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ペロサポサソ半島の郵便劇場
作 ソンブレロ
 


    想像上の国。
    小さめの半島の沿岸地域。
    とある家の庭先。
    
    中央にベンチ。
    上手(もしくは下手)に郵便配達員の男(男1)。
    地味な制服、大きめの鞄。


男1 こんにちは!

 こんにちは!
 局の者です。

 イヨルゴススタブロウさん!
 いらっしゃいますか?
 こんにちは!

 困ったな……。

 こんにちは!
 イヨルゴススタブロウさん!
 郵便ですよ。
 って言うか……。
 なんて言うか……。

 こんにちは!
 お留守ですか!
 イヨルゴススタブロウさん!
 いらっしゃったら、お返事を。
 郵便ですよ。
 って言うか……。
 なんて言うか……。

 イヨルゴススタブロウさん!
 いらっしゃったら。
 あ。

    男2、現れる。

男2 なにかな?
男1 こんにちは。
 イヨルゴススタブロウさん。
 すみません、お忙しいところ。
男2 いや。
 何度も呼んだ?
 悪いね。
 寝てたんだ。
男1 え、あ、お昼寝中でしたか、それは失礼致しました。
 局の者ですが、郵便って言うか、なんて言うか……。
 その、お届けにあがりました。
男2 郵便って、ポストに入らないの?
男1 え、ええ、それが、その……。
 今日のは、ちょっと……。
男2 あ、書留ってこと?
男1 いや、書留ではなくて……。
 その、普通の、ごくごく普通の郵便なんですが……。
 って言うか、郵便だったんですが……。
男2 だった?
男1 はあ、大変申し上げにくいのですが……。
 イヨルゴススタブロウさん宛の手紙をなくしてしまいました。
 申し訳ありませんでした。
男2 いや、まあ、大事な用件でなければいいんだけど。
 そう言えば彼かな……。
 この間電話で展覧会の案内を送るって言ってたから。
男1 もしかしてヨルゴレスディミトリスさんのことですか?
男2 そう、あれ、どうして知ってるの?
男1 え、ええ、それが、その、すでに手紙自体はないのですが……。
 内容は、つまり文面は、確保しております。
男2 それってどこに?
男1 私の記憶として。
男2 記憶?
男1 ええ、これはとても、とてもとても異例なことですが、文面を覚えまし
 た。
 ですので、伝言という形でお伝えさせていただきたく、何卒ご了承のほどお
 願いしたいと思います。
 どうか……。
男2 え、いや、伝言って……。
 どうしてそうなっちゃったわけ?
男1 そうでした。
 その理由をまだ申し上げておりませんでした。
 実は、その、えーっと……。
 早い話が、山羊です。
 ことの原因は。
男2 なに?
 山羊だって?
男1 はあ、こちらに来る途中で……。
 まだ若い、と言うか子供の、かわいそうなクロ山羊でした。
 おそらく道に迷ったんだと思います。
 彷徨い続け、体力を消耗しきったのか、道の脇に横たわっていたんです。
 それで慌てて谷まで降りて、川の水を帽子で掬って与えると、少しだけ元
 気になった気がしました。
 お腹が空いているんでしょうけど、生憎ビスケット一枚持っていません。
 不憫でした。
 あの、それで、迷いに迷った挙句、と言うか、苦渋の選択、と言うか……。
 なにかを調達する猶予もないと思って……。
男2 で……。
男1 はい、イヨルゴススタブロウさん宛ての手紙を読んで覚え……。
男2 そういうことか。
 ははは。
 まあ、いいんじゃないかな。
男1 あ、ああ……。
男2 気にすることはない。
 役に立てて嬉しいくらいだよ。
男1 ありがとうございます。
 はは。
 救われました。
 山羊も、僕も。
男2 それにしてもいいときに手紙が来たものだ。
男1 ええ、今日はまた三通も。
男2 三通?
 誰からだろ?
男1 まずは、さきほど言いましたヨルゴレスディミトリスさんから。
 内容は……。
男2 まあ、概ねわかるけど。
男1 はあ、恒例の秋の展覧会のご案内です。
男2 うん、それなら聞いてる。
 ほかに何か書いてあったかい?
男1 ではお伝えします。
 イヨルゴススタブロウ君、電話では明るく振舞っていたが、それがかえって
 心配だ。
 キミのことだからどんな局面もさりげなく乗り越えるだろうと楽観視しては
 いるが。
 で、ここで二行ほど行間が空きまして。
 下記、展覧会の案内になります。
 気分転換の一助になれば幸いです。
 ヨルゴレスディミトリス アレクサンドリオン。
 えーっと、ここから便箋のページが改められまして、案内状になります。
 拝啓、晩夏の候、まだまだ暑さが厳しい日が続いています。
 いかがお過ごしでしょうか。
 さて、恒例となりました秋の展覧会のご案内をさせて頂きます。
 えーっと、まず日時が……。
男2 あ、いや、その先は結構だ。
 聞いているからね。
男1 はい、で、もう一通が水道局から水道工事に伴う断水対象地域と断水時
 期についての案内です。
 水道管布設替工事を別表の地域及び時期に行いますので、ご確認のほどお願
 い致します。
 尚、天候等の影響により予定が変更される場合は、個別訪問にて変更内容を
 ご連絡致します。
 えーっと、それで別表の方ですが、これがけっこうな枚数でして……。
 量的には大変助かりました。
男2 それはよかった。
 で、断水はあるの?
男1 はい、こちらはですね、次週の日曜日の午前八時から正午までとのこと
 です。
男2 日曜の午前中か……。
男1 ええ、予定通りなら。
男2 まあ、こちらも当初の予定通りなら家を空けることになるがね。
 で、もう一通あるんだっけ?
男1 はい、そして三通目が、エリニカエリカストテレスさんから。
男2 誰だって?
男1 エリニカエリカストテレスさんです。
男2 知らないな。
男1 え。
 ご存じありませんか?
男2 エリニカ……?
男1 はい、エリニカ……エリカストテレスさんです。
男2 それも覚えてるんだよね?
男1 ええ、ではお伝えします。
 親愛なるイヨルゴススタブロウさま。
 いかがお過ごしでしょうか?
 突然のお便り失礼致します。
男2 ちょっと待って。
 いま、親愛なるって言った?
男1 え、ええ……。
男2 はて……。
男1 心当たりありませんか?
男2 うん、あ、続けてもらえるかな?
男1 はい。
 突然のお便り失礼致します。
 何か特別な用件があるわけではありません。
 むしろ何もないのにペンをとってしまったという、この行為自体に何らかの
 意味があるのかもしれません。
 誠に勝手ながらその意味をくみ取っていただけたら、と願いつつこれを書い
 ております。
 お元気でしょうか?
 そしてお幸せでしょうか?
 もし私のことを覚えていてくださったのなら私も十分に幸せです。
 エリニカエリカストテレス シルベニコラス。
 おしまいです。
男2 ああ。

    男2、おもむろにベンチに座る。

男2 キミも掛けたまえ。
男1 え。
男2 少々話が長くなりそうだ。
 ここへ。
 さあ。
男1 いや、あの、話って……?
男2 いまの手紙のことだけど、住所も私宛で間違いないんだね?
男1 え、ええ、それはもちろん……。
男2 ところでキミはなかなか記憶力がいいみたいだね。
男1 はあ、それだけが唯一の取り柄なものですから……。
男2 じゃあどんな難関試験でも突破できたってわけ?
男1 いや、それは残念ながら……。
 学術的な理論となりますと、どうも体が受け付けないみたいで……。
 自分で理解出来る範囲の文章でしたらかなり確実に。
男2 セリフとかはどう?
男1 セリフ?
男2 舞台用の台本なんて読んだことあるかな?
男1 ええ、まあ、過去に一度だけですけど。
 シェイクスピアです。
 マクベスって演目でした。
 ちょっとわけがあって、劇中のセリフをとても短期間に暗記させられました。
男2 わけとは?
男1 代役を頼まれまして。
 公演の一週間前に役者が勝手に降板しちゃったんです。
 演出と意見が衝突したとかで。
男2 それで覚えられたの?
男1 ええ、三日がかりでどうにか。
男2 いや、三日で覚えたのなら大したものだ。
男1 でも結局役には立ちませんでした。
 逃げ出した役者が改心して戻って来たんです。
 まさに僕がセリフを完璧に覚られた日の晩のリハーサル中に。
男2 無駄骨だったわけだ。
男1 幸か不幸か。
男2 どんな役だったの?
 もしかしてマクベスかい?
男1 いえ、マルカムっていう……。
男2 へえ……。
 シャイクスピアは好き?
男1 特別好きというわけでは……。
男2 でもキミはなんらかの縁があるのかもしれない。
男1 縁って、誰とです?
男2 シェイクスピアと。
男1 は。
男2 ウイリアム・シェイクスピア。
 まあ、今度はマクベスじゃないけど。
男1 今度って……?
男2 実は役者がトラブルに見舞われてね。
 助けてもらえないかな?
男1 演劇に関わりがおありなんですね?
男2 ペロサポサソシアター知ってるよね?
男1 ええ、もちろん。
 半島一大きな劇場ですから。
 って言うか半島唯一の劇場ですからね。
男2 そこでハムレットを上演するんだ。
 私の演出で。
男1 いつですか?
男2 来週末。
 金曜から日曜まで。
男1 じゃあもう時間がありませんね。
 ところで役名は?
男2 ハムレットだよ。
男1 ええ、演目はお聞きしました。
 で、その役名のことです。
 代役が必要だっていう。
男2 だからハムレットなんだ。
男1 ハム……。
 いやいや、主役じゃないですか?
男2 だから困ってるんだ。
男1 困るも何も……。
 そのハムレット役の人に一体なにが?
男2 怪我だよ。
 けいこ中の暗転で、舞台裏の階段から足を滑らせてね。
 腰を打ち、足を折った。
 いま病院のベッドで横になっている。
 とても痛々しい格好でね。
男1 ああ……。
 で、どうしようというおつもりだったんですか?
男2 うん、だからどうしようかなって思ってたところだったんだ。
 参ったなあって。
男1 いや、あの、失礼ですがそのわりには緊迫感がやや希薄なような気も…
 …。
男2 実は昼寝をしていたのは、このところまともに眠れなかったからなんだ。
男1 そうでしたか、それはそれは……。
 大変失礼しました。
男2 まあ、でも果報は寝て待てとはよく言ったものだ。
 こうして救世主が現れたのだから。
 キミという。
男1 いや、まだお受けできるとは申していませんが……。
男2 ダメかな?
男1 力になって差し上げたいのはヤマヤマですが……。
男2 キミならなんとか出来るんじゃないかな?
 いや、むしろキミしかいないと思うんだ。
 この窮地を救えるのはね。
男1 でも一週間じゃどうにも……。
男2 しかしキミには実績があるじゃないか。
 三日でマクベスを覚えたっていうね。
男1 マルカムです。
 三日でマルカム。
男2 似たようなものさ。
 その記憶力でハムレットだって出来ると思うんだけどな。
男1 でもセリフさえ入ればいいってものでもないでしょうし。
 それにリハーサルでしか舞台に立ったことがないんです。
男2 十分だよ。
 リハーサルだと思ってやればいいんだから。
 心配は無用さ、全責任は私にあるんだ。
男1 いや、しかし……。
男2 まだ何か不安要素があるかな?
男1 じつは、来週は五日間の暑中休暇をもらう予定になっていまして……。
男2 どこか出掛ける予定でもあるの?
男1 いえ、特には……。
 ただ、暑い日が続きましたし、少しゆっくりしたいと思っていました。
男2 うん、体を労わるのも大事だからね。
 でも経験のないことに挑戦してみるっていうのも悪くないと思うんだけどね。
 新たな出会いや人間関係も形成できるかもしれない。
男1 はあ、まあ……。
男2 いや、もっともキミの休暇だ。
 キミの休暇はキミの人生の一部だから私に決定権はないし、お願いするしか
 ない。
 ただ、ゆっくり考えてみてくれと言えるだけの猶予がないのが悩ましいとこ
 ろだ。
男1 僕なんかに務まるかな……。
 そんな大役が。
男2 やってみなきゃわからないさ。
 トライする価値は十分にあると思うけどね。
男1 でも人前に出るのは苦手だし、もともと度胸がある方じゃないし……。
男2 そういう自分に満足してるのかい?
男1 いや、それはべつに……。
男2 若いうちは多少なりとも自分を変えたいと思うものだが、キミも例外で
 はあるまい。
男1 はあ、まあ、確かに。
男2 だったら楽しみたまえ。
 私としても下手に経験がある役者を使うよりむしろエキサイティングだ。
 悪いようにはしないさ。
 ただ残念なのはキミの名前をクレジット出来る機会が僅かだってことだ。
 当日配るパンフレットとかね、しかも訂正版の。
男1 それより、主役のハムレットを目当てに来るお客さんに対して、前もっ
 てアナウンスしなくていいんでしょうか?
男2 キミが心配することはない。
 でもそれがキミのいいところだ。
 その半端な優しさがいかにも純朴と言うか、控えめで好感が持てる。
男1 はあ、それはどうも。
 ただ、半端っていうのがちょっと気になりますが……。
男2 うん、つまりそこがもったいないところだと思うんだ。
 見返りを求めずに思いやることは美しいが、せっかくの優しさも相手の心に
 届かなければ成就しない。
 まずは自分をさらけ出したまえ。
 そうすればもっと素直に優しさを表現出来るようになる。
男1 ところで何に対しての優しさなんです?
男2 それは当然異性だよ。
 女性に対する思いやり、優しさ。
 見当違いだったかな? 
男1 いえ、なるほどって思いました。
男2 そして優しさは行動だけでなく、時には暖かみのある言葉に乗せて伝え
 ることも必要だろうね。
男1 なんかイヤらしくないですかね?
 そういうのって。
男2 だからそこがキミのいいところでもあり、もったいないところでもある。
 そもそも人の優しさなんてそんなに差があるわけじゃないんだ。
 少々見え透いていたって恥じることはない。
男1 はあ、まあ、そうかもしれませんが……。
 えーっと、つまり何の話しでしたっけ?
男2 成すべきか成さざるべきかってことだよ。
 ハムレット君。
男1 ああ、そうだ。
 申し遅れましたが、私の名前は、イヤニノニウシスアフロディプトレス 
 ハムレット アントニスです。
男2 おお、なんと!
 ハムレット?
男1 ええ、奇しくも。
男2 ブラボー。
 はははは。
 それはでかした。
男1 名前を申し上げただけです。
男2 いや、その名前が振るってる。
 あり得ないよ。
 ハムレットだなんて。
 少なくともこの半島じゃさ。
男1 そうでしょうか。
 知人にマクベスって男がいましたけど……。
男2 マクベスなんて驚かないな。
 単に珍しいだけで発想としては凡庸だ。
 しかしハムレットにはたまげたよ。
男1 どう違いますかね?
男2 この命名には、喜びや恵みを享受したいという世俗的な価値観にとら
 われない潔さがある。
 そして、自分や愛する人とどう向き合うか、迷いや悩みをどう決断し克服
 するかという、あるべき生き方に対する哲学をも感じる。
男1 そこまで感じますか。
男2 まさにキミはハムレットを演じるに相応しい、いや、ハムレットを演
 じるために生まれてきたと言っても過言じゃあるまい。
男1 過言だと思いますけど。
男2 きっと芸術一家に育ったんだろうね?
男1 そんなことありません。
 二代続けて郵便局員ですから。
 父の方はずうっと内勤でしたけど。
男2 芸術と職業は関係ないよ。
 志しの問題だ。
 私だって本業はあるしね。
男1 何を?
男2 教師だよ。
 美術科のね。
男1 やはり芸術の畑なんですね。
 畑と言えば僕の名前は果物と関係がありまして……。
 農夫だった祖父が命名したんですが、「ハムレット」という葡萄の銘柄が
 あったそうです。
 僕が生まれた年が豊作だったというのが命名の理由なんです。
男2 まあ、それにしてもイヤニノニウシスアフロディプトレスときてハム
 レット アントニスだ。
 なんて響きのいい名前だろう。
 惚れ惚れする。
男1 それはどうも……。
 一度で名前を覚えていただいたことも嬉しく思います。 
男2 耳だけはいいんだ。
 だから頭が忘れても耳が覚えてる。
 はははは。
 ところでフルーツヨーグルトは嫌いかな?
男1 え、ヨーグルト?
男2 よかったら一緒にどう?
 毎朝作るんだ。
 と言ってもオレンジをあしらっただけなんだけどね。
 持ってくるよ。
男1 ああ、いえ、どうかおかまいなく。
男2 おかまいってほどのことじゃないさ。
 起き抜けの冷えたヨーグルトは最高でね。
 たっぷりふたり分はある。
男1 でもそれ奥さまの分とかじゃ……?
男2 いや、家内はいま実家に帰ってるんだ。
 義母の腰の具合が悪くってね。
男1 ああ、そうでしたか。
男2 ちょっと待っててもらえるかな?
男1 せっかくですが、そろそろ行かなきゃ。
男2 まだ配達が残っているの?
男1 いえ、でもいつもならとっくに戻っている時間ですし、局長が心配性と
 言うか、ちょっと細かい人なので……。
男2 じゃあすぐ戻りたまえ、と送りだしたいところだが……。
 まずはキミから確約をもらうことが当座の使命だ。
 悪いとは思うけど。
男1 何か真っ当な理由さえあれば多少遅れてもなんとかなるのですが……。
男2 よし、理由だ。
 一緒に知恵を絞ろう。
 私だってそれくらいの貢献は出来る。
男1 お願いします。
男2 こういうのはむしろ考え過ぎない方がいい。
 たとえば、そう……。
 配達途中で瀕死の山羊を助けるために手紙を与え、その手紙の文面を暗記し
 て届け先に伝言していて遅れました、なんてどうだろう?
男1 そのままじゃないですか。
 もうちょっと何か脚色頂けるのかと思ったのに……。
男2 ひとつウソをつけば、またひとつウソを生むことになる。
 ありのままを話せばいいのさ。
 キミは自分の善意に従っただけなんだから。
男1 いや、しかし郵便物を山羊に与えるという行為自体は決してあってはな
 らないことです。
男2 私が許したんだ。
男1 ええ、でも事後報告でした。
 確かに許可頂けたのは救いですが、業務上許されることではありません。
 もしこのことが公になれば、僕だけでなく上司や更にその上の上長にも責任
 が問われるはずです。
男2 安心したまえ。
 私は元来口が堅い方だし、人の秘密を武器にするような卑しい男ではないつ
 もりだがね。
男1 重ね重ねありがとうございます。
 そういう意味では、イヨルゴススタブロウさんの依頼をお断りするわけには
 いかないのでしょうが……。
男2 いや、これは取引じゃない。
 手紙のことは負い目に思うことはないんだ。
 それはそれ、これはこれだ。
 キミと私が知り合うきっかけでしかない。
 
    沈黙。

男1 清々しいお言葉です。
 おそらく忘れることはないと思います。
 胸が一瞬熱くなったように感じました。
 と同時に正直言うと肩の荷も下りました。
男2 ……。
男1 では、そういうことで……。(去ろうとする)
男2 え、行くの?
男1 ええ、とりあえず。
 言い訳については道々考えます。
男2 いや、もうちょっと待ってもらえないかな?
 このまま帰すのだけは避けたい。
 即答を求めるのは酷だとは思うが迫る事情を理解頂きたい。
男1 お察ししますが、とにかくもう戻らなきゃ。
 返事の方はせめてもう一日待って頂けませんか?
男2 ……。
男1 ダメですか?
男2 いや、あと一日か……。
 この一日とはまさに千秋の思いと言うか、重さだが……。
 しかし待とう。
 待てば海路の日和あり。
 待つことで事態が悪化しないのが世の常だ。
男1 とりあえず白紙の状態から考えさせて下さい。
男2 ああ、そうしてみてくれたまえ。
 考えるのはいいことだ。
 快諾というのももちろん有難いが、熟考の末に承諾されるというのも起死回
 生的な感激を味わえることになる。
 もしくは、おっかなびっくりでやってみようかな、なんて軽いノリで始める
 のも面白いけどね。
男1 いずれも引き受けるって前提なんですね?
男2 いや……。
 あ、とりあえず台本渡しておこうか?
 覚えながら考えれば一石二鳥だし。
男1 完全に引き受けるの前提じゃないですか。
男2 頼むよ、手紙のことは黙ってるからさ。
男1 取引じゃないですか、やっぱり。
男2 決してそんなことはない。
 似て非なるものであって、つまり交換条件と言うべきか……。
男1 同じじゃないですか。
男2 とにかく手紙の一件はそんなに気にしなくてもいいって言うか……。
 でも、ちょっとは気にしてほしいって言うか……。
男1 どっちなんですか?
男2 いや、気にしなくていいって言えれば……。
 しかし、私の立場から言わせていただくと……。
 かといってキミへの負担を考えると……。
 とどのつまりが、その……。
男1 全部語尾が聞こえないんですけど。
 なんでフェイドアウトですか?
男2 察しのいいキミのことだ。
 全部言うのはむしろ野暮だと思ってね。
 ところで語尾をぼかすのって流行りそうだと思わない?
男1 そうは思いませんけど。
男2 しかし、私の口から「どう考えても断れる空気じゃないだろ」とも言い
 づらいしね。
男1 言ってるじゃありませんか。
男2 まあ、冗談はさておき……。
男1 え。
男2 じゃあそろそろ本題に入るけど……。
男1 まだ入ってなかったんですか?
男2 いや、今までのは本題の一つ目だけど……。
 それにしても私個人の問題に巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思って
 いる。
 そして二つ目はキミの番だ。
 実際この問題が投げかけられなかったら一つ目の問題も起きなかった。
 自然消滅していた。
男1 あの、今一つ話が見えないのですが……?
男2 つまりキミを放っておけなくなった。
 勝手な言い分だが。
 寝た子を起こしたのさ。
男1 えーっと、でもまだ飲み込めません。
 僕を放っておけないのと、寝た子を起こしたというのの関係って……?
男2 ああ……。
 さっきの手紙の件だけど。
 エリニカエリカストテレス。
 いい娘だった。
 私の見る目は確かだったんだろう。
男1 思い出されましたか?
男2 すっかり忘れていたよ。
 しかし思い出した。
 覚えるのも早いが忘れるのも早い。
 そしてまた思い出すのも早いんだ。
 ところで彼女、元気なのかい?
男1 え、ええ、まあ……。
 それなりに元気です。
男2 何年前だったか、学内での展覧会で彼女の絵をいくつか飾った記憶が
 ある。
男1 じゃあつまり先生と生徒の関係というわけで?
男2 ああ、直接教えたことはなかったがね。
 ほのぼのしたタッチで淡々とした配色の絵を描いていたね。
 その作風に似て本人も控えめで物静かな印象が残っている。
 前回の公演の時には花束をもらったことも思い出した。
男1 花を……。
男2 うん、帰り際にスタッフに預けたらしい。
 観に来てくれたんだ。
 いい娘だよ。
 何がいいって自分の美しさに気づいていないところだ。
 それが一番いい。
 そう思わないかい?
男1 え、あ……。
 いや、僕は存じ上げませんし……。
男2 いま元気だって言ったじゃないか?
男1 それは急に聞かれたので、咄嗟に、つい……。
男2 はははは。
 キミは心底憎めない男だ。
 潔く白状したまえよ。
男1 何をです?
男2 手紙のことさ。
 あれはいかにも不自然だからね。
男1 ああ……。
 それは、一体どのあたりでしょう?
男2 あの手の文っていうのはもっと考えを巡らせた上で書き上げるものさ。
 さっきの文面からはその跡が見えない。
 それなりに一生懸命考えたんだろうけどね。
 山羊のくだりとともにね。
男1 山羊の話は本当です。
男2 はははは。
 まあ、いいじゃないか。
 悪気はないんだろうから。
男1 いえ、山羊の話までウソならば僕にとっての正義がなくなります。
 話をでっち上げておいて正義もないですが……。
 手紙を食べさせながら思いつきました。
 こんな絶好の機会はないと。
 衝動です。
 罪を軽くしたいわけではありませんが計画的でないことは確かです。
男2 オーケー了解した。
 山羊の話までは信じるよ。
 例の手紙については察する通りってわけだね?
男1 申し訳ありません。
 その通りです。
 僕の勝手な作文です。
男2 いいさ。
 そのことを責めてはいない。
 ただ意図を聞きたいな。
男1 彼女の気持ちを代弁したつもりでした。
 見る見かねてって言うか、彼女のためと思って……。
男2 それは喜ばれるのかな?
男1 いいえ、むしろ仇になるかもしれません。
 やらなきゃよかったな……。
男2 キミは彼女の何なんだい?
男1 僕の学生時代からの友達の妹なんです。
 それだけです。
 彼女は以前からイヨルゴススタブロウさんに好意を抱いています。
 って言うか、憧れていると言うか……。
男2 それでもし良い方向へ向かったとして、それがキミの求めている結果な
 のかい?
 しかもキミの策略自体が評価される可能性も低いとわかっていて。
 そもそも私は既婚者だ。
 キミだって知っていたはずだが?
男1 ええ、ですから、諦めたって言うか……。
 なんて言うか、まあ、一旦は。
男2 え。
男1 いや、その……。
 さきほど奥さまはご実家に戻られているとのことでしたが、それを勘違いし
 てしまって……。
男2 別れたとでも?
男1 手紙を届けないようにとのご依頼を受けていました。
 奥様宛の手紙はすべて局留めにして欲しいと……。
男2 へえ、そんな手回しをね……。
男1 とんだ早とちりでした。
 まったくもって愚かと言うか浅はかと言うか……。
男2 まさに無償の愛ってやつか……。
 キミの気持ちはどうなんだい?
男1 どうって……?
男2 彼女に対する気持ちさ。
男1 べつに、それは、特に……。
男2 何度も言うがそれがキミのいいところであり、もったいないところでも
 ある。
男1 そもそも彼女の視界に僕はいません。
 彼女にとって僕はただの兄の友人の一人というだけです。
 郵便配達をしていて、時々イヨルゴススタブロウさんの近況のようなお知ら
 せをそれとなく、と言うか、極力さりげなく伝えるだけの男に過ぎません。
男2 それでキミは満足なのかい?
男1 いや、満足って言うか……。
男2 舞台に立ちたまえ。
 男を上げる絶好の機会だ。
男1 やっぱりそこに来ますか。
男2 穴を埋めたくて言ってるんじゃない。
 そんなケチな意味じゃないんだ。
 公演のことはどうだっていい。
 中止にしたって構わない。
男1 中止じゃ舞台に立てませんが。
男2 関係ないさ。
 彼女さえ見てくれればいいんだから。
 一人芝居のハムレットさ。
男1 彼女一人のために演じるってことですか?
男2 ああ、客と役者が一対一になれる、最高だよ。
男1 一人芝居のハムレットなんて聞いたことありませんが……。
 そもそも台本があるんですか?
男2 なきゃ書くさ。
 私が寝ずにね。
 この世は舞台、人はみな役者、というセリフがシェイクスピアの作中にもあ
 る。
 特段構える必要はない。
 臆することもない。
 キミの人生の一場面として、舞台に上がり、意中の人の前で演じてみるのも
 一興さ。
男1 ちょっと待って下さい。
 本気なんですか?
 公演を中止にするなんて……。
 さっきまであんなに熱心に出演を依頼されてたじゃないですか?
男2 ああ、それは同じさ。
 キミに出演を願う気持ちはね。
 代役だろうと一人芝居だろうと。
 キミが決めてくれていい。
 キミ次第だ。
 無理なら中止。
 週明けにでも中止の案内を配るさ。
男1 多くのお客さんの期待を考えると僕の一存では決められません。
男2 こちらが思っているほど客は期待なんてしないものだ。
 中止になったところで誰も悲しまない。
 まして誰も死にはしない。
 深刻になっているのはむしろ思い上がっているせいなのかもしれない。
男1 それにしても中止はやめましょうよ。
 穴埋めだけで僕を誘っているわけじゃないのはわかりましたから。
男2 ああ、だから考えなおした末さ。
 キミ次第なんだ。
 他の役者やスタッフも現状を理解している。
 これじゃ無理だと。
 そこでキミが現れた。
 寝た子が起こされたのさ。
男1 えーっと……。
 すみません、なんだか混乱してきました。
男2 私もそうだった。
 だが人の心理とは不思議なものだ。
 楽な方を選べばそのまま楽になれたのに。
 敢えて厄介事を抱えるために再び起き上がる。
男1 ……。
男2 まあ、個人的な問題さ。
男1 個人って言うか、多くの人が関わっていますしね。
男2 ああ、確かに。
 でも実はもう一つあるんだ。
 そちらは完全に個人的な問題だ。
男1 え。
男2 三日前に知ったんだ。
 ヨルゴレスディミトリス君からの手紙で。
 あれが今日じゃなくてよかったよ。
 あの手紙を読まれていたかと思うと……。

    沈黙。

男2 妻に逃げられたんだ。
 キミの察するとおりだった。
 ははは。
男1 逃げた……?
男2 そう。
 駆け落ちさ。
 早い話がね。
男1 はあ……。
男2 ちょっとした口論をした。
 その翌日にメモ書き程度の書き置きがあってね。
 好きな人と出掛けてくると。
 つまらない当てつけだと最初は思った。
 それからもう二ヶ月になる。
 まさかとは思っていたが……。
 駆け落ちと知ったのは、つい三日前だ。
 ヨルゴレスディミトリス君が旅先のターミナル駅でバッタリ合ったそうだ。
 意外にもサバサバと話したってさ。
 これまでのいきさつを。
 でもさすがの彼も悩んだらしい。
 私にどう伝えるかをね。
 あの豪放磊落な男が。

    沈黙。

男2 あんなに若い男と……。
 まさにこの世は舞台、人はみな役者だ。
 まったく笑える。
 ギャグのような悲劇だ。
 そう思わない?
男1 いや……。
男2 朝に晩に変な涙が出続けた。
 本当に現実は奇妙で奥深い。
 妻に駆け落ちされた亭主が、なにがハムレットだ。
 それも笑える。
 あんな若い男と……。
 はははは。
男1 ご存じだったのですか?
 その相手のことは。
男2 ああ……。
 顔を知ってる程度でろくに話したことはないがね。
 酒を運んでいた男さ。
 半島の人間じゃない。
 それは雰囲気でわかる。
 どこか翳のあるワケのありそうな二枚目だった。
男1 なんて言っていいか……。
男2 とにかくこれでイーブンだ。
 キミの方の秘密ばかり預かるのは気が楽じゃないからね。
男1 秘密のレベルがずいぶん違いますけど……。
男2 これは男としてのプライドに関わる問題だ。
 振られたんだよ、つまりが。
 はは、格好の笑い話を世間に提供することになる。
男1 断じて口外しません。
 誓います。
男2 ありがとう。
 だが、噂はどこからともなく漏れて広がるものだ。
 古家の雨漏りのように。
男1 こんなタイミングで言うのもどうかと思いますが、って言うか、なんの
 救いにもなりませんが、とても素敵な奥様でしたね。
 恐らく半島でも指折りの美人かと……。
 その上、あの娘にも憧れられているなんて……。
 正直言って羨ましく思います。
男2 エリニカエリカストテレスはキミが守りたまえ。
 私はいまや気力も体力も包容力も底をついている。
 しかも甦る目処が立っていない。
男1 そもそもモテる目的で舞台に上がるなんて不謹慎じゃないでしょうかね?
男2 はははは。
 キミはいちいち物事を深刻に考えすぎる。
 もっとずるくなりたまえ。
 いい加減になりたまえよ。
 そうでなければいつか正気を保てなくなる。
男1 どうしてそんなに僕に熱心に……?
男2 それは……。
 それはキミが恩人だからさ。
 命の恩人。
 救世主とでも言うか……。
男1 なにかしましたっけ?
男2 いいんだ。
 それは秘密にしておこうと思っていたことだ。
男1 公演の話じゃないのですか?
男2 キミの知らないところでささやかながら衝撃事件が起きそうだったんだ。
男1 事件って?
男2 個人的なことさ。
 もうどうでもよくなりそうだった。
 頭の中の邪魔なもの一切を放り出そうと……。
 楽になろうと考えた。
男1 ……。
男2 でももう大丈夫だ。
 私はまだ愛されているんだろう。
 キミが訪ねてきた。
 恐らく偶然でなく必然に。
 見捨てられてない証拠さ。
男1 誰にです?
男2 私は無神論者のようなものだが、今日ばかりは神に。
 そして山羊にも感謝しなければならない。

    沈黙。

男1 どうにも困ったな……。
男2 キミは頑張れ。
 半島の男を代表して。
 私は後方支援に徹し、全面的にバックアップする。
 キミはラブファイターとして前線で戦いたまえ。
 まあ、恐らくキミは引き受けるだろう。
 なんだかんだ言っても断るようなタイプじゃない。
男1 いや、それはまだ……。
男2 それとはべつに、提案なんだ。
 一緒に海水浴に行こう。
男1 なんの話です?
男2 海水浴だよ。
 いま気がついたんだ。
 今年はまだ一度も行ってなかったことに。
 海に一度も入らないで夏を終えるなんてナンセンスだ。
 どうだい?
 穴場を知ってるんだ。
 まるでプライベートビーチさ。
男1 それどころではない気がしますが……。
男2 人生は短い。
 夏は更に短い。 
 そしてクラゲが出始めるまでにもう幾日もない。
 この世が舞台であるなら、幕間だって必要さ。
 束の間の戯れに興じよう。
男1 でも僕戻らなきゃ。
男2 格好の言い訳があるんだ。
男1 え。
男2 いいから私に任せたまえ。
男1 しかし、海水浴と言っても何の準備もありません。
男2 誰も来ないんだってば。
 それに少しくらい濡れていた方がいいかもしれない。
 キミは私を助けたんだ。
 身投げした私を。
 そう話せばいいんだ。
 ウソじゃないし、同じことなんだから。
男1 ……。
男2 待っててくれ。
 タオルと浮き輪を持ってくる。

    男2、上手(もしくは下手)に向かうがすぐ戻る。

男2 ところで、プディングは嫌いじゃないよね?
男1 プディング?
男2 作りおきがあったんだ。
 起きぬけのヨーグルトも最高だが、泳いだあとのプディングもまた格別だ。
 あの甘さが疲れた体に染み込むと思う。
 一緒に食べよう。
男1 え、ええ……。
男2 男一人でプディングは悲しすぎるからね。
男1 まあ、男二人のプディングもどうかと……。
男2 それも持ってくる。
 じゃあ。

    男2、去る。

    静寂。

男1、大きく息を吐く。

男1 成すべきか成さざるべきか……。
 それが問題だ。
 バイ イヤニノニウシスアフロディプトレス……。
 ハムレット アントニス。
 因果な名前だ。
 って誰に言ってるんだ、オレ。
 はは。
 参ったね。


    男1、眩しそうに空を見上げる。

    やがて静かに闇だけが男を包み込む。


         ‐了‐



 
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