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オーセンティック
武田浩介
 


      春の一日。
      冬の寒さの名残も消えて、過ごしやすさを肌で感
      じることができるようになるころ。

      東京の外れにある、とある簡易連れ込み旅館。
      駅前の賑わいを離れ、路地をすすんだところに、
      その旅館はある。
      旅館、といっても一般に開かれたそれではない。
      限られた人種が限られた目的で利用する、そんな
      旅館である。
      現在、一階二階ともに、「正規の」利用客はいな
      い。
      平日の昼下がり。利用客がくる見込みもなく、一
      階の受付では老婆があくびをしながら、新聞でも
      読んでいる。

      二階建である和風建築の、二階奥にある部屋が、
      この作品の舞台となる。
      下手側奥にドア式の出入り口が、そして上手側に
      はガラス張りの窓がある(これらは舞台上に現れ
      る必要は必ずしもない)。
      この部屋を使う者で、外の景色を望めるその窓を
      開けることは滅多にない。下を流れるドブ川の臭
      気が襲ってくるからだ。

      時は、昭和二十年代後半。
      昭和三十一年度の経済白書において、「もはや戦
      後ではない」との文言が表れる、その、少し前。

      いま、その部屋にあるのは一組の布団と、その脇
      にある、女物のバッグ。
      そして一枚の皿と、そこに盛られた五六個の生卵。
      あと、何やら文字が綴られたわら半紙が一枚。
      布団は敷かれたばかりのようで、寝乱れていない。

      布団の上、一人の女が身を屈めて、その匂いをク
      ンクン嗅いでいる。
      年は三十前後だろうか。
      外出用の浴衣を着こなしている。恥じらいと開き
      直り、そのはざ間から、どこか隙のある色気が零
      れる。そんな姿態。
      両足には、端を留めていない足袋。
      濃いめの化粧。それは、ある種のけばけばしさ見
      る者に与えるかもしれない。
      舞台に登場するのは、この女ひとり。

      ここは、ブルーフィルムの撮影現場である。
      上手側、ちょうど窓のあるあたり、辰坊がいる。
      彼はさきほどから、何か拗ねているようだ。

      そして下手前方にはカメラマンのコマダさんがいる。
      8ミリカメラは既に設置済みで、いまは撮影の開
      始を待っている状態。

女 こうゆうところのお布団って、やっぱりほら、毎日のよう
  に、アレするわけでしょ? だから色んなものが染みるは
  ずなのに、何だろう、新しいのはいっつものっぺりとして
  いるんだよね。匂いが。何かが滲みているんだろうけど…。
  それでね、一回、まあ一回じゃなくてもいいんだけど、ア
  レするじゃない? そうすると、こなれてくるっていう
  の?たくさんの染みているものがさ、もわもわもわって
  出てくるような気がして。実は私、嫌いじゃなかったりす
  るんだ、それが…。…え? まあね、そりゃあ布団の匂い
  なんて途中からどうでもよくなっちゃうけどさ。うん、…
  匂い。…ん? …あのヒトは、そう、土の焼けるような匂
  いがするの。

      布団をいじりながら喋っていた女、ふと、照れたよ
      うになり、

女 …やだぁ! 何を言ってるんだろう、私。

      わら半紙を手に取って、下手に、

女 コマダさん、カメラはずっとそっから?

      そして、わら半紙に目を通していく。

女 …えっと何々、…夜、今日も夫は仕事で忙しく、若妻は一
  人寝床で悶々としている…。ふーん悶々とするんだ。それ
  で次が、真っ昼間の連れ込み旅館にいる若妻と義理の弟。
  つまり、ここね。ここでは、若妻は自分からどんどん弟を
  誘っていきます。最初はたじろいでいたものの、若妻の身
  体に弟は溺れていく。あーもうここでは最初っから始まっ
  ている状態なわけね。

      上手を見て、

女 辰坊が弟か。ねえ、ちゃんと溺れてよ。ふざけてるとすぐ
  分かるんだからね。 …そして、その日の夜、若妻の寝室に
  忍び込む弟。若妻は受け入れ、情事に溺れるが、そこに夫
  が帰ってくる。…え? これは最後までしてから? …あ、
  途中まで。どこで切るかが大事よね。…と、妻の手に握ら
  れたナイフ……え? このナイフはどこから出てくるの?
  …ああ、その前にリンゴを剥いて弟に食べさせてあげるの
  ね。…あ、あ、あ、私リンゴ剥けないんだけど大丈夫かな?
  剥くところは誰かやってね。

      わら半紙をその辺に放り、

女 この夫が出てくるトコは夜だよね。スギヤマさん、夜には
  間に合うよねえ…。だけどホント懲りない人だよねえ。
  (人差し指の先をクイっと曲げて)今度で何度目だっけ?
  バレてないの入れたらもう星の数ほどでしょ? モノを盗
  むのがやめられないって、あれも病気の一つなんだから、
  警察じゃなくて厚生大臣が何とかして欲しいわよね。…
  (下手に)そう、いまあのヒトが貰い下げにいってる。保
  釈金でどうにかなればいいけど、ひょっとしたら食らい込
  んじゃうかも。あのヒトとツーカーの刑事さんいるから、
  その人に頼めばどうにかなると思うけど…。でも最近は取
  り締まりが厳しくなっているっていうから。下手に取り入
  ったら私たちまで一網打尽ってコトになっちゃうかもしれ
  ない…。やだぁ、そんなの。コマダさん、パクられたこと
  ってあります? 辰坊は? …私だってないわよ! 多分、
  あのヒトも…。…だけどもし、スギヤマさんが食らい込ん
  じゃうことになったら、夫の役どうするんだろう? ね、
  いっそコマダさんがやってみる? …冗談よ! でもスギ
  ヤマさんくらいのトシの人って、なかなかいないのよねえ。
  ほら、若い人にムリヤリ口髭つけてそれっぽくっていうのは
  あるけど、やっぱりね、何だっけほら、リアリズムよ。

      布団の上を転がってリアリズムリアリズム…とふざ
      けながら辰坊のほうを見やるが、辰坊は無反応のまま。

女 …ねえねえ辰坊ってさ、女の人と二人だけで、こうゆうと
  ころ来たことあんの? そりゃああるか。

      話しかけるも辰坊の反応はなく、女はフンと口を尖
      らせる。
      そして下手側に、

女 ねえコマダさん、こないだ話したテルちゃん、またびっく
  りなこと言ったの。いきなり、姐さん、わたしオボコよね
  って、そんなこと言うの! 私もうポカンとしちゃったわ。
  そんなわけないでしょうが、て。そしたらテルちゃん、
  アラそうかしらって、キョトンとしてるの…。

      基本、コマダに喋っているのだが、時折、辰坊のほ
      うにチラチラ視線をやったりしている。

女 だから私も言ったわよ。あのねえ、あなたがオボコなわけ
  ないでしょう。あなたなんかがオボコだったら、きっと
  すべてのカエルはオタマジャクシよ、て。……うん、ち
  ょっとよく分かってなかったみたい。とにかく、あなた
  はオボコなんかじゃないって言ったの。それでもテルち
  ゃんは全然飲みこんでくれなくて…。だからいい加減、
  どうしてあなたは自分をオボコだなんて思うのですか?
  て、改まって訊いてみたの。そうしたら、…そうしたら
  何て言ったと思います? 私いつもサックつけてるもん
  だって! (笑う)おかしいでしょ。

      ひとしきり笑って、その笑いの勢いのまま、

女 なぁに辰坊どうしちゃったのさっきから? …まさか緊張
  してんの? どうして? やだ、元気なくなったりしな
  いでよ。あなたが続かなくなったら、こうゆうのってお
  しまいなんだから。

      コマダさんのほうに、

女 ねー。こないだ来た人に聞いたんですよ。そうしたら、そ
  のフィルムのカラカラ回る音が落ち着かないんだって。
  …やっぱ、男の人のほうが、その、神経質なんでしょう
  かね。コマダさんなんかはどう? 年がら年中、この音
  を聞いていて…今度はカラカラっていう音で反応するよ
  うになっちゃったりして(笑う)…

      不意に、ガラっと窓を開ける音。

女 ちょっと! 窓開けたりしないでったら。

      上手側に立っていき、

女 もう…。

      ポチャンと水の落ちる音―。
      女、窓の下を見やって、

女 部屋に入ってきちゃうじゃない。…下のドブ川、すごい匂
  い…。古新聞、わら屑、化粧紙、果物の皮、片っぽだけ
  の靴、四つ足の死骸。…あぁ、嫌だ嫌だ!

      窓を閉める。

女 そういえばフィルムの音が苦手っていう人、アレしている
  ときにね、こう我慢ができなくなったときに、違うこと
  考えて気を逸らすんだって。それでどんなこと考えるん
  ですか? て訊いたら、空襲のことを思い出すんだって。
  海軍にいたみたいなんだけど、自分のいた連隊がやられ
  たときにすぐ目の前で仲間の腕が飛び散るのを見たって
  いうの。それでこっちの空襲でもお母さんと妹さんを亡
  くしていて。…そんなこと考えちゃったらね、確かにア
  レどころじゃないよねえ。

      そして再び辰坊にかまっていく。

女 …辰坊ぉ! 何よ! 自信がなくなってきたの? いつも
  はあいつはだらしねえなあ、俺だったらもっととか散々
  言っていたじゃない(辰坊は無反応)…よく言うでしょ?
  見ているのと実際するのは大違いって。そうそう、
  大阪にあっちの方がすっごく丈夫な男の人がいて、もう
  引っ張りだこらしいのよ。それでその人、私たちの倍は
  貰っているんじゃないかって。やっぱりこうゆうのは、
  男の人のアレにかかってるわけだからってね。そんなん
  だから、もうその辺の政治家さんくらい稼いでるんじゃ
  ないかってウワサ…ねえ? (反応ないので)ねえった
  ら…。(相変わらず反応はなく)…いぃーだ!

      生卵の盛られた皿を手にして、

女 でもさ、そんなつんつんしていたら、ほんと、できるもの
  もできなくなっちまうよ。(卵を差出し)これ、ね。あ
  のさ、俺は自信あるぞっていうのに限って肝心のときは
  ダメになっちゃうの。だから…。まあそうはいっても、
  これを呑んだからすぐに効くってこともないと思うんだ
  けどね。ポンじゃないんだから。一応、おまじないみた
  いなものさね。(笑う)でも辰坊みたいなお子様じゃ、
  こんなのを呑んだらニキビができちゃって大変かもね。
  あ、あとそうだ、あの、朝鮮の赤い漬物、あれも結構な
  ものだっていうじゃない。そうそう、キムチ。私こない
  だ浅草ではじめて食べた。口だけじゃなくって胸のとこ
  ろもヒリヒリしちゃうよね。

      辰坊は立ち上がって、出て行こうとする。

女 ちょっと! どこ行くのよ。もう! いつまでも拗ねてな
  いでよ。分かったから。ほら、卵呑んでいいよ。子ども
  は卵が大好き…。でも辰坊があんま元気になりすぎちゃ
  っても困るわよ。だって辰坊ただでさえ元気なのに、そ
  れ以上になっちゃったりしたら、私がメチャクチャにな
  っちゃうよ〜。

      皿を持って、下手奥に消える。

女の声 ちょっと! いや!

      何かの割れる音。
      女、卵の皿を手にして戻ってくる。
      額に卵を叩きつけられている。

女 ほんといい加減にしてよ。これからだってのに…。お化粧
  やり直さなきゃいけないじゃない…。

      後に続いて戻ってきた辰坊を振り返り、

女 いったいどうしちゃったの…。そんなに力が余ってるんな
  ら保安隊にでも入ればいいじゃない。あの陸軍みたいな
  ヤツ。

      バッグからハンケチを取り出し、顔を拭いていく。

女 アーノネオッサン、ワシャカーナワンヨ……(ブツブツと
  節をつけながら)姉は淫売妹は芸者、末のチョロ松ばく
  ち打ち、兄貴は火葬場で骨拾いオイラ上野でモク拾い、
  そんな一家に誰がした……

      顔を拭くと、化粧直しをしていく。

女 あのヒト、遅いな…。ねえコマダさん、どうしよ。私たち
  だけでもう始めちゃう? 辰坊も焦らされてこんなんなっ
  ちゃってるのかもしれないし…。

      コンパクトを開いてパタパタやり、口紅をグイグイ引く。

女 ああ、でももうちょっと待ちましょう。スギヤマさんがど
  うなったかも気になるし、あのヒトから何か指示がある
  かもしれないし。まさか、ガサ入れなんて、ないわよね
  …。

      化粧道具をバッグに仕舞って、

女 コマダさん、こうゆうエロシャシンにも最近じゃカラーの
  ものがあるんでしょ? でも昔っから映画のカメラやっ
  ていて、映画がカラーになるなんて、想像ついてまし
  た? 長谷川一夫がカラーなんて…。…だけど、私はち
  ょっとなあ。だってカラーだと、何ていうのかな、全部
  おんなじっていうか、そのまんましか見えなくなるよう
  な気がする…。(股に手をやり)ここだってそのものズ
  バリの色で映っちゃうんでしょ。それはさすがに、ねえ
  …。え? それもリアリズムだろって? やだぁ…。

      キッと上手に、

女 うるさいなあ。同じじゃないわよ! 全然違うわよ! デ
  リケートなものなの! うるさい! リアリズムだから
  こそデリケートじゃなきゃいけないのよ! …何言って
  んだか分からないって、私だって分からないよ。でも、
  そうゆうものなの! ………ねえ辰坊、あのさ、こんな
  んじゃ私気分悪いまんまよ。一応さ、これから私たち、
  あれするわけじゃない。私の気分、どうしてくれるのよ。
  何よ、辰坊が自分からやるって言ったんじゃない。怖く
  なったならそう言ってよ。え? 怖くなんかない? じ
  ゃあ何よ…。

      間。

女 知ってるよ。あのヒトにヤキ入れられたんだろ?

      間。

女 何? またイキがっちゃったの。

      辰坊が何か言っている。やれやれと耳を傾ける女。

女 …もうだからそれは違うって言ってるでしょ? 騙してる
  とか、そうゆう単純なことじゃないよ。勿論、私は騙さ
  れてるなんて思ってないよ…。うん。確かにおかしく見
  えるだろうね。自分のオンナにこんなコトさせてるんだ
  もんね…。

      辰坊のほうに寄っていき、

女 ねえ、からかってるんじゃないんだよ。ちゃんと分かって
  るし、ちょっとは嬉しいよ。辰坊が私のこと想ってくれ
  ているの。でもね、私とあのヒトのことは、放っといて。
  …え? 本当に惚れていたら自分の女にこんなことさせ
  るわけがない……泣かせるねえ。でも、…泣かせるだけ、
  だね。…え? ……うん、そうだね。あのヒトって、私
  にさせるばっかりで、撮影のときは席を外していつもい
  なくて、手配して、設定考えて、シャシンできたらそれ
  売って…それだけ。…怖がってるって…? そんなわけ
  ないじゃない。逃げてる? そっか、そう思っちゃうか
  …。

      窓を開ける音。

女 だから開けないでったら!

      窓のほうに向かう。
      ポチャンと水の落ちる音―。

女 いや! この匂い…。ドブ川の…。この下の川さ、これド
  ブの匂いだけじゃないんだよ。空襲のときの、たくさん
  人の匂いもしてくる…。

      じっと何かを思い出している。

女 ん? 空襲の匂いなんてしないって? …ううん。…する
  んだよ。あのとき、逃げて、逃げて、橋のところまでき
  た…。たくさんの人がいてね。何人かの人は、川に飛び
  込んだの。でも川にバーッと火が回って、みんな焼けて
  いった。橋の上は人でごった返していて、私はとにかく
  助かりたくって、小っちゃい女の子やおじいちゃんを踏
  んづけて、もう無我夢中で逃げたの。誰のことも構っち
  ゃいられないさ。とにかく、助かりたくって…。たくさ
  ん踏んづけた…。

      窓を閉め、足元に目を落とす。

女 匂いじゃないのかもね。感覚…。人を踏んづけて走る感覚
  が、まだこの足のどっかに残ってるのよ…。

      間。
      …と、ハッと身をすくめて飛びのく。

女 何よ? 辰坊…。ダメだよいまは。ちゃんと撮影までとっ
  とこうね…。え? そうゆうのじゃないって…じゃあど
  うゆうのなのよ…。何泣いているのよ…。やめてよ。お
  涙誘いたくってこんな話してるんじゃないわよ。あぁや
  だやだ。身の上話も出来やしない。

      微かに乱れた息を整え、

女 いきなしびっくりするじゃないのさ。コマダさんもいるっ
  てのに、アンタは…。

      と、辰坊の様子に「ん?」となって…。

女 ん? ん? どうした…?(様子を探るように)なぁに?
  …………。

      一瞬、ポカンとなる。そしてすぐに笑いだす。

女 アッハッハッハ…どうして辰坊と一緒になるのよ。ちょっ
  とやだ、そんな改まってこないでよ。うんうん、幸せに
  するとか、そうゆうセリフは誰か別の人にとっときなね。
  はいはい…。辰坊、ちょっとした役者ね。うんうん。そ
  うだね。はいはい。分かったから。ね。よしよし。だか
  ら何で分からないのよ!

      怒鳴ってしまう。
      だが、すぐにそうしてしまったことに照れてしまい、

女 ……あーもう…

      ハーとため息を漏らす。

      間。

女 辰坊が、こんなにギスギスするようになっちゃったのって、
  あれだよね、ミヨちゃんに逃げられてからだよね。あえ
  て聞かなかったけどさ。ミヨちゃんと辰坊、あんなに仲
  良かったのに、何があったんだろうって気にはしていた
  んだよ。……ねえ辰坊、あんたいきなりシャシンに出る
  なんて言ったり、私にこんなことしたり、最近ちょっと
  ヤケになってるんじゃない? ……え?

      間。

女 …そうだったの…ミヨちゃん、GIの男と…。だってもう
  あいつらだってもう日本には殆どいないじゃない…。だ
  から…? ……そう、子どもまで…。ミヨちゃん、そん
  なに本気だったんだ。…分からないものだねえ。うん。
  全然気づかなかった。そうか、そりゃあショックよね。
  辰坊の国でね、勝手に戦争はじめたヤツらだもんね…。
  でもさ、わたし思うんだけど、戦争やっている当人はさ、
  意外とやりたくないのにムリヤリやらされているのかも
  しれないよ…。あ、ごめんゴメン、どうでもいいか。ヤ
  ツのことなんか。…だけどミヨちゃん、これからどうす
  るんだろうね…。え? ああそうね、辰坊からすりゃ知
  ったこっちゃないわね。

      思い沈んだようになる。

女 …青い目の男のほうがよかったとか、辰坊が何人だとか、
  そんなんじゃないわよ。そう思ってあげなよ。ね。そう
  思ってやらないとさ…。

      手を伸ばして、辰坊に触れる。
      ぽんぽん肩を叩き、布団の上にベタっと座る。

女 ………辰坊が子どもだった頃の話だけどさ、…んーもうだ
  からいまの辰坊を子どもだって言ってんじゃないの! 
  とにかく、戦争に負けて色んなものがメチャクチャになっ
  た頃の話。(下手側に)ごめんね、コマダさん、ちょ
  っとだけ…。これ、あのヒトに言わないでよ。だけど、
  辰坊は私たちとの付き合いも長いし、ね、だから話すけ
  ど…………。

      それでもまだ躊躇している。
      えいっと布団にゴロンと転がり、

女 わたしさ、むかし一度襲われたことあるんだー…。そう進
  駐軍の、GIってヤツらに。三人だったかな。いきなり
  で本当にびっくりした。力も強いし。あと向こうの白人
  を見るのも初めてじゃない? それにあの匂いも…。と
  にかく怖くて、ワケが分からないままに茂みに連れ込ま
  れて。…白昼堂々よ。何人か通りすがりの人がいたけど、
  みんな見ない振り。アタマくるっていうより、えーほん
  と?! て。怖くて怖くてしょうがないのに、そうゆう
  のはしっかり見ているんだよね。で、そのときにね、助
  けてくれたのが、あのヒトだったの。うん、向こうもた
  またま通りかかっただけだったみたいだけど、あのヒト
  は掴みかかっていった…。それでね、いや、ああ見えて
  結構強かったのよ。頑張っていたんだけど、GIのひと
  りが、ピストルで…。あの人、胸から血を出して倒れた。
  私はあのヒトを抱えて病院に連れていったの。…それが、
  あのヒトとの馴れ初め。

      身を起こして、また話しを続けていく。

女 死ぬことはなかったけど、まあ、今でもああしているんだ
  からそれは分かるか…。だけど、弾がね、どうしても取
  れなかったの。あのヒト、戦争からも無傷で帰って来ら
  れたのに。胸の、ヘンなところに入っちゃってさ。もう
  取れませんって…。あ、そのお医者さんが、てことね。
  もっといいお医者さんだったらちゃんとやってくれるら
  しいんだけど、そんなトコ行くお金もないから…。

      いったん言葉を切ると、コマダさん、辰坊の順に
      見やって、

女 辰坊さ、あのヒトが撮影のときにはいつもいなくなるって
  言ってたじゃん。あと、アイツは私にさせるだけで、何
  もしないだろって…。あれね、ちゃんと言うと、できな
  いの。…そう、あのヒト、できないのよ。胸の近くに弾
  が入っちゃったでしょ? 何か興奮すると、その弾が心
  臓に影響するとかで、そうすると、あのヒト死んじゃう
  のよ。だから、ハデに怒ったりもできないし、ハデに笑
  うこともできない。…想像できる? アレするなんて、
  もっての他ってわけ……。

      ふっと、うつむきがちになり、

女 一回ね、お酒呑んで言っちゃったことがあるの。私がこう
  ゆうことしてるの、あなたはどう思ってるのって? そ
  うしたらね、あのヒト言ったわ。シャシンを一本作るた
  びに、俺はシャシンでお前を抱いてるようなもんだろ、
  だって…。…バッカじゃないかと思ったわよ…。あのヒ
  トにそんなこと言わせた私が…。

      ははっと笑う。

女 それにさ、あのヒトの匂い、土の焼けるような……。空襲
  のあと、メチャクチャになった道を歩いていていたとき
  ね、なーんもなくなっちゃって、私はもうただただぽか
  ーんとしていた。そのとき、地面から土の焼けた匂いが
  してきたの。何も考えられなかったのに、その匂いを嗅
  いでいたら、これからどうしよっかなって、そう思えて
  きたのよ。別に何をどうするっていうんじゃなくて、た
  だこれから何しようって。そんな気持ちになれたの。…
  そんな匂い。それがさ、アレしてヘンに生臭くなっちゃ
  うのもねえ…。

      女の、乾いた笑い。

女 ………あのヒトが来ても、このこと黙っててねー…。…
  ん? …ああ、手術は…まだそこまでお金も貯まってい
  ないしね。ほら、なんだかんだいって私たちもダラシナ
  イから…。そりゃお金に全然ならないのならこんなこと
  やらないよ。でも、さ、そうそううまくは、ね。なかな
  かいい景気は回ってこないわよ。

      立ち上がると、窓のほうへ。
      窓外を見て、

女 ……この川も、いつかキレイになるのかなあ…。カラーの
  シャシンみたいに。

      しばらく川を眺めている。

女 …遅いね。スギヤマさん、やっぱり今度は本当にダメなの
  かもよ。そうなると、すぐには出てこれないかな。

      窓際を離れ、

女 だけどスギヤマさん、懲りないんだよなあ…。ぜったい。

      布団の脇までくるが、座らずに、

女 コマダさん、何かお話ししてくださいよ。昔話がいいな。
  前に聞いた、京都にエロシャシンのカメラやりに行ったら、
  ずっと前に松竹の女優だった人が出ていたとか、ああゆう
  話。だけどびっくりですよね。そうゆうときって、お互い
  知らん顔するんですか?

      コマダさんは言葉を濁しているようだ。

女 …でも松竹よ。まさか松竹の女優がやっているとは思わな
  いよね。ね、ね、その逆でさ、私が松竹に出られたりする
  かもしれないね。

      その場でステップを踏んで踊りだす。
      ひとしきり踊って、

女 どう? ちょっとしたものじゃない? ちっちゃな頃、親
  に習わされてたの。少女歌劇にでも入れたかったのかし
  らね…。

      踊っている。

女 何で習わせようと思ったかなんて、いまさら知ったとこで
  しょうがないけどね…。

      踊っている。

      と、ガチャッとドアの開く音。急くように。
      女、ハッと動き止まって、その方を見る。

女 …スギヤマさん!

      出入り口の方に向かって、

女 何だ、大丈夫だったの? もう心配したんだから! よか
  ったね!

      スギヤマの背後に目をやり、

女 あれ? あのヒトは…?

      ポチャンと水の落ちる音。
      スギヤマの言葉に耳を傾けていく女。

女 無事に出てこられたんでしょ…? …ここに向かっている
  途中に、刑事が尾けてきたの…。うん、それで奴らをま
  こうとして、走った…。ダメよ、そんな走ったりしたら
  …。(話を急かす)それで! だから走ったのは分かっ
  たから、それで! …橋のところまできたら、車が……。

      間。

女 ……そう。車には何てことなかったけど、…そうだよね、
  あのヒトすばしっこいもん…、でも、そのまんま橋から
  川に………、うん、スギヤマさんはいいんだよ。別に見
  捨てたわけじゃないさ。人もたくさん集まってきたんで
  しょ? うん、それに刑事だってくるだろうしね。うん。
  スギヤマさんが気にすることじゃ…。…え? そう、落
  ちたとこまでしか見てないのね。……いいよ、気休めは
  よして。…この季節じゃ、川の水も冷たいだろうしねえ。
  それだけショックがあれば、もう………。

      上手側に向かう女。

女 そうだね。下手に動かない方がいいかもね。ここで私たち
  までパクられたら、目も当てらんないよ…。……ワシャ
  カーナワンヨ。

      窓を開けて、川を見下ろす。
      すっと息を吸って、

女 …ドブの匂いしかしないなぁ。土の焼ける匂いは、しない
  よなあ…。

      女、ゆっくりと部屋の中央に。

女 ねえ、コマダさん、みんな揃ったんだし、はじめません
  か?

      上手側を見て、

女 もうウジウジ言わないの。ね、スギヤマさんも間に合った
  んだし、(わら半紙を手に取り)段取りもあるんだから。
  …ね。はじめよ…。

      コマダさんは準備をはじめたようである。
      それを認めた女、後ろを向くと、布団の上に腰を
      落とす。
      帯を解いていく。
      裸の背中が現れる。

女 …辰坊。

      卵の盛られた皿を手に取り、

女 これ、飲みなよ。

             おわり




 
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