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「ハッピー・バースデー・トゥ・ミー」
作 松岡美幸
 



〇登場人物
ちぐさ
あかね



  ここはとある喫茶店。上手側にはいくつかのテーブルと椅子。下手にはカウンター。
  カウンターの向こう側はドリンクを作るパントリー。そのさらに奥には、調理用のキッチン。
  ちぐさ、制服姿で一人テーブルに座っている。テーブルの上にはアイスティー。
  長い時間手を付けていないようで、グラスの中は氷が解けて水と紅茶が上下で分離してしまっている。
  店員のあかね、ワンピースを着て、カウンターの向こうで編み物をしている。
  沈黙。
  あかね、どうしてもちぐさが気になって。

あかね 待ち合わせですか?
ちぐさ ・・・え? あ、はい。まぁ。
あかね 退屈でしょ。一人で待って。
ちぐさ いや、そんな。
あかね その制服。
ちぐさ え?
あかね 私、卒業生なんだ。同じ学校の。
ちぐさ そう、なんですか。
あかね うん。あ、あの先生、元気? 体育の、ホラ、西なんとか。なんだっけ?
ちぐさ 西山、ですか?
あかね そうそう! 元気?
ちぐさ はい、まあ。元気です。
あかね そっか。懐かしいなあ。私、ソフト部だったんだけど、よくしごかれてさ。
ちぐさ ・・・はあ。
あかね あ、あの先生は? 国語の村松先生。
ちぐさ さあ。それはちょっとわかんないです。
あかね 村松だよ? ほら、背が低くて、眼鏡かけてるおばさん。
ちぐさ さあ。
あかね そっか。いなくなっちゃったのかな。残念。まあ、何年も前の話だしね。
ちぐさ ・・・・。
あかね ところでさ、淹れ直そうか?
ちぐさ え?
あかね アイスティー。それじゃあ美味しくないでしょ。
ちぐさ ああ。
あかね お客さんもいつの間にかあなた一人になっちゃったし。
ちぐさ ・・・すいません。
あかね あ、ううん。そういう意味じゃなくて。あ、それとも、もしかして口に合わなかったとか?
ちぐさ え、いや。
あかね だって、ほとんど飲んでないでしょ? 何か他のものと交換しようか?
ちぐさ いや、別にそういうわけじゃないんですけど。飲むタイミングみたいな、そういうのを逃しちゃったっていうか。
あかね タイミング・・・?
ちぐさ はい。
あかね ふうん。
ちぐさ だから、あの・・・。私、帰ります。おいくらですか?
あかね ・・・急ぐ? アイスティー、淹れ直すよ。
ちぐさ え、でも、私、あの。
あかね うん?
ちぐさ 私、あんまりお金持ってないんです。
あかね ああ、いいわ。お金いらないから。おごってあげる。
ちぐさ でも。
あかね いいって。今日は私一人だからさ、結構好きなようにできるの。アイスティーでいい?
ちぐさ あ、はい。じゃあ。

  あかね、ちぐさのアイスティーをカウンターの方へ持ってくる。
  あかね、アイスティーを作りながら。

あかね 結構喫茶店は行くの? 私があなたくらいのときには、一人じゃ喫茶店とか入れなかったけど。
ちぐさ (少し戸惑いつつも)私も最初は緊張しました。でも、慣れたら案外普通で。
あかね そう。
ちぐさ はい。

  あかね、アイスティーを二つ持ってちぐさの方へやってくる。

あかね どうぞ。
ちぐさ すいません。

  あかね、アイスティーを一つはちぐさの前へ置き、一つは自分が飲み始める。
  ちぐさ、アイスティーに少し口をつける。
  あかね、カウンターの向こうから編み物を持ってきて続きを編み始める。

あかね 普段はどんな喫茶店に行くの? 結構行くんでしょ?
ちぐさ そんな、たくさんってわけじゃ。
あかね そうなの? どれくらい?
ちぐさ 月に2〜3回とかです。
あかね それって結構行ってる方じゃない?
ちぐさ そうですか?
あかね そうよ。ここは初めて?
ちぐさ いえ。何回か来たことあります。
あかね そうなの? ごめん、気づかなかった。
ちぐさ いえ。でも、前に私が来たとき、いなかったから。
あかね そう? どれくらい前の話?
ちぐさ 半年前とか。
あかね そっか。そりゃいないね。
ちぐさ 最近入ったんですか?
あかね そうね。3〜4か月前から。ちょうど、お義兄さんが困ってたから。
ちぐさ お義兄さん?
あかね そう。私の旦那の兄なの。マスター。
ちぐさ そうなんですか。
あかね ええ。ちょうど私もヒマだったし。
ちぐさ へえ。なんか、新鮮です。
あかね 何が?
ちぐさ 私、喫茶店行っても、お店の人と話すことってなかったから。
あかね そう。
ちぐさ はい。
あかね でも、どうして喫茶店なの? もっと、ほら、マックとか、おしゃれなカフェとかあるじゃない。
    ここはちょっとモダンっていうか、年季入ってるじゃない?
ちぐさ ああいう所って落ち着かなくて。すぐ知り合いに会っちゃうし。
あかね そっか。
ちぐさ それに、喫茶店なら、静かじゃないですか。なんか、マックとかって埃っぽい感じがして。
あかね まあ、人がいっぱいいるからね。
ちぐさ はい。・・・今日は一人で店番してるんですか?
あかね どうして?
ちぐさ いや、さっき一人だって。
あかね ああ。今日はたまたま。でないと一緒にアイスティーなんて飲めないでしょ。
ちぐさ ああ。

  間。

ちぐさ あの。
あかね うん?
ちぐさ 何編んでるんですか?
あかね え?
ちぐさ ずっと編み物してるから。
あかね ああ。
ちぐさ 旦那さんのものとか?
あかね そんな。違うわよ。これから暑くなるっていうのに。
ちぐさ そうですよね。まだ夏始まったばかりだし。
あかね それに、男物にしては明るい色じゃない?
ちぐさ ああ。じゃあ自分のものですか?
あかね やあねえ。自分で自分に編み物って。それなら毛糸買うお金で、おしゃれなニット買った方がいいじゃない。
ちぐさ そういうもんですか。
あかね そういうもんよ。・・・したことある? 編み物。
ちぐさ はい。一度だけ。
あかね へえ。何編んだの?
ちぐさ セーターです。
あかね セーター? 大変だったでしょ?
ちぐさ はい、まあ。
あかね 好きな人のためとか?
ちぐさ ええ、まあ。
あかね やっぱりね。
ちぐさ でも、なんか、途中でやめちゃったんです。
あかね 分かる。セーターってむちゃくちゃ大変だもん。挫折したって仕方ないよ。
ちぐさ でも、その時は、やっぱり手編みの方がきっと喜んでもらえるんじゃないかなって思ったんですけど。
あかね まあねえ。でも、それってやっぱりそれなりに大変だから喜んでもらえるんであってさ。
ちぐさ そうなんですよね。やっぱ、編んであげる相手に対して、編んであげようっていう気持ちが持続してないと。
あかね 持続しなかったのね。
ちぐさ ・・・ええ。
あかね あ、ごめん。
ちぐさ いえ。

  間。

ちぐさ 喫茶店で働いている人って、自分では喫茶店とか行かないんですか?
あかね どうして?
ちぐさ 前から気になってたんですよ。仕事で毎日喫茶店来てるから、休みの日まで行きたくないかなって。
あかね ああ。そんなことないと思うよ。
ちぐさ そうなんですか。
あかね うん。やっぱり自分もお茶したいときもあるし。だって、ほら。図書館の前にある喫茶店、私よく行くんだけど、ケーキがおいしいの。
ちぐさ へえ。
あかね あの店さ、自分のところでケーキ焼いてるの。だから、喫茶店なのに飲み物よりもケーキメインなの。行ったことある?
ちぐさ さあ。なんていう店ですか?
あかね えっとねえ。何だったかな。なんかややこしい名前だったから、覚えきれなくてさ。
ちぐさ ややこしい名前?
あかね そう。カフェ・ド・・・・なんとか。
ちぐさ それって結構普通な名前じゃないですか。
あかね いやいや、なんとかっていう部分がややこしかったの。
ちぐさ 本当に?
あかね 本当よ。美味しいんだから。今度彼氏と行ってみて。
ちぐさ ・・・・。

  間。

あかね 遅いね。
ちぐさ え?
あかね いや、結構長い間待ってるでしょ?
ちぐさ ・・・・。
あかね ごめん。今の忘れて。

  間。

ちぐさ ・・・私、
あかね うん?
ちぐさ 私、4時の待ち合わせだったんです。
あかね 4時? もう1時間以上たってるじゃない。
ちぐさ はい。
あかね 遅れるって?
ちぐさ さあ。連絡こないんで、分かんないです。
あかね こっちから連絡してみればいいのに。
ちぐさ いや、いいです。
あかね どうして?
ちぐさ ・・・・。
あかね 電話してみれば? ね?
ちぐさ でも、電話してもどうせ出てくれないし。
あかね 着信が残るじゃない。すぐ来い!ってライン送るとか。
ちぐさ ・・・・。
あかね とにかく、連絡とってみた方がいいよ。
ちぐさ はあ。

  ちぐさ、しぶしぶ自分のスマホを取り出し電話をかけてみる。
  電話のコール音。何度か鳴るが、一向に出ない。
  ちぐさ、あきらめて電話を切る。

ちぐさ やっぱり出てもらえませんでした。
あかね じゃあ、ラインは? 電話できなくてもラインなら返せるって状況かもしれないよ。
ちぐさ 違うと思います。
あかね え?
ちぐさ 1時間以上待って、来なかったら、これってもう来ないってことじゃないですか?
あかね ・・・・。
ちぐさ もう、いいんです。
あかね ・・・誰と待ち合わせしてたの?
ちぐさ ・・・・。
あかね 答えたくなかったら、別にいいの。

  間。

ちぐさ ・・・私、
あかね うん?
ちぐさ 長い間、ほったらかしだったんです。
あかね うん。
ちぐさ ラインも何もしてなくて。
あかね うん。
ちぐさ 当然ながら、自然消滅っていうか。
あかね そっか。
ちぐさ はい。
あかね まあ、元気出しなって。そんなの、長い人生の中じゃよくあることだからさ。
ちぐさ ・・・・。

  間。

ちぐさ ・・・あの。
あかね うん?
ちぐさ さっきの話の続きなんですけど。
あかね さっきの話?
ちぐさ 誰のものを編んでるんですか?
あかね ああ、その話。
ちぐさ 誰か友達とか?
あかね ううん、はずれ。実はね、私・・・(耐え切れずに笑ってしまう)
ちぐさ 
あかね (笑いをこらえつつ)私、今妊娠してるの。
ちぐさ ・・・えっ・・・?
あかね 三か月。普通はつわりでしんどい時期なんだけど、私の場合はそうでもなくて。何を食べても大丈夫だし、お腹の赤ちゃんは順調に育ってるし。
ちぐさ ・・・そう、なんですか。
あかね そうなんです。
ちぐさ もしかして、だからワンピース着てるんですか?
あかね そうなの。やっぱりここに(と自分の腹部を撫でる)命があるんだって思うと、お腹締め付けちゃよくないかなってさ。
ちぐさ じゃあ、その、今編んでるものは。
あかね そう。生まれてくる赤ちゃんのためのブランケット。予定日が二月だからさ、出かけるときとか寒いでしょ。産まれたばかりの赤ちゃんって、自分で体温調節できないらしいの。
    だから、私とか旦那とかが赤ちゃん抱いて、毛布っていうかブランケットっていうか、そういうのがあった方がいいかなって。
ちぐさ そうだったんですか。
あかね うん。
ちぐさ そこに、いるんですよね。
あかね ええ。
ちぐさ どんな感じですか。
あかね どんなって。幸せよ。
ちぐさ 幸せ。
あかね ここに私の子どもがいるのよ。幸せでしょ?

  ちぐさ、いきなり立ち上がる。

あかね どうしたの?
ちぐさ ・・・いえ、何も。
あかね 大丈夫? 顔、真っ青よ。
ちぐさ 大丈夫です。
あかね とにかく、座った方が、

  あかね、ちぐさの身体に触ろうとする。
  ちぐさ、反射的に。

ちぐさ 触らないで!
あかね ・・・ごめん。
ちぐさ あ、すいません。私、大丈夫なんで。
あかね それならいいけど・・・。

  ちぐさ、座る。
  あかね、編み物を再開する。
  ちぐさ、あかねの編み物を見て。

ちぐさ ・・・なんか、一体何なんでしょうね。
あかね うん?
ちぐさ ・・・これからどんどんお腹とかも大きくなっていくんですよね。
あかね そうね。今はまだあんまり分からないけど。
ちぐさ そのうち赤ちゃんが自分のお腹を蹴ったりして。
あかね うん、わくわくするね。
ちぐさ そして、陣痛でむちゃくちゃお腹痛くなって、何時間も頑張って、産むわけですよね。
あかね 今から体力つけなきゃね。
ちぐさ なんか、・・・女って一体何なんでしょうね。
あかね え?
ちぐさ だってそうじゃないですか。何でこうやって女の方ばっかり大変な思いしなきゃいけないんだろう。
あかね ・・・・。
ちぐさ こんなことなら、いっそ男に生まれたかった。
あかね どうしたの?
ちぐさ なんでもないです。
あかね 本当に?
ちぐさ はい。なんでもないんですけど、ただ・・・。
あかね ただ?
ちぐさ ただ、私、死ぬほど子どもが嫌いです。
あかね ・・・・。
ちぐさ 気持ち悪い。
あかね ・・・あなたにはまだ分からないのよ。
ちぐさ ・・・・。
あかね 女なら誰でも、子どもを産みたいって思うようにできてるのよ。夫と子どもの為に毎日掃除して洗濯してご飯つくって。それがとんでもなく幸せなことだって気づくときが来るわよ。
ちぐさ ・・・そんなに、子どもがほしいんですか?
あかね ええ。子どもはね、授かるものなんかじゃないのよ。ちゃんと毎日基礎体温つけて、排卵日を予測して。葉酸取って、身体温めて、ストレスためないようにして。毎日、まず子どもを産むことを考えて過ごすのよ。
ちぐさ どうしてそんなに子どもが欲しいんですか?
あかね え?
ちぐさ なんで、子ども欲しいなんて思うんですか?
あかね なんでって・・・。

  沈黙。

ちぐさ 私、・・・。
あかね うん?
ちぐさ ・・・私のお腹にも、いるんです。
あかね え?
ちぐさ 妊娠、してるんです。今。私。
あかね そう、なの?
ちぐさ はい。
あかね ・・・彼氏の子?

  沈黙。

ちぐさ 私、逃げてきちゃったんですよ。昨日。
あかね ・・・?
ちぐさ 入院してたんですよ。堕ろすために。
あかね ・・・・。
ちぐさ でも、なんていうんですかね。あの、台。あれに乗って、処置されるわけですけど。実際にこの目で見たら、なんか、怖くなっちゃって。耐えられなくなって。
あかね 逃げてきた?
ちぐさ はい。
あかね 昨日の話?
ちぐさ ・・・はい。
あかね ・・・信じられない。
ちぐさ 両親とか、私の為にお金出してくれたんです。病院の人も、私のために時間つくってくれたんです。でも、私、耐えられなくて。
あかね ・・・彼にはそのこと言った?
ちぐさ いえ。今日、会って話そうって。だけど、来てすらもらえませんでした。
あかね どうするの? これから。
ちぐさ ・・・・。
あかね 産んで、育てる?
ちぐさ 分かりません。とにかく昨日の夜はネットカフェで過ごして。
あかね でも、彼氏にちゃんと話して、相手の親にも知ってもらった方がいいわ。それに、いざとなったら、産んで育ててみるってのもありかもよ。子ども一人くらい、死ぬ気になったら育てられるわよ。
ちぐさ ・・・・。
あかね だって、堕ろせないんでしょ?
ちぐさ 無理ですよ。
あかね どうして? 彼をちゃんと説得して、ちゃんと話を聞いてもらって。
ちぐさ 違うんです。
あかね え?
ちぐさ 違うんです。彼氏の子どもじゃないんです。
あかね ・・・どういうこと?
ちぐさ 彼、私のこと売ったんです。
あかね ・・・・。
ちぐさ 部室に、呼び出されたんです。部活の無い日に。なんだろうって思ったんですけど、まさかそんなことになるなんて、私、思わなくて。
あかね ・・・・。
ちぐさ でも、彼、確かに部活の人たちに逆らえない感じだったし。後から考えれば、確かにあり得るかもって。
あかね え? ちょっと待って。・・・信じられない。
ちぐさ ・・・・。
あかね だって、それって、犯罪だよ? 警察に通報して、
ちぐさ でも、警察に言ったら、うちの親はきっともっと心配しますよね。
あかね そりゃあ。
ちぐさ 私、嫌なんです。親は二人とも仕事忙しいし。私、あんまり迷惑かけたくないし。このまま、何で妊娠したのか私が黙ったままでいれば、
    私が我慢すれば、普通な日がまた戻ってくる。普通に過ごせる。私が少し我慢すれば・・・。

  ちぐさ、うつむく。
  沈黙。

ちぐさ 私、どうしたらいいんだろう・・・?
あかね ・・・・。

  長い間。

あかね ・・・やっぱり病院に戻った方が。
ちぐさ ・・・・。
あかね それで、今の話を他の誰かにも。
ちぐさ ・・・嫌。戻りたくない。
あかね でも、じゃあどうするの。
ちぐさ ・・・・。

  間。

ちぐさ なんで私だけこんな目に遭わなくちゃいけないんですか。私、言われた通りに塾も行ってるし、成績だって毎回平均点以上とってるし。
    もっと、みんな、楽しくやってるじゃないですか。買い物したり、クレープ食べたり、好きな人のこととか喋ったり。
    なんで、私だけなの!
あかね ・・・人生ってもともと不公平にできてるのよ。
ちぐさ 嫌だ、そんなの嫌だ。私、何も悪いことしてないのに。
あかね ・・・・。

  間。

あかね ・・・やっぱり、病院に戻るしかないわ。少しの間我慢すれば、すぐに終わるから。
ちぐさ ・・・・。
あかね ね?
ちぐさ ・・・いいですね。自分は好きな人との子どもを妊娠して、幸せいっぱいで。
あかね ・・・・。
ちぐさ どうせ、分からない。あなたには、私の気持ちなんてどうせ分からない。自分が幸せで、人の気持ちなんか分からないから、どうせ適当なこと言ってるんでしょ。自分が幸せで、妊娠してるのが好きな人との子どもだから!
あかね 違う。そんなことないわ。
ちぐさ そうです。そうに決まってる。
あかね 違う! だって、この子の父親のこと、私、好きじゃないもの。
ちぐさ ・・・・。
あかね 私が愛してるのは旦那だけ。この子は、旦那との子じゃないもの。

  間。

ちぐさ ・・・どういう・・・?
あかね ・・・私たちは、子どもが欲しかったのよ。どうしても。不妊治療って知ってる?
ちぐさ 不妊治療。
あかね そう。赤ちゃんが欲しい人たちがする治療よ。私たちはそれに何年も通った。毎日毎日基礎体温測って。排卵日予測して。
    タイミング療法から始まって、体内受精、体外受精。妊娠にいいっていう食べ物とかお茶とかサプリメントとか、そういうのもいっぱい買った。神社にもたくさん行って神頼みした。
    だって、彼は子どもを欲しがってた。私も産みたかった。この人の為に。この人に子ども抱かせるために。
ちぐさ ・・・・。
あかね でも、なかなか妊娠できなかった。毎月生理が来てどろっとした血が流れてくる。
    ああ、きっとこの血の中に私たちの赤ちゃんが、赤ちゃんになれないまま流れてきてるんだ。これは私の血? 赤ちゃんの血?
ちぐさ ・・・・。
あかね 貯金も全部使い果たして、今回が最後、これでダメなら諦めようってあの人が言ったわ。言ってるその目に涙がたまってた。
    でも、私、諦めたくなかった。諦められなかった。
ちぐさ ・・・誰の、子どもなんですか・・・?
あかね マスターよ。この店の。主人の双子の兄なの。
ちぐさ マスター・・・。
あかね 神様にお願いしたの。笑っちゃう。主人とはあんなに頑張っても妊娠しなかったのに、お義兄さんとは、たった1回で子供ができちゃった。

  間。

ちぐさ ・・・信じられない・・・。
あかね ・・・・。
ちぐさ どうして、そんなに子どもが欲しいんですか?
あかね ・・・どうして・・・?
ちぐさ はい。
あかね 私があの人に赤ちゃんを抱っこさせてあげたいから。それだけよ。
ちぐさ でも、旦那さんの子どもじゃないんですよね? 旦那さんはそれを知らなくて、でも、自分の子どもだと思ってるんですよね?
あかね ・・・そうよ。
ちぐさ それでいいんですか?
あかね いいわよ。
ちぐさ え?
あかね だって、この子は望まれて生まれてくるのよ。パパとママに愛情たっぷり注がれて育てられる。これ以上の幸せが他にある?
ちぐさ ・・・・。

  沈黙

ちぐさ ・・・なんか、一体何なんでしょう・・・。
あかね ・・・・。
ちぐさ この子を産んであげられない私って、ダメなのかな。
あかね ・・・さあね。あなたのことは、確かに辛いだろうって思うわ。でも、私はこの子がいないと、生きていけないの。
ちぐさ ・・・私は、この子がいたら生きていけないんです。それだけは、確かなんです。

  沈黙。
  二人、ふと目が合う。思わず、笑みがこぼれる。

あかね ・・・もう、帰る?
ちぐさ そうですね。でも、せっかくなんで、アイスティー全部飲んじゃいます。
あかね そう。
ちぐさ はい。

  ちぐさ、アイスティーを飲み始める。
  あかね、編み物を再開する。
  ゆっくりと、陽が傾いていく。

           幕

 
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