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松永弾正 戦国を上り詰めた男 その気骨と反逆
作 神尾直人
 


配役
☆松永久秀

この物語の主人公、青年期と、老年期の2役で演じる。四国阿波の三好元長に拾われ、長慶の守役兼、家臣として取り立てられる。生涯については右の通り。将軍義輝の殺害、東大寺焼失は、三好三人集の仕業であるが、風評を気にとめず汚名をうけても、省みず。青年期は、長慶とともに、仇敵細川晴元との戦い、壮年期においては、長慶の息子義継の後見として三好三人集との内部抗争、最後は織田信長との戦いとなる。斎藤道三とも旧知の仲で、無二の友であり、主である長慶は10歳年下の娘お慶と久秀の縁談をまとめる。知略に富み、女性受けしたが、生涯妻は、お慶のみ。主君も、阿波の長慶様のみ。

☆三好長慶
略歴
当時の最高権力者細川晴元により、父元長を殺害される。父の遺領を受けられなかったことに不満を持って、2,500の兵を率いて上洛し、力によってそれを手に入れることに成功した。臥薪嘗胆、 父の仇である細川に仕え、長慶は細川氏の重臣として忠実に働き、木沢長政(太平寺の戦い)や遊佐長教らの敵勢力を次々と打ち破っていき、応仁の乱収束後に事実上の天下人であった細川氏の最有力重臣にまでのし上がった。翌天文18年(1549年)に晴元と将軍・足利義輝を近江に追放し、同族ながら敵対していた三好政長を討った(江口の戦い)。これにより細川政権は事実上崩壊し、三好政権が誕生することになった。永禄4年(1561年)の十河一存、永禄5年(1562年)の三好義賢、永禄6年(1563年)の三好義興という相次ぐ一族の死により、長慶が心身に異常を来してからは勢力は大きく衰え、ほどなく死去。
主人公の松永久秀とは、10歳ほど若く、長慶の不屈の時代に、血よりも濃い絆で結ばれている。42歳で死去するに際して、久秀に息子義継の後見をたくす。久秀とは、水と油ほど性格に違いがあるが、相性は非常によく、たたき上げの久秀が戦略武道派であるのに対して、育ちの良い文芸を愛する武人である。文武の名将ではあるが、教養人の面のみを論う人もいたが本人は、「歌連歌ぬるきものぞと言うものの梓弓矢も取りたるもなし」と見事な和歌で反論している。将軍足利義輝殺害の一件は、最後まで反対であった。

☆三好元長

細川晴元の家臣であったが、顕本寺を取り囲んだ頃には一向一揆軍は一段と膨れ上がっており(総勢10万とも言われる)、足利義維を逃がすのに精一杯だった。主君から見限られた上に、勝ち戦を大敗北に貶められた元長は、自害して果てた。享年32。
古きよき鎌倉武士気質を残す、温厚な人物。境の町で放蕩する久秀をまるで、人が虎を飼いならすようにして、三好家臣にひきたて、息子長慶の守役まで任せる。当時の最高権力者 管領細川晴元の一の家臣であったが、晴元及び周囲ねたみ、そしりを受け、の謀略により、暗殺されてしまう。このとき、長慶16歳、久秀26歳。元長の遺産及び、阿波一国をとりあげれた長慶。約束された大名への道から、奈落の底へと転落。身一つからの再起をよぎなくされるのである。

☆柳生宗厳

略歴 通称は新介、新次郎、新左衛門。官位は但馬守。号は石舟斎。
はじめ富田流の戸田一刀斎、次いで新当流の神取新十郎に剣術を学んで名を挙げていたという。1563年(永禄6年)、新陰流の上泉信綱と出会い、試合を申し込んだが、宗厳は信綱どころか、彼の弟子・疋田豊五郎にすら勝てなかった。このため、宗厳は己の未熟さを悟って即座に弟子入りし、1565年(永禄8年8月)に皆伝印可、1565年(元亀2年3月〜6月まで)滞在していた信綱から一国一人の印可を受けるにまでいたった。そして、新陰流を継承するに至った。新陰流の嫡流は宗厳が「柳生新陰流」として継いだとされ、疋田豊五郎は傍流とされる「疋田陰流」を創始したとされる。

筒井順慶、後に松永久秀の家臣となる。織田信長の大和国入りの案内もした。しかし1566年には松永久秀の配下として多武峰衆徒と戦って拳を射られたり、1568年には柳生谷への帰路で落馬して重体に陥るなど、不幸もあった。更に1571年には嫡男である厳勝が辰市合戦で鉄砲によって重傷を負ったために剣を振るう事が出来なくなってしまった。このため、ほどなくして宗厳は柳生に隠遁するが、太閤検地の際ここにあった隠田が摘発されて、所領を没収、追われる身になったと言われている。

1594年(文禄3年5月)、京都鷹が峰、御小屋で徳川家康に招かれ家康本人を相手にして無刀取りの術技を示した。そして剣術指南役として出仕を請われたが、宗厳は老齢を理由に辞退し、代わりに五男の宗矩を推挙した。後に柳生に500石の所領を受けた。
物語では、久秀の同世代の家臣として登場。大和柳生の里を認められ、久通の剣術指南及び、人生相談役。

☆本田正信

略歴  反逆から流浪
天文7年(1538年)、本多俊正の子として三河で生まれる。はじめ鷹匠として家康に仕えた。しかし永禄6年(1563年)、三河にて徳川家康に反抗する一向一揆が起こると、弟の正重が家康に与したのに対して、正信は一揆方に与して家康と対立した。そして一揆衆が家康によって鎮圧されると、徳川氏を出奔して大和の松永久秀に仕えた。久秀には重用されたようであるが、やがて久秀のもとを去って諸国を流浪する。

流浪の間、正信がどこで何をしていたのかは定かではない。有力説では加賀に赴いて石山本願寺と連携し、織田信長とも戦っていたともされている(『藩翰譜』)。こうして諸国を流浪した末、旧知の大久保忠世を通じて家康への帰参を嘆願した。息子正純とともに、江戸初期の幕政を取り仕切る。家康の知恵袋。
物語では、久秀の家臣として登場する(10歳は年下)。自分に似た反骨を気に入っている。妻お慶や、息子娘の世話を頼まれる。

☆境 会合衆 津田宗及、今井宗久 利休を入れて後の、茶湯の三大宗匠

博多と商人と肩を並べる境の商人。三好三人衆との戦いに敗れた久秀を境の町に上手に隠すことをしている。もともと、四国阿波水軍の護衛、安全保障とひきかえに、境商人の日明貿易は最盛期を迎えており、久秀とはビジネスパートーナーであり、武野紹鴎を師匠とした茶人仲間である。
境は、当時京都をしのぐ最大の貿易自治都市。ルイス・フロイスもまた、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。その自治砂わし統治を行うのが、会合衆36人(または、10人)であり、津田、今井、利休の面々。
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成する。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、摂津国住吉郡の平野と共に中世の自治都市となるが、織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。都市機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられた。このため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。また、この頃から鉄砲生産も盛んに行われるようになった。

☆千利休
略歴
和泉国・堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。家業は納屋衆(倉庫業)。父は田中与兵衛(田中與兵衞)、母の法名は月岑(げっしん)妙珎、妹は宗円(茶道久田流へ続く)。若年より茶の湯に親しみ、17歳で北向道陳、ついで武野紹鴎に師事し、師とともに茶の湯の改革に取り組んだ。堺の南宗寺に参禅し、その本山である京都郊外紫野の大徳寺とも親しく交わった。

織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として雇われ、のち豊臣秀吉に仕えた。天正13年(1585年)10月の秀吉の正親町天皇への禁中献茶に奉仕し、このとき宮中参内するため居士号「利休」を勅賜される。天正15年(1587年)の北野大茶会を主管し、一時は秀吉の重い信任を受けた。また黄金の茶室の設計などを行う一方、草庵茶室の創出・楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、わび茶の完成へと向かっていく。秀吉の聚楽城内に屋敷を構え聚楽第の築庭にも関わり、碌も三千石を賜わるなど、茶人として名声と権威を誇った。
賜死
天正19年(1591年)、利休は突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられる。前田利家や、利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが助命は適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられる。七十歳であった。切腹に際しては、弟子の大名たちが利休奪還を図る恐れがあることから、秀吉の命令をうけた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられる。死後、利休の首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたという。

利休が死の前日に作ったとされる辞世の句が残っている。
「人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」
境会合衆の一人、物語では田中与四郎(本名)才気にあふれた青年期に久秀と、交流が始まる。信長への2度の反逆に対して、自ら使者の役割を買って出る。久秀自害に前に、3殺の書なるものを渡される。1通は柳生但馬守に渡すように言われる。

☆三好義継

天文20年(1551年)、三好長慶の弟・十河一存の子として生まれる(生年は天文18年(1549年)ともいわれる)。はじめ十河 重存(そごう しげまさ)と名乗っていたが、永禄4年(1561年)に父が急死すると、伯父の三好長慶に養育された。正元年(1573年)11月、信長の命を受けた佐久間信盛率いる織田軍に若江城を攻められ(義昭は直前に堺へ脱出)、若江三人衆と呼ばれた重臣らの裏切りにもあって若江城は落城し、妻子とともに自害して果てた。享年23。文献では、久秀、三好三人衆の傀儡であったとあるが、物語では、久秀は亡君長慶の忘れ形見と見て同情的。実父である十河暗殺を知りつつ、手厚く保護する、一方三好三人衆とはより激しく対抗する。23歳の若さで織田軍に敗死夭折したときは、長慶の死以上に慟哭したという。(三好宗家は完全に断絶)物語では、東大寺の戦いで、父長慶とともに死去。

☆松永 慶
久秀の妻にして、三好長慶の娘。久秀とは、10歳以上の差があると思われ、幼い頃から父の友人と知っていた。久通、吟を含む、3児の母。若い頃は、大人しく口数の少ない女であったが、後には久秀を叱ることができるほど丈夫となった。最後は久秀の後を追い、自害してはてる。

☆松永久通

母、お慶の性格を引いた大人しく芯の強い武将。信貴山城中にて、母とともに自害。

☆松永 吟

久秀の娘。父久秀が爆死を遂げて後、千利休の養女となる。義父利休と、秀吉との確執の際、側女として、召しだすよう命令されると、自ら秀吉暗殺のため参内する。最も久秀の性格をひいた女性。

☆細川晴元

室町幕府、旧体制の事実上のトップ。将軍を動かし、京都においてその政治的手腕を発揮した。臣下である三好元長の台頭に目をつけ、本願寺を利用してこれを殺害。公家風の話しぶり、に公家の姿。三好長慶の仇敵となり、久秀と争うが、摂津江口において長慶らと戦って敗北。若狭守護の武田信豊を頼り、若狭へ下向する。
その後、将軍・足利義輝を擁し、香西元成や三好政勝などの晴元党の残党や六角義賢や畠山高政など畿内の反三好勢力の支持を受け次男細川晴之とともに三好長慶と争うも、永禄4年(1561年)には長慶と和睦する。その後剃髪し、摂津富田の普門寺に隠棲した。
永禄6年(1563年)3月1日に死去。享年50。

☆三好3人衆 三好長逸・三好政康・岩成友通
三好長慶の時代は、それぞれが軍を率い一族の重鎮として活動していた。三好氏の当主三好長慶の死後、後継者の三好義継は幼く、長慶の弟達もまたこの世を去っていたため、義継の後見役としてこの三名が台頭し、三好氏の重臣として同じく権勢を振るっていた松永久秀と共に足利義輝の謀殺(永禄の変)に携わるなどした。のちに義継や久秀と対立する。これは三好・松永政権の混乱の一因となり、足利義昭を擁立する織田信長を利する結果となる。
1566年、織田信長の上洛に反発し、抵抗するが敵せず相次いで敗退し、三好三人衆の勢力は衰え、元亀年間には友通が戦死し、他の二人も消息不明な状態となり、畿内における三好氏の勢力の衰退と前後して三好三人衆としての活動は完全に途絶えた。長逸は歴史からそのまま姿を消した。三好実休の仇として将軍足利義輝殺害を主張、東大寺での焼き討ちも主犯であり、三好家家督をめぐって長慶の親族(安宅、十河)の暗殺をも主導し、全てをよそ者かつ、能力のある久秀に罪を背負わせる風聞を流したという設定。性質は粗野にして、狡猾。長慶、久秀とは対照的な悪党そのものである。

☆織田信長

長は徳川家康に、「この老人は全く油断ができない。彼の三悪事は天下に名を轟かせた。一つ目は三好氏への暗殺と謀略。二つ目は将軍暗殺。三つ目は東大寺大仏の焼討である。常人では一つとして成せないことを三つも成した男よ。」と言って久秀を紹介したと伝えられている。日本三大梟雄 斎藤道三の義理の息子である信長は、道三と旧知で、知略戦国武将としての生き方に、一種の憧憬の念を抱いており、2度の反逆に対し、怒りはしたものの、なるべくなら死なせない配慮が見られる。乱世の異端児信長をして、尾張のうつけこわっぱと呼んではばからないのは、久秀くらいのもの。久秀生来の反骨の道を、華を添えた形となった。


OP  信貴山城 包囲

語り  時は戦国乱世のはじまり、室町幕府はもはやあってなきもの。人々は皆自由に田畑を耕し、物を売り買いし、刀槍をもてるものは、人をたばねて大名を名乗っていた。しかし、いかんせん日の本の国は以上な寒さに見舞われ申した。それが元となり、食うものをもとめて、領地争いが各地で起こったのでござる。強く、力あるものが、これまた力あるものに頼った。さらに、力の強いもの、人民をまとめらる者が、大名となったのでござる。
されば、力なきもの、力あっても、人の心を束ねられぬものは、身分の上下に関わらず、自然と“交代”していたのでござりまする。これが世に言う下克上でござる。戦国史上最も、悪名をとどろかせ、知略戦略に通じ、流麗にして気骨の男、松永弾正久秀の物語。始まり、始まり。

    そこは、大和信貴山城天守 老人久秀がまどろみかけているところへ 柳生但馬が来る。

柳生  殿、殿こちらでございますか。
久秀  う、うーん・・・。
柳生  失礼仕る。弾正忠様、起きてくださいませ。
久秀  何じゃ、柳生但馬か、どうした。
柳生  は、織田信長が使者、古田と申すものが来ております。
久秀  またか、何度来てもわしはあわん。
柳生  しかし、お会いになった方がよろしいのでは。
久秀  わしはもう、腹を決めておる。本願寺攻めの囲いを解き、織田のうつけに反逆したのじゃ。今からなら間に合う、そなた織田か、徳川に走れ。
柳生  弾正忠様・・・。私はともに残りまする。
久秀  ならぬ。はよう、行け。
柳生  殿・・
久秀  もうよい。正信はおらぬか、本多正信は、
本多  は、これに。
久秀  わしの返答は既にすんでおる。のお、正信。
正信  は、名器「平蜘蛛」は差し出さぬと、書状にて返答しております。
久秀  よし、よし。お吟や、他の子たちのことは頼むぞ。家康殿のところへ帰参するのじゃ。
本多  は、・・・。
久秀  気乗りせぬようじゃな。そなたわしのところへきて何年になる。
本多  6年と4月にござります。
久秀  もうよい、潮時ではないか。
本多  はあ・・・。
久秀  6年、はは、わしなら、とうに見限っておる。そのように長く人に仕えることなどできぬ。あの方を除いては・・
本多  私は生来の反骨ものでございます。忠勝や榊原が私のことをいかに評しておるか。
久秀  裏切りもの、
本多  はい。
久秀  奸臣か。
本多  左様でござります。
久秀  はは、それだけ言われれば対したもの。わしはそなたの、そういうところが良いと思うている。一向一揆に味方するは、民百姓のためであろうが。
本多  民百姓の困窮を救えない家康様に、気がたったわけではありません。一向宗の信仰心に一種に魅力を感じたまでで。若き家康様も短気なるところあり、今更私を許すかどうか・・・。
久秀  正信。そなたはまだ若い。同じく家康殿も若い。10年かけても理解しあうのだ。家康殿とて、今後そなたなしでは天下は動かせぬじゃろうて。そう気づくじゃろ。
本多  さりながら・・・
久秀  もうよい、久通を呼べ、どうせ近くで聞いておろうに。

    息子久通 入ってくる。

久通  父上、織田軍、筒井軍我が信貴山城を囲み始めました。
久秀  ほうほう、おお、来た来た。数はいかほどじゃ?ざっと2,3万か。
久通  伊賀の忍びの知らせによりますと、織田、筒井は総勢ニ万と五千でございます。
久秀  うん、わしの見立て通りじゃ。
久通  誤差が五千ほどございます。
久秀  細かいのう、総大将は誰ぞ。
久通  織田中将信忠でございます。
久秀  ふん、こせがれのほうか。前のときは、あの尾張のうつけ本人が来た。
久通  父上、妻は息子とともに内藤の家に戻しました。
久秀  よし。できるだけ血は残せ。
久通  どう戦われるおつもりですか、この久通なんなりとお役に立ちましょう。
久秀  うん。お慶、お吟。具足をもてい。

    お慶、お吟 具足をもってはいる。

久通  これは、母上。お吟も、はや城を出たものと思いましたが。
久秀  城を?出る?この信貴山城は、多聞山より価値が大きい。死するにちょうど良い場所だ。
久通  他に策はないのですか・・・?
久秀  どんな、もう策は打てる限り打った。後は覚悟だけじゃ。久通おまえも覚悟せえ。
久通  他に“生きる道”はないのですか・・・
久秀  生きる?これから何を楽しみに生きるのじゃ。のうお慶。お吟綺麗なったの。
久通  かの信長でさえ、父上の能力を惜しんでおるはず。平蜘蛛さえ、差し出せば
久秀  久通、そなたはまだわしのことを分っておらぬようじゃ。
久通  分っておりまする。
久秀  おまえはまだ若い。わしのことは構うな。おまえたちは、自らの道を行け。正信、宗厳そななもじゃ。
久通  権謀知略でならした父上も、今回ばかりは知恵つきたると。
久秀  わしが一人、信長に抗したわけではない。
正信  恐れながら、信長包囲網の大黒柱である武田信玄公亡き後、越後の上杉様も病の噂あり、そうなれば東の武田、北の越前本願寺、越後上杉の包囲が崩れまする。
久秀  本願寺がおる。やつらはねばるぞ。伊勢長島の一向宗もたきつけておる。
正信  先の将軍義昭様の書いた絵は、本当に功を奏しましょうや。
柳生  そうです。謀略のつめが甘く、結果信長に幕府滅亡、追放とあいなりました。
久秀  義昭の絵?はは、ぬしらもまだまだじゃな。西は毛利、荒木が立った。
正信  毛利は優柔不断で国論まとまらず・・・
久秀  戦は、戦の前が戦じゃ。既に手は打った。それ以上は、詮議無用。
柳生  弾正様・・・
お慶  お止めなさい。この期に及んで、男子がみっともない。それに殿は既にこの世で生きる楽しみはないかと。
久秀  そうじゃ。そなた以外にはな・・・下がれ。お吟ものう、兄上と一緒にゆけ。母と二人で話がある。

    久秀、お慶を残して、皆去る
    久秀、お慶の頭をなでるなどする

久秀  行ったか。
お慶  行きました。
久秀  そなたも、策を弄じるようになったの
お慶  殿の、おかげでございます。
久秀  亡き長慶公の容姿、元長様の器量を受け継いでおる。年をおうごとに美しくなる。
お慶  それも殿の、おかげでございます。お吟も美しくなりましょう。
久秀  おお、うん。(激しく口付けをする)お慶・・
お慶  殿、そろそろでございます。
久秀  もう少しじゃ。(しばしの愛撫、しかしそこに城外の敵のほら貝の音)
お慶  まだ、時間はあります。ね、だから。
久秀  分った。では、始めるとしよう。

    最後の具足をつけおわり、照明、久秀を残して消える。

久秀  やあやあ、我こそは清和源氏流三好長慶の筆頭家老、松永弾正久秀である。従4位下、弾正少弼、天上人であるぞ。よいか、貴様ら下賎のものどもとは、天と地ほどもさがあるのだ。
下克上とは何だ。それがこの松永弾正にて候。主君三好家の乗っ取り、第13代将軍・足利義輝暗殺、東大寺大仏殿焼失の首謀者 久秀の3大悪として後世に残るであろう。陣中にあっても女色にふけり、狡猾で傲慢不遜の「乱世の梟雄」として、北条早雲・斎藤道三と並んで三大梟雄というものあり、か。乱世の異端児“信長”に2度抗った男これほかになし。天下の風説は片目の忍びがごとし、盛者必衰は世のことわりなり。刀をとれば新陰流柳生宗厳、傍に伊賀の忍の影常にあり、連歌、茶道のともは、境 会合集 津田宗及、今井宗及、千利休などあり、筆をとれば、西国8カ国の良民をしいたものとて、特に京都の民人の評判すこぶるよし。ときた。
以後歴史において、我がほどに、悪名を轟かせ、知略戦略に通じ、流麗にして風靡を感じさせる男はおるまい。いざ、68年の生涯に華を咲かせてご覧じよう!

    暗転 クレジットロール 役名、役者名 


第1章 放浪から、仕官へ 元長暗殺と長慶との出会い

    場転 そこは、阿波の国。阿波踊りが催されている。派手な拍子とともに、若かりし日の久秀が、立ち回りを見せる。少年三好長慶、割ってはいる。

久秀  お客人、銭が払えゆうのに飯は食うたらいかんね。
僧兵  何、貴様。商人風情が・・あいたたた。
久秀  おぼっちゃん、こんなとこにきたらいかん。元長様に怒られる。
長慶  いいではないか。わしはわしの自由にする。
僧兵  おい、わしらはな、本願寺顕如様をお守りする。お坊様だぞ。飯くらいただでださんかい。
久秀  坊さんだろうが、殿様だろうが、銭は払えボケなす
僧兵  何ぃ。いてまえ。

    再び、立ち回りが始まる。久秀は素手で僧兵をいなしている。

長慶  久秀と会うときはいつも、そうじゃ、初めて会うたときも。
久秀  あれは長慶様、ぼっちゃんの喧嘩でしょう。
長慶  どちらでも、同じこと。お前とわしは出会う運命なんじゃ。(刀を抜く)
久秀  あちゃあ、あかんよ、ぼっちゃん。抜くまでで手打ちしようおもたのに。
僧兵  坊主、どこの坊主か知らんが、俺たちとその剣でやりあうつもりか。
長慶  そのつもりで抜いた。なまくら坊主め。
僧兵  このがき。
長慶  わしは顕如さんに会うたことがある。あの人は気さくで人をひきつける人じゃ。お前たちなんぞ、本願寺の風上にも置けぬ、故になまくら坊主というておる。
僧兵  小僧、どこのもんじゃ。
長慶  我は、清和源氏流三好長慶である。
僧兵  ・・・へへへ。源氏かあ。だが三好だと、三好言うたら管領細川様の家来じゃないねえか。
長慶  それがどうした。我が父、三好元長は阿波の国主なるぞ。
僧兵  ・・・。お前の親父が三好元長か。京都の町をふみにじり、細川様に立てついて、戦に負けて、こんな田舎に逃げ帰ったんだぞ。
長慶  父上は、京都でよい政をした。細川様はそれがねたましいだけなんじゃ。
僧兵  このがき・・・へへ。みてなお前んとこ、これから大変なことになるで。はは、行くぞ、何見てんるんじゃこら。
    
    僧兵、ねりまわして去る

久秀  ・・・ご立派、ご立派。大した度胸ですよ。ぼっちゃん。
長慶  ぼっちゃんはやめろ。少なくとも人前では。長慶様と呼べ。
久秀  長慶様。もうこんなとこに来んといてくださいよ。
長慶  いや、今度ばかりは正式に用があった参った。
久秀  御用が?いつもの、うどんでよろしんで?いやしかし、元長様も変わりものだ。殿様が、こんなしがないうどん屋に食べてきて以来、毎日のように城までもってこいだなんて。
長慶  それは、毒見役が裏切り者である可能性があるからだ。そちから、食べるものを買うたほうが安全じゃと父は思っている。それに、此度のお召しはうどんがほしいからだけではない。
久秀  はあ、
長慶  とにかくすぐに城に来てくれ。うどんはいい。

    場転 城内はただならぬ雰囲気 家臣たちとの評定の声が聞こえる。

声1  だから、細川様の要請にこたえるべきといったのだ。
声2  細川様は殿が気に入らぬのじゃ。殿はですぎさのだ。
声3  かといって、これ以上我が方には兵5000人など出せる余裕はない。
声1  無理でも5000をださねば、阿波が攻められる口実を与えかねん。
声2  さても無理難題じゃ。先の戦で利用しておきなが、今度は兵を出せと。
声3  3000が限界でござろう。細川様は三好を弱らせたいのじゃ。

    声が遠のく。長慶は久秀をつれて広間でまっている。元長が重い表情で座っていたが、広間に移動してくる。

元長  おお、うどん屋。いや、久秀。いつも旨いものをありがとう。
久秀  はは、恐れ入ります。
元長  長慶、ご苦労であった。
長慶  は、しかし苦労はありましたが、楽しゅうござりました。
元長  何、また何かしでかしたか。
久秀  長慶様、いえ、ちょっと、いやいささか諍いが、えー
元長  よい、よい。無理に武士の言葉を使うことはない。しかし、そなたのその腕前、それにうどんの味と色、加えて毎回添えられている和歌など、これはどこで手習いした?
久秀  全て自己流にて。昔寺で少々。
元長  ほう、どこの寺で。
久秀  高野山でございます。
元長  ほう、そなた阿波の生まれと言うておったぞ。
久秀  ええ、生まれは阿波なんですが、大和、紀伊、京の町を放浪して、今はこちらでうどん屋です。
元長  そなた姓はなんと名乗る。
久秀  姓、いや生まれてこの方、姓名乗るような家がありませんでしたから。ただ、
元長  ただ、
久秀  遠い親戚の方が、何かあったら松永と名乗れと。
元長  今日、このときが、その何か、だと思ってくれ。
久秀  といいますと、
元長  これ限りをもって、松永久秀と名乗れ。
久秀  はい・・・殿様の言うことでしたら、そうしますが・・・
元長  長慶、説明してやれ。
長慶  はい、父上。久秀、そちは、わしの家来になるのじゃ。
久秀  家来でございますか。
長慶  驚いたか。
久秀  驚いております。少々強引さも感じております・・・
長慶  父上、久秀の身分はいかがあいなりまするか。台所役、吟味役でしょうか。
元長  そうじゃな。うどんは明日からこの勝瑞城(しょうずいじょう)で作れ。わしは、食えぬかもしれぬが・・・長慶そなたが毎日食えばよい。
長慶  はい、父上。ただ、吟味役では少々私と遠うございます。
元長  では、そなたの側付きとするか。
久秀  あの、
長慶  久秀は字も和歌もかけるのですから、いずれは祐筆では
元長  うん。もはや猶予もない。そなたの好きにせよ。
久秀  あの、まだ私返答しておりませぬが。
二人  ・・・・。(無言の圧力)
久秀  確かに、字はかけますし、ぼちっちゃんの
長慶  長慶様じゃ。
久秀  長慶様の、お側においていただけるなど、夢のような・・・
元長  夢のような出世じゃな。
久秀  ですが、生来の無骨者、殿様にお仕えするような身分でもなし・・
元長  うどんは作らぬ。祐筆もせぬと、言うわけかな。
久秀  いえ、決してそうではなく、・・・・
長慶  そなたはうどん屋で一生終わる気か
久秀  いえ、わたしにも野心がござります。野心がありすぎて、落ち着きどころがなく放浪しておりましたし・・ただ
元長  そなたは、一生うどんをこねて、こねて
長慶  こねくりまわしたい。
元長  そうなのだな。
久秀  こねくりまわしたいというのは・・・へへ
元長  こねくりまわしたいのだな。この不埒者めが。
長慶  父上、お怒りごもっとも、この久秀、うどん屋で、粉をこねくりまわすだけに、飽き足らず、方々でこねくりまわしておるのでございます。
久秀  ぼ・・長慶様・・・?
元長  何そなた方々で、男子をこねくりまわしておるのか。
久秀  滅相もございません。長慶様には手も触れてはおりません。
長慶  今日、城下にて喧嘩もしておりました。
元長  乱暴ものに、不埒ものか・・・
長慶  喧嘩に仲裁に入ったのですが、
久秀  仲裁?煽っておられましたよ。
長慶  その折に、ぐっと二の腕をつかまれました。
元長  己、不埒のやから、若く美しい男子が好みか。
久秀  ひどい誤解でございまする。相手は僧兵3人。長慶様が刀を抜かれ、それを守らんがために、触れたまで。
長慶  つかんだではないか。顔もにたにたしておった。
元長  手打ちにいたす。うどんのごとく。(刀を抜き、ふりかぶる)
長慶  止めて下さい。私も久秀が嫌いではございません。
久秀  ええ?
元長  離せ、長慶。
長慶  嫌いどころか、好いております。
元長  ・・・男としてか、
長慶  男惚れでございます。
久秀  よかった・・。
元長  ・・・それは、それならばよい。
久秀  ??!
長慶  ただ耐え難いのは、久秀は女子にもてるのでございます。
元長  何?早々に浮気か。
久秀  浮気ではございません。
元長  そなた相当のテダレだな。まあ、逆に経験が深いもの方が.安心できるやもしれ
長慶  しかし・・私というものがありながら、
元長  長慶、めそめそするな。格好悪いぞ。男はな、経験がるほうがよい。つらいかもしんが。
長慶  思春期の私には耐え難い、いや羨ましいのでございます。このように顔が濃いものがもてるのでございます。
元長  濃い顔だな、色は白いが、やはり下賎のものであるがゆえか。天上人とは、我らのように薄い美男子をいう。しかし、たいがいにせえよ。女子遊びは、ええ、これからは身を固め、長慶に忠義を尽くせ。
久秀  何がなにやらわかりませんが、御ふざけは、たいがいにしてくださいませ。

    元長、長慶にわかに刀を抜き、久秀に切りかかる。久秀その両方を止める。
    してやったりという感じで顔を見合わせる元長、長慶父子。

久秀  気がお済になりましたか。
元長  今この三好家は、非常に危ないときを迎えている。そなたの助けが必要じゃ。一連の戯れで、そなたの素性、性格、女子の好み、武道の腕前、能力全てが明らかとなった。このようなものを、城外で放し飼いにするわけにはいかぬ。

使者  申しあげます。本願寺僧兵10万城下に火を放ち、城を包囲しております。
元長  聞いたか。もはや、そなたのいく宛てはない。長慶もしかり。
長慶  父上、わたしは、どうなるのでござりまするか。
元長  そなたは、大名の跡取りから、一介の武士に転落する。城はおろか、一族郎党を失い、荒野をさまようことになろう。
長慶  父上・・・
元長  泣くな、長慶。全てはこの久秀の武と、知力に頼れ。そなたと示し合わせかいがあり、久秀を手に入れることができだ。

    みるとさきほどの使者が元長の背後で刀を抜き、切ろうとする。久秀の助太刀で
    使者に変装した僧兵を切り殺す。

元長  見たか、既に城中に敵の僧兵が侵入している。一刻の猶予もならぬ。

    僧兵の忍者隊が数人、久秀たちを取りかこんでいる。臨戦態勢の中会話が続く

久秀  貴様、さっきの僧兵だな。卑怯ではないか、正々堂々と正面からきやがれ。
元長  久秀、これが戦というものだ。正々堂々などありはしない。それに、わしの首一つとれば、多くの将兵の命が助かるというもの。
長慶  父上、やはり私は父上とここに残ります。
元長  今のお前に何ができる。初陣もすませておらぬそなたが。
久秀  長慶様、こちらに。
長慶  いやじゃ、わしはここに残る。残って父上とともに行く。
元長  だめだ。長慶、行け。久秀とともに難を逃れて生きよ。早死にするだろうが、三好は子供に恵まれた。気が荒いが三好三人衆という若者もいる。皆とともに生きて、父の仇を討て!
   
    数人の敵と切りあう。久秀、何人かを殴り倒して長慶を守る。顔に傷を負う

元長  どうした。そのようなことではわしの首は討てんぞ。

    元長、数人の敵を切り殺すが、刀がほころびる。一太刀、二太刀浴びせられる。

元長  久秀、頼む。誓ってくれ。長慶を生涯の主君とすることを、無二の友とすることを。
久秀  ・・・松永久秀、三好の嫡子長慶様を生涯の主君といたします。無二の友として、長慶様をお守りすることをお誓い申しあげます!!
元長  役目、大儀!

    奮闘するも、力つきる元長 久秀は長慶をともなって逃げおおせる。

久秀  失礼つかまつる!
長慶  父上!!!

    炎上する勝瑞城、見つめる二人 暗転


第2章 仇敵との戦い 京都制覇、頂点への軌跡

    時は流れて、5年。成長した長慶、久秀をともなって 京都の細川晴元を訪ねる
    二人のまつ二条御所広間に、細川晴元が入ってくる。

長慶  三好阿波守長慶でござりまする。ご尊顔を拝し奉り恐悦至極にございまする。
細川  ほほほ、堅苦しい挨拶は抜きにして、楽になされよ。
長慶  はは。
細川  もそっと、前へ。
長慶  はは。
細川  もそっと、もそっと。
長慶  はは。
細川  もそっとや。顔が見えんではおじゃらんか。
長慶  失礼つかまつる。
細川  固い田舎ものよのお・・・表を上げられい。・・・ほほ、父親譲りの優男。想像したとおりやわ。
長慶  はは。
細川  ・・・・その傍らのものは、
長慶  我が祐筆にして知恵袋、松永久秀にござりまする。
細川  このものが?祐筆?とてもそうは見えぬ悪党面じゃが。それにしても、三好殿、無位無官のそなたが、祐筆が必要とは。
長慶  必要不可欠なるものでございます。
細川  で、禄は、いかほどやっておる。
長慶  今のところ、無禄でござります。
細川  無禄の、祐筆・・・はっはは。食えぬではないか。
長慶  このもの、腕に覚えあり5年暮らしてこれました。三好一党、阿波での惨事をうけ、5年越しにようやく、相集うことになりました。
細川  ようよう、それそのことよ。ようあの戦から、無事で生きてこられたわ。
長慶  弟、義賢、安宅冬康、十河一存、さらに三好3人衆と私は生き残りました。
細川  ・・・・。
長慶  義賢は茶の湯をたてさせれば、之に右でるものなく、十河は剣の腕前天下一でございます。
細川  ・・・天下一。天下一はわしのことぞ。・・・わしも茶はやるがの。あの武野紹鴎とか申す茶人どうもいけすかんの。
長慶  武野紹鴎様でございますか。茶人の。
細川  知っておるのか?
長慶  お名前だけは、耳に入っておりまする。是非にも、茶を教えていただきとう存じまする。
細川  そうか、今日の用事はそれか、ではこの書状を持っていけ。
長慶  ・・・・。(投げられた書状を懐にしまい)ありがとうござりまする。
細川  ・・・(席を立ち行こうとする)まだ何かあるのか。
長慶  兵と我が配下三好三人衆をお返し願いたい。
細川  ならぬ。
長慶  お約束の5年はとおに経っております。
細川  ならぬ。三好宗家も返すことは、まかりならぬ。
長慶  京の都及び周辺への転戦にて、毎度約束の期限が延ばされております。
細川  三好よ、そなた年はいくつになった。
長慶  阿波を離れて、5年21となります。
細川  若い、若いのう。21で阿波国主になろうてか。
長慶  父元長は、20歳で家督を継いでおります。
細川  次は、法華経衆をたたく。出陣せえ。その戦いで手柄でも立てれば、そなたの望み考えてやらんでもない。
長慶  本当ですか?
細川  ほんまや。3000だせるか。
長慶  仔細了解いたしました。

    細川晴元去る

久秀  殿。
長慶  言うな、久秀。分っているよ。約束は守られない。どれくらい兵を集められる?
久秀  その場しのぎでの募兵をすれば、1000、弟君、実休様と十河様から、1000、三好に名前で、500でございます。
長慶  ふー、それだけか。
久秀  我らが力で、近畿に兵を繰り出し、手柄をたてていきましょう。その噂、風評にて、兵力は膨れ上がるものと思われます。
長慶  2500でか。
久秀  左様でございます。国や一族を奪われようとも、細川が下で築かれた三好の名前は、残っております。策もありまする。
長慶  戦は、槍や刀だけでするわけではないか。
久秀  はい。足利幕府すでに、これ形なく、細川の支配も六角、本願寺の他力にて、全軍を集めてもせいぜい3万。一戦でこれに勝てれば・・・

語り  阿波の勝瑞城で父元長、一族郎党、国すべてを細川に奪われし、長慶。哀れ16歳にて裸同然と相成ってから、5年再び仇敵細川晴元の下で、合戦幾たびにも及び奉公奉ったものの、何のご恩も受けらず。いつか雪辱を果たさんと誓うのでござりまする。さすが知略に富んだ久秀の見通し。細川に奉公しても、恩を受けられぬものども、畿内にあふれ、これを殊更風説することにて、反細川連合は年を経るごとに増え申した。苦節15年、ついに天文18年(1549年)6月摂津江口にて、細川晴元と激突。

細川  ははっはっ。三好のこわっぱめが、この城を落とせると思うてか。淀川、神崎川にはさまれたこの天然の要塞を。敵の数は。せいぜい3000程度に見えるが・・・我が軍の5分の1ではないか。ほほほっ。早々に蹴散らしてくれるわ。かかれ!
長慶  このまま、動くな。敵は烏合の衆。大半の武将には、出陣すれども、動かずとの確約を得ておる。突撃してくる敵の数は?
久秀  細川晴元の軍のみ2000でございます。
長慶  久秀の策が功を奏しておるようだな。
久秀  気がかりは敵の援軍1万が近江から出たとのこと。
長慶  六角軍1万か。
久秀  援軍が到着する前に、戦を終えねばなりません。おそらく次の川の満潮が勝負
細川  どうした。何故動かぬ。目の前の敵はたかが3000ぞ。香西、敵の後方をかく乱し、敵を分断せよ。ええい、味方の武将は何故動かぬ・・・
長慶  良いか、皆のもの。天下の趨勢はこの一戦にあり。恩義を返さぬ細川につくもの一人もなし。我京の都にあれば、必ずや奉公に報いよう。眼前の敵は2000.舟にてくだり来る敵は、2つの川から一斉射撃を加えよ。敵は必ず、二つに分断されよう。川から上がらせるな。矢玉が尽きれば、火をつけて舟に投げ込め。舟の敵を一隻たりとも下らせるな。
久秀  まだだ。まだ舟から動くでない。十分にひきつけよ。もうすぐ日没じゃ。射撃用意、放て!
細川  どうなっておる。我が軍の動きは、1万三千が微動だにせぬではないか。
使者  申しあげます。
細川  いかがした!朗報か!?
使者  我が3000の水軍両岸からの火矢によりことごとく焼きはらわれましてございりまする!
細川  何を申す。我が軍は上流から下ったのだぞ。敵の舟ごと沈めんと。
使者  淀川、神崎川の流れ非常に早く、また満潮にて身動きとれず。敵の火の矢は、川を沿うように
久秀  川の沿って10間ごとに弓隊を配置、矢を鋳込みました。縦一列の舟に対し、我がおとりの空舟に激突。
細川  何・・・?ではあの敵の舟は空だったと・・・
久秀  身動きできぬ舟に、一隻残らず火を放ちました。川をくだれず、引きかえせず、業火にやきつくされ、一人たりとも逃げ帰れぬでしょう。
細川  燃えているのは、我が軍3000か・・・謀られた。我が方の味方は、まだ1万三千おるはずじゃぞ。
使者  再三の出撃命令にも関わらず、動きません!
長慶  よいか、皆のもの。敵の大半は、細川に恩をうけていない武将ばかりじゃ。いずれ戦わずして軍をひくであろう。敵の援軍1万は、淀川を越えたとの知らせが入った。今こそ、攻め時ぞ。我が父、阿波国主三好元長の仇をうつときは、この一瞬なり。かかれ!狙うは、細川晴元の首一つ!
使者  申しあげます。我が方の武将つぎつぎに、兵を引いていきます。
細川  何・・?
使者  申しあげます。敵は両岸から上流から川をわたり、総攻撃にでてきました。
細川  近江の六角殿はまだか・・。近江の1万の援軍はまだか!
久秀  安宅冬康様、十河一存様、別働隊に申しあげる。時はきたれり。全軍総攻撃にて、近江軍を挟撃されたし。敵の来る道は一本道、敵軍1万といえども、一個体は1000足らず、夜陰にまぎれて挟みうちにさるるべし。大将六角義賢は、中央黄色の旗印。
細川  引け、引け、逃げるのじゃ。近江の援軍間に合わぬ。

語り  こうして、摂津江口の戦いは、三好軍のお味方大勝利に終わりまする。仇敵細川晴元は、この後都を追われ、畿内の反三好勢力の支持を受け次男細川晴之とともに三好長慶と争うも、ことごどく敗れ、丹後に逃れて剃髪、その後ひっそりと世を去るのでございます。
長慶  えいえい、
久秀  おー(全軍とともに)
長慶  えいえい、
久秀  おー(全軍とともに)
長慶  えいえい、
久秀  おー(全軍とともに)


語り  その後、久秀は長慶に従って上洛し、三好家の家宰となり、弾正忠に任官され、ここに、松永“弾正”久秀が誕生。長慶が畿内を平定した天文22年(1553年)には摂津滝山城主となり、従四位下、弾正少弼、すなわち天上人にのぼりつめます。弾正久秀このとき43歳、管領三好長慶33歳。名実ともに、三好松長体制は、頂点を迎えるのでございます。

    暗転 


第3章悪逆非道の汚名 将軍暗殺

    再び大和信貴山城天守 久秀、お慶の膝枕にて目を覚ます。

お慶  お目覚めですか?
久秀  おお、今日からわしは、弾正忠久秀じゃ。うどん屋のわしが、とうとう天上人となったぞ・・・夢か・・。
お慶  ずいぶん、楽しそうなお顔でしたよ。
久秀  そうか。京都時代は楽しかった。あれから20年経つのか・・・
お慶  25年でございます。
久秀  思えば長く京都におった。そなたと会うたのも25年前か。
お慶  17歳でございました。
久秀  ではんそなたまだ42か。変わらぬのう。
お慶  変わりましたわ。よもや、このように城を囲まれ、最後を迎えんとしています。
久秀  天下人三好長慶様の娘子がよもや、うどん屋のわしと結ばれるとはのう。
お慶  ・・・それは分っていましたわ。
久秀  なに?
お慶  最初にお会いしたとき、35年前から。
久秀  35年前・・。。
お慶  女は最初から分っているのです。
久秀  そなた7つの幼子ではないか
お慶  そう、最初から決めているのです。初めから捨て身なのです。
久秀  捨て身のう・・わしも捨て身で長慶様にお仕えした。天下まで15年かかった。天下おさめるまでも、25年かかった。三好から最も多くの血が流れた。

    暗転  京都 三好長慶屋敷 
    三好3人衆 三好長逸・三好政康・岩成友通らが、長慶に詰め寄っている。

長逸  そもそも、細川を破ったあの合戦は誰の手柄か。
政康  われら、三好三人衆の武功あったればこそ
岩成  左様。我らが武の力によるもの、久秀はただ絵を描いたのみ。
長慶  細川との天下をかけた一戦については、恩賞はとらせているはず。わしが今問うているのは、今の話じゃ、摂津、河内での略奪行為についてじゃ。
長逸  何度も申しあげている通り、事実はありもうさず。
政康  証拠はございますのか。
長慶  守護の訴訟状がここにある。住民のものが、そなたらの手の者が見回り料と称して、略奪を繰り返しておると、ここにな。
岩成  存じ上げませぬ。どこの何がしでござろうか。
長逸  名を申されませ。我らが直々に調べまする。
長慶  それは、侍所の仕事じゃ。そなたらがすることでない。久秀の忍びからの報告もある。
長逸  また、久秀でござるか。何ゆえあの成り上がり者が従4位下なのか。
政康  何ゆえ、我ら身内よりも、身分が上なのでござるか。
長慶  久秀は我が軍師、そなたたちとは役目が違う。15年わしが、路頭に迷うた16のときから、側におる。
長逸  それは我らとても、同じこと。元長殿が、細川を敵に回したゆえ、三好は阿波一国、失い申した。
長慶  父のことをあしざまに言うでない。
政康  元長殿が、細川に弓引かねば、我ら三好は阿波を失うことはなかった。
長慶  父上は、32で亡くなられた。そのうちほとんどを細川のために、尽くされた。10年以上を各地を転戦された。その功績を認めるどころか、出る杭を打たんがごとく、一方的に上位討ちされたのだ。それも自らの手を汚さず、本願寺の僧兵を使っての焼き討ちじゃ。
三人  ・・・・。
長慶  あのだまし討ちの時にもその方らは城にはいなかった。阿波を追われて10年、その方ら3人衆はどこにおった。細川との戦になるまで、わしの前に姿さえ、現さなんだのは何ゆえじゃ。
政康  殿の消息が不明でござった。
長逸  まさか、元長殿の仇である、細川に仕えておるとは思いもせなんだ。
岩成  左様。どういう了見で、細川に仕えられたのか。
長慶  恥を忍んで、怒りを抑えて仕えたのじゃ。功績を立て、同情を利用してでも近畿内で反細川の勢力を味方につけるためにな。阿波一国と、家督を継がせる約束もあった。
政康  阿波は返してもらえましたか。
長逸  我らが力づくで取り返したのでござろう。
長慶  あの戦は、武力で勝ちえたのではない、反対勢力の調略と、久秀の戦略じゃ。
岩成  埒が明きませんな。
長慶  それは、その方らだ。今後一切の略奪行為を止めるよう申しおく。以上じゃ。
岩成  そのうち、飼い犬に手をかまれますぞ。
長逸  どちらが、あるじか分りませんな。
長慶  ・・・何?
長逸  久秀と、長慶殿とどちらが主でどちらが臣下か。
長慶  今一度申してみよ。
政康  いっそ三好の天下を久秀にくれてやるおつもりか。
長慶  きさまら・・・・
久秀  しばらく、しばらく!お待ち下さい。そのお怒りは私に向けてのもの、どうか刀をお収めください。
長慶  久秀・・・。
岩成  これは、これは執事殿。ちょうどよいところに来られた。
久秀  長逸様、政康様、岩成様お三方そろって何事でござりまするか。
岩成  何事も何もない。弾正殿、この際はっきりしておきたい。
久秀  何でござりまするか。
長逸  従4位松永と、我ら三好とどちらが主でどちらが、臣下か。
久秀  改めて問われるまでもありません。この久秀、三好ご一党の臣下でござります。
岩成  では、従4位弾正久秀殿、それを形で見せられよ。
久秀  はは(頭を垂れる)
政康  そうではない。
久秀  ・・・ではいかにせよと。
長逸  今すぐ、官位を辞退して隠居せよ。
久秀  それはできませぬ。
岩成  我ら主家の言うことが聞けぬというか。
久秀  長慶様及び、官位をいただきし将軍様の命令でない限り、わたしが自ら職を辞して、隠居することなどどきませぬ。それがたとえ三好宗家であっても。
長逸  何様のつもりだ、貴様!このうどん屋が・・
岩成  まあまあ。見られたか、長慶殿。この不遜な態度。我らが三好一党を愚弄しておる。
久秀  滅相もないこと。
長逸  長慶殿、はっきりされよ。この不逞のやからと、我ら三好三人衆とどちらを大事とされる!
長慶  問われるまでもない。久秀じゃ。
久秀  殿・・・。
岩成  長慶殿、貴公はこのものに、たばかられているのですぞ。
政康  この悪党に、骨のずいまでしゃぶられますぞ。
岩成  これではっきりされた。長慶殿は、我ら身内の三好三人衆より、どこの馬とも知れぬこの松永をとるという。もはや戦にて雌雄を決する他ありませんな。

    三人衆 悪態をつきながら、岩成の合図で去る

長逸  これで良いのか、岩成。
岩成  結構。良い時間稼ぎになりもうした。
政康  しかし気に食わぬ、松永が三好を乗っ取る気だ。
岩成  左様、それを吹聴するのです。その前に、長慶と久秀に近いものから順に・・・・

長慶  久秀、気に留めるでない。あの者らの横暴ぶりは最近目に余る。ちょうど良い。戦となれば容赦なくあの三人衆をつぶしにかかれる。どうした。久秀、臆したのか。はは、そなたらしくもない。そちの知略にかかればあやつらなど赤子同然ではないのか。
久秀  ・・・・殿。申しあげなくてはいけないことがございます。
長慶  どうした、何かあったか。
久秀  殿の申されるとおり、三人衆など敵ではございません。阿波から裸一貫で、天下をとられたのも、殿のお力とご威光のたまものでございます。
長慶  そなたが側に仕えてこそじゃ。
久秀  近畿での転戦、及び江口での大勝利、武功は皆三好一党のお力でござる。
長慶  今日はやけに、回りくどいのう。いかがした。悪い知らせで動揺などせぬ。
久秀  殿が天下を支えたもうている柱が一つ失われました。
長慶  ・・・有体にもうせ。
久秀  弟君十河一存様、お亡くなりになりました。
長慶  ・・・・いづこにて。
久秀  不覚にも我が館にて。
長慶  久秀の館でじゃと。あの力自慢の弟が・・・
久秀  昨晩から我が屋敷に逗留され、酒をくみかわし、昔語りをしておりました。夜半すぎ、ものものしい音が風呂場からしたのもで、かけつけましたところ、
長慶  深酒の上、風呂場でか・・・。
久秀  面目次第もございません!
長慶  真か、信じられぬ。
久秀  これを・・十河様の遺品にて
長慶  この備前長船確かに我が弟のもの・・・血糊がついておる。抵抗したのか。
久秀  敵の間者の死体も3,4つございました。十河様のご遺体はひとまず、我が家方から、先ほどこちらへお移し、駆けつけた次第。
長慶  見せよ。検分せねば。
久秀  傷口14箇所に及び、
長慶  かまわん。
久秀  敵方の間者は50はいたものと思われます。
長慶  戦であれば、100や200は相手に生還した。

    十河が白い布に覆われてはこばれてくる。検分する長慶

久秀  壮絶な、ご最後でございました。敵は卑怯にも飛び道具を使い、勇猛果敢なる一存様、弓矢をかわしきれず、数十の矢玉をうけつつも、一歩も引かず、敵に向かってまっしぐら、命つきるまで敵を討ち取り・・あい果てられ申した。
長慶  ・・・誰がやった。どこの手のものじゃ。よもや、久秀そなたが・・・
久秀  お疑いご尤も、状況的にこの久秀に疑い向けられること覚悟で参上した次第。
長慶  ・・・・いや、すまぬ、久秀に動機はない。燃え盛る我が城と、弟を連れて流浪にでてから、15年。16の頃より側におって父の変わりとなったおぬしができることではない。敵方のしかばねは
久秀  あちらに運びました。
長慶  ・・・このものは、見たことがある。
久秀  はい。
長慶  では、下手人はやはり、かの三人衆か。
久秀  先手を打たれました。以後殿や、もう一人の弟君実休様、ご一族の身の上警護の数を増やしまする。

    三好三人衆、足利義輝と密会している。

岩成  かのように三好長慶、松永久秀の専横、傍若無人は明らか
長逸  恥ずかしながらかのものが、我が家の当主とは口惜しうござる。
義輝  長慶久秀の京都の出の評判必ずしも悪からず。かの者共をあしざまに言うは、そなたたちの他はおらぬぞ。
岩成  一部公家衆方からも、長慶久秀うつべしと言われております。
長逸  義輝様、今巷での公暁様の言われようご存知でしょうや。
義輝  我が足利の風評か、そのようなこと気にしてはおらぬ。
政康  足利は細川の傀儡、次は三好の操り人形じゃと。
義輝  是非もなし。わしも足利が軽んじられるのは許せぬ。だが、余はせわしい世情のことなど、どうでも良い。余は剣の道にいきるものぞ。
岩成  ・・・真、義輝様は剣豪とて名高い評判でござりまする。
義輝  ふ、そうか。悪くない。
岩成  ですが義輝様。世情のことも今ひとつ、おきにかけてくださいませ。
長逸  恐れながら、長慶久秀は、将軍廃嫡を企んでおりまする。
政康  義晴様、暗殺の噂もございます。
義輝  何じゃと?兄上を亡き者にせんとするか、長慶は。
岩成  恐れ多くも、次は義輝様を将軍にすげかえるのじゃと、久秀が申しております。
義輝  確かか。
岩成  確かでござりまする。之をご覧くださいませ。
義輝  ほう、わしを将軍、長慶は管領、久秀は執事か・・・長慶のいに沿わぬときは、また同じ方法にて、将軍を入れ替えるべし・・・花押がある。己長慶、これ以上の専横は許せぬ。
長逸  公卿様、いえ足利幕府は剣豪にして、知略優れた義輝様以外にありません。今こそ、おたちいただくときかと存じます。
政康  左様。義輝様をおいて、誰がこの悪行を正すことできましょうや。
義輝  その方ら、余を将軍とする気概あるか。
岩成  まさしくそのお言葉をお待ちしておりました。義輝様を将軍職におつけたてまつり、世に正道お示しいただくためには、何事も労をいとうことなし。
義輝  よう言うた。天下はこの義輝が正してみせよう、三好はそなたら三人衆で正せ。
三人  御衣、承って候。

義輝  我は、源氏の棟梁、足利が嫡流。質実剛健 源朝臣足利義輝なり。恐れ多くも天皇陛下の詔勅により、隠遁のみから、将軍になるものなり。世に正道お示さんがためならば、何事も労をいとうことなし。これ三好、松永の専横ここに極まれり、神妙に我が正道に付き従うか。さもなくば、これを討たん。
     
    百官居並ぶ中、伏して足利義輝14代将軍の宣下をする。
    長慶、久秀、三人衆が離れて参列している。

長慶  はは、何事も足利将軍宗家のご威光に従わんばかりにて。久秀、弟実休は、無事大和に入ったか。
久秀  万事滞りなく。義継様と同じくしばらく、隠れていただいております。

    将軍宣下の儀式が終わり、義輝去る

岩成  ご機嫌麗しく、いかがお過ごしか長慶様。
長慶  1日おきに、ねずみを捕らえておる。たまに猫もな。難儀しているところ。
岩成  それは落ち着かぬこと。
長慶  乱世のならいにて、いたしかなく候
岩成  乱世のならいね。
長逸  それにしても、弟君十河一存殿は無念でござったろう。
政康  下手人は捕らえられたのか。
長慶  いまだ。
岩成  いずれのものにせよ、“敵”は次の一手を討ってくる頃では、
久秀  そう思いまする。これにて失礼つかまつる。さ、殿。
岩成  ご舎弟殿は元気かな?
長慶  ・・・・。
久秀  ・・・・。
岩成  たった一人の弟実休殿は、無事大和に着いたかな。
長慶  ・・・・!
久秀  はったりでござる長慶様。
岩成  我が館にて預かっておる。ほれ、この通り。
久秀  ・・・・。お借りする。この筆跡、実休様のもの、
長慶  信じかねる。
長逸  では、これでどうじゃ。実休がまとっていた衣と、配下のものの印だ。
長慶  ・・・・。貴様たちは、人攫いまでやるのか。卑怯者めが!
岩成  今、我らを斬っても、実休は戻らぬぞ。
久秀  要求はなんだ。
岩成  流石は弾正殿、察しが早い。
長慶  早う申せ。
岩成  義輝を殺せ。
長慶  何?
岩成  将軍を殺して、仏門にいる義昭を連れ戻して、将軍に据えるのだ。
久秀  岩成殿、何を言っているのか分っているのか。
岩成  よく分って、申し上げている管領殿。
久秀  三好に後世にも残る汚名を着せる気か。
長逸  汚名は貴様たちのものだ。わしらのものではない。
長慶  おのれ・・・!
   そこまでだ。おまえたち。
政康  誰だ。
義輝  控えよ。この食わせものどもめが。
岩成  将軍様。

    皆、将軍義輝にひれ伏す

義輝  三好三人衆、その方ら三好のものでありながら、宗家長慶の弟実休を人質に、あろうことか余の命を狙うとは、フトドキセンバン。直ちに人質を長慶にかえし縛につけ。
長逸  わしらに命令するでない。
義輝  何?
政康  誰の力で将軍になれたと思うておる。
義輝  無礼者めが、(刀をぬいて、三人衆にきりつける)
岩成  ちょうどよいわ。斬れ、斬り殺せ!
  
    三人衆とその部下数人と、義輝が切り結ぶ。長慶、久秀も義輝に味方する。
    ばったばったと、討たれる三人衆の配下、長逸らも斬られる。政康逃げる

長逸  ぎゃー、腕が腕があ・・・!
義輝  ここで全員討ちすててくれよう。
岩成  待て、待て。冷静になられよ。わしらが生きて戻らぬときは、実休を殺し、この将軍館を取り囲む手はずになっておる。
義輝  黙れ、下郎めが。
岩成  嘘ではないぞ、5000の兵が京都下京で待機しておるわ。
久秀  恐れながら、このものの言うこと、偽りないと思われます。
義輝  久秀、何故そういいきれる。人質を取られておくしたか。
久秀  上様、実休様がかかっていることは事実。さりながら、実休様も人質としてオメオメト生きながらえる方ではございません。
長慶  よういうた久秀。上様、久秀の申すとおりでございます。ただ、この岩成という男なかなか狡猾周到なる漢にて、油断でき申さず。5000の兵といのは、少々大きくいっておりましょうが、数千はおるはず。上様これは、謀反でござりまする。お逃げくださいませ。
義輝  長慶、わしの性格を知ってのものいいか。俺は将軍といっても、剣の道に生きるもの、そなたら武将とは違う。
久秀  私が館まで走り、味方を引き連れてくるまで持ち堪えられまするか。
義輝  分らぬ。だが、やれるところまでやってみよう。
岩成  勝てる戦と思うのか。この機会を待っていた。将軍、三好宗家をもろとも一ひねりにできるこの好機をな。

    逃げおおせた政康 兵1500を率いて将軍館を攻撃する。

政康  よいか、これは“長慶久秀の謀反から、将軍をお救いする戦い”だ。容赦はするな、「印は、義輝と、長慶、久秀この3人だ」かかれ!
長慶  行け、久秀援軍を呼んで来い。
久秀  はは。しばらくご辛抱くださりませ!

語り  孤立無援の剣豪将軍義輝は、戦うこと5時間、討ちはたした敵の数500余名に及び、その強さを世に知らせ申した。しかし流石の剣豪も敵の数には勝てず、久秀のかき集めた兵500も奮戦虚しく、ついに義輝は御所に火を放ってご自害あそばされまする。享年@@歳 恐ろしきは、風聞なり、三好三人衆の計略に乗せられ、松永弾正、主君長慶とあいはかり、足利に謀反してこれを討つとの、言いふらされたり。

長慶  久秀・・・間に合わなんだ・・・義輝様は先ほど、・・・
久秀  殿、殿のせいではござりませぬ。全てこの久秀の読みの甘さにて。
長慶  わしとそなたは、将軍殺しの汚名を着ていかねばならんのだ・・。弟を二人とも失のうてしまった。一存!実休!あああ〜!
久秀  長慶様・・・・。(抱き合う二人)

語り  実休は、人質となりて死するを潔しとせず、一人敵方の兵を切り、奮戦して果てましてござりまする。主を失った京の都は、深い悲しみの喪にふくし、それを見た慣例三好長慶は、岐阜山中の寺に入っていた@@を都に向かえ、将軍といたし申した。謀略におぼれ、つめ甘く乱世に埋没した最後の将軍、足利義昭の誕生でござりまする。この後2度にわたる久秀の反逆に、加担することになるのでござりまする。

    暗転



 
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