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ささやかな午後 〜アナグラネズミのささやき〜
作 ソンブレロ
 



#1「ささやかな計画」


    女1、壁などを見回しながら現れる。

    少しの間ののち女2、同じく壁などを
    見回しながら現れる。  

    両者ほぼ同時に気がつく。

    
女1 あら。
女2 あ、はじめまして。
女1 こんにちは。
  あなたが?
女2 ええ、どうぞよろしくね。
女1 こちらこそ。
 ねえ、ここ、意外と悪くないじゃない?
女2 そうね、思ったよりずっといいわ。
女1 気に入った?
女2 ええ、それにあなたのこともね。
 優しそうな人でよかった。
 なんだか安心したわ。
女1 ありがとう。
 私たちうまくやっていけそうね。
 ところで、あなたはここでなにをするの?
女2 陶器を売ろうと思っているの。
 私が作ったカップとかソーサーとか。
 あと、いろいろな器とかもね。
女1 あら素敵ね。
 自分の作品を売るなんて。
 私で良ければお手伝いするわ。
 遠慮なく言ってね。
女2 それはご親切にありがとう。
 で、あなたの方はなにを?
女1 私はえーっと……。
 その、とってもささやかにね。
  まあ、そういうことをしようかと思って……。
女2 そういうことって?
女1 だからささやかなことよ。
女2 ささやかになにをするの?
女1 なんて言うか、その、雰囲気って言うか……。
女2 雰囲気?
女1 そう、そういうものを作り出してお届けする、みたいなね。
女2 まだ決まってないの?
女1 うぅん、方向は決まっているし、あとはささやかな雰囲気を具体化すれ
  ばいいだけだから。
女2 そこが一番大事よね。
 大丈夫?
 なんだかちょっと不安になってきたけど。
女1 あら、ついさっき安心したって言ったばかりじゃなかった?
女2 まあ、あなたのことはあなたが決めればいいんだけどね。
 でも、同じ場所をシェアする者として気になるじゃない?
女1 一応用意はしてあるのよ。
  この中に。(バッグの中)
  構想みたいなものをね。
女2 構想?
  ちょっと見せてもらってもいい?
女1 ええ、でもその前に聞いて。
 じつは私、絵を描くことを仕事にしたいって思っててね、毎日たくさんの絵
  を描いてきたの。
女2 あ、絵が入ってるのね?
女1 聞いて。
 でもね、絵が評価されるにはとっても時間が掛かるの。
 だからいろいろな仕事をしたわ。
 簡単な仕事ばかりだけどね。
女2 たとえばどんな?
女1 コーヒー豆を一日中ミルで挽き続けたりとか。
女2 一日中?
 それってとても大変な仕事ね。
女1 ええ、ミルの回し過ぎで筆を持つ手に力が入らなくなるの。
  だから一年くらいしか続かなかったわ。
女2 一年も?
 私なんか三日も我慢出来ないと思うわ。
 あなたってよっぽど根気があるのね。
女1 そうでもないけど、もしかしたらアナグラネズミの世話をしているせい
  かもね。
女2 アナグラネズミ?
 なんのこと?
女1 ある人から世話を頼まれたの。
女2 それが大変だったの?
女1 まず驚いたのが、こんなに大きいの。(両手で示す)
女2 そのネズミが?
女1 うぅん、飼っていたガラスの壺がね。
 その中の土に穴がポツポツって空いていて、それが巣の入り口なの。
女2 何匹もいるの?
女1 うん、何匹かいるらしいんだけどね。
女2 らしい?
女1 そう聞いたわ。
 見たことないのよ。
 夜行性のウサギだから昼間はまったく姿を見せないんだもの。
女2 ウサギ?
 ネズミでしょ?
 あなたアナグラネズミって、さっき……。
女1 ええ、アナグラネズミっていう学名のウサギなの。
女2 ややこしいわね。
 でも姿を見せないウサギのことをどうやって世話をするの?
女1 夕方、木の実を穴の入口に置いてやるの。
 次の日にはちゃんとなくなっているわ。
 それが元気な証拠。
 殻はべつの決まった穴に捨ててあるのよ。
 あと、トイレも決まっているから、その穴の掃除もしてあげるの。
女2 夜行性のウサギの世話ね……。
 確かに根気が必要ね。
女1 そう、だからそのガラスの壺を眺めながら絵の構想を練ったり、それ以
  外にもいろいろな想像を巡らしたりね。
 それで退屈しないコツを掴めたみたい。
女2 いろいろな想像ってどんなこと?
女1 たとえばアナグラネズミがひょっこり顔を出して私と話をするとかね。
 「今日から夜行性をやめて、昼はちゃんと働いて夜寝るようにします、早寝
  早起きを心掛けます」なんて言うから、「あらそう、どういう風の吹き回し
  かしら、でも私も応援するわ」なんて返したりね。
女2 そういう想像をずっと?
 私なら一日もつかしら。
女1 くる日もくる日もガラスの壺を眺めながら、登場人物を変え、設定を変
  え、会話を考え……。
 私ってもしかしたら劇作家の才能があるんじゃないかって思っちゃったわ。
女2 そうかもしれないわよ。
 そんなに長い時間想像に耽っていられるなんて。
 でももったいなかったわね。
 考えてるだけじゃなくて書き残しておけばよかったのに。
女1 だから書き残したの。
 それがこの中に入っているの。
女2 あ、そういうことね。
女1 読んでみる?
女2 え、ええ、まあそうね。
  読んでみようかしら。
女1 じゃあどうせだから声に出して読んでもらえない?
 出来れば俳優みたいに感情を込めて、演じるように読んでもらえると嬉しい
  わ。
女2 そんなこと私に出来るかしら?
女1 やれば出来るわよ。
 これが私のプラン。
 そういう会話を通して雰囲気をお届けするというのが。
女2 あの、で、その雰囲気をお届するために、実際は誰が演じるわけ?
女1 大丈夫。
 あらかじめ声をかけてあるわ。
 あなた一人じゃないから。
女2 あ、もう私も入ってるんだ?
女1 はい、じゃあこれ、どうぞ。

    女1、台本を取り出して女2に手渡す。

女1 早速始めましょうか。
女2 え、ちょっと待って。
 あの、この、ささやかな午後っていうのが、つまり題名なのよね?
女1 ええ、題名でもあり、お店の仮の名前みたいなものね。
 あなたとシェアする私の方のお店の。
女2 じゃああなたが午後の方ってこと?
女1 あ、それまだ決めていなかったわね。
 ごめんなさい、私ったら勝手に思い込んで……。
女2 うぅん、私が午前、あなたが午後で問題ないわ。
女1 それじゃあなたが不利だわ。
 だって午前中って誰しも自分のことで忙しいじゃない?
 朝食のあと片付けや洗濯やお昼の準備だってあるしね。
女2 じゃあ三時なんてどう?
 午後の一番まどろむ時間にチェンジするっていうのは?
女1 三時ね。
 いいわ、そうしましょう。
  ところでいま何時かしら?
女2 ついさっき三時の鐘が鳴ったから、三時ちょっと過ぎくらいね。
女1 じゃあもう仲間が来るわ。
女2 ねえ、私、演技の経験なんて全然ないけど大丈夫かな?
女1 むしろ自然のままでいいと思うの。
 あなたに合わせて書き直すから心配しないで。
  で、そのかわりじゃないけど、あなたの方のお店の手伝いもするから何でも
  言ってね。
女2 それはどうも。
女1 あ、みんな迷ったりしないかしら。
 私、ドアの前に立ってるね。
女2 私も行くわ。
女1 じゃあごめん。
 お茶でもいれててもらえない?
 ポットとカップがあるみたいだから。
女2 え、ええ、いいわ。

    女1、去る。

女2 ささやかな雰囲気……。
 大丈夫かな、私。
 まあいいか、ささやかだものね。
 ささやかに手伝わせてもらうわ。
 あ、お茶ね。

    女2、去る。




#2「アナグラネズミのお世話係募集」


    中央にテーブル。
    両側に一脚ずつの椅子。
    片側の椅子に女3が座っている。

女3 どうぞ、入って。

    女1、現れる。

女1 あ、こんにちは。
 募集の貼り紙を見て来た者ですけど……。
女3 そう。
 ようこそいらっしゃいました。
 待っていたのよ、あなたみたいな真面目そうな人を。

    近寄って女1を座らせる。

女1 それはどうも……。
女3 誰も来てくれないかと思ったわ。
 あんな屋根裏部屋の掃除係なんてね。
 でも出してみるものね。
 ちゃんと来てくれる人がいるんだから。
女1 屋根裏部屋?
 なんですか、それ?
女3 なんですかって、貼り紙にそう書いてあったでしょ?
 屋根裏部屋の掃除係求むって。
女1 いえ、あの、私、アナグラネズミのお世話係求むっていう貼り紙を見て
  来たんですけど……。
女3 ああ、そっちだったのね?
 そうよね、あんな仕事に来てくれるわけないものね。
女1 あの、もしよかったら屋根裏部屋の方でも構いませんけど。
女3 それじゃ悪いわ。
  アナグラネズミのお世話をするつもりで来た人に掃除係なんてね。
女1 そんなこともないですけど……。
 って言うか、なんなら両方とも私がやりましょうか?
女3 なんて使命感の強い人なのかしら。
 でも、両方なんて図々し過ぎるし、申し訳ないわ。
 じゃあこうしましょう。
 少し待ってみましょうよ。
 もし、このあとに掃除の方の貼り紙を見た人が来たら、あなたはアナグラネ
  ズミの方のお世話をして頂けない?
女1 はい。
女3 それで、もしアナグラネズミの方の貼り紙を見た人が来たら、掃除の方
  をお願い出来ないかしら?
女1 ええ、それで構いません。
 で、もし誰も来なかったら、私、両方やりますから。
女3 悪いわね。
 でもそう言って頂けると助かるわ。

    沈黙。

女3 誰も来ないみたいね。
 じゃあ悪いけど両方ともお願い出来るかしら?
女1 あ、もうですか?
女3 え?
女1 いえ、てっきり二、三日くらい間を置くのかと……。
女3 二、三日?
女1 ああ、なんでもありません。
 私、構いませんよ。
 どうせ両方ともやるつもりでしたから。
女3 そう、あなたってやっぱりいい人ね。
 ぜひお願いしたいわ。
 アナグラネズミのお世話の方だけをね。
女1 え、じゃあ屋根裏部屋の方は?
女3 嘘なの。
 ごめんなさいね、試したりして。
 じつは、屋根裏部屋の掃除係なんて貼り紙はしてないの。
 あなたがどれだけ真面目な人かどうかを知りたくて言ったの。
 許してね。
女1 いえ、べつにそんな……。
女3 でもあなたが責任感と使命感が強い人だってことがよくわかったわ。
 あらためてよろしくお願いします。
女1 あ、はあ、こちらこそ……。
女3 なぜこんなことをしたかと言うとね、アナグラネズミのお世話ってとっ
  ても根気がいるの。
 いい加減な人じゃ勤まらないのよ。
 もしかしてあなた、アナグラネズミのお世話をしたことがおありとか?
女1 いえ、全然。
 って言うか、アナグラネズミがどんな動物なのかも知らないで来ちゃったん
  ですけど。
 そんな大変な仕事だったんですか?
女3 大変と言っても、噛みつくとか鳴き声がうるさいとか、そういうことは
  ないのよ。
 むしろその逆。
 巣に閉じこもりっきりで、じっとしているの。
女1 大人しいんですね。
女3 大人し過ぎるの。
 まるで飼っていることを忘れちゃうくらい。
 だから決して餌やりは忘れないでね。
女1 はい、それはもちろん。
女3 よかった。
 これで安心して出掛けられるわ。
 少しの間留守にするけど頼むわね。
女1 ええ、で、お帰りはいつになりますか?
女3 なるべく早く帰ってくるわ。
 そう、一年か、二年か……。
女1 あ、そんなに?
 いえ、あの、どちらに?
女3 どうしようかしらね?
女1 決まってないんですか?
女3 私ね、詩を書いているの。
 詩ってね、やっぱり旅が必要な気がするの。
 ずっと家に閉じこもって書いているとそんな気がしてくるのよ。
女1 はあ、なんとなく分かる気がします。
女3 あら、分かってもらえる?
 もしかしてあなたもなにか創作をなさっているの?
女1 創作って言うか、絵の方を少々。
女3 そう、詩もそうだけど、絵も辛抱が必要よね。
 ところであなたの絵はどこで見られるの?
 ギャラリー?
 それともカフェとか?
女1 いえ、特にどこにも……。
女3 個展を開いたりしてるの?
女1 それも、まだ……。
女3 差し出がましいこと言うようだけど、もっと自分を売りこんでもいいん
  じゃない?
 もしよかったらコーディネーターを紹介するわ。
 知り合いの知り合いなんだけどね、もう長いことやっているし、親切な人よ。
女1 コーディネーターですか?
女3 いくら作品の質が高くても人目に触れなければ評価されないでしょ?
 任せてみない?
 決して悪いようにはされないわ。
女1 え、ええ、では、お願いします。
女3 ところでお仕事のことなんだけど、まずアナグラネズミの餌やりについ
  て説明するわね。
女1 はい。 

    女3、立つ。
    女1、つられて立つ。

女3 あ、うぅん、その前にお茶にしましょう。
 急ぐ仕事はなんにもないんだもの。
女1 あ、じゃあ私が。
女3 いいのよ、あなたはメイドさんじゃないんだから。
 待ってて。
女1 あ、でも。

    女3、去る。
    女1、少し考え、何か手伝おうとあと
    を追う。




#3「ハチミツ&ジャム&ポット」


    女4、現れる。
    小さなかごを提げている。

女4 こんにちは。
 どなたかいらっしゃいませんか?
 こんにちは。
 ハチミツ売りです。
 こんにちは。

    女2、現れる。

女2 はい。
女4 あ、はじめまして。
女2 どうも。
女4 あの、ハチミツのご用はありませんか?
 自家製のハチミツなんです。

    女4、かごから小瓶を出して見せる。

女2 自家製ってあなたが作ったの?
女4 はい、私一人だけのとってもとっても小さな養蜂場なんです。
 少ししか作れませんけど、そのぶん心を込めています。
女2 一人だけで?
女4 あとミツバチが二十八匹います。
 まだはじめたばかりなので、こうして訪ね回っているんです。
女2 私もはじめたばかりなのよ。
 お互いがんばりましょうね。
女4 こちらはお店なんですか?
女2 ええ、まだ準備中なんだけど、手作りの陶器とかを並べようと思ってい
  るの。
女4 それは嬉しいです。
 同じ町に素敵なお店が出来て。
 もしよかったら、これ開店祝いにおひとつどうぞ。

    女4、小瓶を差し出す。

女2 ありがとう。
 でも少ししか作れないんでしょ?
 悪いわ。
女4 大丈夫です。
 うちのミツバチは働き者ばかりですので。
女2 じゃあ遠慮なく。
 ねえ、おたくのミツバチさんたちのおやつは何かしら?
女4 プラムの果汁が好きですけど……。
女2 じゃあこれを……。

    女2、箱の中から小さな器を出して
    女4に差し出す。

女2 働き者のミツバチさんたちのおやつ入れに。
女4 ありがとうございます。
 きっと喜んでもっと働いてくれます。
女2 あんまりがんばらせ過ぎないようにね。
女4 はい、気をつけます。
 大事なうちの従業員ですから辞めちゃったら困りますので。
女2 辞めちゃう?
女4 ええ、あんまり無理をさせると辞めちゃいます。
女2 逃げちゃうの?
女4 辞めてほかの養蜂場に行く者もいるし、独立して自分の巣を作る者もい
  ました。
 少しも蜜を集めない怠け者もいて、こちらから辞めてもらったこともありま
  す。
女2 いろいろあったのね?
女4 ええ、でも今いるミツバチたちはよく働くし、私も彼等を大事にしてい
  るので信頼し合っています。
女2 じゃあいいハチミツが出来るわね。
 ねえ、もしよかったらここにハチミツを置いてみない?
女4 本当ですか?
女2 コーヒーカップ、ソーサー、シュガーポット、ミルクポット、ちょっと
  離れて小瓶に入った自家製ハチミツのコーナー。
 いいと思わない?
女4 ありがとうございます。
 うちのハチミツがお店に並ぶなんてとっても励みになります。
女2 私もよ。
 ハチミツに負けないようにいいものを作らなきゃ。
女4 では私、戻ります。
 早速ハチミツ作りに精を出します。
女2 あら、張り切ってるのね。
 お互いがんばりましょうね。
女4 はい、よろしくお願いします。

    女4、そそくさと去る。
    女2、ハチミツの瓶を眺めている。
    短い間ののち、女5、現れる。
    小さなかごを提げている。

女5 はじめまして、こんにちは。
女2 こんにちは。
女5 あの、ジャムのご用はありませんか?
 自家製のジャムなんです。

    女5、かごから小瓶を出して見せる。

女2 今度はジャムなのね……。
女5 え。
女2 自家製ってあなたが作ったの?
女5 はい、ラズベリーのジャムなんです。
 とっても小さなラズベリー畑ですけど、一人で栽培も収穫もしています。
 ですから少ししか作れませんけど。
女2 そう、それは大変ね。
女5 でもこの仕事にやり甲斐を感じているので少しも辛くありません。
 未熟者ですけど、どうぞよろしくお願いします。
女2 私もはじめたばかりなのよ。
 お互いがんばりましょうね。
女5 こちらはお店なんですか?
女2 ええ、まだ準備中なんだけど、手作りの陶器とかを並べようと思って
  いるの。
女5 それは嬉しいです。
 同じ町に素敵なお店が出来て。
 もしよかったら、これ開店祝いにおひとつどうぞ。

    女5、小瓶を差し出す。

女2 でも少ししか作れないんでしょ?
 悪いわ。
女5 いえ、ほんの気持ちですので、どうか。
女2 ありがとう。
 ジャムはミツバチには手伝ってもらえないものね。

    女2、陶製のスプーンを出して
    女5に差し出す。

女2 よかったらこのスプーンをもらって頂けない?
 ジャムの味をみるのに役立つんじゃないかしら?
女5 ありがとうございます。
 では遠慮なく。

    女5、見回して。

女5 ここに陶芸作品が並ぶんですね。
 コーヒーカップとかソーサー、シュガーポットにミルクポット……。
 あとハチミツなんか置かれてもアクセントとして素敵なんでしょうね。
女2 え、どうしてそう思うの?
女5 いえ、その、ハチミツの瓶を持ってらっしゃるから。
女2 もしかして聞いてた?
 さっきの話を。
女5 さっきの話?
女2 ハチミツ売りさんと私のよ。
 そうなんでしょ?
女5 はい、ごめんなさい。
 聞いていました。
 最初から最後まで。
女2 あら、ずいぶん正直なのね。
 でもどうして?
女5 もともと根が正直なんです。
 私って。
女2 そうじゃなくて、どうして聞いてたのかってこと。
女5 ああ、それはその……。
 偶然聞こえちゃったんです。
女2 偶然?
 本当?
女5 本当です。
 たまたま立ち寄ろうと思って……。
女2 嘘じゃないわね?
女5 あ、ごめんなさい。
 嘘です。
 偶然だなんて、じつは立ち聞きしていました。 
女2 あなたって正直なの?
 嘘つきなの?
 よくわからないわ。
女5 正直者です。
 自分で言うのもあれですけど。
 って言うか、嘘をついたばかりで説得力ないですけど。
女2 あなたたちって仲間なんでしょ?
女5 仲間?
 まさか。
 私とハチミツ売りが仲間だなんて、あり得ません。
 ジャム売りのプライドにかけても断然違います。
女2 ずいぶん力を込めたわね。
女5 ええ、だって私、ハチミツ売りにだけは負けたくないんです。
 いくら同じラズベリーだからって。
女2 え、なんですって?
 同じなに?
女5 ああ、えーっとその……。
 じつは同じ畑なんです。
 とっても小さなラズベリーの。
 ハチミツは花から、ジャムは実から。
女2 へえ。
 やっぱり仲間なんでしょ、あなたたち。
女5 はい、すみません、確かに仲間でした。
女2 でした?
女5 今は違います。
 敵って言うか、競争してるんです。
 どっちがいいものを作れるかって。
女2 つまりライバル関係ってことね。
女5 あの、どっちの方が美味しいかご判定頂けませんか?
女2 それならジャムも置かせてもらうわ。
 たくさんの人に決めてもらった方がいいでしょ?
 こういうことって長期戦になるものよ。

    女4、現れる。
    手に小さな包み。

女4 あら。
女5 あ。
女4 どういうこと?
女5 こういうこと。
女4 うぅん、わからない。
女2 つまり、この人がライバル心むき出しで、あなたのすぐ後に対抗して来
  たの。
女5 どうして戻って来たの?
女4 ハチミツを置いて頂いたお礼ってほどのものでもないんですけど、これ
  よかったら……。
 角のお店で買ったシュークリームです。
女2 あら、嬉しい、ここのおいしいのよね。
 ねえ、お茶でもいかが?
 これをいただきながら。
女4 あ、じゃあ、お言葉に甘えて。
女2 あなたも。
女5 あ、いや、でも……。
女2 睨み合っていたって仕方ないでしょ。
 いい意味で仲良くしてお互いを高め合わなきゃ。
女5 なるほど。
 じゃあせっかくなので……。
女2 私も競争に入れてもらおうかな。
 ジャムやハチミツを入れるポットを作って。
 器が勝つか、中身が勝つか、なんて。
 どう?
女4 三つ巴の競争ですね。
 益々高め合えそうです。
女2 じゃあ新しいライバル関係の結成を祝って、ティータイムにしましょう。
 ねえ、私がお茶をいれるからシュークリームをお皿にのせてくれない?
 あとお砂糖とミルクも運んでね。
女4 はい。

    女2、去る。
    沈黙。

女4 行こう。
女5 うん。

    二人、去る。




#4「迷走の果てに」


    男1、現れる。
    辺りを見回す。

    やがて男2、現れる。
    同じく辺りを見回す。

男1 なんだろうな、ここは。
男2 なにかのお店でしょうかね。
男1 誰もいないのかな。
男2 あ、これ。

    男2、ハチミツを見つける。

男2 こんなものが。
男1 なんだそれ。
男2 ハチミツみたいですね。
男1 いいもの見つけたな。
男2 あ、ジャムもありますよ。
男1 すごいな。
男2 どうしましょう?
男1 どうしましょうって、そりゃ……。
 もらっちゃおうよ。
男2 もらう?
 盗むってことですか?
男1 盗むんじゃない、奪うんだよ。
男2 あ、どう違いますか?
男1 盗むっていうのは人目につかずってことだろ?
 奪うっていうのは、もっと堂々とってことだよ。
 誰が咎めようと構わずってことだよ。
男2 なるほど。
男1 奪えよ。
男2 え。
 僕が?
男1 そうだよ、早く。
男2 いや、でも……。
男1 どうした?
男2 そういうのは、ちょっと……。
男1 なに言ってるんだよ。
男2 だって泥棒じゃないんですから。
男1 ああ、泥棒じゃないんだよ。
 奪うんだから。
男2 よしましょうよ、どっちにしても。
男1 きれいごと言うんじゃないよ。
 だったらどうやって生き抜いていくんだよ?
 仕事でもみつけようっていうのか?
男2 いや、それは……。
男1 一体だれが雇うんだ?
 オレたちみたいな脱走兵を。

    沈黙。

男2 わかりました。
 じゃあとにかくもらいます。(それぞれの手にハチミツとジャム)
男1 じゃあオレも。(同じく両手にハチミツとジャム)
男2 とうとうやっちゃいましたね。
男1 ああ、略奪だ。
 脱走兵っぽくなってきたな。
男2 早く逃げましょうよ。
男1 だから泥棒じゃないんだから。

    男1、人の気配を感じる。

男1 あ、おい、やばい。

    男1、素早く品物を元に戻す。
    女1、現れる。
    男2、間に合わず後ろ手に隠す。

女1 いらっしゃい。
男1 あ、どうも。
男2 どうも。
女1 あら。(男2を見て)
男2 あ、ああ、いえ、その……。
女1 どうしたんですか?
男2 あ、はは、これちょっと見てただけなんですけど……。(瓶を差し出す)
男1 だめだよ、勝手に。
 そういうことは、お前。
 はは。

    男2、両手の瓶を返す。

男1 ここは、お店なんですよね?
女1 ええ、まあ。
男1 へえ……。(しらじらしく見回す)
男2 なに屋さんなんですか?
男1 ばか。
 だから、ハチミツとかジャムとかを売るお店だよ。
男2 ああ、なるほど……。
女1 脱走兵ってなんですか?
男1 え。
女1 脱走兵。
男1 あ、いや、その、はは……。
男2 聞いてたんですか?
女1 聞こえたんです。
 そう言ってましたよね?
男1 それは、つまりその……。
女1 なんのことかしら?
男1 えーっと。

    男1、2、顔を見合わせる。

男1 だめだ、もう。
 ばれてる。
男2 どうしましょう?
男1 やっぱり奪うしかない。
 これ、もらうぜ。

    男1、瓶を両手に取る。

男1 ほらお前も、早く。
男2 あ、はあ。

    男2、瓶を両手に取る。

女1 なんなの?
男1 だから、これもらうぜ。
 って言ったの。
女1 だめよ、それは。
 私のじゃないんだから。
男1 あ、じゃあ誰の?
女1 預かっているの。
 ねえ、脱走兵ってなに?
 なんのこと?
男1 いや、だから……。
男2 逃げ出して来たんです。
 軍隊から。
女1 どうして?
男2 どうしてって……。
 いろいろ大変で。
女1 いろいろって?
男2 ですから、いろいろとですよ。
 僕、馬の世話をしてたんですけど、何度も馬に振り落とされたんですよ。
 しかも蹴られたり。
 いくら上官が乗る馬だからって、僕のことばかにして……。
男1 ばか。
 オレは、職務の理不尽さへの不満が鬱積して……。
男2 ダッシュでアイスクリーム買ってこいとか、ひどかったですよね。
男1 ばか。
 そういう、割り切れないと言うか、意義を見出せないと言うか、それで……。
女1 でももうそんなの関係ないじゃない。
男1 え。
女1 だから関係ないでしょ、そんなことは、もう。
男1 えーっと、あの、どういうこと、ですか?
女1 だって軍隊なんてもう解散したんだから。
男1 解散?
 はは、また……。
女1 本当に知らないの?
男1 え、本当なんですか?
女1 嘘のわけないでしょ。
男2 いつ解散したんですか?
女1 先週末よ。
男1 どうしてまた……。
女1 戦争はとっくに終わったし、いつまでも睨み合ってても仕方ないってこ
  とになったんだって。
 お互いにね。

    男二人、顔を見合わせて絶句。

男1 なんてこった。
男2 こんなことならあんなに苦労して脱走なんかするんじゃなかったですね。
男1 まったく、どうしてこう間が悪いんだろ。
女1 そんなに苦労したの?
男2 人目につかないように道なき道を歩いてきました。
 川の中をじゃぶじゃぶ進んだり。
 町に入ってからは下水道を歩いたりもしました。
男1 なんにも知らずに、はは。
男2 今更それはないですよね。
女1 今更でもいいじゃない。
 大陸のはじっこでは未だにいざこざが続いているんだもの。
 あ、それ返してね。
男1 ああ、すみません。
男2 すみません。

    男たち、瓶を戻す。

女1 お二人はこれからどうするの?
男1 あ、いや、それはまだ特に……。
女1 じゃあ、よかったらお手伝い頂けないかしら?
男1 手伝うってなにを?
女1 雰囲気をお届けするための役目。
男1 え。
女1 ここは雰囲気をお届けするお店でもあるの。
 いまね、コーディネーターの役がいないの。
 どう?
 引き受けて頂けない?
男1 コーディネーター?
女1 そう、絵画のね。
 画家にアドバイスしたり、絵を売り込んだり、作品を世に出すために働いて
  いる人のことよ。
男1 でも絵のことなんてなにも知らないし。
女1 大丈夫、雰囲気をお届けするための役目なんだから。
 つまりコーディネーターという役を演じて欲しいの。
男2 あの、もしよかったら僕もなにか役を頂けませんか?
女1 ええ、もちろん。
 どんな役がお好みかしら?
男2 そうですね、どうせなら現実の自分とはかけ離れた役を演じてみたいで
  す。
女1 かけ離れた、ね。
 たとえばどんな?
男2 たとえば、その……。
 爽やかさが満点のモテる男とか。
 男らしくて、優しくて、ユーモアもあって、モテる男とか。
女1 つまりモテたいのね。
男2 せめて劇の中くらい。
男1 ばか。
女1 モテるかどうかはべつとして現実とかけ離れている役なら考慮出来ると
  思うわ。
男2 あ、じゃあぜひそれで。
女1 ええ、お二人とも今度は脱走なんかしないでね。
男2 あ、そう言えばこの脱走が成功したら ショートケーキ食べ放題って言
  ったの忘れてないですよね?
男1 なんだよ、急にそんな話。
男2 いや、軍が解散したからその話は無効だなんてなったらイヤだなと思っ
  て。
 そんなことないですよね?
 ね。
男1 いや、そりゃまあ、なんて言うか、その……。
男2 その?
 なんですか?
 大丈夫ですよね?
女1 じゃあ私がご馳走するわ。
 お手伝い頂くお礼としてね。
男1 あ。
男2 ありがとうございます。
 それで、すみません、ちょっと心変わりって言うか、ショートケーキもいい
  けどシュークリームもいいなぁなんて……。
 さっき通りがかったお店のショウウィンドウで見たのがすごく美味しそうだっ
  たもので。
女1 そう、シュークリームでもエクレアでも好きなものをいっぱい食べてね。
男2 本当ですか。
 あ、じゃあ僕、早速。
 ちょっと待っててください。
女1 なに?
男2 せっかくなんで町を二、三周走ってもっとお腹を空かせてきます。
 すぐですから。
 じゃあ。

    男2、走って去る。

男1 あ、おい、ばか。

    男2の去る方向を眺めながら言葉を失う二人。 





#5「アナグラネズミをよろしく」


    中央奥にテーブル、椅子が二脚。
    たとえば公園や広場のような場所。

    男2、立っている。
    やがて女3、現れる。

女3 待った?
男2 いや、いま来たところ。
女3 話ってなに?
男2 その前にこれ。

    男2、隠し持っていたブーケを出す。

男2 黄色い花が好きだったよね。
女3 ありがとう。
 きれいね。
 どうしたの?
男2 買ったんだよ。
女3 そうでしょうけど。
男2 すぐそこに花屋があってさ、ちょっと覗いてみたら、この花があったん
  だ。
女3 なんていう花?
男2 忘れちゃった。
 でも花言葉がよかったんだ。
 丁寧にどの花にもちゃんと花言葉が記されててさ。
女3 で、この花はどんな?
男2 ずっと想っててください。

    短い間ののち、男2、椅子に座る。
    つづいて女3も座る。

男2 じつはね……。
  藪から棒で悪いんだけど、僕のアナグラネズミの世話をしてもらえないかな、
  と思ってね。
女3 え、ちょっと待って。
 ずいぶん藪から棒なのね。
男2 ごめん。
 なかなか言い出せなかったんだ。
女3 アナグラネズミって、あの……?
男2 そう、僕のうちにいる。
 イヤかな?
女3 うぅん、でも急だったから驚いただけ。
男2 君にかわいがってもらいたいんだ。
 これからずっと。
女3 これって、もしかして……。
 プロポーズの言葉みたいなもの?
男2 ああ。
女3 そう。
男2 どうかな?
女3 ありがとう、嬉しいわ。
男2 じゃあ……。
女3 ええ、喜んで。
男2 そう、よかった。
女3 あなたらしいわね。
 こんな話にもアナグラネズミが出てくるなんて。
男2 僕にとってアナグラネズミは家族みたいなものだからね。
女3 私も大事にするわ。
 ねえ、これから市場に買い物に行きましょう。
 あなたのために今夜は腕をふるいたいの。
男2 せっかくだけど、これから行くところがあるんだ。
女3 どこへ?
男2 大陸の外れまで。
女3 そのわりにはずいぶん軽装ね。
男2 駅に荷物を預けて来たからね。
 チケットも買ってあるんだ。
女3 二人でってこと?
男2 いや、一人で。
女3 なんのために?
男2 旅だよ。
女3 なんの旅?
男2 旅に理由なんてないよ。
 まあ、強いて言えば別の場所で小説を書くために。
女3 部屋でも書けるじゃない?
男2 なにかを書くには刺激が必要だしね。
女3 どうして今日行くの?
男2 君は詩人だよね。
 創作をする人間は、人の衝動について尋ねたりしないんじゃないかな。
女3 いつ帰るの?
男2 もう質問はよそうよ。
女3 わかったわ。
 じゃあ、あとひとつだけ聞かせて。
 アナグラネズミってそんなに大事なの?
 こんなときにまずペットの話って……。
男2 ある意味恩人みたいな存在だからね。
 ただのペットじゃないんだ。
女3 どうして飼うことにしたの?
男2 叔父さんにもらったんだよ。
 珍しいもの好きな人でさ。
 珍獣だってことで手に入れたらしいんだけど、きっと飽きちゃったんだろう
  ね。
女3 それで引き受けることにしたのね。
男2 自信を失って絶望しかけていた時だったからね。
 なにかの救いになるんじゃないかと思ってさ。
女3 救われたの?
 そのネズミのおかげで。
男2 うん、結果的にね。
 だから感謝してるんだ。
 叔父さんにも彼等にも。
女3 どんなことをもたらしてくれたの?
 あ、ごめんなさい、ひとつだけって言ったのに。
男2 いや、ちなみにアナグラネズミっていうのはネズミじゃなくてウサギな
  んだけどね。
女3 ウサギ?
男2 うん、まあとにかく彼等に期待しても癒してはくれないし、なにももた
  らしてはくれない。
 だから自発的と言うか、能動的に向き合うしかないんだ。
女3 能動的って?
男2 いつも土の中にもぐっているからね。
 でも土の中には微かにだけど生物が発する鼓動や呼吸があるはずなんだ。
 ガラスの壺を眺めながらそんなことを考えていると、創作的思考が刺激され
  るのか、集中力が上がる気がしてね。
女3 もう必要ないの?
 あなたにとってその創作的思考への刺激は。
男2 刺激も時々受ける方向や種類を変えないと刺激ですらなくなるからね。
女3 いつも土の中にもぐっているなんて、まるで木の根っこだけを育ててい
  るみたいね。
 花もなく実もない、土の中だけに生息する植物みたいな。
男2 うん、光の差さない地中に住んで、誰も食べない木の実を食べる生活。
女3 木の実を食べるの?
 土の中にもぐっているのに?
男2 夜行性だからね。
  真夜中に巣を出て落ちている実を拾い集めるみたいなんだ。
女3 木には登れないのね?
男2 おそらくね。
女3 じゃあリスとか鳥に木の実をとられたりしないのかな?
男2 だから誰も食べないような不味い実を選ぶんだ。
 誰も手を出さない、つまり争わなくて済む実を。
 きっと不味い実を食べることに耐えられるという進化を遂げたんじゃないか
  な。
女3 不味い木の実ってどんなの?
男2 ゼルトバっていう木の実なんだ。
女3 ゼルトバ?
 どこに生えているの?
男2 森の奥とかね。
 でも心配ないよ。
 去年の秋にたくさんとっておいたからさ。
 あと二年くらいは大丈夫。
女3 二年なの?
 あなたの旅って。
男2 たとえばの話だよ。
女3 私ね、前に話した翻訳の仕事が軌道に乗り始めたの。
 評論の仕事も時々だけど入ってくるし。
 だからあなたさえ良ければ執筆に集中してもらえると思うの。
 旅なんかに出なくても。
男2 そういうことじゃないよ。
女3 じゃあどういうこと?
 取材なんでしょ?
 大陸の外れだなんて……。

    沈黙。

女3 どうせならもっと近くて安全な場所にしてもらえない?
男2 価値の高い取材が出来るからね。
 もちろん小説だって書くよ。
 ごめん、そろそろ時間だ。
女3 そう、さようなら。
 どうか元気で。
男2 必ず本を出すよ。
 冒頭に名前を綴ってね。
 君に捧ぐ本だって。
 約束する。
女3 ありがとう。
 行って。
 見送らせて。
男2 じゃあ。

    男2、去る。

女3 どうしてこのタイミングだったの?
 そもそも本当にプロポーズなの?

    女3、花を見る。





#6「チャンスは一度」


    二人、並んで裸足で足踏み(小麦粉
    踏み)をしている。

女5 ねえ。
女4 なに?
女5 今夜はなんなの?
女4 なんなのってなにが?
女5 夜食に決まってるじゃない。
 夜食のメニューよ。
女4 豆のスープよ。
女5 なんだ。

    女5、足踏みをやめる。

女4 ちょっと勝手にやめないでよ。
女5 じゃああなたも休んだら?
女4 それじゃいつまでたっても終わらないでしょ。
 私達だけよ、こんな時間まで小麦粉踏みなんてやっているのは。
女5 そうね、みんないまごろ宿舎に戻って就寝前の自由時間を満喫している
  わね。
 ねえ、私と組んで失敗だったって思ってる?
女4 べつに。
 私って考えてもどうにもならないことは考えないタイプなの。

    沈黙。

女5 そうか、今日も豆のスープか。
女4 うん、あとトウモロコシを茹でたから少し入れるけどね。
女5 トウモロコシねぇ、別段珍しくないなぁ。
女4 セロリもあったっけ。
女5 変わりばえしないわね。
女4 仕方ないでしょ。
 くすねた材料で作るんだから。
女5 わかってるわよ。
 でも昨日はこっちが聞いたのよ。
 私が作ったスープに対するあなたの文句を。
女4 そういうのやめようよ。
 今日は私の番よ、みたいなのは。
女5 じゃあやめよう。
 明日から。
女4 今日からやめてよ。
女5 どうして?
 昨日はあなたの文句を黙って聞いたのよ。
女4 おとといは私が聞いたわ。
女5 じゃあその前の日は私が。
女4 だからもうよそうよ。
 前にも言ったよね、もう文句を言い合うのやめようねって。
女5 そうね、それでしばらく言わなくなったのにね。
女4 いつの間にか戻っちゃったよね。
女5 どっちが先に言ったんだろうね?
女4 だからもうよそうってば。
女5 あ。
女4 なに?
女5 靴音。
女4 え。
女5 ほら。
女4 本当だ。

    二人、足踏みを再開する。
    やがて男1、現れる。

男1 踏んでるか?
二人 はい、踏んでます。
男1 もうお前たちが最後なんだぞ。

    二人、小麦粉を踏み続けている。
    男1、しばし黙って見ている。

男1 よし、やめ。

    二人、ただちにやめる。

女5 ああ、終わった終わった。
 くたびれたわね。
男1 出来栄えはどうだ?
女5 悪くもないと思います。
女4 目標達成って言いなさいよ。
女5 今日の目標達成です。
 上等兵どの。(敬礼する)
男1 見せてみろ。

    二人、それぞれの袋を開いて見せる。
    男1、中を覗く。

男1 ん?
 ずいぶん荒いな。
 ハトの餌じゃないんだぞ。
 こんなのでパンを焼いて、上官に不味いなんて言われたら責任問題だぞ。
 ちゃんと踏んでなかっただろ?
女4 踏みましたよ。
 ねえ。
女5 うん。
男1 うそつけ、知ってるんだぞ。
 文句ばっかり言ってサボって。
 オレの足音を聞いて急に踏み始めただろうが。
女4 そんなこと……。
女5 ないですよ。
男1 こうやってな、遠くから歩いて来たように少しずつ足音を大きくしてみ
  せたんだ。(足音を調節して鳴らしてみせる)
 知らなかっただろ、すぐそこにずっといたのを。

    二人、顔を見合わせる。

女4 ずっとっていつからですか?
男1 だからずっとだよ。
 なんだ、お前たち。
 くすねた材料で夜食って。
 え?
女4 やだ。
 ばれてる?
女5 みたいね。
女4 あーあ。
女5 って言うか、それって最低じゃない。
 いやらしい。
男1 おい、お前誰に言ってるんだ?
女5 いえ、最低じゃありませんか、上等兵どの。(敬礼する)
男1 いや、敬語で言えばいいってもんじゃないよ。
 なんだよ最低って。
女5 だって忍び寄って人の話を聞いてるなんて軍人としてどうなんですか?
 って言うか、人としてどうなんですか?
 少なくとも男としては最低以下ですよ。
男1 最低より下ってなんだよ?
男5 絶対にモテないってことですよ。
男1 う。
 オレは、単に任務を忠実に遂行しただけで……。
 監視役という任務は、つまり、そういうものなんだよ。
女4 大人なんですね。
男1 仕事なんだよ。
女4 でもそれって虚しくないですか?
 いくら任務でも、疑問を感じたりしないんですか?
 軍人である前にひとりの人間じゃないですか。
男1 そりゃまあオレだって、なにも好きでこんな……。
女4 じゃあ替えてもらえばいいのに。
 もうこんな仕事イヤですって言えばいいじゃないですか。
男1 簡単に言うなよ。
 監視役と言っても、オレみたいな下級の兵士には散歩ひとつできる自由もな
  いんだぞ。
女4 じゃあいっそ逃げたらいいのに。
女5 そうよ、逃げちゃえばいいのよ。
男1 そんなこと出来るわけないだろ。
女4 そうでもないわよね。
 ねえ。
女5 うん、逃げた人いるしね。
男1 誰が?
女4 前任の人。
 上等兵どのの前の人。
男1 うそ。
女4 本当ですよ、私たち知ってるんだから。
 ねえ。
女5 うん、知らないふりしてるけどね。
男1 逃げ切れたのかな?
女4 どっちにしてもチャンスは一度でしょうね。
 捕まったらおしまい。
 ちゃんと計画を練らないとね。
女5 意外とここの監視体制ってチョロいみたいですよ。
 夜なんか特に警備が手薄だし。
男1 お前たち、まさか変な気を起してないだろうな?
女4 私たちは逃げませんよ。
 って言うか、逃げられませんよ。
女5 そうですよ、馬にも乗れないのに。
男1 馬?
女4 馬じゃなきゃ突破出来ないでしょ?
男1 そうか……。
女5 でもすぐ乗り捨てなきゃだめですよ。
 目立っちゃうから。
男1 でも馬なんかどうやって……。
女4 だから馬の世話係を巻き込まなきゃね。
女5 そう、共謀してね。
女4 なにか交換条件用意して交渉してみたらどうです?
女5 私だったらショートケーキ食べ放題なんて条件出されたらイチコロだけ
  どなぁ。
男1 ばか。
女4 だめですか?
男1 当たり前だろ。
 余計なこと言ってないで、ほら、これ、やりなおし。
女4 えー。
男1 えーじゃないだろ。
女5 びー。
男1 びーってなんだよ。
女5 しー?
男1 やれ早く!

    二人、しぶしぶ小麦粉を踏む。
    男1、それを見ながら、心ここにあらず
     といった表情。





#7「この作品をよろしく」


    女2、わき机などの花瓶に生けた花の
    向きを整えている。
    やがて男1、現れる。

男1 こんにちは。
女2 え、あ、こんにちは。

    男1、見回して。

男1 へえ……。
 あ、かわいいですね。
女2 え、いえ、そんな、やだ、ふふ……。
男1 は。

    沈黙。 

女2 あ、花ですよね?
男1 もちろんあなたも素敵ですよ。
女2 いえ、いいんです。
男1 そうですか、こちらがあなた専用のギャラリーってわけですか?
女2 え。
男1 作品を拝見出来ますか?
女2 こちらがそうですけど。

    陶器などが置かれた棚を案内する。

男1 ほう、これもあなたの作品ですか。
 なかなかいいいですね。
女2 あの、どなたですか?
男1 ああ、失礼。
 私、コーディネーターをしておりまして……。
女2 コーディネーター?
 ってなんの?
男1 あれ、聞いてませんでしたか?
女2 ええ。
男1 おかしいな。
 あの、ここに掛かっている絵はあなたが描かれたのでは?
女2 いえ、あ、もしかして……。

    女1、現れる。

女1 いらっしゃいませ。
女2 ねえ、こちらコーディネーターさんだって。
女1 え、あ、それはようこそ。
男1 ああ、あなたでしたか。
 作品を拝見しに来ました。
女1 お忙しいところありがとうございます。
 少ないですが、ここの絵はみんな私が描いた物です。
男 では失礼して……。

    男1、壁の絵を眺めている。

男1 ほう。
 なるほどね……。
女1 あの、いかがですか?
男1 うん、まあ、いいんじゃないですかね。
女1 はあ、いいってどのあたりが?
男1 まあ、全体的って言うか……。
女1 って言うか?
男1 風合いみたいなものが。
女1 風合い?
男1 いや、よくわからないけど……。
女1 え、わからないんですか?
男1 ご自分ではどう思いますか?
女1 私には評価できませんよ。
男1 これが自信作っていうのは?
女1 自信作ですか……。
男1 じゃあ好きな作品でもいいですよ。
女1 あの、評価したり、選んだりして頂けるんじゃないんですか?
男1 いえ、まず作家の意向を聞かないとね。
 どの作品をどうしたいのか、とかね。
 たとえば、この絵については、どういう思いがありますか?
女1 そうですね……。
 自分としては半信半疑って言うか……。
 よくわからないから、正当に評価してもらえればなっていつも思っています。
 忌憚のない意見が欲しいし、甘んじて受けるつもりでいますので。
 ですからよくご覧になってください。
男1 わかりました。

    男1、絵を見つめている。

男1 うーん、なるほどね。
女1 なにがですか?
男1 やっぱりね。
 出ていますね。
 作品からあなたの思いが。
女1 本当ですか?
 さっきはわからないって言いましたよね?
男1 ええ、でもいまはわかります。
女1 出てるって、どういうふうに出てるんですか?
男1 ですからあなたの思いです。
 作品に対する半信半疑的な、迷いと言うか……。
 だから正当なる評価が欲しい。
 忌憚のない意見でも甘んじて受けるという。
女1 それいま私が言ったことですよね?
男1 ええ、あの、そのせいか、出てる気がしたんです。
 そういう思いが。
女2 ねえ、ちょっと大丈夫?
 この人。
女1 あの、経験豊富な方だって聞いていたんですけど……。
男1 確かにたくさんの画家の作品を預かってきました。
 ですが、私自身正当な評価が出来るわけではありません。
 長年の経験から培われたのは直感力くらいです。
 そもそも絵を評価するのは、人ではなくて価値観の歴史ではないかと思うの
  です。
 ですから、まずその歴史に向けた、画家の強い対抗意識がなければ素晴らし
  い作品は生まれないし、時代の変革も起せません。
 モネ然りルノアール然り。
 我がスタンスを確立して突き抜けた先人は皆そうです。
 ですから最初にあなたの意向を求めたのです。
 意向というか、覚悟のようなものを。
女1 はあ。
女2 意外にまとも?
女1 なのかな。
男1 で、どうなんですか?
女1 覚悟って言われちゃうと、それは、まだなんとも……。
男1 絵は飾っているだけでは売れません。
 画商に預けるだけでも正当な評価は得られません。
 あなたがこの絵にかける情念や覚悟を原動力にして、私は良縁探しに出掛け
  るのです。
 ご存知でしょうけれど、絵画が評価されるにはとても長い時間を要します。
 それには画家が忍耐強く情熱を燃やし続けるだけでなく、我々のような者が、
  辛抱強く下支えしているということもどうかお忘れなく。
 で、どうしましょうか。
 いくつかお預かりしますか?
 それとももう少しお考えになりますか?
女1 ええ、おっしゃるとおりこれからはもっと思いを込めて描くように心掛
  けます。
 ご指南感謝します。
男1 あなたの創作人生に僅かでもお役に立てたならば幸いです。
 では、私はこれで。
女1 どうもありがとうございました。

    男1、帰りかけるが戻る。

男1 あ、手ぶらで帰るのもなんですし、やっぱり何かひとつ預からせて頂い
  てよろしいですか?
女1 え、ええ、せっかくですしね。
 どうぞ。

    男1、見回して一枚の絵を選ぶ。

男1 では、この絵と……。

    陶製の作品を選ぶ。

男1 あとこちらを預からせて頂けますか?
女2 え、私のも?
 あの、預かるっていつまでなんですか?
男1 ある程度評価されるまで。
女2 それってどのくらい掛かるんでしょう?
男1 早ければ数年、長ければ永遠。
女2 忘れちゃいそうですね。
男1 ええ、むしろ忘れてください。
 作品というのは忘れた頃に評価されるものです。
 どんなに早くても。
 では。

    男1、去る。

女2 あんなこと言っちゃって。
 どうなの、あの人。
 まんまと持って行かれただけかもよ。
女1 まさか。
 まあ、そうだとしても、ひとつだけだし。
 あの人も言ってたけど忘れようよ。
女2 ずいぶん簡単に言うのね。
 私はそういう評価なんかよりも、手に取ってもらって、かわいいって言って
  もらえた方が嬉しい人間だから。
女1 私もよ。
 でも率直な意見がもらえたらなって思って。
 ごめんね、私のせいで。
 ケーキ買ってくるわ。
 それで忘れてもらえない?
女2 ケーキ?
 そうね……。
女1 あら、今頃気がついたけど……。
 かわいいわね。
女2 え。

    沈黙。

女2 ああ、どうせ花でしょ!
女1 私、なにか悪いこと言ったかしら……。
 じゃあ行ってくるね。
 
    女1、去る。

女2 あ、待って。
 ケーキならおいしいお店見つけたの。
 ねえ。
 ねえ!

    女2、あとを追う。




#8「自由って 平和って」


    女4、現れる。
    続いて女5、現れる。
    二人ともリュックサックを背負っている。   

女4 もうすぐ町よ。
 がんばろうね。

    女5、振り返る。

女4 どうしたの?
 誰も追ってはこないわよ。
女5 そうよね。
 ねえ。
女4 うん?
女5 自由っていいわよね。
女4 そうね、いいわね。
女5 ねえ。
女4 なに?
女5 平和っていいわね。
女4 そうね、平和っていいわね。

    女5、リュックから水筒を出して飲む。

女5 ねえ。
 自由って素晴らしいわね。
女4 そうね、素晴らしいわ。
女5 ねえ。
 平和ってさ。
女4 うん、平和って素晴らしいわね。
女5 そう、素晴らしいし、平和って素敵よね?
女4 本当ね。
 素敵よね。
女5 ああ、私たち本当に自由なのね。

    女5、大きくのびをする。

女5 ねえ。
 自由って楽しい?
女4 楽しいわ。
女5 ずうっとこうしていても怒られないよね?
女4 そうね。
女5 それはどうして?
女4 自由だからでしょ。
女5 そうよ、自由だからよね。
 うふふふ。
 ねえ。
 自由ってさ。
女4 いいよね、楽しいしね。
 そろそろ行こうか。
女5 えーもう?
 もう少し自由を謳歌しようよ。
 誰にも怒られないんだからさ。
女4 謳歌してるわよ。
女5 うぅん、あなたのはなんだか物足りないのよ。
 もっと全身で、こう、私みたいに自由ってかんじを表現してみてよ。
 ほら、こういうふうに。
 自由!
 って。

    女5、両手を広げてみせる。

女5 ね。
女4 行こうよ、もう。
女5 ねえ、いつもだったら午後の点呼の時間よね。
 点呼ラッパが鳴ってさ。
女4 そうね、昨日まではね。
女5 一番嫌いな瞬間だったなぁ。
 ちょっと遅れただけでペナルティ。
 仕事の出来が悪ければペナルティ。
 ペナルティ続きでふてくされたりしたらまたペナルティ。
女4 雪だるま式に貯まっちゃったよね。
 林檎の皮むき五百個とかね。
女5 違うよ、林檎は二百個で、ジャガイモが五百個。
 どうしようかと思ったわ。
女4 軍隊が解散して助かったわね。
女5 そうね、全部チャラ。
 私たちが一番得したんじゃないかしら。
 ああ、空が青い。
 自由と希望と幸せの青だわ。
女4 有難いわね。
女5 この有難さもいつかは当たり前になっちゃうのかな?
女4 そうね、まあそうかもしれないわね。
女5 それってどう?
 いいこと?
 それともよくないこと?
女4 それはそれでいいこと、なのかもね。
女5 自由が当たり前で、平和が当たり前で、そういうことに感謝しなくなっ
  て?
女4 当たり前になったからって、感謝しなくていいということじゃないと思
  うわ。
女5 なるほどね、当たり前になっても感謝すればいいのよね。
女4 そう、その気持ちを忘れないようにしようね。
女5 でもそれってどうすればいいの?
 たとえば、毎日平和の神様にお祈りを捧げるとか、そういうこと?
女4 一生懸命働くとかね。
女5 働く?
 せっかく自由になったのに?
女4 自由だからって遊んでばかりいたら、感謝していることにならないでし
  ょ?
女5 そうか、なるほどね。
 うん、わかった。
 私、働く。
 誰よりも働き者になって、人一倍感謝する人を目指すの。
女4 私もがんばるわ。
女5 じゃあ競争しましょう。
 どちらが働き者になれるか。
女4 そうね、その方が張り合いが出るものね。
女5 もう命令で小麦粉を踏んだりしなくてもいいんだわ。
 すいぶん踏まされたよね。
 遅いだとかハトの餌みたいなんて言われてさ。
女4 でもこれからは自分のために働けるのよ。
 おいしいものを食べるためとかね。
女5 うん、欲しい服を買うためとかね。
女4 旅行に行くためとかも。
女5 映画を見るためとかもね。
 働くってそういうことなのね。
女4 どんな労働にも耐えられる気がしない?
女5 するする。
 なんでも出来ると思う。
女4 私ね、叔母さんが一人でやってる農園を手伝おうかと思ってるの。
 ラズベリー畑なの。
 小さいけど、昔はジャムを作ったり、養蜂場もやっていたの。
 よかったらあなたもどう?
女5 畑ね、うん、いいね、やってみたいな。
女4 ところで今頃どうしてるんだろう。
 上等兵どのと、馬の世話係の若年兵くんは。
女5 ああ、そうね、必死で逃げただろうにね。
女4 全部水の泡。
 間が悪かったよね。
 逃げればいいのに、なんて嗾けたりして、悪いことしちゃったかなって思っ
  てるの。
女5 私も。
 でもさ、たとえ徒労でも、自由のために勇気を使うっていいわよね?
女4 私たち、勇気がなかったのかな……。

    沈黙。

女4 争うってさ……。
女5 なに?
女4 うぅん、軍隊ってさ。
 そんなに一生懸命働くものじゃないわよね。
女5 うん、そうかもね。
 あれでも私たちけっこう真面目に働いちゃったものね。
  もっとこうダラーって言うかさ、フニャフニャーみたいに働いてもよかった
  のよね。
女4 うん、ダラーっとかフニャフニャーとかね。
 それくらいでね。

    二人、遠くを見つめながら次の言葉を
     探している。





#9「遠くのバーで」
    

    夜。
    中央にテーブル。
    男2、酒を飲んでいる。
    傍らに男1(バーテン)、立っている。

男1 そうでしたか。
 作家さんだったんですか。
男2 ええ、まあ、一応。
男1 立派なカメラをお持ちだったから、てっきり写真家の方かと思っていま
  した。
男2 取材用です。
 副業で写真を撮っているんです。
 と言っても収入のほとんどは副業によるものですけど。
男1 どんなジャンルのものをお書きになっているんですか?

    男2、鞄から一冊の本を出す。

男2 よろしかったら差し上げます。
 一番新しい本です。
男1 頂いちゃっていいんですか?
男2 ええ、どうぞ。
男1 では遠慮なく。

    男1、ページをめくる。

男1 純文学っていうんですか、こういうの。
男2 冒険小説です。
 気楽に読んでください。
男1 ありがとうございます。
 この冒頭のお名前は、奥さんですか?
男2 え、ああ……。
男1 すみません、立ち入ったことを。
男2 いえ、お察しの通りです。
 一人残してきました。
 取材の仕事があるし、本も旅先の方が書ける気がするので。
男1 なるほど。
 作家って大変なんですね。
 ご本人も奥さんも。

    女3、現れる。

男1 いらっしゃいませ。

    沈黙。

男1 どうぞ、お好きな席を。
女3 じゃあ、そちらを。

    男2の向かいの椅子を指す。

女3 お久しぶり。
 ここ、いい?
男2 あ、ああ。
 それにしても驚いたね。
女3 それにしては驚いて見えないけどね。

    女3、座る。

男2 探した?
女3 うぅん。
男2 じゃあ誰かに聞いて来たの?
女3 誰にも聞いてないわ。
 ただの偶然。
男2 そんな偶然あるかな?
女3 本当ね。
 これじゃまるで近所のバーで会ったみたいね。
男2 いつ出て来たの?
女3 三日前よ。
 三日間横断列車に揺られてね。
 今日着いたの。
 それで街を少し歩いて、ここに入ったのよ。
男2 世界って狭いんだね。
女3 きっとビギナーズラックっていうやつよ。
 私、はじめて一人で旅に出たから。
 でもなるべくあなたが入りそうなお店を選んだんだけどね。
男2 大陸の外れとしか言ってなかったのにね。
女3 書けてる?
男2 うん、まあ。
女3 本は出したの?
 約束したじゃない。
 君に捧ぐ本を出すって。

    男1、反応する。

男2 ああ……。
 何か飲む?
女3 あ、そうね、じゃあこの人と同じものを。
男1 かしこまりました。

    男1、去る。

男2 まだなんだ。
女3 そう、じゃあまだ旅は続くのね。
男2 ところでアナグラネズミはどうなった?
女3 引っ越しをしたわ。
男2 え。
女3 私のアパートへ。
 重いガラスの壺ごとね。
男2 それは大変だったね。
女3 ええ、でもそれ以外は変わりないわ。
 相変わらずよ。
 この二年間ね。
男2 早いね。
 もう二年か。
女3 留守を任せて来たの。
 ゼルトバの実をたくさん用意してね。
 大変だったのよ。
 森の中を彷徨ったりして。
 でも運よくかごいっぱいになるくらいの実を拾えたの。
 こんなに早くあなたに会えるなんて思わなかったけど。
男2 探しに来たの?
女3 詩を書きになんて言って出て来たんだけどね。
男2 詩は書けた?
女3 ええ、詩も書けたし、台本もね。
男2 台本?
女3 そう、書いたというより書けちゃったの。
 ガラスの壺を眺めながら自問自答しているうちに。
男2 どこかで発表するの?
女3 そうね、いつかどこかでささやかにね。
 ねえ、取材はどう?
 危険なことはなかった?
男2 時にはね。
 でも十分気をつけているよ。
 本業は書くことなんだから取材で命を落とすわけにはいかないしね。
女3 小説を書くためだけにあなたの命はあるの?
男2 え。
女3 不思議だわ。
 どうしてもっと素直に喜べないのかしら。
 こんな偶然なる再会を。
男2 僕もだよ。
 きっと実感が追い付かないのかもしれないね。
 偶然というより奇跡のような事実にね。
女3 遅ればせながらだけど、元気そうでよかった。
 無事でなにより。
 顔を見て安心したわ。
男2 ありがとう。
 帰る目処がついたら手紙を書こうと思っていたんだけどね。
女3 まだ本を出してないものね。
男2 いや、じつは一冊出したんだ。
 さっきはまだだって言ったけど。
 それが売れたら帰るつもりだったんだ。
 いろいろ土産なんかを持ってね。
 驚かせたかったけど、でも……。
女3 いつ出したの?
男2 半年近くになる。
女3 まだ分からないじゃない。
男2 いや、分かる。
 だからもう次のを書き始めているんだ。

    男1、現れる。

男1 お待たせいたしました。

    テーブルにグラスを置く。

女3 ありがとう。

    女3、男1の背中に向かって。

女3 待って。
 ここにいて頂けない?
男1 はあ。

    沈黙。

女3 あなたが小説を書いて、私がいろいろな仕事をしてって。
 そういうわけにはいかなかったのかな。
男2 どうしたの?
女3 甘えるのイヤ?
 私の収入で暮らすのだめ?
 プライドが許さない?
男2 誰もそんなこと言ってないよ。
女3 あなたならきっと評価されるわ。
 だから……。
男2 よそうよ。
女3 売れるまで帰らないなんて、私に対する体裁?
 それとももっと他への?
男2 関係ないよ。
 自分との折り合いの問題だから。
 まあ次はきっと売れるよ。
女3 じゃあ取材はもう終わりにしたら?
 命の方が大事なんでしょ?
男2 少々の危険はあるにしても最前線にいるわけじゃないからね。
 洞窟や地下壕なんかに入って行って、そこで避難生活をしている人たちを撮っ
  たりね。
 戦火が鎮まるのをじっと待っている人たちをさ。
 よかったら見る?

    男2、鞄に手をのばす。

女3 いいわ。
 やめておくわ。
男2 言葉よりも写真の方が伝える力を発揮することもあるしね。
 汗まみれ埃まみれで、健康的ではないけどさ。

    沈黙。

女3 もう一度言うけど、あなたが小説を書いて、私がいろいろな仕事をして
  ……。

    男2、席を立つ。

男2 そういう男をいつまでも好きでいられるかな?
女3 それは分からないわ。
 やってみないと。
男2 僕には分かる気がする。
 やってみるまでもなく。
女3 そう。
 あなたの想像力の方が豊かだものね。
男2 次はいいものを書くよ。
 じゃあ僕は。

    女3、男2の背中に向かって。

女3 ここまでカッコつけたんだから最後までカッコつけ通してね。

    男2、一瞬立ち止まり、そして無言の
    まま去る。

女3 こうして男は静かに去りました。

    沈黙。

女3 ああいう人なの。
 だから押し掛けてもだめだってわかっているのに……。
 ごめんなさい。
 無理に聞いてもらっちゃって。
男1 いえ。
女3 二人だけで話すのがちょっと心細かったの。
 でも言いたかったことは全部言ったわ。
男1 じつは、あの方が書かれた本を頂きました。
女3 そう、おもしろかった?
男1 さっき頂いたばっかりなんです。
女3 私は読んだわ。
 手紙ひとつくれないんだもの。
 だからアンテナを立ててたの。
 彼がいつ本を出してもわかるように。
 とっても遠くのとっても小さな出版社から出た本でもすぐ取り寄せられるよ
  うにね。
男1 あ、それで居場所の見当がついたというわけですか?
女3 ええ、じつはそうなの。
 出版社の住所からおおよその地域を予想してね。
 そうじゃなければこんなに早く会えないわ。
男1 それでも大した偶然です。
女3 私ね、書評の仕事をしていたの。
 いつか彼の本を紹介しようかと思って。
 公正で中立的な書評は書けなかったかもしれないけどね。
 でもこれでスッキリしたわ。
 ねえ、よかったら一杯だけでも付き合って頂けない?
男1 え、ええ。
 私でよろしければ。
女3 ところであそこの絵は誰の作品なの?
 有名な人の?
男1 お客さまから頂いたんですが、お知り合いの画家が描かれたとおっしゃ
  ってました。
女3 そう。
 いいわね、絵って、飾ってもらえて。
 私も描きたくなっちゃったなぁ。
男1 もしよろしかったら、こちらに飾らせて頂くこともできます。
女3 なんだか本当に近所のバーに来ているみたいね。
男1 そうでした、遠くからお見えだったんですね。
 失礼しました。
女3 ふふ。

    男1、去る。
    沈黙のまま。





#10「アナグラネズミのささやき」
 

    中央にテーブル、椅子が三脚。
    女1、飲んでいる。
    やがて女2、グラスを持って現れる。

女2 なんかさ、ちょっと尻切れトンボじゃない?
女1 そうかな?
女2 だって三日も列車に揺られて行った先で、カッコつけるなら最後まで貫
  けなんて言って、本人だけスッキリして終わり?
 なんだかね……。
女1 見てる方はスッキリしない?
 やっぱり続き考えようかな。
女2 そうしなさいよ。
 例のアナグラネズミの壺を眺めながら。
 ところで詩を書いていたっていうのもあなたのことなの?
女1 そう。
 絵の前は詩だったの。
女2 詩って売れるの?
女1 うぅん、絵よりも難しいと思う。
女2 それで絵を描くことにしたの?
女1 そんな気持ちじゃ描けないわ。
  もともと絵を描くことが好きだったってだけよ。
女2 書評や翻訳の仕事っていうのは?
女1 ええ、一時だけど。
 二人分の生計を立てようと思ってね。
女2 いいわね、いろいろ才能があると。
女1 ひとつでいいからちゃんとした才能があればなぁ。

    男1、現れる。

男1 こんばんは。
 ちょっと思いついたって言うか、提案したくて戻ってきちゃいました。
女2 提案?
男1 ええ、ここ、夜はバーみたいにするのはどうでしょうかね?
 ちょうどバーの設定で終わるので、そのままの設えで軽く飲めたらと思って。
女2 バーね、なるほど。
男1 僕でよければカウンターに立ちますけど。
女2 どうする?
 やってみようか?
女1 そうね、おもしろそうね。
男1 大きなことは言えないけど、学生時代にレストランの厨房で働いていた
  ことがあるので、料理の心得もそこそこありますし。

    女2、立つ。

女2 あ、ねえ、掛けて。
 なにか飲まない?
 なんて言うほど種類ないんだけど。
男1 あ、じゃあすみません、同じものを。
女2 はい。

    女2、去る。
    男1、座る。

男1 さっきの本、ちょっと読ませて頂きました。
女1 なんの本?
男1 例の冒険小説です。
 静かな語り口で心理が丁寧に描かれていて、冒頭から傑作の気配を感じまし
  た。
女1 そう、よかったら差し上げるわ。
 じつはたくさんあるの。
 少しでも本の売上げに貢献しようと思って買ったから。
男1 じゃあ遠慮なく頂いちゃいますね。
  ところであの主人公って、冒険家にしてはちょっとおセンチですよね。
  列車の出発時間を遅らせて恋人に会いに行ったり、車窓を眺めながら彼女のこ
  とを想ったりして。
女1 じゃあ行かなきゃいいのにね。
 もしくは二人で行くとかね。
 そんなにおセンチなるくらいなら。
男1 それはちょっと違いますよね。
 あ、もう一つ提案なんですけど、ブックバーなんてどうですかね?
 お酒を飲みながら本が読めるバー。
女1 本を置くの?
男1 ええ、小さな書庫をこしらえて。
 売ってもいいかもしれませんね。
 ここでしか読めないような本を。
 世の中には埋もれている名作ってけっこうありそうじゃないですか。
 そういう本を探して、少しずつ揃えて。
女1 午前はセトモノで午後は雰囲気で、夜はブックバー。
男1 ええ、記念すべき一冊目は、その冒険小説で。
女1 いいかもね、ささやかついでに夜もね。

    女2、ワイングラスと器を手に現れる。

女2 お待ちどうさま。

    女2、グラスと器をテーブルに置く。
     女1、ワインを注ぐ。

男1 ありがとうございます。
女2 これもどうぞ、召し上がってみて。
女1 なにそれ。
女2 ほら、よく見て。

    女2、手にとって見せる。

女1 なに?
女2 よく見てってば。
 不味くて有名な例の実よ。
女1 え、ゼルトバ?
女2 そう、世界一不味い実ってどんなのって言ったらあなたがくれたじゃな
  い。
 で、いろいろ考えて調理してみたの。
 どうぞ。

    沈黙。

女2 遠慮しないでよ。
女1 していないけど。
女2 じゃあほら。
女1 あなたどう?
男1 あ、僕はちょっと……。
女1 ちょっとなに?
男1 いや、なんて言うか……。
女2 悪くないんだってば。
男1 悪いなんて、そんな……。
女2 じゃあなによ?
 もう。

    女2、食べる。

女2 う。
女1 え。
女2 うわ。
女1 やだもう、なにやってるの。
男1 大丈夫ですか?
女2 なんてね。
 ふふ。
 おいしい。
女1 うそ。
女2 本当よ。
 だって手間かけたもの。
 聞いて。
 まず殻のまま炒って、それからハチミツで作ったシロップで煮て乾燥させる
 の。
 それから殻をむいて、ジャムをまぶして、一晩おいてから更に赤ワインで煮
 詰めるの。
女1 炒ってからハチミツで煮て……。
 それからジャムを?
女2 まぶして、更に赤ワインで煮込む。
 ずいぶん研究したのよ。
 ほら、どう?

    女1、食べる。

女1 食べられるわ。
 これ。
 どうぞ。

    男1、食べる。

男1 うん、悪くないって言うか、むしろいけちゃいますけど。
女1 ジャムの甘酸っぱさとハチミツの風味がほどよく溶け合って……。
男1 意外にお酒に合いそうですね。
女2 栄養価も高いみたいよ。
 調べてみたの。
 酔い覚ましの効果もあるんだって。
男1 酔い覚まし?
 じゃあぜひバーのメニューに。
 だって飲んでも酔いにくいんですよ。
女2 そうか、酔わなければたくさん飲んでもらえるものね。
男1 栄養があって、酔い覚まし効果もあって、おいしい。
 最高じゃないですか。
女1 本当、大発明かもね。
女2 じつは、ゼルトバの実を食べてみたの。
 生のまま少しだけね。
女1 どうして?
女2 どんなものかと思って。
女1 やっぱり不味かった?
女2 そうね、だから彼等のことを思い出してちょっと切なくなっちゃった。
女1 彼等ってアナグラネズミのこと?
女2 争いをひたすら避け、一生涯光の差さない暮らしを選び、世界一不味い
 と言われる木の実を食べて生きる気持ち。
 せめて世界一不味いっていうレッテルだけは剥がしてあげたくなったの。
女1 それで調理方法を研究してみたの?
 優しいのね。
女2 一体誰が世界一不味いなんて言い出したのかしらね?
 確かに不味いけど、世界一ってあんまりだわ。
女1 昔はみんな食べていたのにね。
男1 みんな?
女1 真面目に戦争をしていた頃。
 相手のやることなすこといちいち憎んで、お互い言い合っていたんだって。
 彼等は世界一不味いものを食べている惨めな民族だって。
 自分達も食べていたのに。
男1 争うってそういうことなんですね。
女2 でもそのわりにはゼルトバの木って少ないわね?
 もう用がないから切っちゃったってこと?
女1 そうかも。
 まるで恥を隠すようにね。
女2 ねえ、アナグラネズミの餌も変えてあげられないの?
 たとえばどんぐりとかさ。
女1 そうね、でももし不味いものを食べられるように進化したのならどう?
 争いを避けるためのせっかくの進化を。
女2 なるほどね。
 見習うべきものは、我が地中にあり、かな。
 あ、うぅん、壺の中だっけ。
男1 ところでゼルトバの実ってどこで手に入るんですか?
女1 それが残り少なくってね、また探しに行かなきゃ。
 森の中を。
男1 森ですか?
 けっこう大変そうですね。
女1 そうね、久しぶりだから迷っちゃうかもしれないわ。
女2 じゃあみんなで行こうよ。
 それなら心強いじゃない?
男1 では明日の朝からいかがですか?
女2 朝から?
男1 だって午前はセトモノ、午後は雰囲気、夜はもう森に入れないでしょ?
女2 それもそうね。
 朝しかないわね。
男1 ですよね。
 じゃあ僕、早速。

    男1、立ち上がる。

女2 どこへ?
男1 みんなに集合を掛けてきます。
 どうせ今頃ドーナツスタンドあたりですから。
 夜明けとともにここを出発って。
女2 よろしくね。
男1 はい、じゃあ。

    男1、去る。
    女1、立つ。

女1 もう少し飲まない?
女2 あのさ、ウサギに生まれながらネズミって呼ばれるってなんだか不憫よ
 ね?
女1 うん、だから私ね、彼等の住むガラスの壺をラビットハウスって名付け
 たの。
 せめて家の名前くらいはと思って。
女2 あなたこそ優しいわね。
 あ、でもいいんじゃない。
 ラビットハウス。
 なんだか合ってる気がする。
 このお店の名前。
女1 そう言えばまだちゃんと決めてなかったわね。
女2 じゃあ決まり?
女1 うーん、じゃあ一応候補で。
女2 あ、そこは慎重なんだ?
女1 名前って大事だもの。
女2 じゃあアナグラウサギは?
女1 そうね……。
女2 ウサギカフェとか。
女1 うーん。
女2 あ、候補でもないの?
女1 お酒持ってくる。
女2 クールラビット。
女1 考えてて。
女2 待って。
 ウサギルーム。
 ラビットラウンジ。
 ウサギバー。
女1 べつにウサギにこだわらなくてもいいんじゃないかなぁ。
女2 あ、そう?
 ところでアナグラネズミって、ウサギなのにどうしてネズミって名がついて
 るの?
女1 そうね、どうしてかしらね。
女2 調べてみようかな。
女1 考えてみたら。
 調べるよりも想像した方が楽しいじゃない?
女2 それだと本当のことはわからないけどね。
女1 事実を知るだけじゃ味気ないもの。
女2 そうか、せっかく想像力を刺激されているんだものね。
 立ててみようか、私なりの仮説を。
女1 じゃあ一緒に考えてもらえない?
 懸案の台本の尻切れトンボだった先の部分も。
女2 ええ、私でよければ協力するわ。
 ねえ、それよりごめん、いま私お腹が空き過ぎてるっていう問題に直面して
 るの。
 それをまず解決しちゃってからでいい?
女1 じつは私もなの。
 まずそれね。
女2 ドーナツ買ってくるわ。
 さっきドーナツスタンドって聞いて、急に食べたくなっちゃって。
女1 ドーナツ賛成。
 私もさっきから食べたかったの。
女2 待ってて。
 すぐ戻るから。
女1 うぅん、一緒に行こうよ。
女2 あら、素直なのね。
 待つのイヤ。
 私も行く、なんて。
 台本もそうしようか。
 素直にね。
女1 え。
女2 でも待つのもいいじゃない。
  ちょっと辛いかもしれないけど。
 ささやかなお店を営みながらね。
女1 待つ……。
  そうね、そうよね。
女2 行こう。

    女2、去る。
    女1、続く。





       ‐了‐



 
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