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小枝をつたう毛虫のように
作 ソンブレロ
 


   <第1場>

    中央にテーブル、両脇に椅子が一脚ずつ。
    女(女1)、様子をうかがいながら現れる。
    やがて別の女(女2)が現れる。
    トレーにポットとカップをのせている。

    
女1 あ。
女2 こんにちは。
女1 こんにちは。
 あの……。
女2 うん?
女1 お尋ねしてもいいかしら?
女2 ええ。
 どうぞ、掛けて。

    女1、座る。
    女2、女1の目前にカップを置き、
    コーヒーを注ぐ。

女2 よかったら。
女1 あ、でも……。
女2 窓の外に姿が見えたから。
 立ち寄るかなと思って。
 どうぞ。
女1 ありがとう。

    女1、一口飲み、大きく息を吐く。

女1 ちょっと生き返ったような気がする。
女2 ずいぶん歩いたんじゃない?
女1 そうね、気がついたら森の入り口まで来ていたの。
 引き返すのもどうかと思って、そのまま歩いてみたけど……。
 道しるべもないし、森の中を歩くのって難しいわね。
 ねえ、この森の先ってどうなっているの?
女2 森の先?
 かわり映えしない景色が続くだけよ。
 森の奥まで延々とね。
女1 だからその森の先はどうなっているの?
 延々に続くと言ってもいつかは果てがあるでしょ?
女2 行きたいの?
 そこまで。
女1 うぅん、噂を聞いたことがあって、ちょっと興味があっただ
 け。
 あちら側への抜け道があるって。
女2 昔の話だわ。
 森を抜けて国境を越えるなんて。
 そんなことをする人はそれなりの事情と覚悟があったんでしょう
 けど。
女1 事情と覚悟ね……。
 まるで逆、はっきりしたあてもなく来ちゃったの。
 着の身着のままの気まぐれで……。
女2 そう。
 ここでよければどうぞごゆっくり。
女1 ありがとう。
 ここ、お店……。
 よね?
女2 ええ、まあ、季節によって樵や狩人が休憩しに来るくらいだ
 けど。
 あとは、あなたみたいな人とかね。
女1 私みたい?
女2 いろいろ迷っている人。
 行こうか、戻ろうか、行くとしたらどこまでか、みたいな。
 だってハイキングをしたくなるような森ではないもの。
女1 まあ、そうね、そもそも行くあてもないのに道しるべがない
 なんて言うのはおかしいわね。
 ああ、でも気持ちいい。
 仕事場に連絡もしないで出てきちゃったの。
 休んだこともなかったのに。
女2 お仕事伺ってもいい?
女1 新聞の編集助手をね。
女2 働き過ぎたんじゃない?
 張り詰めた糸は切れやすいものよ。
 いいんじゃない?
 たまには息抜きも。
女1 息抜きね……。
 じつは、このところ気が重くなりがちで……。
 なんて言うか、いろいろと揺さぶられたり混乱したり……。
女2 ここは静かよ。
 滅多に人は来ないし。
 まあ、たまに来るとすれば熊くらいね。
女1 え。
女2 子熊だけど。
 迷子だったり、食べ物を探しにきたり。
女1 で?
 蜂蜜でも与えるの?
女2 うぅん、追っ払うわ。
 甘やかすのは彼等のためにならないもの。
女1 どうやって?
女2 どうやってって……。
 こうしてね……。

    女2、手で追い払う仕草をする。
 
女1 え。
 なにそれ?
 だって熊でしょ?
 まるで蝿を追い払っているみたい。
女2 蝿だったらこうじゃない?

    女2、手で追い払う仕草をする。

女1 違った?
女2 違うでしょ?
女1 そう?
女2 ええ、だって熊はこうよ。
 蝿はこう。
女1 同じだけど?
女2 え、熊はこう。
 で、蠅はこう。
 ね。
女1 ……。
女2 よく見て。
女1 いい、もういいわ。
 諦める。
女2 仕方ないわね。
 あなたは熊でも蝿でもないんだもの。
女1 それはあなただって……。
女2 でも熊を追い払う時は熊になるわ。
 むこうより強い熊にね。
女1 だから、これ(追い払う仕草)で済むってこと?
女2 そう、わかってもらえた?
女1 うぅん、肝心なところがまるでわからない。
 熊になるって、熊の毛皮を纏ってなりすますとか?
女2 もっとシンプル。
 熊と正面から睨めっこ。
 で、目で言うの。
 あなた違うわ、来た道を戻りなさいってね。
 ポイントは怖がらないこと。
 それが大前提だから。
女1 え、いや、その前提の部分がすごく難しいと思うんだけど。
女2 大丈夫、威嚇するんじゃなくて諫めるだけ。
 むこうも敵意がないことはわかるから。
 だから落ち着いてね、じーっと熊の目を見て言い聞かせるの。
 こうして。

    女2、女1の目をじっとのぞき込む。

女2 ね、どう?
女1 気のせいかな、母親に諭されているような気がしたわ。
 なにかちょっと悪いことをしたときみたいに。
女2 そう、もう迷子になるほど子熊じゃないんだからね。
 施しなんて乞わずに自立しなきゃねって、思いやりを込めてね。
女1 まるでお母さん熊みたいな包容力ね。
女2 子熊を育てたことがあったの。
 狩人から譲り受けた赤ちゃん熊をね。
 母熊はかわいそうに毛皮になっちゃったみたいだけど、残された
 子熊は元気に育ってくれたわ。
 それがきっかけで少しずつ心がつながるようになったの。
 鹿だってリスだってかわいいものよ。
 いたずらっ子もいるけど、ちゃんと叱ってやれば心を開いてくれ
 るんだから。
 でも蝿やカゲロウやバッタは難しかったわ。
女1 虫とも通じられるの?
女2 彼等とても忙しいから大変だったけどね。
 だって今日の食糧を確保するだけで精一杯だし、しかも季節が変
 わる前にパートナーを見つけて子孫を残すという、人が数十年か
 けるところを数週間でやりきるんだもの。

    女1、追い払う仕草。
    女2、真似る。

女2 あなた蝿のしつこさ知ってるでしょ?
 追い払ってもまた戻ってくる。
 それはなぜだと思う?
女1 なぜって、なんて言うか、そういう性質なんじゃない?
女2 じゃあどうしてそうなったんだと思う?
女1 だから性質よ。
 なにかのせいじゃないでしょ。
女2 私もそう思ったの。
 蝿は追い払われてもすぐ戻ってくるしつこい奴だって。
 でもあながちそうでもないの。
 
    女2、追い払う仕草。

女2 どう?
 こうされて気持ちいい?
女1 (首を振る)
女2 蝿だってそう。
 年がら年中追い払われているうちにだんだん強情になっていった
 の。
 蝿にも心があるんだもの。
 でね、約束したの。
 食べる前の料理には絶対手をつけないでねって。
 一匹と約束したけど仲間にも広めてくれたみたいで、窓を開けて
 いても入って来なくなったわ。
 そのかわりってわけじゃないけど、キッチンドアの向こう側に立
 ち寄り所を作ったの。
 彼等用の瓜やセロリのピクルスを置いてね。
女1 へえ、蠅との約束ね……。
 相手がなんであれ心が通じるっていいわね。
女2 じゃあどう?
 森に住む生き物たちと仲良くなってみたいと思う?
女1 ええ、まあ、おもしろそうではあるけど……。
女2 けど?
女1 正直に言うと、いまの私にとってどう役立つかなと思って。
女2 役にね……。
 でもなーんにも役に立たないことをするっていうのも時には必要
 じゃない?
 特にいまのあなたには。
女1 いまの私……?
女2 理屈はわからないけど、でもそんな気がするの。
 役に立ちそうになくても、なにかの栄養にはなるかもしれない
 し。
 心のどこかの不足した部分を補うための。 
女1 確かに意味だとか価値だとかってことにこだわりすぎてたか
 も。
 そうね、なーんにも役に立たないことね……。
 でもいきなり熊は難しそうだし。
 もう少し手始めによさそうなのって……。
女2 小鳥なんかはどう?
 ツグミやコマドリが窓辺に遊びに来るから。
女1 小鳥ね……。
 あ、じゃあミミズクにしようと思うんだけど、いい?
女2 ミミズク?
 いいけど、どうして?
女1 だって、夜に森の中で迷ったときに道を教えてもらえたり、
 役に立ちそうじゃない?
女2 なるほど……。
 あ、ほら。
女1 え。
女2 役に立つ?
 言ってるそばから。
女1 あ、そうか……。
 なんか癖みたいね。
 ついそういうふうに考えちゃう。
 ダメね。
女2 ふふふふふ。
 
    二人、笑顔。
    溶暗、やがて暗転。




   <第2場>

    前場面と同じ設定。
    女1、コーヒーを飲んでいる。
    やがて女2、トレーにクロッシュつきの
    皿をのせて現れる。

女2 どうぞ。

    女1の目前に皿を置き、クロッシュを取
    り去る。

女1 これは?
女2 お肉と茸のソテー。
女1 お肉って?
女2 ジビエよ。
女1 ジビエって?
女2 蛙。
女1 蛙?
女2 そう、茶色くて大きいの。

    沈黙。

女1 こういうのふつうなの?
女2 まあ、ランチとしては、わりとね。
 どうぞ。
女1 ええ……。

    女1、ゆっくりナイフを入れる。

女1 やわらかい。

    女1、フォークで刺した肉を眺める。

女2 どうかした?
女1 ああ、べつに……。
女2 大丈夫よ。
女1 茶色くて大きいって……。
 あなたが捕まえたの?
女2 うぅん、見た目がとてもグロテスクでね。
 触るなんてとても……。
 ああ、でも味は悪くないのよ。
女1 蛙に触れない……?
 じゃあ誰が作ったの?
女2 私しかいないわ。
女1 よくわからないんだけど……。
女2 茹で上がると見違えるようにスッキリして見えるの。
 まるで鶏肉を扱うように抵抗なく料理出来るわ。
女1 でもどうやって茹でるの?
女2 手伝ってもらうの。
 こうしてね。

    女2、手を叩く。

女2 蝿たちへの合図。
女1 蝿を使うの?
女2 ええ、蛙の存在に気づいていないふりをして飛び回ってね。
女1 ということは蝿たちがおびき寄せて……。
女2 そう、上手に誘導してくれるから。
 どうぞどうぞ、遠慮なさらずにって。
 私がドアを開けて……。
女1 入ってもらってね。
女2 よくいらっしゃいました。
 さあ、こちらへって。
女1 まるでゲストを迎えるようにね。
女2 そう、で、この中へどうぞって。
女1 どの中?
女2 バスタブ。
 ぬるめのお湯でおもてなし。
女1 じゃあバスルームへ?
女2 うぅん、でも蛙にとってはバスタブサイズだわ。
 つまり手鍋ね。
 そこでリラックスしてもらって、そーっとキッチンへ。
 あとはわかる?
女1 ああ……。
 そういうことね。
 で、蓋をして、強火で……?
女2 そんなのかわいそう。
 最初は適温。
 そしてゆっくりゆっくり火を強めていくの。
 蛙って温度の変化に鈍いから蓋なんかしなくても大丈夫。
 それで気づかないまま茹で上がっちゃうの。
女1 それはそれでかわいそうね。
 自覚がないまま茹で上がるなんて……。
女2 だからありがたくいただいて。
 蛙のために。
 どうぞ。
女1 え、ええ。

    女1、肉を口元まで運んで手が止まる。

女1 どんな味なの?
女2 クセはないし臭みもないわ。
女1 食感は?
女2 やわらかくて、ほどよく弾力があるってかんじかしら。
女1 弾力ね……。
女2 食べた方が早いんじゃない?
女1 まあそうよね。

    女1、思い切って口に入れる。

女1 ん?
女2 うん?
女1 ……。
女2 どう?
女1 これ本当に蛙?
 鶏肉って言われても疑わないと思う。
 って言うか、蛙なんて言わないで欲しかった。
女2 それは気が利かなかったわね。
女1 あ、うぅん、私が聞いたからよね。
 それにありがたくいただこうって思ったのに……。
 ねえ、感謝を込めた食べ方ってどうすればいいと思う?
女2 そうね……。
 鶏肉みたいって言うより蛙ならではの美味しさを感じてあげると
 かね。
女1 蛙ならではね……。

    女1、無言のまま食べる。

女1 うん、なるほど感じるわ。
女2 どんなふうに?
女1 えーっとね、なんて言うか、こう……。
 肉に臭みはないし柔らかくてさっぱりしているけど、ほど良く脂
 がのっていて、まるで上等の鶏……。
 じゃなくて、蛙ならではって言うか、そう、蛙特有の歯応えと脂
 の甘味ね。
 森での食事って刺激的で好奇心を揺さぶられるわ。
女2 本当は家畜を育てようとしたんだけどね……。
 最低限の分だけでもと思って。
 でもダメだったの。
女1 ダメって?
女2 食べられるための命だって考えるとね。
 私が食べるための……。
 それで、僅かとはいえ、森の生き物たちをいただくことになっ
 ちゃうわけだけど。
 だから、私も森で暮らす生き物の一員だって考えることにした
 の。

    女1、ナイフとフォークを置く。

女1 ちょっと食べちゃったけど、あらためましていただきますを
 します。
 では、感謝をこめて……。
 蛙さん、ありがたく、いただきます。

    女1、手を合わせて一礼。

女2 そうね、じゃあ、せっかくだから蛙だけじゃなくて、食べる
 前に感謝のいただきますを唱えてあげて。
 コガネムシの幼虫と陸ガメの卵と……。
 あと、紫オオトカゲのしっぽにね。
女1 え。
 ちょっと、なに、虫の幼虫とカメの……?
女2 卵と、あと、トカゲのしっぽ。
 紫色の大きなトカゲの。
女1 いや、あの……。
 それ、もしかして……?
女2 ええ、このあとね。
 あ、やだ。
 ふふふ、ごめんなさい、言わない方がよかったのよね。
 でも大丈夫。
 それぞれボイルしたり、燻したり、手間をかけているから見た目
 は悪くないし、味もね。
 だから同じように感謝を込めて……。
 ふふふ。

    女2、去ろうとする。


女1 待って。
 うそ。
 うそでしょ?
 ねえ。
女2 本当にごめんなさい、つい余計なこと言っちゃって……。
 一旦忘れて。

    女1、目を閉じ、手を合わせて一礼。

女1 感謝したいのはヤマヤマだけど、私、虫の幼虫はさすがに…
 …。
 いや、カメもちょっと……。
 いやいや、トカゲも相当……。
 って言うか、かなり、無理。
 もちろん森の中で贅沢は言えないのはわかります。
 だからどうか、味も見た目もまったく想像つかないくらい違うも
 のでありますように。
 あ、じゃなくて、どうかこれが冗談でありますように。
 それが一番助かります。
 どうかどうか……。
女2 私に祈ってるの?
女1 誰ってわけでもないけど……。
 強いて言えば、森の神様、かな。

    女1、ブツブツと呟きながら祈りを
    捧げる。

女2 じゃあ私も。
 軽い冗談のつもりだったんです。
 久しく人を驚かせることがなかったものだから、つい……。
 もちろん悪気なんて微塵もありません。
 ほんの出来心なんです。
 ですのでどうかお許しを。
 どうか……。

    女2、目を閉じて祈りをささげる。

女1 私に祈ってる?
女2 まあ、強いて言えば森の神様、かな。
 どうかどうか……。
女1 で、森の神様はなんだって?
女2 えーっとね……。
 え、ああ、そうですか、それはどうもありがとうございます。
 よかった。
 幸い祈りが通じたみたい。
 どうやらお許しいただけそうよ。
女1 あら、さすが神様、慈悲深いこと。
 私だったらこの程度の懺悔ではとても許せないけどね。
女2 あ、ああ、あの、どうか、どうかお許しを……。

    女2、ブツブツと呟きながら祈りを
    捧げる。

女1 じゃあ、まあ、そう……。
 なんらかの誠意を見せてもらえれば……。
女2 誠意?
女1 そう言えば、しばらく甘いものを食べてなかったような……。
 急に欲しくなったりするのよね。
女2 あ、うん、おいしいデザートをつけるわ。
 クリームをたっぷり添えた、ふんわりしっとりのシフォンケーキを。
 あと木苺のムースも。
 だから、ね。
 ね。
女1 ふふふふふ。
 
    二人、笑う。 
    溶暗、やがて暗転。




   <第3場>

    前場面と同じ設定。
    女1、現れる。
    籐製の容器を抱えている。
    女2、現れる。

女2 おかえりなさい。
 どうだった?
女1 思ったより大変だったわ。
 茸って色も形も似てるから見極めるのが難しくって。
女2 ご苦労様。
女1 見て。
 言われたとおりちゃんと選んで採ってきたつもりだけど……。

    女2、容器を受け取り、いくつかの茸を
    つまんでみる。

女2 大丈夫、ありがとう。
 これでしばらく採りに行かなくて済むわ。
女1 役に立てたみたいね。
女2 ところで行き帰りに人の姿を見たりした?
女1 え、あ、もしかして誰か訪ねて来たの?
女2 ええ、三人。
 あなたが出掛けて少ししてからね。
 いろいろ聞かれたわ。
 ここにこんな人が来なかったかって。
女1 こんな人?
女2 特徴を言ってた。
 大よその年齢、背格好、肌の色、髪の色、瞳の色。
 すべてあなたに当てはまるようなね。
女1 ……。
女2 来なかったって言ったわ。
 そうしたら傍らにいた犬が突然激しく吠えたの。
 嘘を言うな、オレは鼻が利くんだぞって怒鳴るみたいにね。
 煩わしくなって言っちゃった。
 そう言えば似たような人が来たって。
 でももういない、蛙のソテーを振る舞ったらすぐに席を立ったっ
 て言ったの。
 よっぽど懲りたのか、ホームシックになったのか、どちらかだと
 思うわってね。
女1 それで?
女2 帰っていったわ。
 やっぱり蛙のソテーってことが効いたのかもね。
 しかも雄の蛙をって言ったし。
女1 雄の蛙?
 どういう意味?
女2 雄蛙ってとてもクセが強いの。
 だから招かれざる客に出すには最適だし、食べると元いたところ
 に帰りたくなるって言い伝えもあってね。
 ほら、蛙って帰巣本能があるじゃない?
 特に雄の蛙はね。
 一人で森を歩くには軽装すぎるし、警告の意味も込めてそうし
 たって言ったの。
 まあ、その説明で一応の理解は得られたみたいね。
女1 へえ、私が食べたのは雄の蛙だったのね?
女2 うぅん、雌の方よ。
 嘘をついたの。
 これでも気を利かせたつもりよ。
女1 ありがとう。
 ちなみに雌の蛙を食べるとどうなるの?
女2 ふたつあるの。
 一つ目は雄蛙の逆。
 リラックス、居心地がよくなる。
 ほら、少しだけ眠ったでしょ?
 テーブルに伏せて。
女1 ああ、そう言えば……。
女2 あながち迷信ってわけでもないみたい。
 もうひとつは、バジルやローズマリーでソテーしたことがポイン
 トでね、食べた人をかぐわしい香りのベールで包んでくれるの。
女1 香りのベール……?
女2 ええ、だから鼻が利く犬でも消息はつかめないはずってこ
 と。
 
    女2、女1に座るように促す。

女1 うぅん、これ以上ここにいるとあなたに迷惑が掛かりそうだ
 もの。
 行くわ。
女2 惜しいわね。
 こんなに茸採りの才能があるのに……。
 大切にして。
 なにかを見分ける能力っていろいろな局面で役に立つから。
 どの道を選ぶのか、どこまで進むのか、もしくは戻るのか。
女1 もう少し奥まで行ってみるわ。
女2 どこへ向かうために?
女1 もっと人が来ないようなところ。
 ほら、森の奥深くって人知れず修道院があったりするじゃない?
 うまくすれば身を寄せられたり、なにかしらの仕事にありつける
 かもしれないわ。
女2 夕暮れまでそれほど間がないけど……?
女1 ちょっと心細いけど、あなたに才能を見出してもらったし、
 なんとかなると思う。
 幸運を祈っててね。
女2 ええ、祈ってるわ。
 どうかあなたが人喰い狼に逢いませんようにって。
女1 人喰い?
 うそ、そんなのいるの?
女2 だから祈るわ。
 森の神様にね。
 どうせなら人喰いじゃない方の狼にしてくださいって。
女1 いやいや狼って時点でダメでしょ。
女2 夜行性だからこれからの時間は特に注意した方がいいわ。
 聴覚が鋭いから絶対に静かにね。
 疲れてくると息づかいや足音が目立つから。
 それから嗅覚も鋭いし、どこからでも嗅ぎつけるから気をつけて
 ね。
女1 え、ええ……。
女2 夜が明けるまではなにも食べないこと。
 クッキーもキャンディーもね。
女1 でもそれ全部気をつけても出くわすときは出くわすんでしょ
 うね?
女2 そのときは無闇に怖がったり慌てたりしないで行動すること
 よ。
女1 行動?
女2 とにかく落ち着いて。
 そして相手の目をしっかりと見る。
 刺激しないように心掛けつつ諫めるの。
 敵意がないことを感じさせることが肝心よ。
 あくまでも威嚇じゃなくて言い聞かせる感じでね。
女1 せっかくだけど、にわか仕込みの教えくらいでどうにかなる
 とは思えないんだけど……。
女2 いざとなったら素早く木に登っちゃうこと。
 狼って木登りは得意じゃないから。
女1 私だって得意じゃないけど。
女2 でも緊急時って意外となんでも出来ちゃうものよ。
女1 とにかく幸運を祈っててよ。
 狼を含め、あらゆる危険に遭遇しないようにって。
女2 ええ、狼や熊、その他の危険に遭遇しないように、どうか…
 …。
女1 え、あ、熊?
女2 ああ、そう、熊も嗅覚聴覚ともに鋭いし、その上木登りも得
 意だからくれぐれも気をつけてね。
 子熊と違って大人の熊は外敵には攻撃的だから。
女1 いやいや、匂いや音に敏感で木登りも得意って……。
 逃げようがないじゃない?
 まさか猿みたいに枝から枝に飛び移れっていうの?
女2 そうね、緊急時って意外な能力を出せるでしょうから。
女1 無理よ。
 いくらなんでも……。

    女1、座る。
    
女1 少し考えさせて。
女2 ええ、いっぱい考えてみて。

    沈黙。

女2 あ。
女1 え。
女2 ノックの音。
 誰か来たわ。
女1 誰?
女2 まさか……。
 あなたが戻っていないかを確かめに来た、とかじゃなければいい
 けどね。
女1 もしそうだったら……?
女2 そう……。
 とりあえずそのコーヒー豆の袋を頭から被ってみて。
女1 え、もしかしてその袋のこと?
 体の半分も入らないけど……。
女2 とりあえず顔だけ隠して。
女1 顔だけって、それで?
女2 大人しくしてて。
女1 え?
女2 いや?
 でも格好つけている場合じゃないでしょ?
女1 つけてないわよ。
 ただ、袋を被って立っている状況がわからないんだけど?
女2 大丈夫。
 私が顔を見せたくない理由を説明するから。
 寝不足で両目が腫れている、鼻の頭に擦り傷を作った、頬に大き
 な虫刺されの跡が出来た、とかね。
 どう?
 あなたがおたずね者でもない限りどれかしらは使えるでしょ?
女1 そうね、私がおたずね者でなければ、ね。

    沈黙。

女2 そういうこと……。
女1 そういうことなの。
 ごめんなさいね、黙ってて。
 でもなにか言ってなかった?
 私を探しに来た人たち。
女2 参考人だって。
 少しだけ聞きたいことがあるって。
女1 そのわりにはずいぶん遠くまで追いかけてきたものね。
女2 職業柄誤解されたり、面倒なことに巻き込まれそうだもの
 ね。
女1 主に政治面の担当だったけど……。
 胸を張れるほど健全な仕事ぶりじゃなかったわ。
 権力監視する役目とは真逆。
 むしろ迎合して片棒を担ぐような記事ばかりを……。
女2 それが不本意に思えるならまだ健全よ。
 で、そんな鬱憤がたまって、ついに爆発しちゃったっていうわ
 け?
女1 そんな大袈裟なものでもないけど……。
女2 来て。
 匿うのは慣れているの。
 クローゼットを案内するわ。
女1 ありがとう。
 でも下手をするとあなたを罪人にしちゃう。
女2 幸い表向きはまだ参考人らしいし、どんなことに関わってい
 るのかも知らないし。
 逃げる?
 戻る?
 それとももう少し迷う?

    沈黙。

女2 あ、帰っていく。
女1 え。
女2 聞こえるでしょ?
 ほら、足音。
 遠ざかっていくわ。
女1 そう?
女2 きっと物乞いね。
 時々来るの。
 で、どう?
 そろそろ日が傾きはじめるけど。
女1 そうね、なんだか勢いを失っちゃったかも。
女2 賢明じゃない?
 勢いで出ていくなんて無謀だしね。
女1 お世話掛けちゃうわね。
女2 うぅん、こんなこともあろうかと用意はあるんだけど。
 あなた好みの硬さかしら。
女1 なんのこと?
女2 枕。
女1 ああ。
 木の根っこに比べたらなんでも天国だもの。
 むしろ感謝しなきゃ。
 いいタイミングで邪魔が入ってくれたことに。
女2 物乞いも時には役に立つものね。
 今度来たらなにかお礼をしておくわ。
 またいざというときはお願いねって。
女1 え。
女2 あ、うぅん、じゃあ、ベッドをつくってくる。
女1 悪いわね。
 あ、いざって?
女2 ふふふ、気にしないで。

    女2、去る。
    女1、その方向を見ている。
    溶暗、やがて暗転。





   <第4場>

    前場面と同じ設定。
    女1、食事を終えフォークを置く。

    間もなく女2、現れる。
    トレーにポットとカップ、そして蜂蜜入りの
    ミニピッチャーをのせている。
    女1の目前にカップとミニピッチャーを置き、
    紅茶を注ぐ。

女2 どうぞ。
女1 ありがとう。
 おいしかった。
 サラダもパンケーキも、それから蜂蜜が特にね。
 朝からとても贅沢な気分。
女2 この森で採れた蜂蜜よ。
 紅茶にも入れてみて。

    女1、蜂蜜入りのミニピッチャーを
    手に取る。

女1 どんな花から採れるのかしら?
女2 クローバーとかアカシアとか。
女1 そう、なにか聞いたこともない花の蜜なのかと思った。
女2 同じ花でも場所や天候で蜜の質は変わるし、それぞれの要素
 を考えてブレンドしているみたいよ。
 彼等とても研究熱心だから。

    女1、紅茶に蜂蜜を入れる。

女1 彼等って?
女2 ミツバチたち。
 私の仲間なの。
女1 え、ああ、あなたがその研究熱心なミツバチを育てているっ
 てこと?
女2 育てる必要なんてないわ。
 彼等は自ら考えて働くことが出来るんだもの。
 ミツバチのミツバチによるミツバチのための小さな生産場。
 そこで作られたの。
女1 ミツバチだけ……?
女2 厳密に言えば、二千五百匹余りのミツバチと十数人の人、そ
 れと何頭かの山羊と犬もいるわ。
 でもみんなそれぞれの役割を担って蜂蜜作りをしている仲間な
 の。
女1 その生産場ってどこにあるの?
女2 森のずうっと奥。
 わざわざここまで蜂蜜を届けに来てくれるの。
 小瓶の入ったバスケットを数十匹の雄蜂たちが力を合わせてね。
 大きな羽音が聞こえるからすぐわかるわ。

    女1、紅茶を飲む。

女1 やっぱりそうよね……。
女2 なにが?
女1 匿うのは慣れてるって言ったじゃない?
 その養蜂場にいる人たちって……。
 つまり、そういうこと?
女2 と言っても犯罪者ではないわ。
 追われたり行き場がなかったっていうだけで。
女1 追われてて、でも犯罪者ではない……?
女2 たとえば、そう……。
 寄宿舎の口減らしであぶれた戦災孤児とか。
 鉱山や農場での強制労働から逃げてきた難民とかね。
 いろいろな人が来たけど、みんな時代が変わるのを望んでいる仲
 間なの。
 だから仲良くやっているわ。
女1 私も一緒に望んでみようかな。
 時代が変わることを。
 無理かしら?
 おたずね者じゃあね。
女2 そんなに卑下することないわ。
 おたずね者にもいろいろいるでしょうし。
女1 いろいろって?
女2 言われなき罪をきせられたり、誰かのために自ら罪をかぶっ
 たりとかね。
 もしくは、罪人となることを覚悟で正義を貫く人だっているかも
 しれない。
女1 言うほどたいそうなことしたわけじゃないの。
 むしろなにも出来なかったから自分を責めたり、慰めたり、また
 塞ぎ込んだり……。
 単なる自己嫌悪ね。
 ちょっと酷くなると気晴らしに外に出て、近くをひとまわりして
 戻るんだけど、たまにあるの。
 思いのほか遠くまで来ちゃうことが。
女2 その理由、無理には聞かないけど……。

    沈黙。


女1 あ。

    女1、天井を見上げる。

女2 太陽に雲がかかったみたいね。
女1 それで少し暗くなったのね。
 あらためて見るとずいぶん天井が高いのね。
女2 わかる?
 映っているのが。
女1 なにが?
 もしかしてあの天窓のこと?
女2 そう、よく見て。

    女1、天井を凝視する。

女1 あ、あれ……。

    女1、天井に向かって小さく手を
    振る。

女1 本当ね。
 かわいい天窓にとっても小さくね。

    女1、しばし天井を眺めた後、
    立ち上がる。

女2 ちょうど日が翳ったときだけ映るの。
女1 へえ、おもしろい。
 映っているからまるで上から見下ろしているみたいね。
 あれ、でも変ね。
 私しか映ってない。
 錯覚?
女2 そう?
 よく見て。
女1 よく見てる。
 でも私しか見えない。
女2 ああ、ごめんなさい、よく見ない方がいいの。
 もっとふわっと見て。
女1 え。
女2 ふわっと全体をね。
女1 ふわっと……?

    女1、再び天井を凝視する。


女2 そう、肩の力を抜いてね。
女1 あ、本当ね。
 見えるわ。
 そうか、一点を見つめていると周りが見えなくなるのね。
女2 ええ、自分の姿ばかり見ているとね。

    女1、座る。
    やや長い沈黙。
    女1、目を閉じ、静かに泣く。
    ひとしきり泣いた後、静かに笑う。

女1 小さく写っている姿がなんだか滑稽に思えて……。
 でも小さいなりに背負っている自分が意地らしくもあって、な
 んか変な涙ね。
 はじめて、こういうの。
 人前で泣いたのも。


女2、カップに紅茶を注ぐ。

女2 少し冷めちゃったかしら。
女1 ありがとう。

    女1、一口飲む。

女1 話すと長いの。
女2 どうぞいくらでも。
女1 重くなるけど。
女2 わりと慣れてるわ。
女1 そう……。
 じつは、人を見殺しにしたんじゃないかっていうね。
 そんな話。
女2 見殺し……?
 それって、身近な人?
女1 うぅん、全然。
 知らない男よ。
 夜に一人残っていた編集室に突然入ってきて、アンタだけかっ
 て。
 そう聞かれて、ちょっと迷ったけど、もう誰も戻ってこないっ
 て答えたの。
 少し休ませてほしいって……。
 眼光が鋭くて不気味だったけど、刺激したくなくて平静を装った
 わ。
 でね、コーヒーを飲ませてくれって。
女2 何者?
女1 ただのアウトローだって。
 後からそう聞いたわ。
 コーヒーを飲み終えると、お礼のつもりなのか軽く頭を下げて、
 自分と距離を置くように促されたの。
 部屋を出ろって。
 やっぱり怖かったからその指示はありがたかったわ。
 部屋を出て間もなく、追っ手らしき人が三人来て、男の居場所を聞
 かれたから教えたんだけど……。
女2 だけど……?
女1 部屋を出ろって言ったのはそういう予感があったからだった
 のね。
 銃声が鳴り響いたの。
 何発か。
女2 それで見殺しってわけ?
女1 ロッカールームに逃げ込んで……。
 しゃがみこんだまま動けなかったわ。
 ほどなくして追っ手の人たちが探しに来たけど、返事をするのが
 やっとで……。
 自害だって。
 自分の持っていた銃でね。
 だけど数発の銃声を聞いたのは確かよ。
 自害で数発の銃声って……。
 でもそれは私の聞き違いだって言うの。
 そんなことは絶対ないって、しつこく食い下がったわ。
 そうしたら、あれは威嚇射撃だったって。
 男は生きていて、すでに釈放したって。
 そう変わったの。
女2 それを信じられれば楽になるんでしょうけど……。
女1 でしょうけどね。
 あらためて思ったわ。
 ずいぶん抑え込まれた世界に住んでいるんだなって。

    沈黙。

女1 この件について絶対に口外しないことを約束させられたわ。
 もしかしたら男の存在自体も含めてすべての事実を消滅させるの
 かもしれない。
 で、自ら追われる口実作っちゃった。
 誰にも言わないって約束したけど、守り通す自信がない。
 真実を明らかにして、闇に葬るようなことはしないで欲しいって
 書いた手紙を送ったの。
女2 体制へのささやかな反逆?
女1 ええ、とてもささやかな。
 あの男がどういう人物か詳しくはわからないけど、政治犯にされ
 た人たちが今まで受けていた仕打ちを垣間見た気がしたの。
女2 体制にとって不都合な人物と遭遇して、あなたも不都合な参
 考人になったのね。
女1 うぅん、あなたに話してしまったからもう参考人じゃない
 わ。
 約束を破ったんだもの。
 機密漏えい罪成立。
 立派なおたずね者よ。

    沈黙。

女1 あ。(見上げて)
 見て、ほら、あそこ。
 黒くて大きいの。
 蜂みたい。
 いつの間に入ってきたのかしら?
女2 あの黒い蜂ってミツバチの天敵なの。
 蜂蜜の強盗団よ。
女1 大きいし強そうだものね。
女2 まともに戦ったらかなわないけど、力を合わせればなんとか
 なるわ。
女1 ちょっと飛び方が変ね。
 怪我をしているのかしら?
女2 そうみたいね。
 ミツバチとの戦いか、鳥に襲われそうになったか……。
女1 ねえ、もしあなただったらどうしてたと思う?
 もう少しなにかしてあげられた?
女2 え。
女1 いまふと思ったの。
 さっきの男の話なんだけど……。
 ごめんなさい、突拍子もない質問よね。
女2 恐らく同じだと思う。
 言われるとおりコーヒーをいれて、言われるとおりに部屋を出て
 ……。
 でも逆にあなたが私の立場だったら、なにをしてあげられたと思
 う?
女1 どういうこと?
女2 立場を変えて考えてみて。
 あなたがここにいる、そして男が訪ねてくる。
 で、どうしたか。
 この場所でのあなたの振る舞いを想像してみて。
女1 私がここでね……。

    沈黙。

女2 どう?
女1 ちょっと考えているの。
 まず、どうしてこの場所、森に住んでいるのかっていうことなん
 だけど……。
 えーっと、ここで生まれ育ってっていうことか、もしくはなにか
 べつのいきさつがあって……。
女2 じゃあこんなストーリーはいかが?
 あなたの半生についてね。
 そう……。
 物心ついたときにはすでに母親はいない。
 育ててくれた父親は兵役で別れた。
 その父が残した絵を売って暮らす日々。
 一人ぼっちだけど父の仲間たちが時々遊んでくれた。
女1 ちょっと、それって、もしかしてあなたの……。
女2 フィクションよ。
 最後まで聞いて。
 ある日ふいに父が帰還した。
 理由はわからない。
 父に連れられて森へ。
 ハイキングじゃなくて住む場所を求めて。
 そして父の仲間たちを呼んで森の奥で蜂蜜作りを始めた。
 黄金色の蜂蜜は宝物。
 蜂蜜ひと瓶で鹿の肉も熊の毛皮もひと冬分くらいの茸とも換えて
 もらえた。
 あれからずいぶんと時が経って父もその仲間たちももういない。
 でも養蜂場には二千五百匹余りのミツバチと十数人の人、何頭か
 の山羊と犬。
 そんな背景のあるあなた。
 さて。
 たとえば今日の昼下がり、裁縫仕事を始めようとしたあたりにふ
 いの来訪者。
 わけありげな一人の男。
 要求はコーヒーをいれてほしいというだけ。
 
    沈黙。
 
女2 どう?
 想像出来てる?
女1 え、ええ、今日の午後ね、裁縫仕事をしようとしているとこ
 ろに突然、男が……。
 要求はコーヒーを、と。
女2 どうしてあげられそう?
女1 そうね、森は自分の領域だし、虫や動物も味方になってくれ
 るし……。
 それにここでお店をやってきたわけだしね。
 そんなに怖がらずにコーヒーを出してあげられそうな気がする
 わ。
女2 私もきっとそんなかんじだと思う。
 でもそれが精一杯でしょうね。
 だから一人で罪悪感を抱くこともないんじゃない?
 で、どう?
 いま確認し合った振る舞いの記憶を二人で共有しない?
 一人より気が楽でしょうし。
 少なくとも半分には薄まるはずよ。
 
    女2、蜂蜜入りのミニピッチャーを
    手に持ち、天井近くを飛び回る蜂に
    向かって合図する。

女1 どうしたの?
女2 出るように促しているの。
 玄関ポーチの脇にある花台にスープボウルがあってね。
 ハーブをブレンドした蜂蜜を入れてあるの。
 おいしくて栄養もたっぷり。
 それを飲めばきっと元気を取り戻せるわ。
女1 あ、くるくると旋回して……。
 出て行っちゃった。
女2 ええ、通じたみたいね。
女1 でもあの蜂ってミツバチの天敵なんでしょ?
 どうして蜂蜜を与えたりするの?
女2 蜂に罪はないもの。
 群れの中での役目というだけで。
 蜂もいろいろでね、たまに兵隊をやめたいっていうのもいるの。
 群れで暮らすよりはるかに厳しい現実が待っているってわかっ
 ていても。
 仲間もいない、自分以外はみんな敵、それでもね。
女1 危険と引き換えにしても自分らしい生き方を選びたいのか
 な。
女2 だから私なりに手を貸しているつもりよ。
 毛虫そっくりなウールの縫いぐるみを作って。
女1 縫いぐるみ?
女2 つまり毛虫に擬態。

    女2、カトラリーケースの布のカバーを
    手に巻いてみせる。

女2 鮮やかな色に染めた毛足の長いボアを縫い合わせるの。
女1 カラフルでかわいい毛虫くんね。
女2 赤や黄色やオレンジ色を使うのは警戒色だから。
 派手な毛の色はいかにも危ないぞ、食べたら危険だぞって、鳥に
 警戒させるためよ。
 花台の縁のフックにいくつも提げてあるの。 
女1 蜂のまま単独行動するよりは危険回避できるってわけね。
女2 ええ、当座は毛虫でもいつか自分のタイミングで脱ぎ捨てる
 ときがくるでしょうね。
女1 群れを出て一匹で生きる覚悟か……。
女2 あなたはどう?
 濡れ衣を纏って森の奥へ引き籠る?
 それとも町に出て足掻いてみる?
 
    沈黙。
 
女1 さっきの男とのことなんだけど……。
 もう少しだけ言葉を交わしたの。
 うぅん、交わすって言うか、一方通行だけど。
 森の奥にある、国境を越える抜け道の話を聞いたことがあるかっ
 て。
女2 国境の抜け道?
女1 確かそう言ったわ。
 もちろん知らないから首を横に振ったの。
 それから、記者なのかって。
 小さな声だったから聞こえないふりをしていたんだけど……。
 そう思える仕事をしてこなかった後ろめたさもあってかな。
 答えられなかった、っていうのが本音ね。
女2 答えるチャンスはまだあるんじゃない?
女1 え。
女2 今度は忖度のない記者として。
女1 無理だわ。
 今更戻るわけにはいかないもの。
女2 そう、退路は断ったんだもの。
 真実を伝えるフリーのジャーナリストとしてね。 
 まあ、森に逃げるより大変でしょうけど。
 
    沈黙。

女1 ありがとう。
女2 あ、ねえ、もう少ししたらミルクとヨーグルトが届くの。
 大きな容器を積んだ荷車を引いてね。
 町まで出るはずだから乗せてもらったらどう?
女1 荷車……?
女2 乗り心地はよろしいとは言えないけど、歩くよりはありがた
 いじゃない?
女1 でも、荷物を増やすことになるし……。
女2 あなた一人くらいどうってことないわ。
 もっともっと重いミルク缶やヨーグルト入りの壺を運んでいるか
 ら。
女1 あ、見て。
 あれ。
 あの枝。
女2 え。
女1 毛虫よ。
 見て、あのカラフルなモサモサの子。
 あなたが作った毛虫くんじゃない?
女2 どこ?
女1 ほら、あそこよ、あそこ。
 ね、枝を登っているでしょ?
女2 ああ……。
女1 もしかしてさっきの蜂かな?
女2 そうかもしれないわね。
 いずれにしてもまだよちよち歩きね。
女1 ええ、なりたてほやほや。
 初心者の毛虫くんだよね。
 早く毛虫らしい歩き方ができるといいわね。

    二人、窓の外を眺めている。
 
女1 どんな気持ちかな?
 新しい装いで歩きはじめるのって。
 おっかなびっくり不安いっぱいって心境かな?
 それとも希望に満ちあふれているのかしら?
女2 そうね……。
 あなたもどう?
 あの毛虫のように新しい装いで。
女1 え。
女2 クローゼットにある服を見てくれる?
 ブラウス、ワンピース、スカートはフレアやプリーツも。
 色もサイズもいろいろあるわ。
 合わせてみて。
女1 いろいろなサイズ?
 あなたの服じゃないの?
女2 形を考えたり、縫ったり、染めたり、そういうこと好きな
 の。
 ここは花や葉っぱ、根っこや樹皮とか、染料になるものもたくさ
 んあるしね。
女1 まるで森の中の縫製工房ね。
女2 ええ、ミルクとヨーグルトと一緒に町へ出るの。
 じつはけっこう注文があるのよ。
女1 そう、いいわね。
 自分が作ったものが誰かのお気に入りになるなんて。
女2 ねえ、選んで。
 プレゼントするわ。
 それから、ティーパーティーをしましょう。
 あなたが新たな一歩を踏み出すことを祝って。
女1 パーティー?
 二人で?
女2 ヨーグルト売りの彼も誘うわ。
 じつはその彼ってけっこう素敵なの。
 栗色の髪、グレーの瞳に灼けた肌、細身だけど逞しいの。
女1 え、もしかしてそれって、森の王子様かしら?
女2 ただ、残念なのは、彼がまだ十代前半だってことと、白馬
 じゃなくて荷車ってことね。
女1 あ、ねえ、見て。
 あの毛虫くんの動きが止まってる。
 ね。
 どっちに進もうか悩んでいるのかな。
女2 うぅん、違う。
 早くも天敵よ。
 ほら、あそこの枝で百舌鳥が狙っている。
女1 百舌鳥?
 ああ、本当……。
 どうにかしてあげられないの?
 見逃してもらえるように説得するとか。
女2 こんな難局に幾度となく出くわすでしょうね。
 これからもきっと。
 だから祈ってあげるしか……。

    女2、胸に手を当てて祈る。
    女1、それを見て同じように祈る。

女2 あら。
女1 わあ、百舌鳥が飛んでいっちゃった。
 やっぱり食べられそうもないと思ったから?
女2 きっとね。
女1 早くもぬいぐるみカラーが効いたのね。
 ほらまたどんどん進んで……。
 あれ、わざわざ細い方の枝に進路を変えたわ。
女2 交差している隣の木の枝に移る気じゃない?
 ああして少しずつ移動して行くのね。
 
    女2、片手を頬に当て、もう片方の
    手を振る。

女1 どういうこと?
女2 大丈夫。
 きっとうまくいく。
 そういうエール。

    沈黙。

女2 父が脱走兵だと知ったのはわりと後だった。
 敵の捕虜を助けるために。
 それで逃げてきたって……。
 あの頃はまだ抜け道があったようね。
 森のずっとずっと奥の、その先の果てには。
 どうでもいいことね。
 フィクションなんだから。
 あ。
女1 え。
女2 もう来たわ。
女1 ヨーグルト売りの彼?
女2 うぅん、ミツバチたち。
 蜂蜜を届けに。
 聞こえない?
 羽の音。
 いつもより多いみたい。
 バスケットいっぱいのお届け物がありそうね。
女1 たっぷりの蜂蜜かしら?
女2 ええ、あと、ハーブや木苺も頼んでいたの。
 ちょっと待ってて。
女1 見てもいい?
女2 どうぞ。

    女2、去る。
    女1、後に続くが立ち止まる。
    窓の外の毛虫に視線を送る。
    片手を頬に当て、もう片方の手を小さく振る。
    
    溶暗、やがて暗転。


      了

 
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