも二つとない、利益を成す鉢でございます故」
造麿「あぁ、左様! 黄金に光る露!」
石作「『露ほど紺青に光る』です」
造麿「あ、あぁ、紺青が利益を成すと」
車持「紺青でも黄金でも、煤墨の付いた石の鉢が光るなど」
石作「お疑いならば、まずは、私の『仏の御石の鉢』を(と、立ち上がる)」
阿倍「お待ち下され。私達は、姫がご覧になりたい品物を持参致しましたが、
   その姫がお顔さえ見せぬとは、道理に合わぬ。石作様のご披露の前に、
   光り輝くばかりに美しいと聞くお姿を、お見せになられては如何です
   かな?」
車持「ほぉ、然り」
石作「如何にも(と、座る)」
阿倍「この期に及び、それも拒まれるか?」
かぐや「――分かりました」

   母屋の簾が上がり、かぐやが姿を現す。

かぐや「かぐやと申します(と、一礼)」
阿倍「(微笑んで)成程。数多の噂に違わぬ姫ですな」
石作「いいえ、それにも増して美しい」
車持「光り輝く変化の姫。造麿殿がお隠しになられるお心持ちも分かります」
造麿「恐れ入ります。それでは、改めまして、石作様のお話の続き――」
かぐや「その前に、私は、是非車持様の品物から拝見したいと思っております」
石作「!? な、何故、私からでは……」
かぐや「最初に確かめたいのでございます」
石作「しかし――」
車持「良いではありませぬか。今宵は、姫のお心持ちと、姫に相応しき人物で
   あるか否かが、肝要なのでございましょう?(と、立ち上がる)」
石作「――チッ!」

   車持は庭へ出る。

造麿「車持様は玉の枝でございましたな?」
阿倍「渤海の東にあるという蓬莱の木の枝」
造麿「確か、茎や根が金銀と。さぞ、美しき物でございましょう」
石作「用心された方が宜しいですぞ。美しき物には、兎角棘があるものです」
車持「先手を遂げられなかった故の、戯れ言でございますかな?」
石作「――!」
車持「ご覧下され! これが、『蓬莱の玉の枝』でございます!!」

   車持は長櫃を開けて玉の枝を取り出す。

造麿「おお、これは見事な!」
阿倍「如何にも! 難波から船出をしたという話は誠であったか」
造麿「それなら、拙宅にも『玉の枝を取りに行く』と使者の方が参られました」
石作「朝廷には、筑紫の国に湯治へ行くと、休暇を申し出たようで……」
車持「姫の望みを叶えたいがための口実でございました。しかし、この玉の枝
   には、謀も棘もございませぬ。姫のお話の通り、根は銀、茎は金、実は
   白玉。命を捨てるほどの労を費やし、持ち帰りました」
造麿「不思議なほど麗しく、輝くほど素晴らしい物でございますな」
かぐや「その枝は如何様な処に?」
造麿「左様、蓬莱とは如何様な山で?」
車持「お聞き頂けますか? ご承知のように、私は難波から船に乗り東の海を
   進みました。しかし、東とただ言うものの、海原は広く、印さえもない
   水平線ばかりで、目的とする蓬莱の山の確かな方向が全く分かりませぬ。
   私は心細くなると、姫のことを想い、願いが成就しなければ生きていて
   も仕方があるまいと覚悟し、航海を続けたのです」
造麿「竹取の野山で暮らす私等には見当もつかぬ道行きでございましたな」
車持「ある時は、波の荒れが続き海底に沈みそうになり、ある時は、後も先も
   分からず行方不明にもなりそうでした」
造麿「左様な難儀にも」
車持「またある時は、鬼のような怪物が目の前に現れ殺されそうになり、更に
   ある時は、気味の悪い妖怪が現れ食われそうにも」
造麿「左様な恐ろしきことが」
車持「いいえ、最も恐ろしきは飢えでございました。食糧が尽き果て、偶然に
   上陸した島で草の根を食べ、或いは貝を獲って命を繋いだことも」
造麿「左様なご苦労までされて」
阿倍「しかし、幾多の危難に遭われても、痩せ細ることなくご無事とは」
石作「一つの怪我の痕もありませぬが?」
車持「それこそが、仏の大願力のお陰でございましょう。潮と涙で濡れた袂も
   今は乾き、姫のお顔を拝見すると、数多の艱難辛苦さえも忘れてしまう
   ようでございます」
造麿「(溜め息を吐いて)何と一途な」
かぐや「蓬莱の山は?」
車持「お聞き頂けますか? 海に出てから幾月日の後、私は海上に大きな山を
   見つけました。しかし恐ろしさ故、無闇に上陸することは出来ませぬ。
   三日程、様子を窺っておりますと、山中から、天上界の衣を着た女が、
   水を汲みに出て来たのでございます」
造麿「ほぉ、女! どのような――」
かぐや「どのような処でしたか? 蓬莱は」
車持「『うかんるり』と名乗った女はこう申しました。『ここは蓬莱の山』!
   これを聞いた時の私の嬉しさは限りありませぬ! 早速上陸し、険しい
   山の崖下の道を巡ると、そこにはこの世の物と思えぬ多くの花の木が!」
造麿「ほぉ!」
車持「山からは、金、銀、瑠璃色の水が!」
造麿「ほぉ!」
車持「川には様々な色の玉で造った橋が!」
造麿「ほぉ!」
車持「その辺りに、光り輝く多くの木々! そこの木の一枝が、今ここにある
   玉の枝でございます! 如何です!? より美しき物も沢山ございまし
   たが、姫の望みと異なる物では困ると思い、これを持参致した次第です」
造麿「ほぉ、そこまでお考えになられて」
かぐや「ホホホ、車持様、そろそろお止めになられた方が。金の葉ではなく、
    言の葉で飾られた偽りの玉の枝なのでございましょう?」
車持「!」
造麿「な、何を申す!?」
よう「無礼ではありませぬか!」
車持「変化でも、やはり女。自ら望んだ品物も、美し過ぎては好まぬか?」
かぐや「夕刻、漢部の内麻呂と申すお方から文が届きました」
車持「あ、漢部!?」
造麿「何方だ?」
車持「いや、それは……」
石作「宮中の調度を作る内匠寮の漢部の内麻呂。成程、細工の工匠です」
阿倍「私も内麻呂殿を知っておるが、ここ幾月日は姿を見ておらぬ」
車持「邪推は止めよ! 危難故、傷一つなく持ち帰ることが叶わなかったまで
   のこと!」
造麿「ほぉ、それでお繕いを。流石は車持様。更なるお心遣いを頂き――」
阿倍「いや。内麻呂殿なら、模造の品を作ることも造作ない」
石作「玉に瑕のなきよう、棘を取っておくようと、ご忠告申し上げましたのに」
車持「勝手な憶測を!」
かぐや「車持様、最高の鍛冶工六人を召し、人里離れた地に新たな竃の屋敷も
    造られたようでございますね?」
車持「はて、何処ぞの話やら」
かぐや「そのために、十六ヵ所の領地と蔵のすべての財を費やしてしまわれた
    のでございましょう?」
車持「漢部の邪推に過ぎぬ!」
かぐや「己の哀れな財欲を満たす謀では、人の心持ちまでは量れぬのです」
車持「! 何と申した!?」
造麿「かぐや!」
かぐや「車持様はお忘れになられたのです。文には、こう記してありました。
    『幾月日の間、力を尽くして立派な玉の枝を奉仕製造させて頂きまし
    たが、報奨を未だに頂いておりませぬ。そのため、車持様のご側室と
    なられている筈の、玉の枝を必要となさったかぐや姫から、代わりに
    報奨を頂きたいのです』と」
車持「それこそ、黄金を得るための謀、偽りよ!」
かぐや「宮中での職務や命を放棄するに値する程の、覚悟の偽りでしょうか?」
車持「……漢部は、作り物に長けておる」
造麿「車持様、よもやそれは……」
石作「止められよ。同じ皇子として見苦しい限りでございますぞ」
車持「見苦しい? 私が見苦しいと!?」
阿倍「偽り物と明らかになった今は、長けた謀の言葉も空しく、姫との結婚も
   叶わぬ」
石作「玉の枝を作らせた身内に、偶さかにも棘を刺されるとは」
車持「私は、偽りなど…… 生涯において、これ以上の恥があろうか……!」

   車持は立ち去ろうとする。

かぐや「お待ち下さい! 他の二品の真偽も分かりませぬ。それを確かめずに
    宜しいのでございますか?」
車持「……恥を晒し、誠を見よと申すか?」
かぐや「今宵の満月の月明かりは、私に降り注ぐのみ。帰路である竹薮の闇は
    照らしませぬ」

   車持は簀子縁に座り込む。

阿倍「――偽りなど、謀に長けた者の所業」
造麿「あぁあ、左様。謀られ、危うく偽りの貢物を掴まれそうになりました」
石作「申したではありませぬか。この竹取の地、鬼が住むか蛇が住むか」
造麿「如何にも。用心せねばなりませぬな」
石作「それでは、改めて(と、立ち上がる)」
阿倍「お待ち下され。謀の皇子様に続き、また同じ皇子様のご披露では、姫は
   不信感を拭え切れず、図らずも強い疑念を抱くやもしれませぬぞ」
石作「私は謀など――」
阿倍「私が先で宜しいですかな、姫?」
かぐや「お願い致します」
石作「!? な、何故、私では……」
造麿「申し訳ございませぬ。かぐやのいつもの我儘とご了承頂きまして」
石作「しかし――」
阿倍「鼠とは言え、美しき毛並みの貴重な逸品でございます。石作様、女の心
   持ちをお分かりになりませぬと(と、立ち上がる)」
石作「――チッ!」

   阿倍は庭へ出る。

造麿「阿倍様の品物は、確か唐土の物でございましたな?」
よう「火鼠の毛で織った布でございます」
造麿「あ? あぁ、分かっておる!」
石作「用心された方が宜しい。美しき物も醜き物も、皮一重でございます」
造麿「また恐ろしきことを」
阿倍「石作様は、私や造麿殿に比べ、まだまだお若い。世間の何事にも疑いや
   反感をお持ちなのでございましょう」
石作「左様な――!」
阿倍「ご覧下され! これが、『火鼠の皮衣』でございます!!」

   阿倍は唐櫃を開けて皮衣を取り出す。

造麿「おお、これも見事な!」
よう「誠に。この世にまたとなき美しさ!」
石作「稀な皮衣は誠か!?」
阿倍「無論。偽り物でも、謀を巡らせた品でもございませぬ」
かぐや「立派な皮衣のようでございますね。如何様にお手元に?」
阿倍「予ても申した通り、私は唐土船の王けいと親しき間柄。その方の元に、
   信頼の出来る小野房守を遣わし、黄金と共に文を届けさせました」
造麿「成程。阿倍様は、親交の広いことでございますな」
阿倍「いや、それでも一朝一夕に手に入れた物ではございませぬ。我が友・王
   けいが申すには、この皮衣、今の世も昔の世も、容易に手に入らぬ物で
   あったそうです。唐土の国の都にさえなかった物を、西の山寺にあると
   聞きつけ、朝廷に申し、お上の力によりようやく買い取ったとのこと」
造麿「異国の朝廷をも動かされましたか!?」
よう「左様なまでに、かぐやとの結婚を望まれるとは……」
石作「財豊かにして繁栄を謳歌する阿倍一族が、黄金で唐土の朝廷を動かし、
   権力を以って稀な皮衣を手に入れたと?」
阿倍「それも僅かな黄金。代価の追加に、先頃も五十両を送金致しましたが、
   今、若く美しき姫にお目にかかれ、それも過ちではなかったと確信して
   おる次第」
よう「阿倍御主人様……」
阿倍「美しき姫が帳から姿をお見せになられた時と同様、この箱を開けた時、
   私は美しき皮衣に目を奪われたものです」
造麿「見初めた刹那の美しさよ! 紺青の皮衣の毛先が金色に光り輝く様は、
   ここからでも分かりますぞ!」
阿倍「如何にも! 唐土の国の親しき友が、私のために尽力なさって下さった
   確かな財。これこそ、姫の望まれた品物。私こそが、姫の望まれる人物
   でございましょう!」
よう「……お止め下さい……」
造麿「この世では見ることの出来ぬ皮衣! 非の打ち所もなき真の貢物で――」
かぐや「火にくべて焼いてみましょう」
阿倍「な、何と申された!?」
かぐや「真の火鼠の皮衣なら、火にくべても焼けることはありませぬ。真偽を
    確かめてみたいと思うのです」
造麿「また戯れ言を! あれはまたとなき物。疑わず、真の皮衣と思えば――」
かぐや「焼けなければ、その時こそ、阿倍様にお仕え致します」
造麿「財を火にくべるなど恐れ多い!」
阿倍「結構だ! 謀の後では、姫がお疑いになるのも然り。火を持て!」

   使者が篝火を持って登場。

石作「一興でございます。偽りなし、謀なしの阿倍様の品物は、果たして?」
造麿「勿体無いことを。阿倍様、火にくべてしまっては、折角の美しき皮衣が
   焼けないまでも汚れてしまいますぞ」
阿倍「今ここで火にくべなければ、私の名が汚されるではありませぬか」

   使者は台上の横に篝火を設置して退場。

造麿「しかし、黒炭が付き、焦げてしまうのも惜しく」
阿倍「それも要らぬ気遣い。偽りなし、謀なしの非の打ち所のなき真の皮衣は、
   たとえ火にくべようが――」

   阿倍は皮衣を篝火の中へくべる。
   皮衣は炎を上げて燃える。

阿倍「! ま、まさか……これは!?」
造麿「燃えて、おりますな? 阿倍様!」
阿倍「い、いや、過ちであろう」
造麿「しかし、燃えておりますぞ!」
阿倍「いや、斯様な……」
かぐや「火鼠の皮は白色と言われております。染めたとしても、毛先を金色に
    飾るなど、行過ぎた所作でございましたね」
阿倍「いや、これは、確かに唐土の国の王けいに数多の黄金と文を送り――」
車持「謀られたのです。その者か、他の者かは分かりませぬが、誰も真の財を
   見極められぬ故、謀を巡らせたのでございましょう」
阿倍「私が、謀られたと……?」
石作「偽りなし、謀なしの阿倍様も、敢え無しでございましたな」
かぐや「跡形もなく焼けてしまうような偽り物と分かっていたなら、火の外に
    置いたまま愛でる楽しみもありましたものを」
車持「まぁ、それでも良いではありませぬか。阿倍様は、唐土の地より、他の
   愛でる楽しみも得たのでございましょう?」
よう「何のことでございますか?」
車持「夜な夜な寝ず見して愛でる楽しみ」
造麿「あッ! いやいや、それは、また異なる財でございまして……」
石作「如何なされました? 造麿殿、何故慌てておられる?」
造麿「いやいや。あ、阿倍様に限って、左様な女達を」
よう「女!? 誠でございますか?」
造麿「ま、誠の偽り言よ! お前が問い質すことではないわ!」
車持「彩色を施した数多の櫃が、筑紫より行列を成して都へ入ったと噂に」
石作「櫃に? 箱を開けた時の刹那の美しさとは、その女達でございましたか」
よう「阿倍様……!?」
阿倍「……如何にも。唐土から女達を買った。十五人の多彩な女を買ったわ!」
造麿「あぁあ……」
阿倍「だが、何故いけぬ!? 男にとって、女は財! 女は命の源ではないか!」
かぐや「己の哀れな色欲を満たす財では、人の心持ちの色は染められぬのです」
阿倍「! 何と申された!?」
石作「お歳を考えられよと申しておる」
車持「いつまでも鼠鳴きに嬉々とせぬ様にと」
阿倍「これは笑止。皇子様も女から生まれたのではありませぬか! その女の
   体を愛でるために求め、何故いけぬと申される!?」
造麿「阿倍様、よもやそれは……」
よう「お止め下さい。左様な偽りは……」
阿倍「偽りではない! 偽りでも謀でも……姫を、この腕に抱けぬとは……」

   阿倍は立ち去ろうとする。

よう「阿倍様……」
かぐや「お待ち下さい! まだ一品の真偽を確かめておりませぬ」
阿倍「私には関わりのなきこと。勝手に吟味するが良かろう」
かぐや「すべての真偽が分からぬまま、汚名を隠す皮を被り、ただ一人、闇の
    中でお暮らしになられるつもりですか?」
阿倍「……よもや、陽の光さえ、浴びられぬか……」
かぐや「月明かりを注ぐ満月が、すべてを覆い隠す漆黒の衣を纏うこともあり
    ましょう」

   阿倍は階に座り込む。

石作「――やはり、姫に相応しき人物は、私でしたか」
造麿「あぁ、左様! いやはや、やはり若き皇子様でございましたな! 謀り
   謀られの偽りを見聞きする前に、やはり、石作様の品物を拝見すべきで
   ございました」
車持・阿倍「(造麿を睨む)」
造麿「! 偽りの貢物故、仕方のない……」
石作「それでは、今度こそ、私で宜しいですか? 姫(と、立ち上がる)」
かぐや「お願い致します」

   石作は庭へ出る。

造麿「長らくお待たせ致しまして、誠に申し訳ございませぬ。石作様の品物は、
   天竺の貴い石の鉢でございましたな。錦の袋も大変素晴らしく」
石作「四天王が釈迦仏に奉ったと言われても、所詮は石の鉢です。他の品物、
   結局は偽り物でございましたが、それらと見劣りされては困ると思い、
   せめて袋だけでもと用意致しました。要らぬ気遣いでございましたが」
車持「しかし、その中身が光ると。先程、誠とは思えぬことを申されて――」
石作「光りますぞ。露ほどでございますが」
造麿「紺青に光る露でございます」
阿倍「貴い鉢故に、罰が当たらぬか」
石作「左様なことも、あるやもしれませぬな。ご覧下され! これが、『仏の
   御石の鉢』でございます!!」

   石作は錦の袋から石の鉢を取り出す。

造麿「おお、これ、み、見事か……?」
石作「大袈裟に披露したところで、決して見栄えの良い物ではございませぬ。
   しかし、貴い真の財とは、兎角斯様な物でございましょう」
車持「石では装飾の仕様もありますまい」
かぐや「その御石の鉢は如何様に?」
石作「手に入れた経緯などは無用かと。偽りの話は、如何様にも作れるもの。
   もうお分かりでございましょう?」
かぐや「しかし、それでは――」
造麿「おっしゃる通りでございます!」
石作「出立の日、『天竺に行かせて頂く』と、使者が知らせた筈。その言葉と
   この品物だけで、充分ではありませぬか?」
かぐや「しかし、真偽が確かめられませぬ」
阿倍「如何にも。左様な石の鉢など、容易に手に入れることが出来ましょう」
石作「お忘れですかな? 姫が望まれた御石の鉢とは、『露ほど紺青に光り、
   利益を成す』と。この鉢の中には、真の証・紺青の光がございます!」

   阿倍と車持は石の鉢の中を覗き込む。

阿倍「確かに、紺青の光が漂っております」
車持「しかも、露ほどではなく、露そのものではありませぬか」
石作「奇妙でございましょう? 天竺にて調べましたところ、露ほどの紺青の
   光は、真の露となってこそ利益を成すとのこと」
造麿「お、おお、それこそ、仏の貴い露!」
石作「左様! すべての病を治し、すべての災いを除き、切なる願いを叶える、
   紺青に光る露でございます!」
阿倍「一滴が、それ程の!?」
車持「ただのコケ生した石の鉢ではなかったのか!?」
石作「姫も、この露の利益をご存知だったのではありませぬか? それ故に、
   私に相応しき品物として示されたのでございましょう」
造麿「然すれば、その一滴の露は?」
石作「無論、御石の鉢を望まれた姫へ」
造麿「おぉお、有り難い! かぐやよ、早速口にしてみよ! 利益を成す仏の
   貴い露であるぞ!」

   石作は石の鉢を持ち、階を上ろうとする。

かぐや「すべての病や災いに効く露でございますなら、石作様がお使い下され」
石作「はッ!?(と、立ち止まる)」
かぐや「お顔の痣にも必ず効く筈です」
石作「いいえ、この一滴は、姫のため――」
造麿「さ、左様! 貢いで頂いた貴い露ではないか!」
かぐや「それでは、私から石作様へ。私などより、まずは石作様が大事」
石作「し、しかし――」
車持・阿倍「石作様?」
かぐや「その痣も、綺麗に洗い流されることでございましょう。さぁ、石作様、
    利益を成す露を早速お使い下さいまし」
造麿「石作様、よもやこれは……」
かぐや「さぁ、仏の露をお顔の痣に!」
石作「は、はぁ……」

   石作は指先に露を乗せて顔の痣に塗る。

石作「! グゥッ!!」

   石の鉢が手から落ちる。
   石作は顔を手で覆い七転八倒する。

阿倍「い、如何なされました!?」
車持「その露、まさか毒であったか!?」
石作「毒などではない!(と、顔を上げる)」

   石作の顔の痣が、一層大きく赤く爛れている。
   映写されている満月が欠け始める。

よう「(石作の顔を見て)キャー!」
造麿「お、鬼の霍乱ならぬ、鬼の形相よ!」
車持・阿倍「何と酷い!」
かぐや「それも、やはり偽り物でございましたか。己の哀れな名誉欲を満たす
    業では、人の心持ちを変えられぬのです」
石作「! 何と申した!?」
かぐや「その爛れた目で見る満月は、さぞや赤いことでございましょう」
石作「まさか、知りながら謀ったか!? 造麿! 何故だ!? 恥を捨ててまで、
   鉢の密約を交わした筈! この恥、忘れぬぞ!!」
造麿「い、いや、私は、特に、何もしては――」
阿倍「何もしてはおらぬか!? 何一つなさぬその所業が、私達の恥を招いたの
   であろう!」
車持「左様! 今宵の呆れた宴は、宮廷に対する冒涜である!」
造麿「お、恐れ多いことを! 私は、御三方各々のことを思いつつ――」
車持「各々とは、また無礼な! 私達を比べ、量っていたと申すか!?」
造麿「い、いやいや、左様な――」
阿倍「元々姫を差し出す気もなかったな!」
造麿「いやいや、左様な――」
車持「謀を巡らせたのはお主だ!」
阿倍「お主がすべてを謀ったのだ!」
造麿「いや、左様な――」
石作「位も屋敷も黄金も、お主の望みはすべて、すべてなしじゃ!」
造麿「い、いや、お、お待ち下され! 私が求めた望みではなく、それらは皆、
   御三方からおっしゃられたこと――」
石作・車持・阿倍「何を申す!?」
かぐや「ホホホ、哀れよの―― 有余年の時を経ても、愚か者等の哀れな欲は
    変わらず、尽きぬものでございます」
車持「愚か者等とは!? 恐れを知らぬか!」
よう「かぐや、慎みなさい!」
かぐや「失礼致しました。あまりにも、前世・昔の業と変わりませぬ故。待ち
    侘びた満月の今宵、私も、皆様へお披露目致したき物がございます」

   かぐやは立ち上がり、傍らの厨子から白い領巾を取り出す。

造麿「かぐやよ! 斯様な有様は、お前が無理難題を申したからじゃ!」
阿倍「姫を責めるよりも、石作様の怪我のお手当てが先であろう!」
造麿「あぁ、如何にも! よう、薬草だ!」
よう「は、はい!(と、立ち上がる)」
石作「要らぬ! 魔物が住む屋敷の薬草など、悪化させる毒薬に過ぎぬ!」
車持「しかし、更に酷くなるやも知れませぬぞ」
石作「左様な時は、忌部の秋田に――」
かぐや「見覚えはございませぬか? この衣、血の付いた羽衣を(と、領巾を
    広げる)」
車持「ただの領巾ではないか!」
造麿「お前はまだ戯れ言を!」
阿倍「染みだらけの汚れた領巾など、石作様には使えぬ!」
よう「それは、赤子のかぐやが包まれていた……」
阿倍「何?」
造麿「! そ、その領巾、何処から――!?」
かぐや「天の羽衣を着た者は、心がこの世の人のそれとは変わってしまうそう
    です。変化とされる私の心は、昔の忌まわしき契りの仇討ちを果たす
    ため……(と、領巾を纏って)今宵は、あの夜と同じく、赤い満月。
    鏡は、哀れな欲によって割れ始め、竹取の地は、黄泉よりも深い闇に
    包まれる……!」

   かぐやは項垂れて廂の間に座り込む。
   阿倍がかぐやに近付いて行く。

石作「戯れを! 黄泉よりも深い闇? 満月が割れると?」
車持「その女、月の顔を見過ぎた故、心持ちが狂っておるのではないか!?」
造麿「誠に奇奇怪怪。よう、またお前の入れ知恵か!?」
よう「私は何も――」
車持「造麿、お主の悪知恵であろう!」
造麿「私は何も――」
阿倍「赤子の領巾。確かに、見覚えが……(と、領巾に手を伸ばす)」
かぐや「無礼者!(と、瞬時に顔を上げて)我に触れるではない!!」
造麿「かぐや! またお前は!?」
かぐや「血の付いた羽衣、主等の煩悩は覚えておるであろう!? 思い出せ! 
    昔の契りを、血塗られた前世の因縁を!」
車持「止さぬか! いつまでも粗末な座興を!」
石作「その無礼な振る舞い、造麿と同様、厳罰に処すぞ!」
造麿「わ、私は何も!」
かぐや「思い出さぬか!? かの壬申の年の夏、主等の前世が満月の夜に犯した
    悪行を!」
車持「笑止! 前世の悪行と戯けるか!?」
造麿「恐れ多くも、気が振れており……」
かぐや「かの壬申の年、天智天皇が崩御なされた後、主等の前世は近江朝廷に
    対して謀反を起こしたであろうが! 石作と車持の祖・大海人皇子が
    阿倍等の家来を伴い!」
石作「有余年も昔のことではないか。それが如何したと申す!?」
車持「私達の前世の何を知る!?」
阿倍「汝が何故知っておる!?」
かぐや「主等の前世は、天智天皇の御長子・大友皇子様にお仕えする我を狙い、
    竹薮の中へ逃げた我を追い回し、泣き叫ぶ我を笑い…… 哀れな欲を
    満たすため、我を辱め、我の命を奪ったのだ! 満月を、羽衣を血に
    染め、剥ぎ取ったのだ!!」

   舞台が徐々に暗くなって行く(月蝕)。

阿倍「戦の世、左様な惨事もあったであろう。だがしかし、今の私達や姫には
   関わりのないことぞ」
車持「我と称して昔話の座興を繰り返すとは、哀れなことよ」
石作「月の鏡に魅入り、魔物に憑かれたか」
かぐや「黙れ! 我は変化の者! 行き場のない黄泉の中で、一途に仇討ちを
    願い続けた我は、三年前、赤子を抱えた女が竹薮で不慮の死を遂げた
    時にその血飛沫を浴び、呼び覚まされた! 倒れた拍子に亡くなった
    赤子の体を借り、かの子孫である主等の業を見極めて来たが、あぁ、
    情けなや、愚か者等の哀れな欲は後世でも変わっておらぬ!!」
阿倍「赤子は、死んだのか!?」
よう「その子は……」
車持「それ故、変化の業で仇討ちとな!?」
石作「命を奪うと申すか!?」
造麿「御三方とは異なり、私は関わりのない――」
かぐや「命を奪われた我の羽衣を盗んだのは、主の前世じゃ。更に、三年前に
    女を付け狙い、この衣に包まれていた赤子を連れ去ったのは、竹取の
    造麿、主ではないか!」
造麿「ま、まさか!?」
かぐや「主等の不埒な命などは要らぬ! 自害なされた大友皇子様の無念! 
    辱められた我の怨念! 仇討ちは、既に果たしたわ!!」
石作・車持・阿倍・造麿「何ッ!?」
よう「(見上げて)あぁ、つ、月が! 満月が、欠けて行きます!!」
石作「(見上げて)先程の言葉通り! 月の鏡が割れておる!」
車持「斯様なことが!?」
阿倍「これが変化の者の業か!?」
造麿「何と、恐ろしや……!(と、腰を抜かす)」
石作「黄泉よりも深い闇に包まれる!」
車持「これは不吉な標!」
阿倍「石作様、車持様、即刻この竹取の地を立ち去り、宮廷へ!」
かぐや「宮廷へ戻ろうが、主等の哀れな欲によって割れた鏡は、かいた恥は、
    丸く治まりはせぬ! 石作皇子よ、前にも増して醜い顔を晒し、生き
    られるか!? 車持皇子よ、蔵々の財を使い果たし、生きられるか!? 
    右大臣の阿倍よ、異国の女達に奇怪な病を感染され、生きられるか!?
    数多の者が、今も尚竹薮の中から目を光らせ、聞き耳を立てておる。
    それらは、如何様にと? 我を娶れなかった哀れさを笑われながら、
    もがき、苦しみ、怯え、生き長らえるが良いわ! ホホホ」

   車持と阿倍が石作に肩を貸して退場。

よう「阿倍様! お待ち下さい、阿倍様!」

   ようが後を追って退場。
   かぐやは哀しそうに満月を見上げる。
   間。
   映写されている満月が満ち始める。
   舞台は徐々に明るくなって行く。

造麿「――ヘへへ、やはり、老いぼれが、身に余る程の欲をかいてはいかぬ。
   位に、屋敷に、黄金に、女。良い夢物語だったわ。望みをすべて失った
   のは惜しいが……いや……すべてを失ってはおらぬ。三年前の望みが、
   まだ残っておるぞ!(と、立ち上がる)」

   造麿はかぐやの領巾を掴む!

かぐや「! 無礼者、離さぬか!!」
造麿「変化であろうと、その体は所詮女!(と、領巾を剥ぎ取って)あの時の
   見立て通り、美しき女に成長したではないか! ヘへへ、元々は竹薮で
   赤子のお前を見た時、自ら大事に育て、程好き頃に思う存分楽しもうと
   したのだ! ヘへへ、三年もの歳月を費やした望み!」

   かぐやは庭へ出る。
   追う造麿は、かぐやを竹林へと詰め寄って行く。

かぐや「愚か者が! 我が子と思い、大事に養って来たのではないのか!?」
造麿「親の情などない! 欲の情のみ!」

   ようが鎌を携えて竹林の陰に登場。

かぐや「人が人らしく生きる証の哀れ。欲の尽きぬ罪人が!」
造麿「かぐやよ、この翁の願いを、そろそろ聞き入れてはもらえぬか!?」

   かぐやは竹林の中へ逃げ込もうとする。
   ようが鎌をかぐやに振り下ろす!

かぐや「!」
造麿「ヒィッ!(と、腰を抜かす)」
かぐや「……何故です?……母上には、このまま『もの思ひまさる』御方と、
    竹薮を抜け出て……」
よう「前世の契りなど…… 私の望みはただ一つ。この世の、この命限りの、
   契りです!」

   かぐやは倒れ、階に落ちている領巾へ手を伸ばす。

造麿「あぁあ、な、何ということだ!!」

   映写されている満月の映像だけを残して暗転。

○忌部の秋田の棲み家である洞窟(夜)

   満月の映像が映写されている。
   水滴の落ちる音が反響する。
   一筋の照明が項垂れて蹲る秋田を浮かび上がらせる。

秋田「『――この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人
   ばかり天人具して、のぼりぬ。その後、翁、嫗、血の涙を流して惑へど、
   かひなし』。三つ、『月の鏡が割れる時、造麿の付きも曇り砕ける』。
   広く知られる昔話の顛末とは異なるが、同様にかぐや姫は天に召された。
   これが、人が人故の『竹取物語』じゃ。泡沫の夢物語。……最も貴く、
   最も得難い欲とは何か、ご存知かの? ……無欲。欲を持たぬことだ。
   だが、人が人故、人が人らしく生きる証故に、誰一人、それを叶えられ
   ぬ。あれから、幾つもの時代が流れたが――」
かぐやの声「――今の世も百鬼夜行。哀れかな、人は何一つ変わっておらぬよ。
      ヒヒヒ……」

   秋田が頭を上げる。
   その顔はかぐやの顔(憑依)である。
   暗転。


                            『moon/月魄』 終


 
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