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苺畑とミスターポストマン
作 ソンブレロ
 


   <第1場>
   
    中央にテーブル、両脇に椅子が一脚ずつ。
    片方の椅子に女1。
    

女1 お客様へ。
 長らくご愛顧いただきましたが、このたび……。
 あれ、ちょっと曲がっちゃったかな。
 苦手なのよね、こういうの。
 
    花束を抱えた男、現れる。

男 ただいま。
 あれ、なに書いてるの?
女1 閉店のご挨拶よ。
男 へえ、長らくのご愛顧か……。
 まあそれほど長くもなかったけどな。
女1 仕方ないのよ、決まり文句だもの。
男 どうせ書くならもう少し個性的な文句を考えたらどう?
女1 なによ、個性的な文句って、あ。 
 間違えちゃったじゃない。
 余計なこと言うから、もう。
男 え、オレのせい?
 じゃあこれで機嫌直して。
 ほら。
女1 あら、なにそれ、どうしたの?
男 綺麗だろ?
 花なんて買ったの何年ぶりだろ。
 花瓶ないかな、あと花台も。
女1 あるわけないじゃない。
 全部運び出したでしょ?
 それより集金してきたんでしょ、頂戴。
男 あ、はいはい、これね。
女1 え、なに、ずいぶん少ないわね。
男 高かったんだよ、この花。
女1 冗談じゃないわよ、頼んでもないのに。
男 そう言うなって。
 こんなにガランとしちゃうとなんだか侘しくてね。
 慰めじゃないけど、せめて花くらいはさ。
女1 まったくもう……。
男 ちょっと借りてくるよ。
女1 借りるってなにを?
男 花瓶と花台。
 花屋なら貸してくれるんじゃないかな。
 じゃあ。

    男、去る。

女1 やれやれ。
 さてと、えーっと、ありがとうございました、と。
 どうだろ。
 うん、ちょっと間違っちゃったけど、いいわ、これで。

    女2、現れる。

女2 こんにちは。
女1 え、あ、こんにちは。
 なにか?
女2 あの、今度ここを借りようと思っている者なんですけ
 ど……。
女1 ああ、あなたがそうなのね。
 まだご覧になってないんでしょ?
女2 ええ、もしかして大家さんの奥さんですか?
女1 うぅん、ここでお店をやっていたの。
 ごらんの通り店じまいしちゃったけどね。
 まあ、どうぞ。
 ゆっくりご覧になって。
女2 どうもありがとう。

    女2、見回わす。

女1 どちらから? 
女2 隣町です。
 ここで画廊をやりたいと思って……。
女1 画廊……。
 そう、よかったらお茶でもいかが?
 ちょうど休憩しようと思ってたところなの。
 付き合ってもらえる?
女2 ええ、じゃあ遠慮なく。 

    女1、去る。
    間もなく男、現れる。
    花台に花瓶をのせている。

男 おっと、ごめんなさい。
 よっこいしょっと。(置く)
女2 こんにちは。
男 ああ、こんにちは。
 えーっと、なにか?
女2 私、今度ここを借りようと思っていて……。
男 ああ、じゃあ遅ればせながらの下見ってこと?
 それはお疲れ様です。
 オレ、ここで店をやってたんだけど、見てのとおり店じま
 いしちゃった。
 商品は全部ツケで売り払ってね。
 アナタ、この辺の人?
女2 ええ、先月から隣町の牧場に住み込みで働いてるんで
 す。
男 え、じゃあここでなにをやるの?
女2 お昼まで牧場で働いて、午後からここで画廊をしたい
 なって。
男 それって誰と?
女2 私ひとりで。
男 そう、画廊をね。
 ひとりでね……。
 へえ。
 いやはや……。

    女1、盆に三人分のカップを運ぶ。

女1 お待たせ。
 どうぞ。
 かけて。
女2 ありがとう。

    女1、2、座る。

女1 へえ、なかなか立派な花瓶に花台ね。
男 だろう?
 ところで聞いた?
 ここ画廊になるって。
女1 そうですってね。
 もう長いの? 
 そのご商売。
女2 いいえ、はじめてです。
男 画廊だったらここより相応しい場所があるんじゃないか
 な?
 なあ?
女1 そうね、お隣の方は訪ねてみた?
女2 ええ、何軒か。
 でも、私がよそ者だとわかると、どこも……。
男 よそ者ね……。
 田舎は排他的だからな。
 で、ここの大家はこころよく貸すって?
女2 はい、すぐに貸してくれるって。
 そう言われて嬉しくなって飛びついちゃったんです。
 親切な人で助かりました。
男 じつはここの大家は昔からの友達でさ、確かに親切な奴
 なんだけど、ひとつ説明が漏れていたみたいだね。
女1 具体的なこと言うとね、ここは税金が高いの。
 どんな商売かによって違うんだけど、画廊は最悪なの。
男 ひどいよな。
 でもそういうところなんだからさ、この国は。
女2 え、国?
男 国だよ。 
 国境越えてきたんだから。
女2 国境って……。
女1 川があったでしょ?
女2 ええ、橋を渡ったけど……。
男 そう、それが国境なわけ。
 フリーパスだけどね。
女1 独立したの。
 もう七、八年になるかしら。
男 異国で商売やるなら慎重に現地調査をした方がいいよ。
 オレたちみたいに長く住んでいてもうまくいかないんだか
 らさ。
女2 あの、かすかに甘い香りがしたけど、もしかしてお菓
 子屋さんだったんですか?
男 あ、匂う?
 この人がしょっちゅうケーキやクッキーなんかを焼いてい
 たからね。
 ちなみに店としてはワイングラスの専門店だったんだ。
女2 ワイングラスだけを売るお店?
男 うん、しかも赤ワイン用のグラスだけ。
 白ワイン用のよりちょっと大きくてふっくらしてるやつね。
 この人の趣味でさ。
女1 趣味だけで商売するわけないでしょ。
男 いや、ワインのことだよ。
 この人は赤ワインを好んで飲む。
 オレはもっぱらよく冷やした白が好きでね。
 どっちの専用グラスの店にしようかって話し合って、結局
 オレが折れたんだけどね。
女2 両方のグラスを売るっていうのは?
男 ああ、でも店には特徴が必要だからね。
 どちらかに特化するからこそ、その愛好家の心を引きつけ
 るわけでさ。
女2 確かに専門店って聞くと、ここだけのものがありそう
 だわ。
男 こういう小さな店ってのは小さいなりのやり方しなくちゃ
 ね。
 折りからの赤ワインブームにも乗って結構いい線いってた
 んだけどな、この商売も。
女1 赤で正解だったでしょ。
男 あのまま店が続けられたら良かったんだけど、それが突
 然の増税だもんな。
女2 え。
男 国王が酒をやめたからって噂なんだよ。
女2 王様がお酒を飲まなくなったから?
女1 恐らくね。
 しかも酒屋だけじゃなくてグラスを売る店にまで増税する
 とはね。
 商売替えしてまだ二年だったのに。
男 グラス屋の前は煙草の葉っぱ売ってたんだ。
 パイプに詰めて吸うタイプの葉っぱね。
 この時もパイプの葉っぱ専門店にしようか葉巻の専門店に
 しようかって意見が別れてさ。
 えーっと、あの時はどっちがパイプって主張したんだっけ。
女1 私が折れたんだわ。
男 そうだっけ?
 これもブームってほどじゃないけど専門店の強みでそこそ
 こ売れてね。
女1 まあまあってとこだったわよね。
男 せっかく軌道に乗ったかなって時に邪魔が入るんだ。
 例の増税でね。
 税率五十パーセント増し。
 やっていけるかっての!
女2 それも王様の?
男 煙草やめたんだって。
 それから商売替えして二年だよ。
 今度は酒やめたからって……。
女2 王様の思いのままなんですね。
男 国王って言っても、もとは単なる大地主だけどさ。
 未だに農園やってるオッサンさ。
女1 八百ヘクタール分の土地を買ったんだって。
男 あの頃は国が傾きかかっていたからさ、ずいぶん土地を
 切り売りしたんだよね。
 個人で買えば国王制に出来るんだよ。
 おかげで平民は振り回されっぱなし。
 国王のライフスタイルで増税されちゃってさ。
 ところで隣町ってどっち?
 西側?
 それとも東かな?
女2 ええ、東側です。
男 じゃあ共和国だね。
女1 町ぐるみで買ったのよ。
 お隣は。
男 ちなみにここはラズベリー王国だよ。
 例のオッサンが持ってる畑がラズベリーばっかりなんだ。
女1 そちらはブルーベリー共和国よ。
 飲んだ? 
 ブルーベリーワイン。
 お隣の唯一の国産品なの。
女2 え、ブルーベリーでワインを?
男 知らない?
 体にいいしおいしいよ。
 ところであのワインって色が濃いけどやっぱ赤かね?
女1 さあ、青かしら……。
男 そりゃ売れるわけだよ特徴的だもの。
 こっちも以前ラズベリーワインっていうのを作ったこと
 が あったんだけどね、例の増税に伴って全部ワインビ
 ネガーになっちゃった。
 ははは。
 まあとにかく小さな王国ってのはいろいろとクセがある
 んだ。
 家賃は世間並みでも税金は並外れてたりね。
 いいよ、キャンセルするなら伝えておくよ。
女2 うぅん、でも私、やっぱりやってみるわ。
男 え、本当? 
 そう、わざわざ高い税金払ってまでねぇ。
女1 できればここではやってほしくなかったわ。
男 月に一度、冷酷無比な取り立て人がやってくるんだ。
 あーやだ、恐い恐い。
女1 変な言い方しないで。
 こっちだって気が重いんだから。
 税金徴収なんてさ。
女2 え。
女1 そういう役目なの。
男 この人だからね、税金取りに来るの。
 今度のお勤め、つまり税金徴収人。
 オレたち税金を払いきれなくて、仕方なく店の権利を売っ
 たんだけど、それでも足りなくってさ。
女1 でね、選べるの。
 身のふり方をね。
 国を出るか、帰属するか。
男 で、後者を選んだんだ。
 国に帰属、つまり奴隷ってわけだね。
女1 嫌な言い方するわね。
 国からお給料もらうだけだわ。
男 そう、すずめの涙ほどの給金は生涯不変。
 まあ気楽にいこうぜって感じだね。
女1 これから頑張ろうって人の前でやめてよ。
男 それもそうだね。
 あ、そうだ。
 これから頑張ろうって人のためにアドバイスをひとつ。
 アナタ、ハーブティーは好き?
女2 ハーブティー?
 え、ええ、まあ。
男 じゃあ詳しかったりもする?
 ハーブの育て方、おいしく淹れるコツとか。
女1 どういうこと?
男 例のラズベリー親父がさ、この頃ハーブティーに凝って
 るって噂なんだ。
 だからあの親父に気に入られるような茶葉や淹れ方を提供
 してやればさ、いくらかでも税金を軽くしてもらえるかもっ
 てね。
女1 そんなにうまくいくかしら?
男 自分だってうまくやってたろ?
 この人さ、お菓子作りはちょっとしたものでさ。
女1 好きなだけよ。
男 そう、ケーキやクッキーを焼いたりするのが好きでさ。
 それがずいぶん役に立ってきたんだよね。
女1 ついこの間まではね。
男 例のラズベリー親父のお気に入りだったんだ。
 三時のおやつに届けててさ、税金のことも大目に見てもらっ
 てたんだけどね。
女1 でももう限界なの。
 飽きられちゃったみたいね。
男 きっとダイエットでも始めたんだよ。
女2 あ、いけない、市場が閉まっちゃう。
 買い物頼まれてたんです。
 ごめんなさい、突然お邪魔しちゃって……。
 ご馳走様でした。
男 いや、お構いもしませんで。
 画廊、うまくいくといいけどね。
女1 ちょっと待っててね。

    女1、去る。

男 ところでさ、絵ってどこから仕入れたりするの?
女2 全部父の遺品です。
男 遺品?
 へえ、もしかしてすごい価値があったりしてね。
女2 父が親しい人たちから預かって、そして今度は私に……。
男 託したってわけか。
女2 多くの人に見てもらいたいって父は言ってたし、それは
 描いた人たちの望みでもあるでしょうし。
 こんな町の風景があったってこと、人々の営みがここにあっ
 たってことを残すために。
男 じゃあもうないんだ?
 その町は。
女2 同じ町とは思えないほどすっかり変わってしまって……。
男 それでも誰かが住んでるの?
女2 僅かだけど。
 その中には母もいます。
 叔父や叔母も。
男 アナタ強いんだね。
女2 ……。
男 ああ、ごめんね、いろいろ聞いちゃって。
 まあ、頑張ってよ。
 親父さんたちの思いのこもった絵だもんね。

    女1、小さな紙包みを持って現れる。

女1 クッキーなの。
 食べてね。
女2 どうもありがとう。
男 この花、置いていこうかと思うんだけど、どう?
 まだ一週間くらいはもつだろうからさ。
 開店祝いってことで。
女2 綺麗ね。
 いいの?
男 門出だもの、飾ってよ。
女2 じゃあ遠慮なく。
 いろいろとありがとう。
 さようなら。
女1 気をつけて。

    女2、去る。

女1 あーあ、気が重い。
男 彼女のこと?
 仕方ないよ。
 どうしてもやるって言うんだから。
 一介の徴収人として気楽にいけばいいんじゃない?
女1 そうなんだけどね……。
 気が変わらないかなぁ。
男 お父さんの遺志を継ぐようなこと言ってたし、思いつき
 じゃないみたいだね。
女1 ふうん。
 続くのかしら?
男 どうだろう、難しいだろうな……。
女1 あら。

    大家、女2が去った逆の方向から
    現れる。

大家 こんにちは。
男 やあ。
大家 例のここを借りたいって人なんだけどさ、近いうちに訪
 ねてくるかもしれないから、その時はよろしく頼むよ。
男 よろしく?
 なにを頼まれればいいんだい?
大家 いや、ただ通してくれるだけでいいんだ。
男 ちなみにその人って、ここで画廊をはじめようとしている
 女の人のことかい?
大家 あれ、もう来たの?
男 ああ、たったいま帰ったところさ。
 税金についてなにも知らないようだったから教えておいたよ。
大家 そりゃどうも。
 で、どうするって?
男 それでもやるってさ。
大家 そうか。
男 いつまで続くかなって話してたんだ。
 なんならキミからも言ってやれよ。
大家 やめろってかい?
 悪いけど客を選ぶほどの余裕もないんでね。
男 だからって画廊だぜ。
 それに、聞いたかい?
女1 ねえ、お話中で悪いんだけど、集金どこまで終わってたっ
 け?
男 えーっと、まだ一軒目だよ。
 それで花買って帰ってきちゃったから。
女1 じゃああとは私が行ってくるわ。
 留守をお願いね。
 って、盗られるものなんてないけど。
男 あ、悪いね。
女1 また余計なものを買ってこられちゃ困るしね。

    女1、去る。

大家 余計なものって?
男 この花のことだよ。
 このままじゃあんまり殺風景だからさ。
 せめて花でもと思ってね。
 ところで花言葉って知ってるかな?
大家 花言葉?
 さあ、知らないな。
男 知らないって一つもかい?
大家 ああ、一つくらいなら知ってただろうけど忘れたよ。
男 じゃあ教えよう。
 この花は夢だろ、これは希望。
 えーっと、これは明るい未来で、これは確か幸運を祈るだっ
 たけな。
 どうだい?
 よく憶えただろう?
大家 意外に少女趣味なんだな。
男 今回はただの店仕舞いじゃないからさ。
 なんだろうね。
 柄にもなくセンチメンタリズムが作用したのかな……。
 それにしても門出には相応しい花言葉の数々じゃない?
大家 ……。
男 お茶でも飲んでいかないか。
大家 いや、もう帰るよ。
男 そうか。
 なあ。
大家 ん?
男 やっぱり彼女にここを貸すのよさないか?
大家 ……。
男 なあ。
大家 選んでる余裕ないんだってば。
男 だからっていますぐ貸さなきゃ飯が食えないってわけで
 もないだろ?
大家 貸さなきゃ食えないんだ。
男 まさか。
 まとまった金だって入ったろ?
大家 まとまった金?
 もしかしてキミが貯めてた家賃のことかい?
男 遅れて申し訳なかったけどさ。
 でもずっと悪いと思ってたよ。
 だから国にすべてを売ったんだ。
大家 あれは全部入院費に消えたんだ。
男 入院費?
 誰が入院したって? 
 オヤジさん?
大家 オヤジとオフクロ。
 家で寝てたオヤジの看病疲れでオフクロも倒れてさ。
 もう三ヶ月経つ。
男 そんな前か……。
大家 入院費だって待ってもらってたんだ。
男 そう、そりゃ悪かったな。
 知らなかったんだ、勘弁してくれ。
大家 キミの言うこともわからなくはないんだけどね。
男 いや……。
 オレの方こそ自覚が足りないかもな。
大家 え。
男 時々忘れちまうんだ。
 自分が兵隊だってことをさ。

    沈黙。
    溶暗、そして暗転。





   <第2場>

    舞台の一角、壁に数点の風景画。
    前場面からの花が飾られ、小規模なギャラ
    リーという設定。

    やや離れた位置に男、地味な制服制帽姿。
    大きめの黒い鞄を肩からさげている。

    
    女2、いくつかの絵を見比べながら配置を
    思案している。
    やがて納得したような表情で男に歩み寄る。

   

男 お、準備完了かな?
女2 ようやく。
男 あらためて開店おめでとう。
女2 ふふ、ありがとう。
 よかったらどうぞ。
 ご覧にならない?
男 ああ、そうだね。
 あとでゆっくり。
 これでも一応勤務中だからさ。
 ほらね。(鞄の中を見せる)
女2 そうね、郵便屋さんだものね。
男 うん、でも配達はしないよ。
 ここで一時的に郵便を預かるんだ。
女2 預かってどうするの?
男 集配が来たら渡す。
 つまりポストだね。
女2 へえ、ポストマンってことね。
 ミスターポストマン。
男 メッセージだけでももらえれば代筆もするよ。
 ポストカードも便箋もあるしね。
女2 小包も?
男 預かるよ。
女2 へえ、便利ね。
 もうすぐ母の誕生日だからなにか送ってもらおうかな。
男 あ、そりゃいいね。
 ぜひ使ってよ。
 なにをプレゼントするの?
女2 まだ考え中。
 もう少し待ってね。
男 ああ、ゆっくり考えてよ。
 オレならずうっとここにいるからさ。
女2 え、ずうっと?
男 そうだよ、一日中ここにいるんだよ。
 ポストだからさ。
女2 雨が降っても?
男 集配が来るまでは動けないんだ。
 雨が降ろうと風が吹こうとね。
 で、どう?
 初日を迎えた気分は?
女2 そうね、ようやくスタート地点に立てたって感じ。
男 なるほど。
 同じ日にスタートするっていうのも不思議な縁だね。
女2 あの人も今日から?
 あの人、奥さん、よね?
男 いや、はは、違うよ。
 彼女は、言わばオレの身元引受人というのかな……。
 オレさ、むかし悪い奴に騙されてでっかい借金作っちゃっ
 てね。
 彼女がそれ肩替わりしてくれて……。
 頭が上がらないんだ。
 店を出す資金も全部彼女持ちだったしね。
女2 ごめんなさい。
 悪いこと聞いちゃったみたい。
男 いや、借金の肩替わりなんてされたら男も終いだね。
 でも借りがなくなった暁には結婚申し込むっていうの
 もいいかなと思ってたんだけどさ。
女2 けど?
男 いや、なかなかね。
 若かったから取り返しがつくかと思ったけど……。
 はは、門出の日の話題としては相応しくないね。
 お、早速だ。

    女1、現れる。

男 早くもミッション開始?
女1 残念だけどそうなの。
 私って嫌なことを後回しに出来ない性格なのよね。
男 幸先悪いな。
 客より先に徴収人が来るなんてね。
女2 この前は色々とありがとう。
女1 どういたしまして。
 で、この人の言う通り早速でごめんなさいね。
 えーっと……。
 ねえ、ちょっと悪いけど席外してもらえないかしら。
男 あ、オレ?
 なぜだい?
女1 なぜって、パーティーの会費集めてるんじゃな
 いんだから。
 気を利かせてよ。
男 悪いけどこっちも勤務中なんでね。
 決められた場所に立ってなきゃならない公務でさ。
女1 よりによってどうしてここなの?
男 そりゃ画廊のスタートも気になったし。
女1 まったく……。
 ねえ、よかったらちょっとお散歩しない?
 少し先に木陰とベンチがあるの。
男 ああ、悪いね、オレがこんなところに立ち位置決め
 たばっかりに。
 
    二人、去る。
    短い間ののち流れ者のような風体の男(旅人)
    が静かに現れる。
    リュックを背負い、手にはギターケース。

    旅人、男の後を通り、絵を眺める。
    男、やがて人の気配を背中に感じる。

男 おっと!
旅人 ……。(眺めている)
男 やあ。
 いらっしゃい。
旅人 あ、どうも……。
男 どうも。

    旅人、しばし絵を眺めている。

男 どうですか?
旅人 ……。
男 なにか……。
旅人 え?
男 いや、なにかいい絵がありそう?
旅人 ああ、ちょっと気になったので……。
 あの、ここは、アナタが?
男 いや、違うけど。
 まあなんて言うか、ちょっとした知り合いがね。
旅人 どこの風景なのかな……。
男 見覚えがあるとか?
旅人 いえ、そんな気がしただけかもしれません。
男 アナタ生まれはどこなの?
旅人 え、あ、いや……。
男 うん?
旅人 正確なところはわかりません。
男 わからない? 
 なにそれ?
旅人 あちこち移住を繰り返していたので。
男 それはどこら辺での話?
旅人 どこら辺って?
男 山の向こう側? 
 それともこっち側?
旅人 ……。
男 どっちよ?
旅人 山ってカシコス山脈のこと?
男 そうだよ。
旅人 向こう側です。

    沈黙。

旅人 なにか?
男 オレ、これでも兵隊なんだ。
 国は細かくバラバラになったけどさ、兵役としては昔の国
 のまま。
 あと一年のお勤めが残ってるんだ。
旅人 それで?
 どうするつもり?
男 どうしようかな。
旅人 持ち物を調べますか?
男 いや、いい。
 いつ来たの?
旅人 二週間前。
男 どうやって?
旅人 馬車で。
男 行商の馬車ってこと?
旅人 郵便馬車。
男 襲った?
旅人 まさか。
 潜り込んだんですよ。
男 へえ。
 ところでそこの絵なんだけどさ。
 もうどこにもない町の風景なのかね?
旅人 そうなのかな……。
 やっぱり。
男 すべて奪われて終いには焼きはらわれて……。
 ないはずの風景になってたりとかね。
 こっち側じゃみんな想像上の良き風景だって口を揃えるだろ
 うけどさ。
 恨んでるのかい?
旅人 ……。
男 でも遡れば同じようなことがこっち側でも起きてたんだ。
 更に遡れば、またその逆。
旅人 ええ。
男 この際忘れるっていうのはどうだろう?
 一二の三でみんなでね。
 ムシが良すぎるかい?
 でも一番元手のいらない連鎖の防止法じゃないかな。
旅人 ボクもそう思います。
男 じゃあなにも問題ないな。
 オーケー、アンタはただの旅人だ。
 道中気をつけてな。
旅人 はい。
 あ、あの……。
 この辺りで雇ってもらえそうなお店なんてないでしょうかね?
男 雇う?
 そうだな……。
 カフェがこの先にあるけど。
 けやき並木が途切れたあたりにね。
旅人 この道をまっすぐですね?
男 そう、あとその更に先にも一軒ある。
旅人 ありがとうございます。
 行ってみます。
男 でもどうかな、難しいかもな。
 人を雇うほどは繁盛してないからさ。
旅人 そうですか。
 それはどちらのお店ですか?
男 どっちもだよ。
旅人 よく行かれるんですか?
男 時々ね。
 まあ駄目でもともと、行ってみな。
旅人 あの……。
男 うん?
旅人 厚かましいとは思うんですけど……。
男 もしかして紹介してくれって言いたいの?
旅人 出来ませんか?
男 見ての通り勤務中だしな。
 しかも公務なんだ。
旅人 図々しいとは思いますけど今夜の宿も、いや、食事すら
 ……。
男 なるほどね。
 だけどオレだって公務一日目だからさ。
 のっけから持ち場離れて風来坊さんの働き口案内してられな
 いわけよ。
旅人 そうでしたか、ご迷惑かけました。
 じゃあ。
男 幸運を祈ってるよ。

    旅人、歩き出す。

男 あのさ……。
旅人 は。
男 アンタ食えりゃいいんだよな?
旅人 ええ。
男 農作業でも構わないなら紹介できるんだけど。
旅人 本当ですか。
男 この時期ってなにかしら収穫がありそうだからさ。
 人手を欲しがっているかもよ。
旅人 ぜひお願いします。
旅人 ちょっと待って。

    男、バッグから紙とペンを出して
    サインをする。

男 さっき言ったカフェのずっと先だよ。
 煉瓦作りのサイロが見えたらその辺り一帯は共同の農場だか
 らさ。
 誰でもいいからつかまえて、こいつに紹介されたって言って
 みなよ。
 飯とねぐらだけならなんとかしてくれるはずだよ。

    男、旅人にメモを手渡す。

旅人 ありがとございます。
 助かります。
 ところで、アナタの仕事ってここでなにを……?
男 ああ、オレはポストマンだよ。
 この中に集配前の手紙が入ってるんだ。
旅人 ポストマン?
 そう言えばさっきからポストがなかったっけ。
男 あ、探してた?
旅人 ええ、ここで出せるんですか?
男 もちろん、預かるよ。
旅人 (懐から封筒を出す)ああ、まだ封をしていませんでし
 た。
男 いや、むしろ丁度いいよ。
 見せてくれる?

    旅人、封筒を男に手渡す。

男 この宛先ってカシコス山脈のすぐ向こうってこと?
旅人 ええ。
 駄目ですか?
男 いや。
 ただ、中身をあらためさせてもらうよ。
旅人 ただの手紙ですよ。
 ほかになにも入ってません。
男 ああ、わかってる。
 中身ってのは内容のことさ。
旅人 え。
男 オレだって気が進まないよ。
 でも規則なんだ。
旅人 わかりました、どうぞ。

    男、封筒の中から手紙を取り出す。

男 ん?
 こりゃ読めないや。
 わざとかい?
旅人 普段使ってる言葉ですから。
男 どうするかな……。
旅人 なんなら出さなくてもいいんだけど……。
男 アンタこれ読んでくれないかな。
旅人 ボクが?
 それでいいんですか?
男 大丈夫、信じてるから。
 よろしく。
 
    男、手紙を返す。

旅人 じゃあえーっと……。
 オリーブハウスのみなさん、連絡が遅れました。
 ボクは無事に……。
 あ、あの、これ最初から全部読んだ方がいいですか?
男 ああ、そうしてくれるかな。
旅人 前略、オリーブハウスの皆さんお元気ですか。
 連絡が大変遅れました。
 ボクは無事カシコス山脈を越えました。
 山を越えればこっちのもの。
 半日で回り切れそうな細切れの国々を旅しています。
 出会う人々はみんな情に厚く親切です。
 いまのところ警備兵にも会ってないし、覆面兵士の職務質問
 も受けていません。
 やはり僕等は、巧妙に仕立て上げられた仮想の敵を憎んでい
 たようです。
 それはそうと仕事にはなかなかありつけません。
 恥ずかしい話ですが、歩き疲れ、空腹に耐えきれず、とうと
 うギターを売り払ってしまいました。
 と言っても自作のギターですから二束三文でした。
 遅くとも来週か再来週の山越え馬車で帰るつもりです。
 ラズベリーとブルーベリーの苗や実、それと球根などをたく
 さん持って帰ります。
 みんなで育てましょう。
 早々。
 追伸、馬車の乗り心地は相当の覚悟が必要です。
 特に峠付近は我慢のしどころです。
 それと乗り込む際にはタバコもいいけれど、紅茶葉のほうが
 好まれるみたいです。
 茶葉数百グラムで話がつきました。
 ご参考まで。
 えーっと、あの、終わりですけど……。
男 あ、ああ、ご苦労さん。
旅人 なにか問題でも……?
男 いや、なにもないよ。
 じゃあこれ送っておくよ。
 ところでオリーブハウスってのは何のことよ?
旅人 ボクらの仲間とその家族が住んでる寄宿舎です。
男 へえ。
 その仲間の中にはこっちから移ったのもいるのかな?
旅人 ええ。
男 どっちがいいって?
旅人 それは、なんて言うか、それぞれなんで……。
男 そりゃそうだよな。
旅人 よかったらどうですか?
男 なにが?
旅人 自分の目で確かめてみませんか?
 一緒に山を越えて。
男 いいねえ。
 たまには危ない橋を渡らないとボケちまいそうだもんな。
旅人 それほど危険ではないですけどね。
男 いや、ほら、兵役だからさ。
 アンタと違ってバレたら厳罰が待ってるわけだよ。
旅人 ボクもバレたら重い罰が課せられます。
 麦踏み一ヶ月の強制労働という。
男 へえ。
 じゃあそういう覚悟で来たわけか。
 で、その収穫はあったのかい?
旅人 収穫は、そう……。
 こうしてアナタと話が出来たことでしょうか。
男 兵隊とって意味?
旅人 負の連鎖を断つためになすべきこと。
 忘れること、って。
男 ああ。
 どうやらそっちも同じようだけどさ、自分たちの立場や利益
 のために悪者を仕立て上げる輩がいるのさ。
 オレたちは、いつもなにかに踊らされ、搾り取られ、見張ら
 れているんだ。
 はは。
 せいぜい楽しくいこうぜ。
旅人 ええ。
 いろいろとどうも。
 お世話になりました。
男 ああ、行く?
 ギター預かろうか?
 あ、ギター売ったんだっけ。
 じゃあそのケースさ、こっちに頼んで置いてもらおうか?
旅人 でも……。
男 身軽なほうがいいんじゃないの。
旅人 そうですね。
 すみませんがお願いします。
男 必ずとりに来てくれよな。
旅人 ええ。
 じゃあ……。

    旅人、去る。
    間もなく逆の方向から女1、女2
    現れる。

女1 なにそれ?
 ずいぶん大きい郵便物ね。
男 これはただの預かりものだよ。
 通りすがりの旅人のね。
女1 旅人?
男 ああ。
 身軽な方がいいだろうと思ってさ。
 で、なに、今日の業務終了?
女1 まさか。
 夕方までにあと三十軒回らなきゃならないの。
男 そりゃご苦労だ。
 コーヒーでもって思ったけど、それどころじゃないな。
女1 そっちだって勝手に持ち場離れられないんでしょ?
男 ああ、だから立ち飲みさ。
 届けてもらえないかなって。
女1 呆れた。
 そんなヒマあるわけないじゃない、もう。
 あ、じゃあね。
女2 じゃあ。
 お世話様でした。

    女1、去る。

男 さっきさ、ここの絵を熱心に見ていた男がいたよ。
女2 その人から預かったの?
男 ああ、そう。
 悪いんだけど、これ置いてやってもらえないかな。
 その男仕事を探しててね、気の毒になってつい預かっちゃっ
 てさ。
女2 ここで良ければ。
男 すまないね。
 中身はどうせ空っぽなんだけどね。
女2 空っぽ?
男 売っ払ったんだって。
 なんでケースだけ残したんだろ。
 じゃあこれ、いい?
女2 ええ。
男 おっと。

    止め金が外れて蓋が開く。
    男、バランスを崩す。
    中に詰まっていたもの(苗、木の実、
    球根など)が散乱する。

男 あーあー、ははは。
 空っぽにしちゃ重いと思ったよ。

    二人、拾い集める。

男 そう言えば苗やら実やらを土産に持って帰るって言って
 たっけ。
 次あたりの山越え馬車で帰るんだって。
 その前に畑で求職中だけどね。
女2 畑で?
男 うん、今夜のメシも宿もままならないらしくてさ。
 ああ、これ止め金がイカレかかってるんだな。
女2 紐で縛らないと駄目ね。
 山越えはとっても揺れるから。
男 乗ったことあるの? 
 山越え馬車。
女2 あるわ。
男 そう。
 それは勇敢だ。
 なかなかの乗り心地だってね。
 男のオレが尻込みしてちゃ格好つかないよな。
女2 え。
男 迷ってるんだ。
 乗ろうか、どうしようかって。
女2 理由、聞いていい?
男 名目は親父の墓参り。
 いや、お忍びで行くんだから名目なんていらないか。
女2 お忍びって?
男 じつはオレ、ポストマンである以前に兵隊なんだ。
 だから勝手に山越えなんて出来ないってわけ。
女2 お父さんって向こう側の人なの?
男 いや。
 この近くに祖父ちゃんの代から借りてる土地があってさ、
 苺を育ててたんだ。
 でも兵役を拒んで一人で山を越えちゃった。
女2 それで、向こうで……?
男 風来坊やってた。
 酒場で弾き語りをして食いつないでいたんだ。
 手紙はたまに来たけど、住所不定だから返事は一度も出
 せなかったな。
女2 帰って来なかったの?
男 うん、最後の手紙に墓の場所が書いてあった。
 もちろん本人からじゃないよ。
 峡谷のスナフキンって人からだった。
女2 誰なの?
男 さあ、ペンネームだね。
 仲間がいっぱいいたみたい。
 どこにでも似たような人っているもんだ。

    沈黙。

男 税金、高かった?
女2 そうね。
男 スタート早々現実を見せられたんじゃない?
女2 ……。
男 来月は三倍とられるらしいよ。
女2 聞いたわ。
男 やっていけるの?
女2 わからない。
男 しつこいようだけどさ……
女2 でもやってみる。
 出来る限り。
男 なんか痛ましいんだよね。
 前途ある若者が因果な役目を果たそうとしてるのを見てる
 とさ。
女2 同情って寂しいわ。
 応援なら嬉しいんだけど。
男 オレは忘れた方がお互いのためだと思ってたよ。
 恨み合いを終いにするにはね。
 でも、キミは……。
女2 風化して、いつか、なにもなかったことになれば……。
 なにに学べばいいかしら?
男 そう、歴史から学ぶべきことはある。
 オレの言い分も一理あるような気もするけど……。
 うん、応援するよ。
 って言うか、片棒担いじゃうよ。
女2 え。
男 山越えるよ。
 後世に伝えるべきものは残そう。
 世界一小さい国でやるんだ。
 この画廊、国に預けない?
 なんとか出来るかも。
女2 なんとかって?
男 戻ってくるからさ。
 そうしたら、オレ独立する。
 新しく国を作ってさ。
 国営ギャラリーなんてどう?
 キミが初代の館長だ。
 それとも一人でやるかい?
 もちろん無税だよ。
 ははは。

    沈黙。
    溶暗、そして暗転。
 



   <第3場>

    大家、壁の絵を外している。
    外された絵は紐で縛られている。

    脇にギターケース。
    最後の数枚に手が掛かる頃、男
    が現れる。

男 やあ。
大家 ……。
男 やあってば。
大家 おはよう。
男 なんかあったの?
 彼女、どうかしたのか?
 なあ。
大家 ちょっとな……。
男 なんで片づけてるんだよ。
大家 もう少しだから……。(紐を結び終える)
男 どういうこと? 
 彼女、どうしたのさ?
大家 もちろん同意の上だよ。 
男 どこに行っちまった?
大家 じきに戻ってくるさ。
男 だからどこに行ったんだよ?
大家 心配ない。
 大事にはならない。
 すぐに釈放、いや、帰されるさ。

    沈黙。
    作業を続ける大家。

男 その絵はどうなるんだい?
大家 ……。
男 聞いてるんだ。
大家 うん、まあ、オレもよくなかったんだ。
 キミに言われた通りだったよな。
 客を選べってさ。
 それにしても意外に重労働だな。
男 オレに預からせてもらえないか?
大家 どういうつもりだい?
男 その絵はただの風景画ってわけじゃないみたいだしさ。
大家 ああ。
男 いろんな思いが込められているらしいから、だから……。
大家 だからこうなったんだ。
男 接収か?
大家 いや、送り返すらしい。
男 じゃあ無駄だよ。
 どうせここに戻ってくるんだ。
大家 え。
男 あのさ、オレさ、独立しようと思ってるんだ。
大家 独立?
 って何の?
男 独立って言ったら独立さ。
 ほかに何がある?
大家 意味が分からないよ。
男 立国さ。
 いま本気で考え中なんだ。
大家 兵役についてる者が独立なんて出来るもんか。
 なに言うかと思えば……。

    旅人、布袋を提げ、現れる。

男 よお。
旅人 こんにちは。
 あれ、あの……。
 ここの絵はもう……?
男 ああ、アンタが旅をするように、絵だって多くの人目に触
 れるために旅に出るってわけさ。
 ところで雇ってもらえたの?
旅人 ええ、ちょうど収穫の時期で手が足りなかったみたいで。
男 へえ、で、おすそ分けってこと?
旅人 はい、ずいぶんいただいちゃいました。
男 ギターケース、そこだよ。
 止め金がイカレてたんで紐で縛っておいたからさ。
旅人 それはどうも。
 お世話になりました。
 今から帰ろうかと思って。
男 馬車って何時ごろ来るの?
旅人 九時です。
男 そりゃ間もないな。
 挨拶回りしている暇もないや。
 まあいいか、忍んでいくんだから。
旅人 え。
男 オレも連れてってくれない?
旅人 連れていくって、どこまでですか?
男 とりあえず山越えるまで。

    大家の作業が完了する。

大家 じゃあオレは失礼するよ。
男 悪かったな、なにも手伝えずに。
大家 いや、じゃあ……。
男 あ、オレ、ちょっと出かけてくるわ。
 しばらく留守にするからさ、みんなによろしく言っておい
 てよ。
大家 しばらくってどれくらい?
男 そうだな、一週間くらいかな。
大家 どこに行くって?
男 聞こえなかった? 
 山越えの馬車で行くのさ。
大家 山越えって?
男 だからさっき言ったろ?
 立国準備だよ。
 もうすぐ来る郵便馬車に二人で潜り込むんだ。
旅人 ちょっと、まずいですよ。
男 大丈夫だよ、この男は。
 付き合いが長いし、口も固い。
大家 なにが大丈夫だよ。
 思いつきでなにしようとしてるんだ?
男 いや、これけっこう前から温めていた構想なんだ。
大家 山越えてどうするつもりだ?
 下手すりゃ二度と戻れなくなるぞ。
男 大丈夫、この男がいるしさ。
大家 誰なんだ?
男 頼れる隣国の青年だよ。
 生まれながらに移住生活をおくってきたタフガイ。
 心配無用だよ。
 キミだって翻訳の仕事を続けたいだろう?
大家 え。
男 オレもキミの訳した映画を見たいよ。
 つまらない制約なんかクソくらえだ。
 どこの国のどんな作品でも上映できるようにしてやる。
大家 山の向こうにどんなあてがあるんだ?
男 親父が残した財産を役立てる時が来たみたいだからさ。
 帰ってきたら苺畑が出来るくらいの土地は取り戻したいね。
大家 苺畑?
男 キミは畑仕事より頭脳労働の方が向いてるんだろうけどさ。
 ストロベリー共和国ってのはどう?
 あ、でも王制のほうがいいかな。
 一夫多妻制にしたりしてさ、はは。
 なに?
 そんな付き合い切れないって顔するなって。
大家 いや……。
 キミがそんなふうに冗談めかして言うってことは真剣な証拠
 だよな。
男 オレはいつもこんなふうだけどな、その違いがわかるなん
 てさすが長い付き合いだ。
大家 幸運を祈るくらいしかできないけど……。
男 ああ、祈っててよ。
 きっと伝わるからさ。
大家 見送れなくてすまんな。
 出勤時間なんだ。
男 あれ、どこにお勤めだい?
大家 知り合いの養鶏場で小屋番さ。
 先週からはじめたんだ。
 いつか頭脳労働が出来る日を楽しみにしてるよ。
 じゃあ。
男 ああ。

     大家、去る。

男 さてと、オレたちもそろそろ発とうか。
 で、どこから乗るの?
旅人 ここで待ちましょう。
 通り道ですから。
男 ここで?
 どうやって止めるの?
旅人 手をあげて合図するんです。
男 それだけで止まってくれるわけ?
旅人 ええ。
 止めて、乗せて欲しいって頼むんです。
男 止めて、乗せてくれって……。
 それでいいんだ?
 なんか思ったほどスリルないんだな。
旅人 あと、交渉もするんですけどね。
男 ああ、紅茶の葉っぱなんかで?
旅人 ええ、一応そのつもりで用意してますけど。
男 悪いけどその葉っぱオレにも分けてくれない?
旅人 それが実はあと五十グラムくらいしか残ってないんで、
 ちょっと心細いかなと……。
男 来るときはどれくらい渡したの?
旅人 二百くらいですね。
男 それちょっと上げすぎだったんじゃない?
 帰るときのことも考えなきゃさ。
 二人で五十って、ちょっと心細いな……。
旅人 もっとも荷物が多ければ断られるし、運まかせなんで
 すけどね。

    女1、現れる。

男 お。
女1 え、ちょっと、なにこれ?
 彼女は?
男 まだ見えないね。
 寝坊かもね。
女1 壁の絵、全部外しちゃって……。
 一体どうなっちゃってるのよ?
男 よくわからないんだけどさ、もしかしたらいっぺんに買
 い手がついたとかね。
 はは。
 それよりもしかしてその手提げの中にクッキーが入ったり
 する?
女1 え、なんで?
男 持ってるの?
女1 あるわよ。
 それがどうしたのよ。
男 そりゃ良かった。
 いつ焼いたの、それ。
女1 今朝よ。
男 焼きたてか、それはでかしたよ。
 朝からクッキー焼く余裕が素晴らしいな。
女1 新作よ。
 ベリータルトのクッキー。
 彼女と約束したの。
 完成したら持ってくるって。
男 そりゃきっと喜ぶよ。
 新作なんて。
 伝えておくからさ、なにベリークッキーだっけ?
 はい。
女1 ベリータルトのクッキーよ。
 なんでアナタが手を出すのよ。
男 預かるだけだよ。
 ほら、出勤途中なんだろ?
 大丈夫、責任を持って彼女に渡すからさ。
女1 本当?
男 ああ。
 楽しみだな、彼女の喜ぶ顔を見るのが。
 ほら、頂戴よ。
女1 なんか怪しいわね。
男 あ、人が親切に言ってるのに。
女1 どうだか。
男 信じなってば。
女1 ……。
男 欲しかねえよ、そんな焼き菓子ごとき。
女1 出直すわ。
男 ちょっと待ってよ。
女1 なによ?
男 ごめんなさい。
女1 なにがごめんなさいよ。
男 いま揉めてる暇ないんだ。
 それくれない?
 お願いだから。
女1 あら、欲しかねえんでしょ?
男 いや、欲しい。
 すごく欲しい。
 って言うか、必要。
 必要不可欠。
 どうかお願いします。
 (旅人へ)この人のクッキーは絶品でね。
 なんたって王室御用達だから。
 これ出せばすぐ話が付くかもよ。
女1 アナタが食べるんじゃないの?
男 いや、まあ、なんて言うか……。
 あ、じつはこの人のためにね。
旅人 え。
男 故郷に帰るところなんだけどさ、手土産の一つでもと思っ
 てさ。
女1 失礼だけど、どちらさんなの?
男 こちらはね、旅の先々で詩や曲を作り出して歌を届け回っ
 ている、いわゆる吟遊詩人だよ。
 人の愛、世の平和についてさっきから語り合っててさ。
 なんだかすっごく意気投合しちゃって。
 ね。
旅人 いや、あの、えーっと……。
男 友情の証って言ったらオーバーだけど、この国で一番お
 いしいものを土産にと思ったわけ。
 つまりキミのオリジナル作品をさ。
女1 あらあら、いくら急いでるからってずいぶん見え透い
 た持ち上げ方するわね。
男 お世辞じゃないって。
 常々もったいないと思ってたんだ。
 かくれた逸品に甘んじずにもっと世に出すべきだってね。
女1 べつにもったいぶってるわけじゃないわ。
 ただ私は、身近な人から、おいしいって言ってもらえるの
 が嬉しいだけだから。
男 聞いたかい?
 この謙虚なこと。
 これだけの腕前を持ちながら、ひけらかすどころか、なん
 て奥ゆかしいんだろ。
 なんだか歯がゆさすら覚えるね。
 なあ?
旅人 え、ええ……。
女1 はいはい、くすぐったくて参るわ。
 あの、もしよかったら、これ、どうぞ。

    女1、旅人に袋を差し出す。

旅人 え、いや、そんな……。
男 いいからもらっときなって。
 絶対うまいから。
旅人 じゃあ、遠慮なく。(受け取る)
男 というわけで、オレ、ちょっとこの人見送ってくるから
 さ。
女1 見送るってどこまで?
男 ちょっとそこまで。
 だから心配しないでくれる?
女1 ちょっとそこまで行くのに心配なんかしないわよ。
男 ああ、いまの嘘。
 ばっちり心配してて。
 しばらく帰らないから。
女1 どっちなのよ?
男 だから心配して。
 それと、もしオレの行先を誰かに聞かれても知らないって
 答えておいて。
 頼むよ。
女1 わけがわからない。
男 ごめん。
 柄にもなくちょっと緊張してるんだ。
 ほら、オレいい加減なやつだけど、一応は兵隊だからさ。
 こういうことはじめてだし。
女1 なにを仕出かすつもりなの?
男 えーっと、それはね……。
 どうしようか、言っちゃおうか?(旅人に)
旅人 いや、ボクに聞かれても……。
男 そうだよな。
 これはオレ一人で決めて、一人で実行することだから。
 むしろ黙って行こう。
 キミはただ後のサプライズを楽しみにしていてくれればい
 いよ。
女1 あそう。
 そもそもサプライズって予告しないものだと思うけど。
男 そうだね、じゃあサプライズあらためレボリューション
 かな。
 ははは。
女1 なにそれ?
男 世界一ささやかなレボリューションだけどさ。
 でも、オレなりに一世一代の勝負ってとこあるんだ。
 前半はキミに世話になりっぱなしだったからさ、少しでも
 盛り返したくってね。
女1 うん、わかった。
 アナタがそんなふうに冗談めかして言うってことは真剣な
 証拠よね。
男 おお、やっぱりわかる?
 さすがだねぇ。
女1 それなりに長い付き合いだしね。
 いいわ。
 ささやかなレボリューション、楽しみにしておくから。
男 ありがとう。
 ちなみにさっきのはお世辞なんかじゃない。
 キミの才能を生かして欲しい。
 自前の畑で作った果実でタルトでもなんでも作ってさ。
女1 ええ。
 じゃあ……。
 無事でね。
 ばっちり心配してるわ。
男 ああ。

    女1、去る。
    
男 クッキーは手に入ったし、ごく身近な人間には伝えられ
 たし、準備は整った。
旅人 昨日ここの人に会いましたよ。
男 ここの人?
旅人 この画廊の人。
男 どこで?
旅人 道端ですれ違ったんです。
男 あれ、でも顔知らないんじゃない?
旅人 ええ、でもなんとなくわかりますよ。
 それに絵を抱えていたし。
男 なんで絵を抱えてたんだ?
旅人 一番大事な絵だって言ってましたよ。
 自分が生まれ育った家から見えた風景だって。
男 へえ、それで持ち帰ったのか。
 なんかあれかな、悟ったのかな……。

    沈黙。

旅人 聞いてもいいですか?
男 なに?
旅人 独立するんですか?
男 ああ。
旅人 そんなこと出来るんですか?
男 手続きひとつだよ。
 土地を買ってさ、国の名前を登録する。
 まあ土地と言ってもささやかなものだけどね。
旅人 でも自由になれるわけですよね?
男 どうだろう……。
旅人 え。
男 いまみたいに不自由でも気楽な方がいいかもしれない。
 自給自足でどこまでやっていけるか……。
 猫の額ほどの国土に閉じ込もって一生暮らすんだ。
 どんなにチビでも一国の主ってそれなりに行動に制限があ
 るからさ。
 でもほかのみんなは自由だよ。
旅人 ほか?
男 さっきの男だって好きな仕事が出来る。
 どこの誰が作った映画の翻訳だって制限なくやれるんだ。
 なんだってそうだけど、メリットばかりじゃないしデメリッ
 トばかりでもない。

    沈黙。

男 アンタ、兵役は?
旅人 じつはもうすぐなんです。
男 逃げてきたわけ?
旅人 いえ、そういうわけじゃ……。
男 じゃあ従うの?
旅人 ……。
男 従わないの?
旅人 まだわかりません。
男 そっちのお務めは何年なの?
旅人 五年です。
男 へえ、同じだ。
 偶然かね?
旅人 さあ……。
男 あーあ。
 やっぱりやめた。
旅人 え。
男 オレさ、山を越すのやめるわ。
旅人 やめるって、じゃあ、独立は?
男 するよ。
旅人 でも……。
男 でもあの金は使わない。
 独立するために土地を買えば国は少しだけど潤う。
 全部外貨だからな。
 あの金でこの国を潤すのはやっぱりイヤだ。
旅人 あの金って?
男 聞こえなかった?
 親父が残した金さ。
 でもその金、親父が作ったってわけじゃないんだよ。
 誰かに託されたんだ。
 よかったらその金使ってくれない?
旅人 託すって?
男 そこは気にしなくていいよ。
 少なくともその金でアンタは兵役を免れることが出来るだ
 ろ?
旅人 ……。
男 人ひとりの自由が買えるなら十分意味があるさ。
旅人 でも……。
男 なに?
 もらった金じゃプライドが許さないかい?
 若いんだから人の好意には素直に甘えなきゃ。
旅人 それで、アナタは独立出来るんですか?
男 ああ、ご心配なく。
 考えてみたら失うものなんて最初からなにもないんだ。
 欲しいものも惜しいものもない。
 それってある意味強みなんだよね。
 ははは。
旅人 ……。
男 クルクス峡谷って知ってる?
旅人 ええ。
男 ひとつだけ滝があるんだってさ。
 その滝を正面から見て左側の道をまっすぐ行った突き当た
 りに石碑がいくつもたってるんだって。
 それぞれに絵柄や文字が刻まれているらしくてね、その中
 から水瓶の絵柄が刻まれているやつを探して、その足元を
 掘ってみなよ。
 ちょっとした額が埋まっているらしいから。
旅人 ……。
男 まあ、アンタ次第だ、任せるよ。
 座らない?
旅人 ええ。
   
    二人、座る。   
    沈黙。

旅人 あの、これ食べていいですか?
男 もちろん。
旅人 ひとつどうですか?
男 ああ、もらおうかな。

    女2、現れる。

男 やあ。
女2 おはよう。
旅人 どうも。
男 この男これから峠越えだって。
女2 アナタも一緒に?
男 うん、そのつもりだったんだけどね。
 座らない?

    女2、無言のまま座る。
   
旅人 クッキーです。
 よかったらどうですか?
女2 ありがとう。

    三人、黙々と食べる。

旅人 あ、来た。
男 来た?
旅人 聞こえる。
 遠くで。
  
    三人、立ち上がる。

男 クルクス峡谷、滝の左側、行き止まりに石碑、水瓶の絵
 柄。
 憶えた?
 ちなみにそれ以外の石碑は墓らしいから間違って掘らない
 ようにな。
旅人 届けましょうか。
 掘って出たものを。
男 意味ないよ。
旅人 でも。
男 使ってくれよ。
 せっかく教えたんだから。
旅人 ええ、じゃあ、報告だけでも。
男 報告?
 ああ、そうだな、宛先はここのポストで頼むよ。
旅人 ポスト宛?
男 うん、ポスト留め。
 もっともそれはオレの口だけど。
旅人 え。

    遠くから蹄の音。
    徐々に大きくなる。

旅人 じゃあ……。
男 うん。
女2 さよなら。
旅人 あの……。
男 ん?
旅人 いえ、乗りませんか?(女2に)
女2 ……。
旅人 帰りませんか、一緒に。
男 乗ってく?
 それもいいよな。
女2 乗らないわ。
 ありがとう。
旅人 そうですか。
男 うん、それもいいかもな。

    馬車が近づく。
    溶暗、そして暗転。




   <第4場>

    男、制服姿のまま。
    女2に縄で体を縛られている。

    傍らに大家。
    絵はすべてもと通り掛かっている。


女2 きつすぎない?
男 大丈夫だよ。
 遠慮なくやっちゃって。
大家 教えろよ。
 今度はいくら借りたんだ?
男 野暮なこと聞くなって。
 借金の額なんて公表するもんじゃないよ。
 それよりキミ宛のプレゼント、その顔じゃまだ届いてない
 みたいだな?
大家 プレゼント?
男 映写機だよ。
 骨董屋に頼んだんだ。
 新型ってわけにはいかなかったけど、これで好きな映画が
 見れるぜ。
 翻訳の勉強にも使ってくれよ。
女2 本当に痛くない?
男 大丈夫だってば。
 縛られるってなんだか気持ちが引き締まるようだよ。
 なあ、鞄の中の帽子を被せてくれよ。
大家 ああ。

    女1、ペンキと刷毛を持って現れる。

男 やあ。
女1 今日は夕立が来るかも知れないってね。
男 そう。
 でも日中は日差しが強そうだね。
女1 肥料撒くの明日にしようかしら。
 天気には苦労させられそうね。
男 それがファーマーの宿命さ。
 やることは山ほどあるだろうな。
 土の質を改良したりとかさ。
 まあ、五年後かな。
 本腰入れるのは。
大家 五年掛かるのか?
男 第一級債務者は五年だってさ。
女1 まるで捕らわれの身ね。
男 ああ、利子を取られない代わりに自由もない。
 オレが初めてらしいよ。
 二十四時間完全拘束の公務従事って返済方法を選んだの。
大家 一人で被るのは解せないな。
女1 そうよ、なにもこんな……。
男 まあこれで曲がりなりにもスタート地点には立てたんだ。
 さあ、もういいからやっちゃってくれ。
 ほら。

    女1、ペンキの蓋を開け、刷毛を漬ける。

男 曾祖父ちゃんは教育者で祖父ちゃんは農夫だろ、それで
 親父が思想家で、オレは順番から言うと……。
 やっぱ、ファーマーかな。
 はは、まあ、気楽に行くさ。
 たかが五年だぜ。
 五年なんてあっと言う間だよ。
女1 いくわよ。
男 ああ。

    女1、男の足元からペンキを塗っていく。
    靴、裾が朱色に染まる。

男 一生届かないものを追い続けた奴はたくさんいたんだ。
 五年なんてわけない。
 それに借金の清算が終わっても大して変わらないよ。
 全然自由のないオッサンとちょっと自由なオッサンの違
 いしかない。

    膝から腰にペンキが塗られていく。

男 いよいよこれで正真正銘のポストだ。
 もうポストマンじゃない。

    胸、肩が塗られ、首もとに刷毛が辿り着く。

男 しばらくは土と肥料のことだけ考えるさ。
 もう少し待っててくれ。

    男と女1、しばし見つめ合う。


        ‐了‐


 
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