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さぁ、どうする?
球鹿若久
 


○ プロローグ


   幕が開くと、皆本愛美(29)が誰かに話しかけている。幸せそうに酔っ払っている様子。


愛美 結局男ってさあ、一つのことしか見えてないのよ。一点集中って言うと聞こえはいいけど、仕事とか趣味とか夢中になって、その間こっちのことは放ったらかし。話は聞かない、理屈っぽい、変なとこ細かいくせに大雑把…本当何考えてるかわからない、そうでしょ?…でもね、でも私は幸せ、本気よ、マジで言ってるから。本当、今日は一番幸せな日。こんなさぁ、すごいサプライズをしてもらったんだもん。ちゃんとお返しをしないとね。ね? そう思わない?


   満面の笑顔を見せる愛美。照明が消える。音楽。


○ 病室


   舞台は藤原和哉(29)が入院している病院の個室。中央にベッドが一つと椅子が二つと小棚、下手には大きな窓。上手には入り口ドアとトイレ、奥にロッカー。小棚にはテレビなどが置いてある。舞台装置はリアルでも抽象的でも良いが、観客に出入りについて疑問を持たせないようにすること。舞台上には和哉と白衣を着た平良達也(29)。和哉にスポット。


和哉  だいたいさー、女って本当わかんないよね。片づけるんだよ、こっちは気を使って片づけるの。そしたら片づけ方が気に入らないとか言う。あと、洗い物をする訳。いつもありがとうって気持ちでやるんだよ、なのに洗い方がダメ、置き方がダメ、乾かないとかさ。要はさ、あいつら自分の領域で好き勝手されたくないんだよ、領域っていうか聖域ね。で、何もしなきゃしないでこういうんだ

和哉・達也 いつもダラダラしやがって

和哉 え、達也もそういう経験あるの?

達也 お前がいつも言ってる

和哉 ああ…本当女って…謎


   ここで音楽高まり、照明も変わる。


達也 そんなこと言ってもラブラブなんじゃないのか

和哉 俺とあいつが?

達也 同棲もしてないのに家事全部やってくれてんだろ

和哉 な訳ないだろ、倦怠期だよ。何年付き合ってると思ってんだ

達也 何年?

和哉 ええと…高二の頃だから…わからん

達也 また怒られるぞ

和哉 いいんだよ、あんなの

達也 お前、感謝しろよ。両親いないお前をずっと家族みたいに支えてくれて。愛美がいないとお前独りぼっちだぞ、30を目の前にして孤独死まっしぐらだぞ

和哉 言いすぎだろ、女なんてな

達也 お前、売れない役者なんてな、もっともモテない職業の一つだぞ。アラサー男が夢ばっか追いかけてどうするんだよ。それでもフラれないのはすごいよ、奇跡だよ奇跡。愛美にふられたらもう孤独死だよ、確実孤独死

和哉 孤独死連呼しすぎ

達也 そんな孤独死がさ

和哉 あだ名みたいになってるよ

達也 世紀の一大決心しただろ、この間。あれどうなった?

和哉 あ、あれか

達也 いきなりプロポーズするぞって出てったと思ったら、次の日には病院のベッドの上って、どういうことだよ。説明しろよ

和哉 あれはだな


   ノックの音。ナース服を着て、鞄を持った愛美がやってくる。


愛美 入るよー…あ、来てたの

達也 お邪魔してます

愛美 いいの、サボり?

達也 一応診察です、主治医なんでね

愛美 そうでした

達也 そっちはサボり?

愛美 休憩中よ

達也 失敬、で、愛する恋人のお見舞いにやって来た訳だ。感心だね

愛美 これ届けようと思って


   鞄から台本を出す愛美。


達也 台本?

愛美 アパートから持って来たの

達也 新しい舞台か、(台本)綺麗だね

愛美 全然読んでないの

和哉 読んでるよ

愛美 せっかく座長が和哉のために書き下ろしてくれたのに

和哉 そんなんじゃねえよ

愛美 そう言ってたよ、近藤君

和哉 脇役だし俺の役、それは言いすぎ

愛美 和哉がなかなか台詞覚えないからでしょ

和哉 台本をゆっくり読み込んでるんだよ、背景とか人物像とか

達也 確かに覚え悪いな、お前

和哉 役作りに時間かけてるんだよ、心理的アプローチをだな

愛美 うわ、理屈っぽい

達也 よく噛むしな

和哉 昔の話だよ

愛美 カミカミ王子だもんね

達也 あったあった

和哉 今はそんなことありません、生麦生米生…

達也 懐かしいね、そのあだ名

和哉 聞けよ! 最近は

達也 何だよカミカミ王子

和哉 噛んでない、生麦生米、生卵!

達也 俺でもできるぞ、生麦生米生卵

和哉 赤巻紙青巻紙黄巻まき(など)

達也 はいカミカミー

和哉 …

愛美 いじめないでよーもう

和哉 もういいよ、俺なんて

達也 あ、すねた

和哉 だから未だに三流劇団の主役も張れないんだ

愛美 はいはいやめやめ、調子乗りすぎ

達也 ごめんごめん

和哉 甲斐性なしだし、30にもなってフラフラしてるしさ

達也 もういいって、飽きた

和哉 …

愛美 ところでさ、お父さんが和哉とゴルフ行きたいとか言ってるんだけど

達也 え…お父さんと会ったの?

愛美 この間、ほら、和哉が入院する前の日

達也 あ、あの日、あ、そう。親に挨拶したんだ

愛美 たまたま私と居たの、二人とも酔っ払って意気投合しちゃって

達也 へー、何だよ。やるじゃん

和哉 …

達也 式はいつごろ?

和哉 おい

達也 何

和哉 やめろ

達也 ん…あ、式しないのか。地味婚か

和哉 だまれ、その話題をいいか、ここでするな

達也 何で

和哉 いいからやめろ

達也 わかったよ。さてと…俺、行くわ

和哉 え、もうちょっと

達也 お邪魔だからね

和哉 そんなことないって

達也 夜勤明けなんでね、家帰って寝るよ

和哉 もうちょっとだけいいじゃない

愛美 やけに止めるわね

和哉 え…

愛美 二人きりは嫌みたい

和哉 とんでもない

達也 じゃ、俺は

愛美 うん

和哉 うん…じゃ

達也 じゃ、お大事に


   達也が出て行く。


愛美 バイバーイ

和哉 …

愛美 さて、と

和哉 休憩、どれ位?

愛美 三時間

和哉 え

愛美 嘘

和哉 …え

愛美 そんなに二人きりになりたくない?

和哉 とんでもない

愛美 …ふーん

和哉 あ、喉渇いたな。ちょっと俺


   立ち上がる和哉。


愛美 はい


   愛美がポケットから缶コーヒーを取り出し、和哉に渡す。


和哉 ありがと…あ、タバコ

愛美 禁煙中でしょ

和哉 …そうでした

愛美 …


   愛美は何かを取り出し、ベッドに固定した後、達也のシーツの中に入れる


和哉 ん? ん? 何してんの

愛美 動かない

和哉 何? くすぐったい。やめて、やめ

愛美 はい、できた


   シーツを取ると和哉の両手は手錠とロープにより、ベッドに結ばれている。


和哉 …何してんの…あはは…やめようよー

愛美 …

和哉 愛美? ねえ

愛美 …

和哉 何だよもう…これ…ほどいてくれないかな、これ!

愛美 あはは

和哉 …あははじゃなくて

愛美 安静にしてなきゃ

和哉 トイレも行けないでしょ

愛美 トイレそこ

和哉 …知ってる

愛美 行ける長さにしてあるから


   和哉が立ち上がり、トイレに向かうとちょうど良い長さ。


和哉 確かに丁度ピッタリー・・・て、そういう問題じゃない、風呂にも入れないじゃないかっ

愛美 毎日身体拭いてあげてるじゃない

和哉 だから、そういう問題じゃなくて

愛美 くまなく、隅々まで

和哉 拭けない所もあるし

愛美 例えば? あなたがいつも嫌がるあそことか?

和哉 うん、そう

愛美 甘いな、こう見えて看護師歴十年の私がそんなミスするとでも?

和哉 …と言うと?

愛美 寝てる間に拭いてます

和哉 えー?

愛美 おいしく頂いてます

和哉 何を? エロい、果てしなくエロいよ

愛美 アラサー女の性欲なめんなよ

和哉 怖い、そして怖いよ

愛美 冗談はさておき

和哉 冗談なんだ

愛美 さっきの話だけど

和哉 え?

愛美 お父さん。和哉のこと気に入っちゃって

和哉 ああ

愛美 でね、今度ゴルフしたいとか言ってるんだけど

和哉 …

愛美 和哉?

和哉 …ゴルフか〜

愛美 ごめんごめん、そういうの好きじゃないもんね。いいや、私から断っておくし

和哉 悪い

愛美 あと、お見舞い来たいって言ってるんだけど

和哉 …お見舞いか〜

愛美 例えば明日とか、どう?

和哉 いや、怪我って言っても大したことないし、もう退院するし

愛美 ちっ

和哉 ちっ?

愛美 わかった、お見舞いも断っておく

和哉 う、うん、ごめん

愛美 …ねえ

和哉 うん?

愛美 和哉の気持ち、信じていいんだよね

和哉 …もちろん!

愛美 わかった

和哉 あの

愛美 何?

和哉 いや…

愛美 何よ

和哉 やっぱいいや

愛美 もう…言ってみ、言ってみ

和哉 何でもない

愛美 言いかけてやめるの感心しないな

和哉 そういうんじゃないよ

愛美 男らしくないよ

和哉 男らしいとからしくないとかの問題じゃ

愛美 だいたいさ、和哉は昔からそう。はっきりしないのよ

和哉 そんなことないよ

愛美 優柔不断なの

和哉 そんなことないって

愛美  例えば、ファミレス行っても洋食にしようか和食にしようか、洋食に決めたらハンバーグにしようかパスタにしようか、ハンバーグに決めたらチーズ入りにしようか普通ので行くか。やっと決めたと思ったら、あ、ごめんなさい、やっぱり日替わりで

和哉 …

愛美 じゃあ最初から日替わりにしとけよって話よ、悩んだ時間が無駄じゃん

和哉 それは頼む時になって日替わりが美味しそうに見えたんだよ。愛美だって

愛美 何よ

和哉 服を買いに行ったら散々ウインドウショッピングしたあげくに買わないとかあるだろう、女ってそういうもんじゃん

愛美 ないわよ私は、買いたいものを決めて行くから5分で終わるの。買い物付き合ってくれたことないから知らないでしょうけど

和哉 …男らしいね

愛美 どうも。あと昔から女に関しても

和哉 え、女、なに?

愛美 私とデートしてる時もキョロキョロしていい女がいると見ないフリをして見てるの

和哉 そんなことないよ

愛美 目移りしやすいんだよね、だから決められない

和哉 誤解だって

愛美 男らしくガン見するんならともかくコソッと見るのがまた腹立つのよ

和哉 ガン見ならいいの

愛美 いや、ぶん殴るけど

和哉 ぶん殴るんじゃないか

愛美 コソコソ見られるよりまだマシよ

和哉 つーかさ、それだけ文句あるのに何で俺なの

愛美 ん?

和哉 愛美なら他にいくらでも居ると

愛美 別れたいの

和哉 いや、違う

愛美 ほー、この上別れたいと

和哉 いや、そうじゃないけど

愛美 あんまり言いたくないんだけど十二年よ十二年。私の人生の三分の一以上、打率にしたら4割打者よ

和哉 打率の意味が分からないけど

愛美  もう分かってるの、和哉が嫌いなものも好きなものも仕草も癖も全部。他の男と付き合ったらさ、そういうの全部じゃん、一からじゃん。めんどくさい、もうアラサー女にはめんどくさいの

和哉 めんどくさいんだ

愛美 それだけじゃないんです、もちろん和哉がいいの、好きなの、落ち着くの。でもそれ以上にめんどくさいの

和哉 やっぱりめんどくさいんだ

愛美  こっちは夜勤だなんだで疲れ切ってるの、激務に次ぐ激務なの。今更やれ合コンだ、やれテニスサークルだとか本当めんどくさいんだ

和哉 テニ…わかったよ

愛美 でも、一昨日言ったよね? プロポーズしたよね? あれ何? 幻? 私の願望、それとも妄想? そう言いたいんだ、4割打者にそう言いたいんだ

和哉 わかった、わかったよ…もうやめよう

愛美 ああ、ごめん。泣きそうだね、でも私も泣きそうなの、一緒に泣く? 泣く?

和哉 何で泣きそうなの?

愛美 何でもない

和哉 何でもないって

愛美 和哉が最初に言ったの、何でもないって、だから私も言う、何でもない。わかった?

和哉 はい、ごめん…


   愛美、去る。


和哉 あ、手錠…ま、いっか


   しばしの沈黙。


和哉 めんどくせー…


   和哉、溜息をつく。手錠を見つめ、軽く引っ張ってみる。もちろん取れず、また溜息。仕方なく、棚からiPod(他の音楽プレーヤーでももちろん可)を取り出し、聴き始める。何とはなしに上手側を見ながら。すると、突然ロッカーが空き、男が現れる。男は悪趣味なセーター(夏場ならシャツ)を着ている。


和哉 …え?(iPodを外し)

男  …

和哉 …誰?

男  …こんにちは

和哉 こ、こんにちは

男  挨拶は大きな声で

和哉 え?


   どうぞという、男のポーズ。


和哉 え、あ、あー、こんにちは!

男  はい、こんにちは

和哉 何? 何これ? ていうか誰ですか?

男  …

和哉 今、そこから出てきたよね? え? 何で? ていうか何なのあんた

男  …

和哉 ちょっと、何か答えなさいよ。誰か呼びますよ


   無言で部屋を出る男。困惑する和哉。


和哉 何なんだ…


   ノックの音。


和哉 …はい


   ドアを開け入ってくる男。面接を受ける就活生のように一礼をして。


男  こんにちは!

和哉 そういうことじゃないっ

男  え?

和哉 別に僕はあなたのマナーがなってないとか、そういうことを言ったんじゃなくて

男  なーんだ


   偉そうに足を組んで座る男。


和哉 …で、誰なんですか

男  誰だと…思う?

和哉 人を呼びます

男  まあ、待ちなさい


   ノックの音。愛美が入ってくる。


愛美 入るよー

和哉 あ、ちょうどいいところに

愛美 なによ

和哉 変な人がいるんだ

愛美 変な人?

和哉 ロッカーから出てきたり

愛美 ロッカー?

男  やり直したじゃないか

和哉 そういうことじゃないっ

愛美 ?

和哉 名前を名乗れって言っても、名乗らないし

愛美 それは変な人だね

和哉 だろ? 追い出してよ

愛美 追い出す?

和哉 うん、そう

愛美 …和哉を?

和哉 え? いやいやいやいや、違うでしょ

愛美 はい?…そんなに出て行きたいの?

和哉 確かに病院からは出たいけど。じゃなくて、この人


   男を指す和哉。困惑の表情を浮かべる愛美。


男  人を指すな、人を指すな

愛美 この人?


   辺りを見回す愛美。男と明らかに目が合い、男はふざけた顔をする。愛美は全く反応せず視点を移す。


愛美 何言ってるの?

和哉 こいつだよ、このふざけた顔したおっさん


   男、更にふざけた顔とポーズをする。何ならタップダンスの一つでも披露しても良い。存在をアピールするが、愛美は何事もなかったかの様に。


愛美 …誰がふざけた顔よ、しかもおっさんよ

和哉 愛美じゃなくて、今そこでダンスを踊ったそいつだよ、この悪趣味なセーター着た奴だよ。お前、何してんだよ


   ピースをする男。


愛美 何か見えるの?

和哉 え?…見えないの?


   男、猪木の真似をし。


男  …1、2、3、ダー! 元気ですか!

和哉 うるさいっ

愛美 何よっ、うるさいのは和哉じゃない


   出て行く愛美。


和哉 ち、違う、ちょっと愛美

男  …あーあ


   男を睨む和哉。


男  怒らせちゃったね

和哉 あんたのせいだろ

男  なかなか可愛い子だ。彼女?

和哉 人の話を聞け!

男  ところでさ、どうして

和哉 え?


   男は和哉の手錠を指す。


男  ん?

和哉 これは、その…あんたには関係ないだろ

男  趣味?

和哉 違うわっ

男  どMですか

和哉 違うって!

男  プレイですね

和哉 勝手に納得するな

男  そう興奮するなよ

和哉 上から目線をやめろっ

男  自分に素直になれって

和哉 だから

男  どMはどMで需要がある

和哉 あー!! 話が前に進まん!


   ドアを開けて一喝する愛美。


愛美 うるさいっ!

和哉 …


   再びドアを閉める愛美。


男  また、怒られちゃったね

和哉 だから誰のせいだ…待て、落ち着け。相手のペースに嵌るな

男  やれやれ

和哉 そうだ、何で…見えないの

男  …

和哉 何で、何で…愛美は見えなかったんだ…そうかお前、霊か、霊なんだな

男  どうもこんにちは、痔・爆礼です

和哉 地縛霊?

男  いいえ、痔が爆発しそうでお礼を言いたい、痔・爆礼です

和哉 いちいち絡みにくい!

男  落ち着けよ

和哉 誰のせいだ!


   和哉が殴りかかろうとすると、出て行く男。


和哉 待てよコラ!…何なんだ


   間。


和哉 何なんだよ…


   ノックの音。


達也 入るぞ

和哉 あんた…何だお前か

達也 どうした?

和哉 この病院のセキュリティはどうなってるんだ

達也 何が

和哉 いや…いい。めんどくさい

達也 愛美いないの

和哉 もう行った

達也 さっき言い忘れてて、お前の検査結果なんだけど…何だ、その手錠は

和哉 愛美にやられた

達也 なるほど、もしかしてそれはプレイか

和哉 違う

達也 お前ら、そういう趣味なんだな。意外だ

和哉 違うって

達也 お前にMっ気があったとはなーやっぱり興奮するの? 興奮してしまうの?

和哉 聞けよ、もう…いいや

達也 まあラブラブってことだわな

和哉 そんなんじゃねえよ

達也 またまた

和哉 あのさ…実は折り入って相談があるんだけど

達也 何だよ、改まって。金なら貸さんぞ

和哉 金じゃない

達也 相変わらず愛美に借りてるんだろ、それはもう男としてどうかと思うよ。病院代だって

和哉 金の話はいいから!…あのさ、お前だから言うんだけど、あの日、プロポーズしたその日に頭打って病院運ばれたろ

達也 そうだよ、何でプロポーズの日に病院運ばれてるんだって話

和哉 酔って階段から足を滑らせたんだ

達也 いつも思うけどお前飲みすぎ

和哉 実は…覚えてないんだ、俺

達也 何を

和哉 …プロポーズ、どうやってしたのか、何を話したのか、そもそもその日愛美と話をしたのかも

達也 …何言ってんのお前?

和哉 何にも覚えてない

達也 そんなわけないだろ、あの日は確か夜8時頃まで俺と飲んでて…そしたらいきなりお前が愛美にプロポーズするって

和哉 本当に覚えてないんだ。昔よくあったろ、俺が飲みすぎて気付いたら路上に寝てたとか

達也 ああ、あった、あったな

和哉 薬局に置いてあるカエルの人形を抱いて眠ってたとか

達也 お前の部屋行くとよくあったな

和哉 返しに行った翌週にまた持ってきたり。飲みすぎると記憶がスカンとなくなる

達也 あの時お前は、生とカクテル5杯と…待てよ、じゃさっきの愛美とのやり取りは

和哉 芝居だ

達也 お父さんに会ったんだろ

和哉 全く記憶にない

達也 何でそんなこと

和哉 愛美、すごい喜んでたろ。俺が覚えてないとか言ったら傷付くと思って

達也 それにしても

和哉 お前だから言うんだけど

達也 あの時確かに酔っ払ってたけど、それにしても

和哉 面目ない

達也 そんなプレイしてるのに

和哉 関係ないだろ!

達也 というか、どうするんだプロポーズは…愛美は?

和哉 すっかりその気だ

達也 どうするんだよ

和哉 …俺、このまま行こうかと思ってるんだ、酔ってたとはいえ、実際プロポーズした訳だし。まあ、俺もその…将来的にそういう気持ちがあったのは確かだし

達也 そうか…わかった。そういうことなら、今のは聞かなかったことにするから

和哉 すまん、ありがとう

達也 まあ、ばれないように会話には気をつけろよ。女は鋭いからな

和哉 ああ…

達也 …


   達也、台本を手に取り。


達也 本当、全然読んでないな

和哉 何だよ、お前まで

達也 せっかく愛美が貰って来てくれたんだろ

和哉 いいよ、読みたいならどうぞ。むしろ出る?

達也 出るかよ! いつやるんだこれ

和哉 来月…出るの?

達也 出ない!…早く治して稽古行かないと

和哉 …そういう気分じゃない

達也 どうした?

和哉 お前だから言うんだけど、実はもう一つ問題が

達也 まだあるのか

和哉 どちらかというとこっちの方が大きい問題で

達也 何だよ

和哉 驚かないで聞いてくれるか

達也 早く言えよ


   ノックの音。


和哉 はい

女の声 失礼します

和哉 あ、来た…ちょっと待ってください。お前、ちょっとトイレ入ってて

達也 トイレ? 何?

和哉 いいから。俺がいいって言うまで出てこないで。で、ドアを軽く開けといて。話し声が聞こえるように

達也 何の話だ?

和哉 いいから。聞けば全てわかるから


   と、和哉は達也をトイレに促す。


達也 何なんだよ


   半開きのドアから聞き耳を立てる達也。和哉はベッドに入り、手錠を隠す。


和哉 どうぞ


   足利結愛(30)が入ってくる。スーツ姿の落ち着いた雰囲気の女性。


結愛 失礼します

和哉 着替えてたんで、すいません

結愛 こちらこそ急に伺ったから

和哉 僕の方から連絡すべきだったのに

結愛 入院中ですから仕方ないわ

和哉 すいません


   間。


結愛 …おかしいですよね、昨日も来たのに迷っちゃって

和哉 ああ、ここそうなんですよ。迷路みたいでしょ、変わってて

結愛 やっぱりそうなんですか

和哉 院長の趣味らしくて。すんなり辿りつけないんです

結愛 へー

和哉 …


   気まずい間。


和哉 で、今日は

結愛 はい、先日の

和哉 そうですよね、あの件ですよね

結愛 はい。できれば早めにいただきたいんです

和哉 そうですよね、わかってます

結愛 成り行きとは言え、約束は約束ですから

和哉 …すいません

結愛 誤解しないで欲しいんですけど、この間はつい勢いでああいうことになってしまったけど、私、いつもあんなに軽い訳じゃないんです

和哉 本当にすいません、僕も酔っ払ってて


   達也が身を乗り出して聞いているが、結愛には見えない。


結愛 でも、結果としてああいうことになった訳ですし、先生は私に約束をしたんですから、それは守っていただきたいんです

和哉 は、はい

結愛 先生、言いましたよね。うちの雑誌に新作の連載を載せるから、代わりに結婚を前提にお付き合いして欲しいって

達也 !


   達也が驚いて、ドアを開け出て行きそうになる。


結愛 何?


   結愛が振り向く前に達也が元の体勢に戻る。和哉は戻れという仕草。


和哉 どうかしました?

結愛 今、何か

和哉 気のせいですよ

結愛 ごめんなさい…で、冗談かなって思ったんだけど、先生、本気みたいだし。そういうの普段ならふざけるなって感じなんですけど

和哉 ですよね、本当ごめんなさい

結愛 でも、あんなたまたま行ったバーで、たまたま先生と隣り合わせて、で、そんな風に口説かれて、何て言っていいかわからないんですけど、アリかなって

和哉 …

結愛 本当勘違いしないで下さいね、私、そういう軽い女じゃないんです。こう見えてもたまに作家先生にセクハラとか口説かれたりすることあるんです。でも、そういう時はうまくかわしてて、誰でもいいって訳じゃないんです。でも、先生の作品て前から好きで、よく拝見してて、そんな作家にたまたま行ったバーで出会って口説かれてプロポーズまでされたら…交換条件付きでも、まあアリかなって。そう思ったんです、ちょっとヤケになってたから


   話を聞きながら、驚愕の表情に変わっていく達也。


和哉 ヤケ…

結愛  最近、長年付き合った彼にふられて、ずっと寝不足で、それが原因で仕事でおっきなミスして、編集長にめちゃくちゃ怒られて、すごく落ち込んでたんです、あの日

和哉 あぁ…

結愛  私、何やってんだろって。凹んで、やさぐれながら飲んでたんですあの日…あ、ごめんなさい。聞かれても無いのにベラベラと、私、何話してるんだろ

和哉 …いえ、続けてください

結愛 えっと…で、そんな時に先生と会って、すぐプロポーズされて…すごい陳腐な表現ですけど、運命を感じたんです

和哉 …

結愛  私、初恋が遅くて、大学の時付き合った人がはじめてで。今まで何人か付き合ったんですけど、その人のことが一番好きで、でも、その人とは結局別れちゃって…先生、すごく似てるんです、その人と。顔とかだけじゃなく、雰囲気も。ごめんなさい。まとまりないですね、本当何話してるんだろ

和哉 …いえ

結愛 それにしても驚きました。次の日、連絡を取ろうとしたら入院されてるなんて

達也 !

和哉 すいません、飲みすぎてしまって

結愛 いいんです、私も飲み過ぎてて…でも私は受け入れました。お酒の力を借りた部分はあったけど

和哉 …

結愛 なので先生も、新作の連載、お願いします

和哉 …はい、あの…ですね

結愛 あるんですよね、新作。ないなんて言わないですよね

和哉 …はい、今手直し中で。もうちょっと

結愛 よろしくお願いします

和哉 はい、あの…結愛さん


   去ろうとする結愛、立ち止まって。


結愛 あの夜の先生、素敵でした


   恥ずかしそうに去っていく結愛。鞄は置いたまま。


和哉 …ああ


   トイレから出てくる達也。


達也 おい和哉

和哉 …皆まで言うな

達也 何だ今のは、今のは何なんだよ!

和哉 聞いての通り、俺は彼女にプロポーズをした、ようだ

達也 どういうことだよ

和哉 こっちが聞きたい

達也 お前、愛美にプロポーズしたんだろ

和哉 した、みたい

達也 じゃ、さっきの彼女には

和哉 した、みたい

達也 何だよみたいって! お前のことだろ

和哉 記憶がないんだよ

達也 お前ふざけんなよ…て言うかさっきお前のこと先生って呼んでたけど

和哉 ああ

達也 お前、作家にでもなったのか

和哉 ああ、甲斐ゆとりって知ってるか

達也 甲斐ゆとり? ああ、ゆとり世代に熱狂的なファンがいるとかいう今売り出し中の作家だろ、謎が多いんだよな、関係者にも素顔を知る人間はほとんどいないとか

和哉 うん、それ

達也 え? 

和哉 甲斐ゆとり

達也 え? ええ? 何それ、お前が?

和哉 うん、彼女は甲斐ゆとりの新作の原稿を待ってる

達也 お前、役者やめて小説家になったの? ええ、何それ、マジか

和哉 だったらいいなって

達也 は?

和哉 どうも、だったらいいなって思ったみたいなんだ

達也 どういうこと

和哉 俺はバーで偶然居合わせた彼女に、そういう嘘をついたらしい

達也 何だって?

和哉 そして、甲斐ゆとりの連載をエサに彼女を口説きプロポーズまでした、ようだ

達也 何だそれ…あ、さっき言ってたな。入院の前の日って、愛美にプロポーズした日だろ

和哉 うん

達也 つまりこういう事か、お前は愛美にプロポーズしたその日に甲斐ゆとりになりすまし、あの女性にプロポーズしたのか

和哉 うん、要はそういうことみたい

達也 …一言言っていいか

和哉 …聞きたくない

達也 クズ

和哉 いやー!

達也 こっちがいやだよ、何だよお前は…そんなプレイしてるのに

和哉 プレイは関係ないからっ

達也 もしかしてそれさっきの彼女とのプレイか?

和哉 違う、これは愛美とのプレイ…じゃない! あーもう

達也 いったいどういうことなんだよ

和哉 全然覚えてないんだ、甲斐ゆとりになりすましたことも、プロポーズをしたことも

達也 お前さ、マジでどうするんだよ

和哉 彼女には折を見て本当のことを言おうと思う

達也 当たり前だ、すぐ言えよ。早くしないと愛美にばれるぞ

和哉 たださ、俺はかなりまずいことをしてるみたいなんだ

達也 まずいこと?


   ドアを開けて、突然入ってくる男。


男  何がまずいのかな

和哉 また出た…

男  悪いが話は全て聞かせてもらった!

和哉 どこから聴いてたんだ!

男  ドアの隙間からずーっと

和哉 もう何なんだよ

男  君のしたことは社会的に許されることではないぞ

和哉 まず、あんたは何なんだよ!

達也 おい…和哉

和哉 あ、しまった…これは、いや、その。あれ、おかしいな幻覚かな、疲れてんのかな

達也 誰だ、この人

和哉 え? お前、見えるの?

達也 見える? この人が? 当たり前だろ

和哉 は? じゃ、霊じゃないのか

男  …

達也 何言ってるんだ和哉、そいつ誰だ

和哉 達也、お前こいつが見えるんだな

達也 どういう意味だ?

和哉 おい、どういうことだよ

男  何ですか

和哉 見えるじゃないか、達也にも。あんた、幽霊なんかじゃ


   ノックの音。


和哉 もう、はい!


   ドアを開けて結愛が入ってくる。


結愛 すいません、鞄を忘れてしまって

和哉 あ、そうですか

結愛 あ、どうも

達也 あ、どうも

結愛 こちらは?

達也 主治医の平良達也です

結愛 あ、お医者さま。私、ええと彼の婚約者で雑誌の編集をしております

和哉 足利結愛さんだ

達也 へー、婚約者

結愛 はい

和哉 …

達也 へー

男  へー


   和哉に冷たい視線を投げかける達也と男。


和哉 …やめろよ

結愛 先生のこと、宜しくお願いします

達也 …はい


   結愛は達也には挨拶するが、笑顔を振りまき存在をアピールしている男は無視する。


和哉 (鞄を渡して)はい

結愛 すいません、じゃ

和哉 あ、結愛さん

結愛 はい?

和哉 この部屋に今、何人居ます?

結愛 え? 先生と私と、こちらの先生

達也 え?

和哉 三人…

結愛 はい、それが何か

和哉 いえ、別に

結愛 先生

和哉 え?

結愛 何で、手錠を?

和哉 え…

結愛 まさか

和哉 いや、違うんです、これは、これは

結愛 まさか、次回作の構想ですか

和哉 え

結愛 そういうエロチックな作品に?

和哉 …はい、実はそうなんです

結愛 純愛ものじゃないんですね

和哉 ちょっと作風を変えてみようかと

結愛 わかりました。そういうのもアリだと思います。私、楽しみにしてます。じゃ、失礼します

和哉 はい


   出て行く結愛。


達也 サラッと紹介するよな、(和哉の真似をして)足利結愛さんだ

和哉 いいだろ、それは

男  足利結愛さんだ

和哉 ウザい!…それより

達也 そうだ、どういうことだ

和哉 やっぱり、俺たちにしか見えないんだよ。幽霊なんだよ

達也 この人が…幽霊?

男  どうも、痔・爆礼です

達也 地縛霊?

和哉・男 いいえ、痔が爆発しそうでお礼を言いたい、痔・爆礼です


   男、和哉を睨む。


和哉 で、霊なんですね

男  …はい

和哉 何で、俺らにだけ見えるんだ

男  時々そういう人居るんです、他の人に見えないものが見えてしまう人間。まあ、あなたは見えると思いましたけど

和哉 俺? どういう意味です

男  何か、私の顔を見て思い出しませんか

和哉 あんたの、顔?

男  …

和哉 …知らない

達也 ていうか、何なんだよお前ら。全然ついていけないんだけど

和哉 あぁ

達也 まず、この人はっていうか、この霊は誰なんだ

和哉 さっきそのロッカーから出てきたんだ、誰かはわからない

達也 あんた、本当に霊なんですか

男  どうやらそうらしいんですが

達也 どうやらってどういう意味ですか

男  私、全然覚えてないんです。気がついたら誰も私が見えないみたいで、話しかけても気付かなくて。で、思ったんです。これは、もしかして私がこの世の者じゃなくなったからじゃないかと。で、幽霊になったのはわかったんですが、あとは自分がどこの誰かも全然わからなくて

達也 それって…幽霊の記憶喪失か?

和哉 ていうか、何でここに? 昨日はいなかったけど

男  自分の手がかりがないかなとポケットを探ってたら、一枚、メモを持ってまして

和哉 メモ?


   メモを取り出し和哉に見せる男。


男  28日、夜、藤原和哉。これだけ書かれていました

和哉 え…

男  つまり、私、一昨日の夜、貴方と会ってると思うんです

達也 で、手がかりがないかって思って来たって訳か

男  はい

達也 でも、この病院はどうやって?

男  幽霊って便利なんです、この人の所に行きたいと念じると行けるみたいなんです

和哉 本当かよ、じゃ家族の所に行けばいいじゃないか

達也 確かに

男  その家族の名前とか何も覚えてないので行けないんですよ

和哉 都合いい…だいたい記憶喪失の幽霊なんて

男  私も死んだのはじめてですから。もしかしたらそういうものなのかもしれませんよ

達也 …信じられないな

男  信じる信じないは勝手ですけど、とりあえず私が誰なのか教えて欲しいんです

和哉 て言われても俺、あんたのことなんか知らないし

男  さっき聞かせてもらったんですけど、あなた一昨日の夜の記憶がないんでしょ、つまりその夜に会ってるじゃないかと。貴方が記憶を取り戻せば私が誰だかはっきりするはずなんです

和哉 ていうかさ、俺、本当申し訳ないんだけど、今、自分のことで手一杯ていうか

男  こちらも必死なんです。まず、一つはっきりさせたいんですが、先程のまずいことって何ですか、あなたは彼女に何をしたんですか?

和哉 え

達也 そういや何か言ってたな、まずいことしたって

和哉 いや、その。ええと、酔った勢いで、あの、きっとそう悪気はないと思うんだけどさ、その

達也 何なんだよ

男  はっきりしましょう

和哉 だからその…最後までした、らしい

男  最後まで? 最後までしたの?

達也 お前、何やってるんだよ

和哉 いや、覚えてないんだけど。全然、全然なんだけど、彼女が言うにはそうらしくて

達也 マジの浮気だよ、本物だよ、バリバリだよ、どうするんだよ

和哉 でも覚えてないんだよ

男  覚えてなかったら何しても許されるって訳じゃないですからね

和哉 何か腹立つんだけど

達也 マジでどうするんだよ、お前、そもそも作家とか、原稿なんてどうするんだよ

和哉 どうしよう…

男  本当バカだな、どうしようもないな

和哉 だから何か腹立つんですけど

達也 本当に記憶ないのか、何か思い出せないのか

和哉 それが全然…どう思う? 三重人格なのかなあ

達也 知るかよ、もう!…待て、お前今、三重って言ったな

和哉 …

達也 三重ってなんだ、お前、まさか


   ノックの音。


和哉 はい

女の声 ハロハロ~

和哉 あ、ちょっと待ってください! 達也、隠れろ

達也 またかよ

和哉 いいから


   達也がトイレに隠れる。松平美結(23)が入ってくる。


美結 ダーリン、ハロハロー!

和哉 やぁ、どうも

美結 ダーリンに美味しいもの買って来てん

和哉 美味しいもの?

美結 キャラメルプリン、イチゴプリン、マンゴープリン、抹茶プリンどれにするー?

和哉 プリンばっか

美結 うちー、プリンが主食やねんー

和哉 僕、甘いものは苦手で

美結 ダーリンそんなん言わんといてーな。うちが食べさしたるー、あーんて

男  派手なねーちゃんだな

和哉 うるさいな

男  キャラが濃い


   男を見る美結。


美結 ん?

男  お?

美結 んん?

男  おおっ?

和哉 え? 見えるの?

美結 んんん?

男  おおおっ?

和哉 美結ちゃん、まさか

美結 なんか、この部屋くさいー

和哉 …何だ

美結 なんかーオヤジ臭がするわー


   ショックを受ける男。


美結 ダーリンの臭いとちゃうなぁ


   自分の臭いをかぐ男。


和哉 そ、そう? 変だねぇ


   男の肩を叩く和哉。泣きそうな男。


和哉 霊でも匂うんだ


   泣き崩れる男。


美結 レイ?

和哉 あ、何でもない。うるさいよー

美結 うるさい?

和哉 違う違う、えっと今日はどうしたの?

美結 ちょっとダーリンに会いたくなってー、来てん。迷惑やった?

和哉 ううん、全然。ただ、来る前には連絡もらえるといいなーなんて

美結 急に思い立ってんもん、しゃあないやんかー。メールはしてんけど、返事返ってけえへんねんもん。ダーリンのいけずー

和哉 そうなの? ごめん

美結 もう、ダーリンの意地悪ー


   男が立ち上がる。


男  …何かもうため息しか出ないね

和哉 何かすいません

男  俺は疲れた

和哉 なんか…

男  臭くねーし!


   男がロッカーを開ける。


美結 え、ええ? 何?

男  よっこいしょっと


   中に入りロッカーを閉める男。


美結 何? 勝手に開いたり、閉まったり。気持ち悪ー

和哉 実は…、ポルターガイストに悩まされてるんだ

美結 ポルターガイスト? てか、ダーリン、何で手錠?

和哉 気付くの遅いねー。いや、これも霊の仕業


   ロッカーのドアを開ける男。


男  違う、趣味だ。どMだから!

和哉 違う!


   ロッカーのドアを閉める男。


美結 きも! めっちゃきもい!

和哉 早く逃げた方がいいよ、危ないからこの部屋

美結 ダーリン、どうすんのー

和哉 逃げたいけど、霊の鎖が

美結 外せへんのー?

和哉 霊の呪いなんだ


   ロッカーのドアを開ける男。


男  違うから!


   ロッカーのドアを閉める男。


美結 わかった、どうやら逃げた方が良さそうやな。でも必ず来るからー

和哉 出来たら明日以降で


   美結が出て行く。達也がトイレから出てきて。


達也 おい

和哉 皆まで言うな皆まで言うな

達也 どういうことだよ、これは。どういう

和哉 覚えてないんだ

達也 お前、まさか

和哉 話を聞いてくれ

達也 またか、また一昨日か

和哉 決めた、酒やめる

達也 人間やめた方がいいんじゃないか

和哉 刺さるなー言葉が痛い

達也 あの子はなんなんだ

和哉 松平美結ちゃん23歳。ショップ店員

達也 何者なんだって聞いてんの!


   ノックの音。


和哉 はい

本多 失礼します


   と、サングラスをかけた強面の男、本多仁(35)が入ってくる。


和哉 あ…どうも

本多 どうも。お嬢さん、来てないですかね

和哉 あ、あ…いや、さっき。さっき、いらしてまして

本多 やっぱり

和哉 でも、すぐ、すぐ、帰られました!

本多 本当に?

和哉 本当です!

本多 隠すとためになりませんよ?

和哉 隠してなんて、ねえ?

達也 お嬢さんて?

和哉 プリンプリン

達也 ああ、確かに帰られました

本多 貴方は?

達也 彼の主治医で平良といいます

本多 そうですか、どこへ行くと言ってました?

和哉 いや、特に。なあ

達也 あ、ああ

本多 わかりました、もしまた顔出すようなことありましたらご連絡ください


   と、達也に名刺を渡す本多。


本多 よろしくお願いしますよ、藤原さん、平良さん

和哉 は、はい


   出て行く本多。


和哉 はー緊張した

達也 何だあの…明らかにそっち系の人は。(名刺を見て)松平興業、本多仁…

和哉 だから、そっち系だよ

達也 お嬢さんて呼んでたぞ、プリンの子を

和哉 つまり、お嬢さんなんだよ。そっち系の

達也 …お前、何したんだ

和哉 残念ながら

和哉・達也 覚えてないんだ

和哉 …

達也 帰る

和哉 待て、待て。待ってくれ

達也 帰って寝る。夜勤明けなんだよ

和哉 親友じゃないか

達也 今日ほどその事実を否定したくなった日はない

和哉 焼肉おごるからさぁ

達也 焼肉で足りるか!

和哉 冷麺つけるからさぁ、頼むよ

達也 冷麺…いや、そういう問題じゃない


   男、突然ロッカーから飛び出し。


男  甘ったれんな!

達也 !

和哉 …

男  悪いが話は全て聞かせてもらった!

和哉 またか

男  君のしたことは社会的に許されることではないぞ

和哉 あれ、デジャヴ…ねえ、確実に数分前と同じ台詞はいてるよね?

男  あんたみたいなダメ男が何で三股もかけられるんだ

達也 それは同感だ

和哉 三股じゃないから、全然記憶にありませんから

達也 だいたい何でヤクザの娘と。どこで知り合ったんだ

和哉 本当に覚えてないんだけど…彼女が言うには、俺はワインバーに行ったらしい。そこで、たまたま彼女が居て

達也 また口説いたのか

和哉 待て。彼女はその日、デート中だったらしいんだ

達也 お前は人の女にまで…本当見境ないな

和哉 聞け。彼女の父親の組ってのが零細ヤクザらしくて、本家筋のヤクザの若頭と政略結婚させられそうだったんだって。彼女は望まない相手から逃げようとして、そこを捕まって、もみ合ってる時にたまたま居合わせた俺が、そのヤクザを倒した…らしい


   と、そこにいつの間にか入ってきた美結がやって来る。


美結 あん時のダーリン、かっこ良かったわ

三人 !

美結 あのウザいオヤジにやめろって掴み掛かって、離せ!って突き飛ばして、そのままウチの手を取って走り出して…王子様や、これが王子様やって思ってん

和哉 …いつの間に

美結 本家の若頭やからって、あんなオヤジんとこ行くなんて最悪やーん。もう、ウチどうしても逃げたくなって、でも追いつかれて、それを…あん時ほんま運命感じたなーダーリン

和哉 うん

男  何だろ、何かムカつくな

達也 本当にお前がそんなことしたの? 信じられんな

和哉 俺も信じられない…(美結に)ていうかどうしたの?

美結 かくまってー。追われてんねんもーん

和哉 誰から?

美結 本多。しつこいんやー

達也 さっきの? でもお嬢さんて。組の人じゃないのか

美結 何やややこしいことになってるみたい。ちょっとトイレ借りるなー


   ノックの音。逃げるようにトイレに入る美結。本多が入ってくる。


本多 すいません、お嬢さん来てませんか

和哉 い、いえ

本多 本当ですか?

和哉 は、はい。なあ?

達也 え


   本多の携帯電話が鳴る。


本多 ちっ…もしもし、何だてめえか。あ? あ? あーん?…何言ってんだてめえ! ヤクザが素人になめられてどうすんだ? 追い込みがたらねえんだよ、追い込みが! 突っ捕まえて生爪何本か剥がしてやりゃ大人しくなんだろ、そんなことくらいてめえで判断しろや! クソが! 使えねえな


   イラつきながら電話を切る本多、一瞬で態度を変え。


本多 すいません、お騒がせして

和哉 (震えながら)いえ、お、お気になさらず

本多 何度もご迷惑かでしょうが、お嬢さんの行動範囲は限られてましてね。心当たりのところはあらかた探したんですが見つからない。あとは藤原さんのところ位しかないんですわ

和哉 本当に…来てません

本多 すいませんね、いやね、私も今日の通夜にお嬢さんを連れて行かないといかんもんで焦っておりまして

和哉 通夜?

本多 お嬢さんの婚約者の方が亡くなられたんですわ、その御通夜です

和哉 婚約者の方って

本多 先日、藤原さんが突き飛ばした橋場組の若頭で、黒田って人です

和哉 え

本多 そう、藤原さんが会われたあの夜にお亡くなりになってます

和哉 え…そ、それって、まさか…

本多 ああ…死因ですか。そう、死因は…(笑って)違います。あなたが突き飛ばしたからじゃありません。刺殺です。対立する組の奴にやられたようです

和哉 そうなんだ、そうですか、何だ、はー

本多 勘違いされたみたいですね

和哉 いえ、ああ、刺殺ですか。怖いな、そーかー、刺殺かー。お気の毒です

本多 ただその時、黒田さんは意識を失われてたみたいで、それで刺されたんだろうって、そういう話です

和哉 え、それは…まさか

本多 そう、藤原さんが突き飛ばして不覚にも黒田さんは気を失ってしまった。そして、刺されたとこういうことです

和哉 そ、それって

本多 藤原さんが責任を感じることではありませんよ、素人に突き飛ばされた位で気を失うヤクザがいけないんです

和哉 …あの、俺

本多 ただ、橋場組の連中はそうは思わないかもしれないってことです

和哉 あ、ああ…

本多 奴ら、若頭を突き飛ばした素人の男も追ってて、お嬢さんの周りを張ってるって噂もあります。あまりお嬢さんに近付かない方が、賢明です

和哉 はい、はい…

本多 ヤクザにも色んなタイプがいますから、私みたいな紳士的なのも、そうじゃないのも、ね?


   本多の携帯が鳴る。


本多 では、失礼します。お嬢さん見かけたらご一報お願いします。もしもし…またてめえか! 


   と、出て行く本多。


和哉 …こええ

達也 やばい、やばいぞこれ。とりあえず俺、帰るわ

和哉 待てよ!

達也 夜勤明けなんだって、ちょっと寝て頭をすっきりさせないと

和哉 今日だけは頼む!

達也 今日だけは嫌!


   逃げる達也。


和哉 薄情者!…どうしたら…そうだ、とりあえず彼女に出て行ってもらわないと


   トイレのドアをノックしようとする和哉。ノックの音。


和哉 ! はい! またかよ…


   結愛が入ってくる。


結愛 失礼します

和哉 あ、どうしたの?

結愛 ちょっと相談したいことがあって

和哉 何?

結愛 先生

和哉 はい

結愛 先生、私にプロポーズしましたよね?

和哉 え、ええ、はい


   と、トイレの方を気にする和哉。


結愛 ということは、私を守ってくださるってことですよね?

和哉 え、まあ


   と、トイレの方を気にする和哉。


結愛 そう信じていいんですよね?

和哉 はい!


   と、トイレの方を気にする和哉。


結愛 さっきから何を気にしてるんですか?

和哉 いや、ちょっと誰かに聞かれると…恥ずかしいなって、シャイなんで

結愛 私、狙われてるんです。ストーキングされてるみたいで

和哉 ストーカー?

結愛 はい

和哉 それ、相手はわかってるんですか?

結愛 はい

和哉 じゃあ、警察に行った方が

結愛 警察は実害が出てないと何もしてくれないんです。私の場合、ラブレターとかが来るだけだし

和哉 今時ラブレター…

結愛 同じ職場の人で、特に何かをされたとかは無いんですけど、本当に気持ち悪くて。それとなく私には他に好きな人がいるって言ってみたんですけど、私がだまされてるんだとか、聞いてくれなくて

和哉 あらー…

男  社会は病んでるな

結愛 今日もここまで尾行されたみたいで、さっき受付まで辿り着いたら見かけて。私、怖くて、気付いたらここまで…先生、私を守っていただけないでしょうか

和哉 …

結愛 先生!

和哉 …はい、わかりました

結愛 よろしくお願いします…ところで原稿は?

和哉 いや、そんなすぐには

結愛 確かエロチックな作品って

和哉 そーだね…そんな感じ

結愛 先生の体験談も入ってるんですか?

和哉 そうだねーあるかも

結愛 まさか私とのことも…書くんですか

和哉 え?

結愛 あんなことも、こんなことも書くんですか?

和哉 ちょっと結愛さん

結愛 あんなことや、こんなことまで…恥ずかしい、恥ずかしい!

和哉 いや、あのね

結愛 でも、でもでも先生の作品のためなら、オラ、オラ…

和哉 結愛さん?

結愛 一肌脱ぎます!


   上着を脱ごうとする結愛。


和哉 何してるんですか!

結愛 え、え?…やだオラ…恥ずかしい!


   和哉を突き飛ばす結愛。


和哉 痛いっ

結愛 先生、大丈夫か?

和哉 結愛さん、何か言葉

結愛 すいません…私、秋田出身で、興奮すると訛りが。やだもう!

   

   和哉を叩く結愛。


和哉 痛いっ

男  いちゃついてるとこ悪いけど

和哉 いちゃついてません!

男  もうすぐ誰かこっちくるよ

和哉 ! 結愛さん

結愛 何ですか、先生?

和哉 ちょっとまずいことが起きそうなんだ

結愛 どうなさったんです?

和哉 今すぐこの部屋を離れて欲しいんだ

結愛 この部屋を? どうして?

男  もう来ちゃうよー

和哉 出来れば…そうだ、そっちの窓から

結愛 え? 窓から? どうして?

和哉 そのドアから出ると恐ろしいことが起きるんだ

結愛 恐ろしいこと? 何です?

和哉 そこ、幽霊がいるの

結愛 ええ? 幽霊?

和哉 ここ危険だから、さっきから…ポルターガイスト現象に悩まされている

結愛 ポルターガイスト?

和哉 そう、ポルターガイスト!


   と、男の方を指す。男、俺?という仕草。和哉、あんたという仕草。和哉、ロッカーを揺らせというジェスチャー。男、仕方なくロッカーを揺らす。


結愛 えっ、何?

和哉 あの揺れ方

結愛 え、もしかして霊ですか

和哉 間違いなくそのようだ!

結愛 じゃ、部屋を変えてもらわないと

和哉 すぐ言うよ看護師さんに! 逃げるんだ! 大丈夫、ここ一階だし!

男  もう来ちゃうよー

結愛 あ、でも先生を置いては

和哉 いいから、僕は大丈夫! 君だけでも!

結愛 先生!

和哉 早く早く!

結愛 先生、あとで必ず来ます

和哉 今日は勘弁して!


   窓から逃げる結愛。息を切らす男。


男  はぁ、はぁ

和哉 ご協力ありがとう

男  何なんだよ

和哉 あなた、他の人には見えないみたいだから、うまく行くかなーと思って

男  …

   

   ノックの音。狼狽える和哉。


和哉 はい!


   達也が入ってくる。


和哉 何だ、お前か…

達也 …冷静になって考えてみたんだけど、やっぱり無理があると思うんだ

和哉 何が?

達也 同じ日に三人にプロポーズするなんて、どう考えても。愛美はともかくあの二人怪しくないか

和哉 え…そうかな

達也 だいたいお前みたいなほぼ無職がモテモテってのが気に入らない

男  要は嫉妬だな

達也 絶対美人局だ、詐欺だ、そうじゃないと世の中おかしい。俺なんか医者で容姿も悪くないのに彼女いないというのにおかしい!

和哉 …じゃあさ、あの二人が仮に詐欺だとして、俺をハメて何の得がある訳? 俺、金なんか全然持ってないし。もちろん隠し財産もないし何も取れないよ。お前ならともかく

達也 自慢か、自慢か? 俺も詐欺でいいからモテたいっ

和哉 …

達也 モテたい、モテたい、モテたい!

男  バカはほっといて、早く思い出してください

達也 バカって言うな!

和哉 だから、あなたに関わってる暇ないんですって。何だよ、とっとと成仏しろよ、意味わかんねえよ!

男  …

和哉 すいません、俺は自分のことでいっぱいいっぱいなんです。お引取りください

男  …そうはいかない


   徐々に、おどろおどろしい雰囲気へ変わる。


和哉 え?

男  私が誰なのかあなたは知っているはずだ、それを思い出して欲しい

和哉 俺はあんたなんか知らないって

男  いや、知っている。少なくとも私が死ぬ直前に私はあなたに会っている

和哉 …そんなの、でたらめだ

男  でたらめじゃない、あなたは私の記憶を取り戻さなくてはならない

和哉 だからそんなのに関わっている暇は

男  協力しないのならば、あなたを道連れにする

和哉 何?

男  協力しないならあなたを道連れにする、確実に呪い殺す

和哉 何を…

男  私は本気だ、自分が何者か知ってから死にたいんだ、そのためなら何だってする

和哉 そんな無茶苦茶な…達也、何とか言ってやってくれよ

達也 あんたさ、落ち着いて話さないか。言ってること無茶苦茶だぞ

男  邪魔をするなら、あんたも道連れだ!

達也 ! 和哉、協力してやれ

和哉 おいっ

達也 記憶を取り戻すのはお前のためでもあるんだ、愛美やあとの二人はその夜のことを覚えてるんだろ、それとなく聞き出せばいいじゃないか

和哉 変わり身はやっ

達也 死ぬ前に自分のことをちゃんと把握しておきたいって気持ちはよく分かるよ、協力してやろう

男  あなた、いい人ですね

達也 僕だけは殺さないでね

和哉 …


   ノックの音。


和哉 はい


   入ってくる愛美。


愛美 和哉、話が…どうしたの?

和哉 何でも、何が?

愛美 汗かいてるけど

和哉 空調壊れてるんじゃない?

愛美 そうなの? あとで言っておくね(達也に)帰ったんじゃないの?

達也 け、検査結果を伝えようと思って

愛美 仕事熱心ね、(和哉に)台本読んだ?

和哉 そんな暇ないよ

愛美 どう見ても暇でしょ

和哉 色々あったんだ!

愛美 色々?

達也 本当、色々なー…

愛美 何かいやらしいな…ま、いいわ。それでさ、今後のスケジュールなんだけど

和哉 スケジュール?

愛美 色々と、式の日取りとか

和哉 ああ

愛美 こういうのって段取りが大切だから

和哉 そうね

愛美 …検査結果は伝えた?

達也 まだだけど…

愛美 何しに来たの

達也 …また今度にするわ。じゃあ

和哉 え、行くの

達也 お邪魔だから

愛美 ごめんね

和哉 後でな、必ずな

達也 おう


   達也、出て行く。


愛美 何か名残惜しそうね

和哉 検査結果を聞かないと

愛美 そんな悪かったの

和哉 わからないけど、気になるじゃないか

愛美 で、式なんだけど。高校の友達とか、ルームシェアしてる皆とか色々呼びたいんだけど

和哉 あぁ

愛美 ねぇ、聞いてるの?


   男が和哉をつつく。


和哉 …わかったよ。愛美、先にごめん。一つ聞きたいことが

愛美 何よ

和哉 あの日、プロポーズした夜さ、俺、誰か他の男とも一緒じゃなかった?

男  …

愛美 誰、他の男って?

和哉 中年の、ていうか初老の、おっさんなんだけど

男  おっさん言うな!

愛美 私と家族と、和哉だけだったけど?

和哉 その時、俺がテーブルを離れてそういう男と喋ったりしてなかった?

愛美 全然。どうかした?

和哉 何でも、それならいいんだ

男  どうやらこの子は知らないようですね

愛美 ていうか和哉、あの夜のこと覚えてないの?

和哉 え、も勿論覚えてるよ! たださ、ほら、酔っ払ってもいたから、ちょっと記憶があいまいなところがあって。もちろん、プロポーズとかお父さんに会ったこととか、鮮明に覚えてるよ

愛美 ならいいけど

和哉 そうだ、鍵は? これ外して欲しいんだけど

愛美 ダメよ、逃げるでしょ

和哉 そんなわけない

愛美 信用できないもん

和哉 じゃ…変えてくれないかな、この部屋

愛美 どうかしたの?

和哉 病室を変えて欲しいと思って

愛美 急にそんなこと言われても、個室の空きはなかなかなくて、どうかしたの?

和哉 この部屋…何かいるんだ

愛美 何かって

和哉 誰もいないのに、揺れたりする

愛美 気のせいじゃないの

和哉 よく揺れるよ…今も

愛美 え?…揺れてないよ


   男に合図を送る和哉。


和哉 あのロッカーが今ほら


   また?という表情の男。うなずく和哉。仕方なくロッカーを揺らす男。


男  …

愛美 あ…あ

和哉 ほら、ほら!

愛美 何で? 何かいるの? それとも地震?

和哉 地震じゃない、地面は揺れてない

愛美 本当だ

和哉 もっと揺れるよー!


   男、激しくロッカーを揺らす


愛美 きゃー!


   和哉に抱きつく愛美。もういいという仕草の和哉。揺れが止まる。


和哉 おさまったみたい

愛美 大丈夫? 大丈夫なの?

和哉 もう大丈夫。だから、病室お願い

愛美 …わかった、かけあってみる

和哉 ありがとう

愛美 和哉はどうするの?

和哉 鍵外してくれないと

愛美 わかった。取ってくるね!


   辺りを見回しながら、出て行く愛美。息を切らす男。


男  はぁ、はぁ

和哉 ナイスロッカー!

男  …絶対思い出してもらいますよ

和哉 頑張ります

男  …


   ノックの音。


和哉 はい!


   武田一詩(35)が入ってくる。長髪に眼鏡をかけ、オタク風の服装をしている。武田は気持ちの悪い高い声。(人数が少ない場合、本多と二役にしても可)


武田 すいません、こちら。藤原さんの病室ですか?

和哉 はい…あ、いえ! 違いまーす

男  何言ってるんですか

和哉 だって、ヤクザだったらどうするんだよ!

男  あんなヤクザはいない

和哉 人は見た目じゃわからないだろ?

武田 藤原さんですよね?

和哉 は、あの…ど、どちらさまですか?

武田 週刊ヤング文豪の武田と申します

和哉 ああ、結愛さんと同じ…そっちか

武田 はい、同じ編集部で働いているものです。あなたが藤原さんですか

和哉 ああ、良かった。藤原ですけど、何です?

武田 うちの足利から原稿の話を聞いたもので。で…あなたが

和哉 はい、そうです。甲斐ゆとりです

武田 …

和哉 とは言っても、結愛さんに話したんですけど、まだ執筆中でして。もう少し待っていただけないでしょうか

武田 …それは?

和哉 何ですか?


   武田、手錠を指し。


和哉 あ、これは違います。取材の一環で

武田 取材

和哉 いろんな愛の形を研究してるんです

武田 いろんな…失礼ですが、本当に甲斐先生で?

和哉 え、ああ…まあ見えないでしょうけど。思っておられたより若いでしょうし。ほら、作家って実際に会ってみるとイメージと違うってよくあるじゃないですか

武田 なるほど

和哉 はい

武田 なるほどねー


   間。気味の悪い笑い声をあげる武田。


武田 ふふふ…あなたが甲斐先生、あなたが

和哉 なんだこの人

男  キモい、キモいぞこいつ

武田 あ失礼。何でもないですから


   ノックの音。


結愛 失礼します、先生やっぱり私

武田 やあ

結愛 !…どうして、あなたがここに

武田 君がさ、この病院に通ってるようだって聞いたもんでさ、心配になっちゃって

結愛 あとを尾けたんですか

和哉 つけた?

武田 僕はただ君が心配で

結愛 私のことには構わないでくださいって何度も言いましたよね

和哉 どういうこと? この人

結愛 さっき言ってた人です

男  ストーカーか

和哉 え…でも、僕の原稿の話を知ってたし

結愛 どうしてそれを…盗聴してるんですか?

武田 馬鹿なことを、そんなことする訳ないじゃないか

結愛 じゃあどうしてあなたが先生の原稿のことを知ってるんですか! 私、誰にも話してないのに

武田 君の考えてることは何でもお見通しなんだ

結愛 やめて、鳥肌が、ああ、気持ち悪い

武田 君の身長、血液型、趣味、スリーサイズ、好きな食べ物に至るまで

結愛 やめてくださいっ

武田 好きな飲み物に至るまでー!

結愛 やめろ!

和哉 どういうこと?

結愛 この人は同じ職場の先輩で武田さんです、さっき言ってた人です

和哉 じゃ、この人が

結愛 お願いします、先生

和哉 すいません。帰ってもらえますか

武田 …

和哉 彼女、どう見ても嫌がってますよね、出て行ってください

武田 そんなこと言っていいんですか

和哉 何ですか

武田 知ってるんですよ、あなたの秘密

和哉 え…さっき会ったばかりの人が何を

武田 いいんですね、言っちゃいますけど、本当にいいんですね?

和哉 …ちょっと来て


   と、上手に武田を連れてくる和哉。


和哉 何ですか、秘密って

武田 あなた、甲斐ゆとりじゃないですよね?

和哉 何を…私は、正真正銘甲斐ゆとりです

武田 いいんですか、そんなこと言って

和哉 何なんですか

武田 私、知ってるんです。本物の甲斐ゆとりを

和哉 え…


   結愛が近付いてくる。


結愛 何話してるんですか、先生に何を

和哉 いや、何でもない

結愛 とにかく迷惑です。出て行ってください

武田 …ふん。また来ます。ねえ先生

和哉 …

結愛 二度と来ないで


   武田が出て行く。


結愛 すいません

和哉 あれが、ストーカー

結愛 はい。先生、私怖い

和哉 …大丈夫、大丈夫だから

結愛 顔色、悪いですけど

和哉 いや、あ、なんでもない…本物の

結愛 先生?

和哉 何でもない、まさか…


   達也、戻ってくる。


達也 和哉、大丈夫か

和哉 おお、戻ってきてくれたか親友

達也 (結愛に気付き)また連れ込んでる

和哉 その言い方やめて

達也 今愛美とすれ違ったぞ、青ざめてたけど。まさか、ばれたんじゃ…

和哉 違う違う、ポルターガイストだよ

達也 ?

男  ゴホン

和哉 ん?…あぁ、そうか

結愛 どうしたんですか

和哉 いや、ちょっと…あの、この間、結愛さんとはじめて会った夜のことなんだけど

結愛 ええ、素敵な夜でした

和哉 …

結愛 やだ私ったらもう…思い出しちゃった

和哉 ごめんなさい、そういうことじゃなくて。あの夜、僕ら二人以外に誰か

結愛 誰か?

和哉 僕ら以外の誰か、いなかったかな

結愛 他のお客さんはいたと思いますけど、バーのマスターと、何人か

和哉 バーは、キラーは、よく行くところだから。マスターも知ってるし。他のお客さん、そう、そのお客さんの中にさ、誰か

結愛 もしかしてあの時、武田さんが?

和哉 さっきの? 違う違う、そうじゃない

結愛 何だ、驚かせないでください、本当鳥肌…

和哉 そうじゃなくてさ、お客さんの中に、その…初老の男とかいなかった?

男  初老ではないけどね

和哉 …

結愛 初老の男?

男  断じて初老ではないね、ナイスミドルだ

達也 あんたうるさいよ

男  ナイスミドルはゆずれない!

結愛 さぁ、他のお客さんなんて見てなかったし、私、先生とお話するのに夢中で…やだもう。恥ずかしいだ!


   と、和哉を叩く結愛。


和哉 痛!

結愛 あ、ごめんなさい

和哉 いやいいよ。そうか、それならいいの。ごめん、変なこと聞いて

結愛 いいえ

和哉 だって

男  手がかりなしか…はぁ

和哉 あと結愛さん、僕らのことなんだけど

結愛 何ですか?

和哉 しばらく秘密にしておこう

結愛 え、どうして

和哉 僕は有名になり過ぎた。あんまり公にすると君まで心ないマスコミに追い回されてしまう。これは、君を守るために必要なんだ

結愛 そうですね…わかりました


   トイレのドアからノックの音。


和哉 あぁ…忘れてた!


   和哉はトイレの前に行く。トイレのドアを開け、出ようとする美結、それを止める和哉。


美結 本多行ったん?

和哉 うん、でももうちょっとだけ待って…(ドアを閉め)結愛さん

結愛 はい?

和哉 またポルターガイストが

結愛 え?


   和哉が男の方を指すが、男は落ち込んでいる。


和哉 おいっ

男  …私は一体

和哉 おいっ、おいってば

男  …


   再びノックの音。


結愛 あの、トイレに誰か…?

和哉 いや違う…達也、何とかしてくれ

達也 何とかって、そうだ…結愛さん。顔色が優れないようですね

結愛 え、そんなことは

達也 きっとストーカーのストレスで精神的に参ってるんだ。こういう時は寝た方がいい、そのベッドに

結愛 え、でもここは先生の

達也 いいから、いいな?

和哉 もちろん!


   ノックの音。美結の声。


美結 開けるでー


   トイレの前に行きドアを押さえる和哉。ドアを開けようとする美結。


結愛 でも誰かトイレに

達也 幻聴だ!

結愛 幻聴?

達也 何か聞こえるか?

和哉 何も!

美結 ちょっとー何で開かへんの!

結愛 これ、幻聴なんですか?

達也 これはまずい、緊急を要する! 早く寝て

結愛 は、はい…


   渋々ベッドに寝る結愛。


達也 iPod持ってたな?

和哉 もちろん! そこ!


   達也は結愛にベッド上のiPodを渡す。


達也 こういう時は音楽を聴きながら心安らかに眠るのが一番なんです!

結愛 そうなんですか?

達也 医者が言うんだから間違いない! 早く、早く


   iPodを聴く結愛。咄嗟に布団を頭からかける達也。


和哉 ありがとう、親友!


   ドアを開けて入ってくる美結。


美結 ダーリン、いつまで待たせんのー

和哉 ごめんごめん、ちょっと立て込んでて

美結 何回ノックしたと…うん、それ何ー?

和哉 ん? 何のこと?

美結 そこ、ダーリンのベッド。何かモコってなってるやん。誰かおるん?

和哉 い、いるわけないじゃないか、なぁ

達也 うん? もちろん!

美結 いや、おるしー

和哉 いないって

美結 じゃあ見せてー

和哉 仕方ないな…いいけど、本当にいいんだね

美結 何が?

和哉 これ犬だからね、布団剥がしたらすごいスピードで走っていくかもしれないよ

美結 犬? 何で犬がダーリンのベッドに

和哉 迷い込んで来たから保護したんだ、迷路みたいになってるから

美結 鳴き声も聞こえへんしー


   和哉が達也をつつく。


達也 (後ろを向いて)ワン、ワンワン

和哉 ほらほら

美結 ちょっと見せてー

和哉 凶暴だから、凶暴だから

美結 ええって


   美結が布団に近付く前に、達也が布団をめくり結愛を美結から見えないようにする。


和哉 あっ逃げた! あっち

美結 え?


   布団を下ろす達也。


達也 ワンワン、ワンウー

美結 犬が? どこ?

達也 あっち、あっち走って行った

美結 どこにもおらへんよー

和哉 そっちへ行ったよ!


   男がトイレのドアを開ける。和哉、ガッツポーズ。


達也 ほら、自分でトイレのドアを開けて

美結 マジで? どこよー


   美結はトイレへ、結愛がiPodを外し起き上がる。


結愛 先生、ダメです

和哉 どうしたの?

達也 ちゃんと寝てないと

結愛 音楽がうるさ過ぎてとても寝れる状況じゃ…

達也 何入れてたんだよ

和哉 ヘビメタ

達也 バカ野郎!

結愛 頭がガンガンして

達也 いいから寝てなさい


   と、布団をかぶせる達也。


美結 何もおらんよー


   トイレから出てくる美結。


和哉 おかしいなぁ


   入り口のドアを開ける男。


和哉 あ、あっち行ったんじゃない?

美結 ドアが開いた…

和哉 高速で動く犬なんだ!

美結 どこ行ったん?

達也 あっちだよ、ついて来て!


   と、達也は走って行く。美結はついていこうとする。


和哉 グッジョブ!


   美結が立ち止まる。


和哉 え…?

美結 やっぱりーめんどくさい〜プリン食べよっと

和哉 …

美結 ウチよう考えたら猫派やし

和哉 …意味ねー、戻ってこいよ!

美結 何?

和哉 いや、えーと…またポルターガイスト出るよ、早く戻った方が

美結 出ようとしたんやけど、入口に組のもんが待ち構えててなー、出れんかってん

和哉 さっきの

美結 あいつしつこいねん、オッさんが死んだからってー

和哉 ああ、婚約者の…

美結 ダーリン

和哉 え?

美結 もしかして気にしてるんかもしれんけど、ダーリンは何も悪くないからな、ダーリンはオッさんからウチを守ってくれただけ

和哉 ああ…ありがとう

男  ちょっと

和哉 何だよ

美結 どうしたん?

和哉 何でもない

男  今思ったんですけど

和哉 何だよ

男  あの夜、あなたと私が会ってる件

和哉 後でいいですか

男  その若頭が、黒田って人が私なんじゃないですか?

和哉 え…あんたがヤクザ? まさか

男  あの夜、あなたは確実にそのヤクザと会ってるんでしょ? 聞いてみてくださいよ、どんな男だったか

和哉 わかりましたけど…(美結に)ごめん。その若頭、黒田さんってどんな男だったっけ? 一瞬だったから覚えてなくて

美結 え? そやなあ、普通やで。普通のおっさん。一見カタギにしか見えん、中年のおっさんて感じ

男  間違いない、その男が、その男が私ですよ!

和哉 考え過ぎじゃない?

男  可能性は否定できない、あなたに突き飛ばされて気を失い刺された男、その男が

和哉 服装とかは?

美結 すごい悪趣味なセーター着てる


   和哉、男、ハッとした表情


男  悪趣味な…

和哉 …僕は、その、突き飛ばしただけって

男  藤原さん!

和哉 俺は無実だ!


   そこに、ドアを開け本多が入ってくる。


本多 お嬢さん、やっぱりここに居たんですか

美結 本多!

本多 隠すとためになりませんと申し上げたはずですが

和哉 隠してなんて、今来られて。たった今

本多 なめとったらカタはめるぞ、あぁ?

和哉 ! すいません!

美結 本多!

本多 …一緒に来ていただきますよ、お嬢さん。オヤジがお待ちです

美結 嫌やってもう、あんなオッさんの葬儀に何でウチが


   結愛が起き上がる。


和哉 !

結愛 まだ頭が…うーん…あれ、どうしたんですか?

本多 お嬢さんが行かないとウチのメンツが丸潰れなんですよ

美結 んなもん関係あらへん!

結愛 誰ですか、あれ

和哉 寝てください、ね、ね?

美結 ダーリン助けて!

和哉 そんなこと言われても…

結愛 あの人、もしかして

本多 手荒な真似はしたくないんですが、オヤジの命令です、ご勘弁を…

美結 ああっ! パパ!


   と、窓の外を指す美結。


本多 オヤジ!?


   窓の方に気をとられる本多、直立不動で居住まいを正す。その隙をついて逃げ出す美結。


本多 え、どこに…ああっやられた、お嬢さん!


   走り去る本多。間。


結愛 先生、今のは

和哉 え

結愛 どう見てもヤクザでしたよ、どうなさったんですか

和哉 いや、何でもない

結愛 先生、私たち婚約してるんですよ。隠し事はしないでください

和哉 大したことじゃない

結愛 私はあなたの全てが知りたいんです。何か悩んでるなら全てを打ち明けてください

男  いい子じゃないか、全てを打ち明けてやったらどうなんだ。相談に乗ってくれるかもしれない

和哉 黙ってて、他人事だと思って

男  …

結愛 他人事だなんて思ってません! 私は先生のこと

和哉 違う、今のは…違うんだ、これはね…取材なんだ

結愛 取材?

和哉 そう、新しい小説の題材に関する、そう、結愛さんの雑誌に書く小説のネタにしたくてね。でもほら、僕今こういう状態じゃないか。だから来てもらったんだよ

結愛 取材…?

和哉 逆に良かったよ。あんな危険な連中、事務所に行って話を聞いたんじゃ何されるかわからないからね。それに…約束したからさ。早く書き上げないとと思って

結愛 先生…

和哉 信じてくれる?

結愛 はい…でもダーリンって呼んでたのは

和哉 あ、ああ、さっきのね。違うんだ、あの子は、この病院に入院してて

結愛 入院?

和哉 そう、ちょっと心を病んでるんだ。ヤクザの組長さんの娘なんだけどね、ダーリンダーリンてうわ言のように僕に

結愛 ヤクザの娘に恋人と勘違いされてるってことですか、それってすごく危険なんじゃ

和哉 いや違う、ダーリンていうのは…犬なんだ

結愛 犬?

和哉 可哀想に、僕のことを死んだペットの犬と間違えてるんだ

結愛 …そんなことがあるんですか?

和哉 世の中は常識では計れないことばかりなんだよ、これも小説の題材にしないと

結愛 そうだったんですか

和哉 作家っていうのはね、本で読んだとか映画を見たとかじゃ書けないんだ。自分で経験しないと、リアルな読者に訴えかけるような文章は書けないんだよ

結愛 そういうものなんですね、勉強になります

和哉 誤解が解けてよかったよ

結愛 あ、それじゃ私…

和哉 結愛さん、ちょっと

結愛 え?

和哉 その…この間はつい何というか勢いでああいうことになって、そのまま結婚を申し込んでしまったし、勢いで結愛さんもOKしちゃったと思うんだけど、一生のことだからさ、もし結愛さんにその気がなかったら、もし本心からのことじゃなかったなら、その…なかったことにしてもらっても

結愛 勢いじゃありません! そりゃ最初はなし崩しに勢いでああいうことになったのかもしれないけど、それは否定はしないけど、でも、でも、オラは先生が好きだ!


   と、そこに美結が入ってくる。


美結 ダーリン、ただいまー、ん?…!


   ドアを開けようとして結愛が居るのに気付き、ドアを開けずに隠れる美結。


美結 …

結愛 先生の声が、目が、腕が、そしてその指から産み出される物語の全てが、私は好きなんです。もう、先生以外の相手なんて考えられない、ずっと、ずっと一緒に居たい

和哉 …

結愛 それとも先生は、私が嫌いですか? 私と一緒に居たくないの、この先歩んでいきたくないんですか

和哉 いや、そんな、そんなこと…ないです

結愛 先生


   抱き着こうとする結愛。そこで美結がノックする。


和哉 あ! やば! 

結愛 (抱き着こうとしている自分に気付き)私、はしたない…失礼します


   結愛が出て行く。入れ替わりに入ってくる美結。


和哉 あ…美結ちゃん!

美結 ダーリン

和哉 な、何?

美結 ダーリン、どういうこと

和哉 いや、その

美結 今、ここに居た女何? ダーリンに抱きついてたけど

和哉 え?

美結 スーツ来た何か化粧の濃い女、どう見てもダーリンに抱きついてたけど、誰?

和哉 ああ、結愛さんか

美結 何なんダーリン。まさかこのウチと二股?

和哉 違う違う違う。そんな訳ないだろ。あれは、彼女は…そう、達也の恋人だ

美結 達也?

和哉 友達の、医者の、居たでしょさっき

美結 ああ、あの。それが何でダーリンと

和哉 彼女が相談があるからって、それで…

美結 相談て何よ、何でダーリンとひっつかなあかんの

和哉 いや、彼女…彼女は、そう、達也があいつがここの部屋担当の看護師と浮気してるみたいで、それで相談に

美結 浮気?

和哉 そうそう、そうしたら彼女泣き出しちゃってそれで慰めてただけなんだ。だから決して浮気じゃない

美結 先生っていうのは

和哉 医者の先生って意味

美結 先生と歩んで行きたいって

和哉 達也とね! 本当彼女べた惚れでさー

美結 そーなんや

和哉 そーなのよー


   二人、乾いた笑い。


美結 ほんまに?

和哉 ほんまに!


   間。


美結 ダーリン、優し過ぎー、そういう隙見せたらあかんで、女に

和哉 はい、ごめんね

美結 にしても浮気とか、どうしようもないクズやな。一回しめなあかん

和哉 ううっお手柔らかに

美結 ダーリンやない、あの医者や。あいつ戻ってくるまでいるからー

和哉 ええ?…それはマズイな

美結 何が?

和哉 とにかくマズイんだ

美結 だから何が?

和哉 早くしないと

美結 早くしないと何よー

和哉 悪いけど出て行って

美結 また?

和哉 ポルターガイストがもう大変なことになってるんだ!


   合図する和哉。揺らす男、オッケーのサインをする和哉。


美結 マジ?

和哉 マジ、早く早く


   ドアから出ようとする美結。


和哉 そっちは駄目


   構わずドアから出る美結。入ってきた愛美とすれ違う。


美結 またなーダーリン

和哉 うん…おお、ジーザス!

愛美 …(美結を目で追い)

和哉 愛美…(男に)何で教えてくれないんだよ?

男  黙ってろと言われたもので

和哉 そういう時は言うの!

愛美 和哉、今の誰?

和哉 え、何が?

愛美 今出てった子、ていうか女、誰?

和哉 ていうかどうしたの?

愛美 隣の部屋から苦情が、ヤクザが出入りしてるって…それより今の派手な子誰よ?

和哉 愛美ちょっと待って。これ誤解なんだ

愛美 誤解って?

和哉 その、あの…芝居なんだ

愛美 芝居?

和哉 全部、芝居の稽古なんだ。そう、ヤクザも、あの女の子も

愛美 稽古って…もしかして今度の?

和哉 そう、今度の、近藤が書いた芝居の稽古をしてたんだ。ほら、入院中だから俺が台詞覚えられるようにわざわざ病院まで

愛美 その割には、知らない顔ね

和哉 新人女優だから。今月入ったばっかりなんだ

愛美 どういうストーリーなの

和哉 望まない結婚をさせられそうになったヤクザの娘を救う男の話

愛美 ふーん、和哉は何の役?

和哉 ヤクザの娘を救う男…

愛美 …主役ってこと?

和哉 いや、まあ、うん…そんなところかな

愛美 やったじゃない、和哉! 脇役って言ってたのに

和哉 近藤もやっと俺の秘めたる才能に気付いたみたいなんだ

愛美 本当に…すごいね、やったね

男  お取り込みのところ申し訳ないが…誰か来るよ

和哉 またかよ(あたりを見回しながら)どこか違うとこで話さないか

愛美 何よ

和哉 歩きながら話したいな

愛美 どうして?

和哉 ほら、ここ落ち着かないし

愛美 歩きながらの方が落ち着かない

和哉 とりあえずこれ外してよ

男  来た、来たっ

和哉 え?

男  来たぞー!

和哉 愛美、行って!

愛美 ええ、もう

和哉 走って、逃げて! 来るから、もう来るから!

愛美 何が?

和哉 エクソシスト!

愛美 エクソシスト?

男  …


   一瞬の間の後、エクソシストのようにブリッジする男、歩こうとするがうまく歩けない。


愛美 何?

和哉 間違えた、あんたも見えてないんだから意味ないだろ! ポルターガイスト!


   男、慌てて立ち上がり、ロッカーを揺らす。


和哉 急げ愛美。危険だから、危険だから!

愛美 わかった、和哉は?

和哉 鍵、鍵!

愛美 そっか


   愛美は鍵を取り出し和哉に渡す。


和哉 俺はいいから、逃げて早く! 後で行くから! 窓から、窓から!

愛美 わかった!


   窓から出て行く愛美。緊張の間。武田がやってくる。


武田 こんにちは、先生

和哉 お前かー! 何なんだよ

男  来るとは言ったが誰とは言ってない

和哉 あんたなー!

武田 どうしたんですか?

和哉 何でもありません!


   悪態をつきながら手錠を外す和哉。


武田 先程はゆっくりお話ができなかったので伺いました

和哉 えっと…さっきも言いましたが、甲斐ゆとりは私なんですけど

武田 もういいですって、私は本物を知ってるんだから

和哉 その…確かに編集者との打ち合わせをたまに行うことはあるよ。そこで、甲斐ゆとりと会ったことがあるのかもしれないけど…でもね、そこに現れた甲斐ゆとりが本物だっていう証明は出来ないんじゃないかな

武田 …そう来ましたか

和哉 甲斐ゆとりの正体はあくまでミステリアスにしておかないと。そう思った私は編集者との打ち合わせにそれらしい影武者を派遣した

武田 なるほど

和哉 わかってもらえたかな、私は本物の甲斐ゆとりなんだ。結愛さんを騙してなんて

武田 …一つ教えてあげます

和哉 何?

武田 私は編集者として甲斐ゆとりと会ったことはありません。ウチの雑誌に甲斐ゆとりの小説が載ったことはない。だから結愛くんも原稿を取るため躍起になったのでしょう

和哉 え…

武田 でも、私は彼と会ったことがある。何度も、何度もね…どうしてだと思います?

和哉 …さぁ

武田 …ふふふ、ふふふふ


   気味悪く笑う武田。


和哉 うわー

男  キモい、本格的にキモいぞこいつ!

武田 失礼…だって当然じゃないですか、甲斐ゆとりは私の父なんですから

和哉 父?

武田 だから、あなたが甲斐ゆとりのはずはないんです、だって彼は私の父親なんだから

和哉 父?

武田 私の父は、作家甲斐ゆとりなんです

和哉 …えーマジ…えーマジかよ、何だそれ

武田 あなた誰なんです、何故父の、甲斐ゆとりのフリをしてるんだ

和哉 いや、僕は…じゃあなたはお父さんに頼まれてここへ

武田 父は現在失踪中です、一昨日の夜から

和哉 一昨日の夜?

武田 電話には出てこないし、もしかして何かあったんじゃないかと。そうしたら結愛くんが父と接触し原稿の掲載の約束を取付けたと…これはおかしいと私は思った

和哉 …そんな


   男が和哉の肩を叩く。


和哉 何? 何だよ

男  今、思ったんですが、私、甲斐ゆとりなんじゃないでしょうか

和哉 へ? 何言ってるの

男   甲斐ゆとりは一昨日から家族とも連絡を取れず、行方不明になってるって、あの人言いましたよね。もしかして、甲斐ゆとりは、もうこの世にいないんじゃ

和哉 何を言ってるんだ?

男  甲斐ゆとりのふりをした貴方の前に甲斐ゆとり本人が現れたら、どうします

和哉 どうするって…そりゃ謝る

男  謝っても許してもらえなかったとしたら、彼女に全てを話すと言われたら?

和哉 …それは

男  あなたにとって甲斐ゆとりは邪魔な存在でしかなかった

和哉 …ちょっと待ってください

男  甲斐ゆとりはどんな服をきていましたか、聞いてください

和哉 あの、お父さんは甲斐ゆとりはどんな服を普段着ていましたか

武田 服? 悪趣味なセーターが多いな

和哉 …

男  これで決まりだ

和哉 …流行ってるんです、きっと

男  こんなもん流行るか! あなた私を…甲斐ゆとりを、殺したんじゃないんですか?

和哉 そんな、そんな訳…

男  あなた、本当にその夜の記憶がないんですか? やましいことがあるから記憶がないふりをしてるだけじゃないんですか?

和哉 やめてくれよ、もう

男  答えてください、さぁ答えろ!

和哉 …もう、僕は…

武田 さっきから何独り言言ってるんです

男  邪魔するなー!


   男が武田を突き飛ばす。


武田 うわっ何だ

男  答えろ、思い出せ!

武田 何だここ、怖い!


   出て行く武田。そこに美結が飛び込んでくる。


美結 ダーリン! やっぱり心配で!

和哉 美結ちゃん

男  あなた、本当は!

和哉 違うわ、ボケー! 行こう!

美結 え?


   美結を連れ、出て行く和哉。


男  …私は一体、誰なんだ!


   倒れこむ男。間。達也に連れられ、結愛が入ってくる。


達也 それは大変でしたねー

結愛 何回も出て行こうとするんですけど、その度に迷ってここに帰ってくるんです

達也 僕が後でご案内します、とりあえずお茶でも

結愛 本当申し訳ないです


   達也、冷蔵庫からペットボトルの茶を取り出し。


結愛 先生、いらっしゃらないみたい

達也 すぐ戻ってきますよ、はい

結愛 ありがとうございます

達也 …あの

結愛 はい?

達也 あいつのどこがいいんです?

結愛 先生?

達也 はい

結愛 それはもう色々…まず作品が素晴らしい、才能に溢れていて。でもそんなすごい作品を書くような方に見えなくて、とても優しくて親しみやすい

達也 それはそうでしょう

結愛 え?

達也 だってそれは…あ、いや何でも

結愛 どうかしました?

達也 …あーもったいない

結愛 はい?

達也 いやその、あなたのような美しい方が、何故…

結愛 先生?

達也 あー忘れてください、今、まずい。全てをぶちまけそうになりました

結愛 どうしたんですか、どこか具合でも?

達也 ハートの問題です

結愛 心臓、お悪いんですか?

達也 …持病で

結愛 まぁ


   愛美がやって来る。


愛美 入るわよー、あ

達也 愛美!

愛美 また居る…

達也 色々あるんだよ!

愛美 (結愛に気付き)あれ?

達也 これは、その、あの…彼女は、えっと

愛美 結愛さん?

結愛 あ、愛美ちゃん?

達也 へ、お知り合い?

愛美 私のルームメイトの結愛さん

達也 …ルームメイト、彼女が?

愛美 そうよー、歳も近いし気が合うの、ねー?

結愛 うん

達也 え、え?…ちょっと、愛美来て

愛美 何よ

達也 いいから

愛美 何なのよ

達也 どういうこと?

愛美 だから私のルームメイトの結愛さんよ

達也 ルームメイトてことは…一緒に住んでるの?

愛美 何当たり前のこと言ってるのよ、女の子四人でルームシェアしてて、そのうちの一人、編集者やってる結愛さん。もういい?

達也 あぁ…


   達也は携帯をかける。


達也 和哉、応答せよ、応答せよ、ヘルプ! ヘルプ!

愛美 病室で携帯かけちゃダメよ

達也 ごめん、ちょっと緊急なんだ…出ろよクソ

愛美 呼び出し? じゃ、早く行かないと

達也 すぐ行かないといけない訳じゃないんだ

愛美 じゃ、外でかけてください

結愛 この病院に勤めてたのね

愛美 そうなの、でもどうして結愛さんが?

結愛 私は、その…婚約者がここに入院しててそれで

愛美 え、婚約者? 婚約したの?

結愛 そうなの、プロポーズされたのはつい一昨日のことなんだけど

愛美 ええ? 私も一昨日プロポーズされたところなの、偶然だね、すごいね! おめでとう!

結愛 そうなの? それすごい! おめでとう!


   笑う二人。その様子を青ざめて見る達也、電話を再びかける。


達也 ヘルプ、ヘルプ! 応答せよ、こちらはものすごいことになっている! 応答せよ!

愛美 だから携帯はやめなさいよ、迷惑よ!

達也 今は危機的状況なんだ!

愛美 なら早く駆けつけなさいよ!

達也 この病室が危機的状況なんだよ!

愛美 ?…どこが? どー見ても和気あいあいよ

達也 ああっもう

愛美 わけわかんない…あれ? そうだ、結愛さん、どうしてこの病室へ?

結愛 ああ、それは

達也 (遮り)道に迷われてるようだったから、とりあえずこの部屋にお連れしたんだ

愛美 あんたに聞いてない

達也 それは本当のことだから!

愛美 それは?

結愛 私、方向音痴

達也 この病院の構造が複雑なんですよ、院長の趣味で。ああ、実はオヤジなんですけどね

結愛 そーなんですか

達也 いわゆる跡取り息子です、御曹子です

結愛 へーすごい

達也 それほどでもー

愛美 婚約者のいる人にアピールしないの。ねえ、何でここに?

達也 え

愛美 だから何でわざわざここに

結愛 それはね

愛美 だって、ここ和哉の

達也 あー!

愛美 うるさいわね

結愛 かずや?

愛美 私の恋人、和哉っていうの

達也 あーヤバい、知らない、知らないぞ

愛美 結愛さんの婚約者は?

達也 …うわぁ

結愛 あー(考えるがわからず)…ゆとり?

達也 …え?

愛美 ゆとりって?名前なの?

結愛 そうね、あだ名みたいなもんかな?

愛美 あだ名?

達也 セーフ…ギリギリだ、ギリギリだ

結愛 愛美ちゃん、仕事中なの? この部屋が担当?

愛美 うん、そうよ。それにここは

達也 ! あ、お、おおっ!


   苦しみだす達也。


達也 ダメだ、うおおっ!

結愛 先生?

愛美 どうしたのよ!

達也 頭が、頭が痛くて。持病の頭痛が!

愛美 持病なんてあったっけ?

達也 皆には内緒にしてたんだ、頭が、頭が割れそうに痛い

結愛 心臓じゃなかったんですか?

達也 …心臓も割れそうに痛いー!

結愛 大変!

愛美 大丈夫? 誰か呼んでこないと

達也 ちょっと今呼ぶから


   携帯を取り出しかける達也。


愛美 自分で呼べるの?

達也 出てくれ…あ、つながった。もしもし! 和哉?

愛美 何で和哉を呼ぶのよ!


   そこにドアを開け入ってくる和哉。


和哉 もう何なんだよ。やっと美結ちゃんをを巻いたのに。何回も何回も…!


   愛美と結愛がいるのに気付きドアを閉める和哉。それに気付く達也。しかし二人は和哉に気付かず。


達也 おい!

結愛 ごめん愛美ちゃん

愛美 え?

達也 あの野郎

結愛 コンタクトを直したくて。お手洗いどこかしら

愛美 トイレならここを曲がって…ちょっとわかりにくいかも

結愛 どうしよう、また迷いそう

愛美 良かったらそこの使えば

結愛 いいかな? じゃ、お言葉に甘えて

達也 逃がすか!

愛美 そういえば頭痛は?

達也 あ、治ってるー

愛美 何なのよ!

達也 どうしたんだろー


   達也は和哉を連れ戻しに出て行く。


愛美 何だろ、あれ

結愛 さぁ


   トイレに行く結愛。軽く愛美に微笑みかける。頷く愛美。達也が和哉を連れ戻ってくる。


達也 逃げてる場合かっ

和哉 もう嫌だもう

達也 こっちが嫌だよ、何とかしろよ…あれ、どこ行った?

愛美 和哉、ちょっとトイレ借りたわよ

和哉 愛美、その…これはだな、深い事情があって

愛美 何言ってるの、いつも言ってるでしょルームメイトの

和哉 本当申し訳ないんだけど、俺は全然!…ルームメイト?

愛美 そう、ルームメイトの結愛さん、ちょっとトイレ借りたから

和哉 え…ルームメイトって

愛美 いつも言ってるでしょ、四人でルームシェアしてて、そのうちの一人、編集者の結愛さん。本当、話聞かないんだから

和哉 …そうなんだ

愛美 会ったことないでしょ、式にも来てもらうから。ちゃんと挨拶して

和哉 …

愛美 彼女もちょうど一昨日プロポーズされたんだって。で、偶然にもさ、この病院に入院してるんだって、信じられる?

和哉 …

愛美 聞いてるの?

和哉 あ、うん。すごい偶然だねー

愛美 でしょー

和哉 本当信じられない


   笑う二人。乾いた笑いの和哉。


和哉 じゃ、また

愛美 どこ行くのよ

和哉 いや、ちょっとトイレ

愛美 もう空くわよ、我慢して


   和哉が達也に近付く。


和哉 ちょっと達也…どういうこと

達也 そういうことだよ

和哉 こんな状況になってるんなら、何で教えてくれないんだ!

達也 何度も連絡しました! 誰かさんが無視しただけっ

和哉 俺のことは

達也 まだばれてはいない。お互いの婚約者が両方ともお前なんてことはな

和哉 うるさいよ…もうくそ


   男に近づく和哉。


男  …何

和哉 先生、お願いします

男  何だよ先生て

和哉 ポルターガイスト先生、何卒お願いします

男  またか

和哉 状況はわかりますか

男  ぐっちゃぐちゃだってことは見ててわかるよ

和哉 …あなたが甲斐ゆとりかどうか、私は覚えてないけど、思い出すよう全力で努力しますからお願いします

男  …何しろっていうの

和哉 とりあえず、結愛さんを閉じ込めてください。全力で思い出しますからっ、速攻で、速攻で。お願いします!

男  仕方ないな


   男がトイレのドアを抑える。結愛がトイレから出てこようとする。


結愛 あれ、え?

愛美 どうしたの

結愛 ドアが開かない

愛美 何で? 本当だ

和哉 そういえば建て付けが悪かったかも

愛美 そうだったっけ?…何とかならないの?

和哉 ダメだ。愛美、助けを呼んできて

愛美 もう


   愛美、出て行く。


和哉 ナイス! もういいよ


   男がドアを離す。


和哉 やっと開いた!

結愛 何なんですか! あ、先生? いったい何が

和哉 これもポルターガイスト現象なんだ!

結愛 これも?

和哉 とにかく部屋を離れた方がいい

結愛 じゃ先生も一緒に!

和哉 僕はまだ、やることがあるから

結愛 やることって

和哉 …除霊を

結愛 除霊?

和哉 これも取材の一環でね、言っただろう! 作家は自分の経験をもって読者に

結愛 訴えかけるんですね、わかりました!

和哉 悪霊退散、悪霊退散、とえりゃー!


   結愛が走り去る。


和哉 助かった…

達也 お前って奴は、本当大嘘つきだな


    ノックの音。


和哉 今度は誰だよ


   美結が入ってくる。


達也 モテる男は辛いねー

美結 ダーリン…あ!


    美結が達也を平手打ちにする。


達也 ! な、な…

美結 二股なんてかけんなや!

達也 え?

美結 このクズ!

達也 え…俺、俺が? 何のこと

美結 とぼけんなや、スーツの女と看護師と二股かけてたくせに、全部知ってるんやで?

和哉 …二股は良くないと、思うよー

達也 和哉、お前…

美結 したんやろ、二股

和哉 …(頼む)

達也 …はい

美結 クズ

達也 ううっ、ううっ…畜生ー!


   手元にあった台本を丸め、和哉を叩く。


和哉 いてっ

達也 ばかー!


   台本を持ってトイレに逃げ込む達也。


美結 何すんねん!


   達也を追おうとする美結、それを和哉が制し。


美結 ダーリン

和哉 彼も、混乱してるんだ。一人にしてやってくれ

美結 ほんま優しいな、ダーリンは

和哉 …そんなことも、ないよー

男  全くだ

和哉 …


   愛美が戻ってくる。和哉は愛美、美結それぞれに話し掛ける。


愛美 結愛さん! ごめん誰もつかまらなくて

和哉 愛美!…もう大丈夫、開いた開いた

愛美 結愛さんは?

和哉 帰ったよ、何か用があったみたい

愛美 何よ、もう

美結 誰?

和哉 えっと、達也の…

美結 もう一人の方か

和哉 そうそう

愛美 また稽古してるの?

和哉 稽古熱心なんだ、新人女優だからさ

愛美 病室を稽古場にしないでもらいたいんだけど

美結 あんたも悪い男に引っかかったなぁ

愛美 え?

美結 でも心配せんとき、ウチがバチンいっといたったから

愛美 え? 何言ってるの?

和哉 相手にしない方がいい

美結 思い切りバチンていったったから

愛美 誰を?

美結 あんたの彼氏


   愛美、和哉の方を向く。


和哉 おうっ


   和哉、慌てて頬を押さえる。


愛美 殴られたの?

和哉 うん…まぁそんなとこ

愛美 ちょっと何で殴ったりするのよ

美結 何でって、そんなん


   和哉はとっさに美結の口を塞ぎ奥へ連れて行く。


美結 何よダーリン

和哉 彼女はまだ知らないんだって

美結 え? マジでー?

和哉 二股かけられてたことを知ったら傷付いちゃうだろ、とにかくここは俺に任せて


   和哉は愛美のところに行き。


愛美 何で和哉があの子に殴られなきゃいけないのよ

和哉 芝居の稽古、さっきから言ってるだろ

愛美 稽古なの? 話しかけてくるから

和哉 役に入り込んじゃう子なんだよ、合わせてやってよ

愛美 私役者じゃないし、台本もないし…あの台本は?

和哉 達也が持ってった

愛美 もう、どうしたらいいのよ

和哉 アドリブ、アドリブ

愛美 できないって


   愛美に恐る恐る話しかける美結。


美結 まぁ…あれや、要はあんたがどうしたいかやと思うねん。あんたがどれだけあいつを好きかってことやと思うねん

愛美 あいつ?

美結 あんたの彼氏や、他の女に目移りせんようにバチっと

愛美 他の…女に


   和哉を見る愛美。


和哉 芝居だから芝居だから

愛美 芝居よね


   ドアを開けて結愛が駆け込んでくる。


結愛 先生!

愛美 結愛さん?

和哉 帰ったんじゃなかったの?

結愛 あいつが追いかけて来て

和哉 もっと早く言えよ!

男  気付かなかったんだよ

和哉 最悪だ最悪だ…

愛美 あいつって?

和哉 ストーカーみたい

愛美 前に言ってた奴ね…あれ、和哉が何でそれを知ってるの

和哉 え? たまたまさっき聞いたんだよ

美結 ダーリン、やばいで。修羅場やーん

和哉 う…うん

美結 早く医者をトイレから出さんと二人の殴り合いが始まるでー

和哉 三人だったりして

美結 何か言った?

和哉 何でも

結愛 もう本当いや、怖い

和哉 俺も怖い…

愛美 大丈夫だから、追いかけて来たら私がガツンと言ってあげる

結愛 愛美ちゃん

美結 何かに追われてるんか?

愛美 ストーカーよ、しつこく付きまとって

美結 何やて


   トイレのドアを叩く美結。


美結 ちょっとー、出てきいや

愛美 何やってるのよ

美結 あの人の彼氏がここ閉じこもってるんや、彼女が大変なことになっとるでー

愛美 彼氏、何で? 結愛さん、彼氏がトイレに?

結愛 え? 彼氏は…


   と、和哉を見る結愛。視線をそらす和哉。


和哉 この子は相手にしない方がいい

愛美 これも芝居? 稽古なの?

結愛 芝居?

愛美 あ、彼女は劇団員で

結愛 え? あの子はヤクザの娘じゃ

愛美 それは、そういう設定なんだけど

結愛 設定? でも先生は取材を

美結 あかん、全然出て来いひんわ彼氏

愛美 芝居なんでしょ、台本ないからわかんないけど

和哉 うん、そうそう

結愛 芝居なんですか、心の病だってさっき

和哉 芝居もするけど…心の病でもあるんだ。むしろ、芝居によりリハビリを行ってるんだ

愛美 そんな子女優にして、ちゃんと出来るの?

和哉 演技の才能はあるんだよ!

美結 ダーリン、何の話?

愛美 ダーリン…

結愛 ダーリンていうのは犬なの。彼女は、彼を犬だと思い込んでるらしいの

愛美 …重症じゃない

美結 何の話や? 今はどんな展開? 修羅場、修羅場?

和哉 いや、今は見てのとおり仲良さそうに犬の話をしてるよ

美結 また犬出たん? どこ?

結愛 いないですよ、犬なんか

美結 さっきそのベッドに居て、ダーッとトイレの方まで走って行ったんや

結愛 だから、先生を犬と間違えてるんでしょ?

美結 居たなぁ犬?

和哉 …そういえば、居た気もするなー

愛美 ちょっとー衛生的に問題よ

結愛 ええ? いるの?

和哉 ごめん、そうみたい


   愛美、結愛、美結、犬を探す。


和哉 …何だこの光景…カオスだ

愛美 そういえばさ、結愛さんの彼氏って何してる人?

結愛 え?

愛美 いいじゃない、教えてよ

結愛 えっと…作家なの

愛美 作家! すごいじゃん!

和哉 …

結愛 そんなことないんだけど

愛美 すごいよー! 有名な人?

結愛 有名と言えば有名だけど…

愛美 誰、誰よ? 教えて

結愛 私のことはいいじゃない、愛美ちゃんの彼氏は?

愛美 私は…俳優なの

結愛 役者さんてこと? すごいじゃない!

愛美 いやいやー全然売れてないし。ねー

和哉 あ、あぁ…

結愛 (和哉に)彼氏、知ってるんですか?

愛美 知ってるも何も

和哉 おおっ、うわぁ!

愛美 何よ

和哉 頭が、頭が割れそうに痛い!

愛美 あなたも?

結愛 大丈夫ですか?

美結 ダーリン、大丈夫!

愛美・結愛 どこ!?

和哉 何てうっそー

愛美 何なのよもう…そういえば、入院してる婚約者の具合ってだいぶ悪いの?

結愛 え?

愛美 よく考えたらストーカーなら、まずそっちに守ってもらうべきだよね

結愛 うん…愛美ちゃんならいいかな、実は

美結 聞いたらあかん、人には色々事情があるんや

愛美 また入ってきた…

美結 ストーカーから守ってもらいたくても、出て来れんくてトイレにこもったりー

愛美 勝手に稽古はじめないでよ

美結 あーまどろっこしい、言うたろかなー

和哉 ううっ気持ち悪

愛美 どうしたの?

結愛 大丈夫ですか?

和哉 目の前の光景が現実かと思うと気持ち悪くて

美結 ダーリン

愛美・結愛 どこ?


   犬を探す二人。


和哉 そうだ、皆ポルターガイストが

結愛 そういえば除霊をしてたんじゃ

和哉 してたよ、もちろん! 悪霊退散! えいや、はいや!

愛美 除霊なんてできるの?

和哉 勉強したんです!

美結 何してんのーダーリン

愛美・結愛 どこどこ?

美結 なー何してんの

愛美 犬はどこなのよっ

美結 犬なんかどうでもいいやろ、あんたら自分の恋人のことわかってんのかいな

愛美 はぁ? どういう意味よ

美結 恋人のことをどこまで知ってんのかってことや

愛美 あなたに言われなくてもよく知ってます、ちゃんとここにいるし


   愛美は和哉を見て、和哉は視線をそらす。美結はトイレを見る。結愛は辺りを見回す。


結愛 え? ここって、愛美ちゃんの恋人って

愛美 あぁ、紹介するね、私の婚約者の

和哉 !…


   と、そこにドアを開けて本多が入ってくる。


本多 またここですか

美結 …本多

本多 いい加減にしてくださいよ、オヤジがお怒りです

美結 ウチは行かへんて言ってるやろ、な、ダーリン


   犬を探す愛美と結愛。


本多 そういう我儘が通らない世界なのはご存知でしょう

美結 ウチかて、好きでこんな家に産まれたんとちゃうわ!

愛美 迫真の演技ね…

結愛 演技、演技なの?

愛美 今度やる芝居のね

結愛 でも、本物なんでしょ? 本物のヤクザを取材のために呼んだんでしょ?

愛美 取材? 演技なんでしょ?

結愛 本物なんですよね

和哉 …どっちでしょう

本多 大人しく来ていただけないなら、彼にもご迷惑がかかりますよ

美結 何やて

本多 橋場組の奴らは、黒田さんの意識を失わせた男を探してますから。私がちょっと、この場所を教えてやれば奴ら喜んであの方をさらうでしょう

美結 汚いで!

本多 それが、ヤクザじゃないですか

美結 だから、そういうところが、あんたらのそういうところが嫌いなんや!

本多 …

愛美 すごいこと言ってるけど、芝居なのよね? 話はよくわかんないけど、本当だったらさらわれちゃうよ、コンクリ詰めだよ、魚のエサだよ

和哉 そこまでは言ってないけどね…芝居だよ芝居

結愛 芝居なんですか? リアルな経験だけが、読者に訴えかけるって

和哉 元ヤクザだからいいの

結愛 元ヤクザなんですか?

愛美 元なの?

和哉 もう更生したんです、だから大丈夫!

男  あのー…そろそろ思い出しました?

和哉 こう次から次へと色んなことがあったら、思い出す余裕なんかないよっ

男  そうか…なら仕方ありません

本多 お嬢さん、いい加減に


   本多が美結に近づく。その時、男がロッカーを揺らし、扉を開け閉めする。


愛美 え? 何よ、何なのよー!


   ベッドを揺らす男。


結愛 きゃー!


   手を叩く男。


美結 何や、何なんやこの部屋!

本多 お嬢さん!


   出て行く愛美、美結、本多。息を切らす男。和哉、男の手を取り。


和哉 ありがとう!

男  いいから、早く思い出して

和哉 わかったよ…あ


   結愛が座り込んでいる。


和哉 …逃げなかったの?

結愛 …腰が抜けたみたいで

和哉 大丈夫?

結愛 大丈夫です、先生は逃げられないんですか?

和哉 僕は…除霊しないと

結愛 私もお手伝いします

和哉 いいよ、それより結愛さん

結愛 はい

和哉 本当にあの夜、僕は…誰とも話してなかった?

結愛 え?

和哉 例えば結愛さんがトイレに立ったことは? 一人きりの時は無かった? 僕は、本当のことが知りたいんだ

結愛 …

和哉 結愛さん?

結愛 …あの夜、私は永年付き合っていた彼氏にふられ、仕事のことで編集長から怒られ酷く落ち込んでいました。いつもは行かないバーに立ち寄って、いつもはしない一人呑みをして…そんな私に先生は優しく声をかけてくれました。包み込むように、とても優しく

和哉 ごめん、僕が聞きたいのは

結愛 甲斐ゆとりの噂は、よく存知あげてました、ファンですから。だから分かってたんです。甲斐ゆとりはもっと年輩の方だって。先生のような若くて優しい男性じゃないって

和哉 え…

結愛 私がトイレに立って戻ると、先生は近くで呑んでいた別の年輩の男性と話をしていました。その男性は先生を恫喝しているようで、先生は外へ連れ出されました

和哉 それって…

結愛 私は怖くなって、どうしていいかあたふたしていたら、10分程して先生が戻ってきました。そのまま2人で店を出ました。あの男性は、どこにもいませんでした

和哉 まさか…

結愛 男性は、悪趣味なセーターを着ていました

和哉 …

結愛 そのことがどういう意味があるかはわかりません、先生はその後も優しくて…あとはお話したとおりです

和哉 そんな、そんな…

結愛  でも私は信じています、先生を。先生は、先生だけは私を騙したりなんかしない。あの男みたいに。ねぇ、先生…原稿あるんでしょ、約束守ってくれるんですよね…私と結婚したいって、連載もしてくれるって言いましたよね! んだべな、先生!

和哉 …出て行ってくれ

結愛 先生?

和哉 少し、一人にしてくれ…出てってくれ

結愛 …わかりました


   結愛が去る。


男  君は…

和哉 …違う

男  やっぱり

和哉 知らない、僕は知らない!

男  やっぱり君が…!

和哉 俺じゃない! 俺は、人殺しなんかじゃない!

男  …

和哉 本当に、何も…覚えてないんだ!


   崩れ落ちる和哉。間。そのまま這って、トイレの前に行き、ドアを叩く和哉。


和哉 達也、開けろ!開けてくれ!助けてくれ!


   ドアがゆっくりと開き、達也が憮然とした表情で出てくる。


和哉 ああ、達也!良かった、良かった! 助けてくれ、お前が居ないともう…


   達也が和哉に掴みかかる。


達也 お前、どういうことだ

和哉 ああ、さっきの二股か、あれは仕方なかったんだ、ああするしか手が

達也 違う、これだ!


   達也が手に持っていた台本を突き出す。


和哉 これ台本…何が?

達也 これはどういうことだ、どういうことだよ!

和哉 何を怒ってるんだ

達也 お前、俺をはめたのか

和哉 はめたって…だから二股のことは

達也 違う、この台本読んでみろ!

和哉 何を…今はそんな場合じゃ

達也 じゃあ俺が内容を言ってやる。この芝居は三幕の短編でできてる。 一幕目は女性編集者が作家と恋に落ちる話、二幕目はヤクザの娘が政略結婚させられるところを主役の男が救い出す話だ!

和哉 え? それって…

達也 そうだ! あの二人とお前のエピソードと全く同じなんだよ、これはどういうことだ?

和哉 え…そんな

達也 これは何のドッキリだ、お前俺を騙して何をするつもりなんだ?

和哉 そんな…俺は、俺は騙してなんていない

達也 じゃ、この台本は何なんだよ!

和哉 俺はまだその本読んでないんだ…そういう話なのか?

達也 え…お前、本当に知らなかったのか?

和哉 知ってたらまず疑うよ

達也 じゃお前あの二人に

和哉 まんまと騙されてた?…ってことか


   結愛と美結が帰ってくる。


美結 ダーリン! 怖かったー

結愛 先生

和哉 …あぁ

結愛 さっきはごめんなさい。変なこと言って

和哉 いいんだ

美結 ダーリン、ウチもう疲れたープリン食べていい?

和哉 …どうぞ

結愛 犬なんかいませんよ

美結 さっきから何言うてんねん

和哉 …ふふ、は…ははは

結愛 先生?

美結 ダーリン?

和哉 確かに茶番だ

結愛 どうしたんですか?

和哉 達也の言う通りだ、何で気付かなかったんだろう…おかしいんだよ、どう考えても

結愛 どうしたんですか?

美結 何か怒ってるー?

和哉 同じ日に同時に三人にプロポーズするなんてさ、そんなことあるわけないんだよ。どう考えたって騙されてるはずなんだよ、それを何を勘違いしてんだろ、本当馬鹿だよな…

美結 何、騙されたって。何言うてんの?

結愛 あの

美結 何?

結愛 さっきからずっと先生にタメ口なんですけど。一体あなた何なんですか

美結 ウチ? ウチはダーリンの恋人や

結愛 先生は犬じゃありません!

美結 わけわからん女やなー、ウチはダーリンの、この人の恋人や

結愛 え? どういうこと

美結 あんたこそ、二股されたからって、ウチの彼氏を誘惑せんといてくれるか

結愛 先生!どういうことですか

和哉 …どういうって、こっちが聞きたいよ。何なんだよ、これは。君ら二人は誰なんだ、何で俺にプロポーズされたとか嘘をつくんだ

結愛・美結 嘘なんて!

和哉 じゃあどうしてあの台本に書かれた物語と同じなんだ?

結愛 え?

美結 台本?


   達也が台本を掲げる。


和哉 女性編集者が作家と恋に落ちる話、ヤクザの娘が政略結婚させられるところを主役の男が救い出す話、どちらもあの台本に書かれている。そして二人に俺がプロポーズした話そっくりそのまんまなんだ! これはどういうことですか、どういうことだ!

結愛 …

美結 …


   美結が和哉に抱き着く。


和哉 …何を?

美結 ウチは騙してなんかない

結愛 やめなさい、離れなさいっ

美結 嫌や!


   愛美が入ってくる。


愛美 …和哉、何してるの?

和哉 愛美!

結愛 離れなさいっ、先生はオラの婚約者だ

美結 ダーリンはウチのもんや!

和哉 やめてくれ!

愛美 和哉! これはどういうこと?

和哉 違うんだ

愛美 また芝居なの…それとも…芝居じゃなかったの?

結愛 先生、私に言ったことは嘘だったんですか?

美結 ダーリン、ウチを信じて

結愛 先生は私の恋人よっ

愛美 結愛さんまで…和哉、これはどういうことよ!

和哉 違うんだ、俺も、俺も騙されてたんだ

結愛 オラは騙してなんかいねっ!

美結 ウチもや!


   和哉が達也から台本を奪い取り。


和哉 じゃあ、これ何だよ? 何でこの台本のエピソードと、君たちの話が一緒なんだよ! 俺、悪いけどあの夜のことは何にも、何にも覚えてないんだ。酔っ払っててさ、記憶も飛んでてさ、昔からそういうことよくあったから。もしかしたら、もしかしたらって思って信じたけど、冷静に考えたら愛美にプロポーズしたその後に、別の二人にプロポーズするなんてそんなことある訳ないんだよ。何でこんなことするんだよ、こんな売れない役者はめて何のメリットがあるんだよ、君らは何者なんだよ、何でこんなことするんだよ!

愛美 …二人にプロポーズ?

和哉 違う違う違う! そういう風に二人に言われたんだけど、全部この台本に書かれたとおりで…記憶をなくしてて分からなくて、俺は騙されてたんだ!

愛美 …じゃ、二人とは

和哉 何もない、何もないよ! そうだよ、俺が好きなのは、愛しているのは愛美だけだ。やっと分かった、いや、ずっと分かってたのに、フラフラ流されて…ごめん

愛美 …わかった

和哉 愛美!

愛美 …じゃ、もう一回言って、あの夜のプロポーズ

和哉 …え?

愛美 あの夜、私に言ってくれた言葉、もう一回言って。それで信じる

和哉 …もう一回

愛美 そう

和哉 ……結婚、しよう

愛美 …違うよ

和哉 …毎朝、君のお味噌汁が食べたい

愛美 (冷たく)和哉

和哉 うそうそ、冗談冗談。ていうか、こんな皆の前で言うことじゃないでしょ

愛美 …覚えてないの?

和哉 何、何言ってるんだよ! 覚えてるに決まってるだろ。もう勘弁してよ!

愛美 じゃ、早く


   達也は和哉に近づき。


達也 …和哉

和哉 助けてくれ

達也 無理だ


   達也が和哉から離れる。


和哉 …(男に近づき)おい

男  …

和哉 ポルターガイスト、ポルターガイスト

男  …

和哉 無視すんな、無視すんな

愛美 和哉

和哉 はい

愛美 早くして

和哉 分かった……(意を決し)私、藤原和哉は皆本愛美を愛してます! こんな売れない役者で、夢以外、何にも、何にもない男ですが、あなたを想う気持ちだけは、それだけは誰にも負けません。俺は、情けないけどあなたがいないと生きていけない。どうか、どうか、一生一緒にいてください、お願いします!


   息を飲む様な間。


愛美 …違う

和哉 ……ごめん、俺本当は

達也 和哉

和哉 俺、本当はあの夜のこと、何にも覚えてないんだ。愛美の顔見た瞬間、全部飛んじゃって、そこからの記憶がなくて、本当申し訳ない。でも、今の、今言ったことは本当だ。本当の気持ち、だからお願いします

愛美 …

美結 うわー何か…あっついね

結愛 どうするの? 愛美

美結 もういいんじゃない?

和哉 え?

達也 え?

愛美 …台本、最後まで読んだ?

和哉 いや、まだだけど

達也 俺も読んでない

愛美 三幕目は、プロポーズの話なの

和哉 え?

男  そろそろ種明かしの時間だ

愛美 …そうね

和哉 種明かし?


   結愛、美結、男が並び。


結愛 姉です

美結 妹です

男  お父さんです

三人 さぁ、どうする?

和哉 …え?

男  伝わらなかったみたいだな

結愛 じゃ、もう一回?

美結 えー


   ドアを開け、武田が入ってくる。


武田 結愛さん! そいつは偽物だー!


   間。


武田 あれ?

美結 最悪

結愛 タイミング悪い

男  種明かしの最中だ

武田 あらら…

男  気を取り直して

結愛 姉です

美結 妹です

男  お父さんです

武田 そして、お兄ちゃんです

和哉 ええっ?

四人 さぁ、どうする?

和哉 え…どういうこと

愛美 どうも…(苦笑して)うちの家族変わってるの

和哉 だって、え、だって…

男  そういうことだ、和哉くん。はじめまして、愛美の父です


   和哉、ハッと気付き男に土下座。


和哉 …数々の御無礼、申し訳ありませんでした!


   暗転。


○ エピローグ


   明かりがつくと、和哉と達也、愛美、男がいる。愛美はリンゴを剥いている。


和哉 じゃ、俺と達也だけが知らなかったんだ

達也 言ってくれたら良かったのに、協力くらいしたよ

愛美 達也はお芝居下手だから、すぐばれちゃうと思ったの

達也 それにしても本当どうしようもねえなお前。結局プロポーズなんてしてもいなかったなんてな

愛美 そう、私が家族で食事してたらやって来て、大事な話があるって連れ出されて、入り口の階段で滑って転んで、そのまま救急車で運ばれちゃうんだから、恥ずかしいったらないわよ

和哉 本当に…面目ない

達也 でもまぁ…ここまでしなくても

愛美 お姉ちゃんと美結がさ、一回ちゃんと気持ちを確かめた方がいいって。だから、和哉がその夜の記憶がないのをいいことに、三人にプロポーズしたことにして。優柔不断で女に強く言えない和哉なら、もしやと思ったけど思ったとおり騙されちゃって。そんないきなりできた恋人と私を天秤にかけるような男ならやめとけって言われて…半ば無理矢理ね

和哉 …すっかり騙されたよ

男  うちの家族は芝居一家なんだよ、愛美以外はね。結愛は昔演劇部だったし、美結は女優になりたくてオーディション三昧、そして私はアマチュア劇団の座長

達也 お兄さんも

愛美 お父さんの劇団で俳優してるの、一人二役。うまく化けたでしょ(二役でなければ、もう一人は劇団員、など)

和哉 あの筋書きは

男  台本を読んでね、その設定を使って、私が考えたんだ

愛美 どうせ和哉は全く読んでないからわからないだろうしね

和哉 いい役者なれるよ

愛美 かもね…なんか飲む?

和哉 水でいい

愛美 わかった、達也は?

達也 いや、そういえば夜勤明けだったことを今頃思い出したよ…寝る。あ、愛美、ちょっと(手招きして)

愛美 何?

達也 今度、お姉さんの連絡先教えて

愛美 …はぁ?

達也 ごめん、やっぱいいや

愛美 わかった、一応聞いてみる

達也 本当? 期待しとく。じゃ

和哉 ありがとな

達也 焼肉忘れんな

和哉 食い放題だっけ?

達也 ふざけろ


   出て行く達也と愛美。間。


男  …じゃ、私もそろそろ

和哉 あ、はい、あの…色々とすいませんでした

男  いや、いいんだ。和哉くん

和哉 はい

男  愛美は…我慢する子だったんだ

和哉 え?

男  他の子供たちは、皆我が強くてね。色んなものをねだる、いうことを聞かない。でも愛美は、あの子はそういうわがままを言わない、何でも親のいうことを聞く子だったんだ、親思いでね。でもあれだ、たぶん彼女なりに我慢してたんだ、あれはそういう子だ

和哉 はぁ

男  そんな彼女が、一つだけ私に逆らった。何を言われても自分の意見を曲げなかった、そう…君とは別れないと言ったんだ

和哉 え…

男  何故だと思う?

和哉 え…あの


   愛美がペットボトルの水を持って戻って来る。


男  …いや、何でもない。愛美を…よろしく

和哉 …はい

愛美 行くの?

男  おう、後でな。頑張れ

愛美 …何をよ?


   去る男。


和哉 …

愛美 全く


   水をコップに入れ(フリでも良いが)和哉に渡す愛美。


愛美 はい

和哉 ありがとう

愛美 さて、と。私も仕事戻ろっかなー

和哉 …愛美、あのさ

愛美 どうしたの?

和哉 何でこんな手の込んだことしたの?

愛美 …ん?

和哉 …どうして

愛美 …

和哉 どうしてかわからないんだ、確かに悪いと思うよ。プロポーズの日に記憶なくして、家族の前で大恥かかせたことは…。でも、ここまで家族まで巻き込んで、どうして?

愛美 …どうしてだろうね…ねぇ和哉

和哉 何?

愛美 もし私と結婚したら、どうするの?

和哉 どうするって

愛美 一生、そのまま役者続けるの? 食べていけなくても、そのまま

和哉 …俺から芝居を取ったら何が残る?

愛美 …そうだね

和哉 …俺は、どうしようもない奴なんだよ。たまに思うよ、何で俺なんか。何の取り柄もなくて、おまけに大事なプロポーズの時に、肝心な時にドジって…どうして、こんなことまでして、家族巻き込んで、こんな芝居までして、何で俺がいいんだ? 普通別れるだろ

愛美 …

和哉 …どうして

愛美 アハハハ

和哉 何だよ

愛美 これ、なーんだ


   愛美がポケットから何かを出す。愛美の手には妊娠検査薬。和哉、固まる。


和哉 それは…

愛美 さぁ、どうする?

和哉 …


   和哉が持っていたコップを落とすところで暗転。コップが割れる音が響く。その先は、天国か地獄かというような音楽。エンド



 
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